妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

高橋殿御返事

全集 第7巻 2段 定本: #20189(定本の該当ページへ)

書下し

高橋殿御返事たかはしどのごへんじ


[1]うり、ささげひげ、こえだまめ、ねいも、かうのうり給び候ひ了んぬ。
[2]法蔵経と申す経には、いさごのもちゐを仏に供養しまいらせしわらは(童)、百年と申せしに一閻浮提*いちえんぶだいの四分が一の王となる、いわゆる阿育大王*あいくだいおうこれなり。法華経の法師品には「〔一劫の中において〕」と申して、一劫が間釈仏を種々に供養せる人の功徳と、末代の法華経の行者を須臾しゆゆも供養せる功徳とたくらべ候ふに、「〔その福、また彼に過ぐ〕」と申して、法華経の行者を供養する功徳すぐれたり。これを妙楽大師*みようらくだいし釈して云はく「〔供養すること有らん者は、福、十号に過ぐ〕」と云云。されば仏を供養する功徳よりもすぐれて候ふなれば、仏にならせ給はん事疑ひなし。その上、女人の御身として尼とならせ給ひて候ふなり。いよいよ申すに及ばず。
[3]ただしさだめて念仏者にてやをはすらん。たうじ(当時)の念仏者・持斎は国をほろぼし、他国の難をまねくものにて候ふ。日本国の人々は、一人もなく日蓮がかたきとなり候ひぬ。梵王*ぼんのう帝釈*たいしやく*にち*がつ天のせめをかほりて、たうじのゆきつしま(壱岐対馬)のやうになり候はんずるに、いかがせさせ給ふべき、いかがせさせ給ふべき。
[4]なによりも入道殿の御所労なげき入つて候ふ。「しばらくいきさせ給ひて、法華経を謗ずる世の中御覧あれ」と候へ。日本国の人々は、たいていはいけどりにせられ候はんずるなり。日蓮を二度までながし、法華経の五の巻をもてかうべを打ち候ひしは、こり候はんずらむ。
[5]<日>七月二十六日
[6]<人>日 蓮<花押>花押
[7]<先>御返事
現代語訳

高橋殿御返事


建治元年(一二七五)七月二六日、五四歳、於身延、和文、定一〇九三—一〇九四頁。

[1]瓜一かご、ささげひげ、こえだまめ、ねいも、こうのうりを頂戴いたしました。お礼申し上げます。
[2]付法蔵経というお経には、砂のを仏にご供養申し上げた童子が、仏の滅後百年を経て生まれ、世界の四分の一を領する王になった話があります。いわゆる阿育大王のことです。法華経の法師品には「一劫の中において」という書き出しの一節があり、一劫という永いあいだにわたって釈仏を種々に供養した人の功徳と、末法時代の法華経の行者をわずかな時間でも供養した功徳とを比較した場合について、「その福、また彼に過ぎる」といい、法華経の行者を供養する功徳の方がすぐれていることを明らかにしています。これを妙楽大師は法華文句記の中で「法華持経者を供養することの有る者は、十の称号を有する仏を供養するよりも勝っている」と説明しています。ですから、あなたが私になさったご供養の功徳は、仏を供養する功徳よりもすぐれているわけで、やがて仏におなりになることは疑いありません。そのうえ、あなたは女性でありながら出家して髪をおろされました。成仏なさることはいよいよ確実です。
[3]ただし、ご夫君はきっと相変わらず念仏の信者でいらっしゃるのでしょう。今の念仏者や持斎者は、国の存立を危うくし、外国の侵攻を誘う人たちです。その念仏者や持斎者に導かれた日本国中の人々は、一人のこらず私の敵となってしまいました。その連中は、正法を守護する梵天王・帝釈天・日天・月天・四天王らの懲罰を受けて、近ごろ蒙古に攻められて酷い目に会った壱岐や対馬の人々のようになるでしょうに、そうしたら、ご夫君はどうなさるおつもりでしょう。よくよく考えていただきたいことです。
[4]なによりも、ご夫君のご病気が重くおなりになったことが気がかりです。「当分のあいだ命を大切になさって、法華経を誹謗する世の中がどんな酷い目に会うかをご覧になるように」とお伝えください。日本国の人々は、おおかたは蒙古軍に生け捕りにされてしまうでしょう。私を二度までも流刑にし、「刀杖を加える」という文句のある法華経の第五巻で頭を殴った連中は懲りて後悔することでしょう。
[5]<日>七月二十六日
[6]<人>日 蓮 <花押>花押
[7]<先>御返事