智慧亡国御書
書下し
智慧亡国御書
[1]減劫と申すは人の心の内に候ふ。貪・瞋・癡の三毒が次第に強盛になりもてゆくほどに、次第に人のいのちもつづまり、せい(身長)もちいさくなりもてまかるなり。
[2]漢土・日本国は仏法已前には三皇・五帝・三聖等の外経をもて、民の心をととのへてよ(世)をば治めしほどに、次第に人の心はよきことははかなく、わるき事はかしこくなりしかば、外経の智あさきゆへに悪のふかき失をいましめがたし。外経をもつて世をさまらざりしゆへに、やうやく仏経をわたして世間ををさめしかば、世をだやかなりき。これはひとへに仏教のかしこきによて、人民の心をくはしくあかせるなり。
[3]当時の外典と申すは、本の外経の心にはあらず。仏法のわたりし時は外経と仏経とあらそいしかども、やうやく外経まけて王と民と用ひざりしかば、外経のもの内経の所従となりて立ちあうことなくありしほどに、外経の人々内経の心をぬきて智慧をまし、外経に入れて候ふを、をろかなる王は外典のかしこきかとをもう。
[4]また人の心やうやく善の智慧ははかなく、悪の智慧かしこくなりしかば、仏経の中にも小乗経の智慧世間ををさむるに、世をさまることなし。その時大乗経をひろめて代ををさめしかば、すこし代をさまりぬ。その後、大乗経の智慧及ばざりしかば、一乗経の智慧をとりいだして、代ををさめしかば、すこししばらく代をさまりぬ。
[5]今の代は外経も、小乗経も、大乗経も、一乗法華経等も、かなわぬよ(世)となれり。ゆへいかんとなれば、衆生の貪・瞋・癡の心のかしこきこと、大覚世尊の大善にかしこきがごとし。譬へば犬は鼻のかしこき事人にすぎたり。また、鼻の禽獣をかぐことは、大聖の鼻通にもをとらず。ふくろうがみみ(耳)のかしこき、とびの眼のかしこき、すずめの舌のかろき、りうの身のかしこき、皆かしこき人にもすぐれて候ふ。そのやうに末代濁世の心の貪欲・瞋恚・愚癡のかしこさは、いかなる賢人聖人も治めがたき事なり。その故は貪欲をば仏不浄観の薬をもて治し、瞋恚をば慈悲観をもて治し、愚癡をば十二因縁観をもてこそ治し給ふに、いまはこの法門をとひて、人ををとして貪欲・瞋恚・愚癡をますなり。譬へば火をば水をもつてけす、悪をば善をもつて打つ。しかるにかへりて水より出でぬる火をば、水をかくればあぶらになりて、いよいよ大火となるなり。
[6]今、末代悪世に世間の悪より、出世の法門につきて大悪出生せり。これをばしらずして、今の人々善根をす(修)すれば、いよいよ代のほろぶる事出来せり。今の代の天台真言等の諸宗の僧等をやしなうは、外は善根とこそ見ゆれども、内は十悪五逆にもすぎたる大悪なり。しかれば代のをさまらん事は、大覚世尊の智慧のごとくなる智人世に有りて、仙予国王のごとくなる賢王とよりあひて、一向に善根をとどめ、大悪をもて八宗の智人とをもうものを、或はせめ、或はながし、或はせ(施)をとどめ、或は頭をはねてこそ、代はすこしをさまるべきにて候へ。
[7]法華経の第一の巻の「〔諸法の実相〕」ないし「〔ただ仏と仏と乃しよく究尽す〕」ととかれて候ふはこれなり。「本末究竟」と申すは、「本」とは悪のね(根)善の根、「末」と申すは悪のをわり善の終わりぞかし。善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり。
[8]天台云はく「〔それ一心に十法界を具す〕」等云云。章安云はく「〔仏なおこれを大事となす。何ぞ解し易きことを得べけんや〕」妙楽云はく「〔すなはちこれ終窮究竟の極説なり〕」等云云。法華経に云はく「〔皆実相と相い違背せず〕」等云云。天台これを承けて云はく「〔一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず〕」等云云。
[9]智者とは世間の法より外に仏法を行はず。世間の治世の法をよくよく心へて候ふを智者とは申すなり。
[10]殷の代の濁りて民のわづらいしを、大公望出世して殷の紂が頸を切りて民のなげきをやめ、二世王が民の口ににがかりし、張良出でて代ををさめ民の口をあまくせし。これらは仏法以前なれども、教主釈尊の御使ひとして民をたすけしなり。外経の人々はしらざりしかども、彼らの人々の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり。
