窪尼御前御返事
書下し
窪尼御前御返事
[1]粽五把・笋十本・千日ひとつつ給ひ了んぬ。
[2]いつもの事に候へども、ながあめ(長雨)ふりてなつ(夏)の日ながし。山はふかく、みち(路)しげければ、ふみわくる人も候はぬに、ほととぎすにつけての御ひとこへ(一声)ありがたしありがたし。
[3]さてはあつわらの事。こんど(今度)をもつてをぼしめせ。さきもそら事なり。かうのとの(守殿)は人のいゐしにつけて、くはしくもたづねずして、この御房をながしける事あさましとをぼして、ゆるさせ給ひてののちは、させるとが(科)もなくては、いかんがまたあだ(怨)せらるべき。すへ(末)の人々の法華経を心にはあだめども、うへにそしらばいかんがとをもひて、事にかづけて人をあだむほどに、かへりてさきざきのそら事のあらわれ候ふぞ。これはそらみげうそ(虚御教書)と申す事はみ(見)ぬさきよりすい(推)して候ふ。さどの国にてもそらみげうそを三度までつくりて候ひしぞ。
[4]これにつけても上と国との御ためあはれなり。木のしたなるむし(虫)の木をくらひたうし、師子の中のむしの師子を食らひうしなふやうに、守殿の御をんにてすぐる人々が、守殿の御威をかりて一切の人々ををどし、なやまし、わづらはし候ふうへ、上の仰せとて法華経を失ひて、国もやぶれ、主をも失つて、返つて各々が身をほろぼさんあさましさよ。
[5]日蓮はいやしけれども、経は梵天・帝釈・日・月・四天・天照太神・八幡大菩薩のまほらせ給ふ御経なれば、法華経のかたをあだむ人々は剣をのみ、火を手ににぎるなるべし。これにつけてもいよいよ御信用のまさらせ給ふ事、たうとく候ふぞ、たうとく候ふぞ。
[6]<日>五月三日日>
[7]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[8]<先>窪尼御返事先>
現代語訳
窪尼御前御返事
弘安元年(一二七八)五月三日、五七歳、於身延、和文、定一五〇二—一五〇三頁。
[1]粽五把、笋十本、千日酒一筒を頂載いたしました。お礼申し上げます。
[2]例年のこととはいえ、長雨が降り続いてうっとうしい夏の日はなかなか暮れません。山は深く、路には草木が生い茂っているので、それを踏み分けて訪れてくれる人もありませんのに、ほととどすの鳴き声にさそわれてのご音信、ありがたや、ありがたや。
[3]さて、熱原で門下の人々が弾圧を受けた事件によって、前回の迫害も事実にもとづかない讒訴から起こったことであることがおわかりになったでしょう。執権北条時宗殿は、人の讒言をくわしく調査することもなく私を佐渡に流したことを反省して赦免なさったのですから。その後は明確な罪科がなくては、どうしてまた処分することができるでしょうか。末端の人々が、法華経信者を内心では憎いと思いながらも、意味もなく敵対したならば上層部にどのように思われるかと用心して、根拠のない今度のことにかこつけて迫害を加えようとするので、かえって前々の虚偽までが露顕してしまうのですよ。このたびの熱原事件に関して発令された御教書が偽物であることは、見ない前から推測していました。佐渡の国でも虚御教書を三度まで作って迫害に及んだものですよ。
[4]こんな理不尽なことが行なわれるにつけても、執権殿がお気の毒であり、国家のためにならないと思われます。あたかも、木の根に住む虫が木を食い倒し、獅子の身の中に寄生する虫が獅子を食い殺してしまうように、執権殿のご恩を受けて生活している家臣たちが、執権殿の御威光を悪く利用して、多くの人々を脅し、悩まし、煩わすばかりでなく、執権殿の御令命だと称して法華経を排斥し、そのために国家が危機に陥り、主家を失って、かえって自分たちが身を滅ぼすはめになろうことの浅ましさよ。
[5]私自身は賤しい者でありますが、法華経は、梵天・帝釈天・日天・月天・四天王・天照太神・八幡大菩薩がお守りなさる御経ですから、法華経を信ずる者を迫害する人々は、剣を呑み込んだり、火を手に握りしめたりして大禍を招くものと同じでしょう。これらを考えあわせるにつけても、あなたがいよいよ信仰を深めていらっしゃるのは、まことに尊いことです、貴いことです。
[6]<日>五月三日日>
[7]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[8]<先>窪尼御返事先>