窪尼御前御返事
288 窪尼御前御返事
粽五把・筍十本・千日ひとつゝ給了。いつもの事に候へども、ながあめ(長雨)ふりてなつ(夏)の日ながし。山はふかく、みち(路)しげければ、ふみわくる人も候はぬに、ほとゝぎすにつけての御ひとこへ(一声)ありがたしありがたし。
さてはあつわらの事。こんど(今度)をもつてをぼしめせ。さきもそら事なり。かうのとの(守殿)は人のいゐしにつけて、くはしくもたづねずして、此御房をながしける事あさましとをぼして、ゆるさせ給てののちは、させるとが(科)もなくては、いかんが又あだ(怨)せらるべき。すへ(末)の人々の法華経を心にはあだめども、うへにそしらばいかんがとをもひて、事にかづけて人をあだむほどに、かへりてさきざきのそら事のあらわれ候ぞ。これはそらみげうそ(虚御教書)と申事はみ(見)ぬさきよりすい(推)して候。さどの国にてもそらみげうそを三度までつくりて候しぞ。
これにつけても上と国との御ためあはれなり。木のしたなるむし(虫)の木をくらひたうし、師子の中のむしの師子を食うしなふやうに、守殿の御をんにてすぐる人々が、守殿の御威をかりて一切の人々ををどし、なやまし、わづらはし候うへ、上の仰とて法華経を失て、国もやぶれ、主をも失て、返て各々が身をほろぼさんあさましさよ。日蓮はいやしけれども、経は梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩のまほらせ給御経なれば、法華経のかたをあだむ人々は剣をのみ、火を手ににぎるなるべし。これにつけてもいよいよ御信用のまさらせ給事、たうとく候ぞ、たうとく候ぞ。 五月三日 日蓮 [花押] 窪尼御返事