[11]今の代には正嘉の大地震、文永大せひせひ(彗星)の時、智慧かしこき国主あらましかば、日蓮をば用ひつべかりしなり。それこそなからめ、文永九年のどしうち(同士打)、十一年の蒙古のせめの時は、周の文王の大公望をむかへしがごとく、殷の高丁王の傅悦を七里より請せしがごとくすべかりしぞかし。日月は生盲の者には財にあらず。賢人をば愚王のにくむとはこれなり。しげきゆへにしるさず。法華経の御心と申すはこれてひの事にて候ふ。外のこととをぼすべからず。
[12]大悪が大善の来るべき瑞相なり。一閻浮提うちみだすならば、閻浮提内広令流布はよも疑ひ候はじ。
[13]この大進阿闍梨を故六郎入道殿の御はかへつかわし候ふ。むかしこの法門を聞きて候ふ人々には、関東の内ならば、我とゆきてそのはかに自我偈よみ候はんと存じて候ふ。しかれども、当時のありさまは日蓮かしこへゆくならば、その日に一国にきこへ、またかまくらまでもさわぎ候はんか。心ざしある人なりとも、ゆきたらんところの人、人め(目)ををそれぬべし。いままでとぶらい候はねば、聖霊いかにこひしくをはすらんとをもへば、あるやうもありなん。そのほどまづ弟子をつかわして御はかに自我偈をよませまいらせしなり。その由御心へ候へ。恐恐(後欠)
現代語訳
智恵亡国御書
建治元年(一二七五)、五四歳、於身延、和文、定一一二八—一一三一頁。
[1]寿命が八万歳から十歳へと減少し人間が退化していく時期を減劫といいますが、そんなことになってしまう原因は心の内にあるのです。つまり、人間の貪欲・瞋恚・愚痴という三つの煩悩が次第にさかんになっていくにつれて、人の寿命も縮まり、背丈も小さくなっていくのです。
[2]中国でも日本国でも、仏法伝来以前には、三皇・五帝・三聖らの教えである外経によって人民を教育し世を治めたので、しだいに人心が低劣になり、善が衰え悪が栄えるようになったのに対して、外経の教理は浅薄なために悪の深い罪を質すことができませんでした。外経による統治法では世が乱れてしまうので、インドから仏経を取り入れて治めたところ、世の中はおだやかに治まりました。これは何といっても仏の教えがすぐれていて、人民の心の真実を詳細に解き明かしているからできたことです。
[3]現在、外典といわれるものは、もともとの外経とは内容が違います。仏法が渡来した当時は、外経と仏経との間で論争がありましたが、次第に外経の欠陥が明らかになって国王も人民もそれを採用しなくなったので、外経は仏経に服従して争いは治まりましたが、そのうちに外経の人々は、仏経のすぐれているところを外経に取り入れて内容を整備しました。それが現在の外典なのですが、愚かな国王は、外典が本来すぐれているのだと誤解しています。
[4]次には、人の心がさらに低劣になって、善い智恵はめぐらなくなり、悪智恵が発達したので、仏経とはいっても、小乗経の智恵では世間の智恵を抑えきれなくなって世が乱れました。そこで大乗経を弘めて治めたところ、世の中は少しよくなりました。しかし、やがて大乗経の智恵でも及ばないほどに世が乱れたものですから、こんどは法華の一乗経の智恵を繰り出して治めたので、また少しの間は世が鎮まりました。
[5]ところが今の世は乱れに乱れて、外経も、小乗経も、大乗経も、一乗経である法華経も、みな通用しないようになりました。なぜなら、人々の貪欲・瞋恚・愚痴の強烈なことは、大覚世尊の大善の壮麗さに比べても劣らないほどに凄いからです。たとえば、犬の嗅覚の鋭さは人間の遠く及ばないところです。そして鳥や獣の臭いをかぎつける能力は、世尊の鼻根神通力に匹敵するほどすぐれています。あるいは、梟の耳が小さな音を聞きつけること、鳶の目が遠くのものを見つけること、雀の舌が軽くまわること、竜の身のこなしが敏捷なこと、どれもこれも、どんな優秀な人よりもまさっています。そのように、末法濁悪の世の人心の貪欲・瞋恚・愚痴の強烈さは並はずれていて、どんな賢人・聖人が出現しても鎮めることができません。なぜなら、昔は仏が、貪欲という病気は不浄観という薬で、瞋恚という病気は慈悲観という薬で、愚痴という病気は十二因縁観という薬で、すっきりとお治しになったのですが、今は、あまりに病気が重いので、それらの教えを説くと、かえって人を堕落させて貪欲・瞋恚・愚痴を増大することになります。たとえば、火は水で消し、悪は善で懲らしめるものですが、猛火に水をかけるとまるで油をかけたようにかえって火勢が強くなるようなもので、極悪のものを善に導こうとするとかえって反発して救いようのない悪道に陥るのです。
[6]現今の末法濁悪の世にあっては、世俗の悪よりも大きな、出家の世界での仏法の大悪が発生しました。人々はこのことを知らないで、大悪の仏法に奉仕することを善い行ないと勘ちがいして励むので、ますます世の衰亡する事件が起こるのです。今の時代の天台宗や真言宗など各宗の僧尼を供養するのは、外見上は善を施しているように見えるけれども、内容は十悪五逆にも過ぎた大悪を犯すことになります。したがって、世の中の平穏を取り戻すには、大覚世尊と同じような秀れた智恵を具えた智者が出現して、仙予国王のような賢明な国王と力を合わせて、厳格ににせの善行を禁止し、大悪を信じる僧尼のことを全仏教界の智者だと誤解している連中を、あるいは攻撃し、あるいは配流し、あるいは布施を止め、あるいは首をはねたりしなければなりません。そうすれば世の混乱は少し治まるはずであるのです。
[7]法華経第一巻の方便品に、「諸法の実相」について、それは相・性・体・力・作・因・縁・果・報の一つ一つが全部具わり、その本末が一分の狂いもなく調和しているものなのだが、その実相は「ただ仏と仏とのみ乃よく究め尽くす」と説かれていますが、これは、仏がいま述べたところの仏法の実質と世間の現実とが別のものではないことをいっているのです。また法華経のその一節に「本末究竟」とありますが、この「本」とは善悪の根源であり、「末」とは「本」が一つ一つの事実として現われた枝葉であるのです。そういう善悪の根本から枝葉までの因果関係を一括して覚ったお方が仏なのです。
[8]これらの真理を別の文献で示すならば、天台大師は摩訶止観会本に「それ一心に十法界を具える」といい、章安大師は観心論疏に「仏、なおこれを大事となす。どうして理解し易いことを得られるであろうか」といい、妙楽大師は摩訶止観弘決会本に「すなわちこれ終窮で究竟の極説である」といっています。また法華経の法師功徳品には「仏の説は、みな実相と違背しない」とあり、それを天台大師が法華玄義に釈して「一切の世間の家業・生業は、みな実相と相い違背しない」といっています。
[9]智者というものは、世の中の現実の相と関わりないような仏法を実践することはありません。つまり、政治・経済その他の世を治める手だてをよくよく心得ながら仏法を修行するものをこそ智者というのです。
[10]中国で、殷の紂王の悪政により世が乱れ人民が苦しんだ時には大公望が世に出て王の首を切り人民の悩みを除きました。また秦の二世王の酷政で人民が逼迫した時には張良が世に出て善政を敷き人民の生活を豊かにしました。これらは仏法伝来以前のことですが、大公望や張良は教主釈尊の御使いとして人民を助けたのです。外経の人々は知らなかったのですが、大公望や張良の智恵は、内実は仏法の智恵を包み込んでいたものでした。
[11]現代のことをいえば、正嘉の大地震や文永の大彗星など不吉な天災が続いた時に、智恵のある賢王が位についていたら、私の進言を用いたに違いないでしょう。またそれがなかったとしても、今度の文永九年(<暦>一二七二暦>)の内乱や同十一年の蒙古襲来の時には、あの周の文王が大公望を迎えたように、あるいは殷の高丁王が傅悦を七里より招いたように、私を登用しなければいけないことでした。照り輝く日月も目の見えない人には役に立ちません。賢人を愚王は憎むといいますが、私と今の国王との関係はそのようなものです。あまり繁瑣になるのでこれ以上は書きませんが、法華経の「諸法実相」とは結局のところ、いま述べたような内容の教えなのです。現実からは遠い理論だとお思いにならないでください。
[12]大悪がはびこるのは、大善が実現する瑞相です。だから世界中に害悪が充満して混乱に陥れば、逆に、唯一の正法である法華経の題目が世界中に広く流布することの疑いない瑞相と思ってよいでしょう。
[13]この大進阿闍梨を故六郎入道殿の御墓参にさしむけます。私は、いろいろな弾圧を受けながらも私の法門に賛同して行動をともにした古い同志たちが亡くなった場合には、関東の内であるならば、自分自身でお参りして自我偈を読誦しようと思っています。しかし、今の世の中の状況は、私がそちらへ行くと、その日のうちに情報が国じゅうに広がり、それが鎌倉までも伝わって騒ぎが大きくなるように思われます。私に志を通わせている人であっても、訪問をすると、周囲の人の目を恐れることになって迷惑でしょう。そのようなことを考えて今まで参詣しないでいるので、故六郎入道の聖霊は、どれほど私のことを恋しがっていらっしゃるだろうかと思うと、何ともじっとしていられない気持ちです。そのような次第で、まず弟子の大進阿闍梨をさしむけて、お墓に自我偈をあげさせたのです。そのことをご承知ください。恐々(後欠)