高橋入道殿御返事
書下し
高橋入道殿御返事
[1]進上 <先>高橋入道殿御返事先> <人>日 蓮人>
[2]我等が慈父大覚世尊は人寿百歳の時、中天竺に出現しましまして、一切衆生のために、一代聖教をとき給ふ。仏在世の一切衆生は過去の宿習有りて、仏に縁あつかりしかば、すでに得道成りぬ。我滅後の衆生をばいかんがせんとなげき給ひしかば、八万聖教を文字となして、一代聖教の中に小乗経をば迦葉尊者にゆづり、大乗経並びに法華経・涅槃等をば文殊師利菩薩にゆづり給ふ。
[3]ただ八万聖教の肝心・法華経の眼目たる妙法蓮華経の五字をば、迦葉・阿難にもゆづり給はず。また文殊・普賢・観音・弥勒・地蔵・竜樹等の大菩薩にもさづけ給はず。これ等の大菩薩等ののぞみ申せしかども仏ゆるし給はず。大地の底より上行菩薩と申せし老人を召しいだして、多宝仏・十方の諸仏の御前にして、釈迦如来七宝の塔中にして、「妙法蓮華経」の五字を上行菩薩にゆづり給ふ。
[4]その故は我が滅後の一切衆生は皆我が子なり。いづれも平等に不便にをもうなり。しかれども医師の習ひ病に随ひて薬をさづくる事なれば、我が滅後五百年が間は迦葉・阿難等に小乗経の薬をもて一切衆生にあたへよ。次の五百年が間は文珠師利菩薩・弥勒菩薩・竜樹菩薩・天親菩薩等、華厳経・大日経・般若経等の薬を一切衆生にさづけよ。我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩・観世音菩薩等、法華経の題目を除きて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ。末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並びに法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。いわゆる病は重し薬はあさし。その時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし。
[5]その時一切衆生この菩薩をかたきとせん。いわゆるさる(
猨
)のいぬ(犬)をみるがごとく、鬼神の人をあだむがごとく、過去の不軽菩薩の一切衆生にの(罵)り、あだまれしのみならず、杖木瓦礫にせめられし、覚徳比丘が殺害に及ばれしがごとくなるべし。
[6]その時は迦葉・阿難等も或るは霊山にかくれ、恒河に没し、弥勒・文殊等も或は兜率の内院に入り、或は香山に入らせ給ひ、観世音菩薩は西方にかへり、普賢菩薩は東方にかへらせ給ふ。諸経は行ずる人はありとも、守護の人なければ利生あるべからず。諸仏の名号は唱ふるものありとも、天神これをかご(加護)すべからず。ただ小牛の母をはなれ、金鳥のたかにあへるがごとくなるべし。
[7]その時十方世界の大鬼神一閻浮提に充満して四衆の身に入りて、或は父母をがいし、或は兄弟等を失はん。殊に国中の智者げなる持戒げなる僧尼の心にこの鬼神入って国主並びに臣下をたぼらかさん。
[8]この時上行菩薩の御かびをかほりて、法華経の題目「南無妙法蓮華経」の五字ばかりを一切衆生にさづけば、かの四衆等並びに大僧等この人をあだむ事、父母のかたき、宿世のかたき、朝敵怨敵のごとくあだむべし。
[9]その時大なる天変あるべし。いわゆる日月蝕し、大なる彗星天にわたり、大地震動して水上の輪のごとくなるべし。その後は「自界叛逆難」と申して国主兄弟並びに国中の大人を打ちころし、後には「他国侵逼難」と申して隣国よりせめられて、或はいけどりとなり、或は自殺をし、国中の上下万民皆大苦に値ふべし。
[10]これひとえに上行菩薩のかび(加被)をかをほりて法華経の題目をひろむる者を、或はのり、或はうちはり、或は流罪し、或は命をたちなんどするゆへに、仏前にちかいをなせし梵天・帝釈・日・月・四天等の法華経の座にて誓状を立てて、「法華経の行者をあだまん人をば、父母のかたきよりもなおつよくいましむべし」と、ちかうゆへなりとみへて候ふに、今日蓮日本国に生まれて一切経並びに法華経の明鏡をもて、日本国の一切衆生の面に引向たるに寸分もたがわぬ上、仏の記し給ひし天変あり、地夭あり。
[11]定んでこの国亡国となるべしとかねてしりしかば、これを国主に申すならば国土安穏なるべくもたづねあきらむべし。亡国となるべきならばよも用ひじ。用ひぬ程ならば日蓮は流罪死罪となるべし——としりて候ひしかども、仏いましめて云はく、「この事を知りながら身命ををしみて一切衆生にかたらずば、我が敵たるのみならず、一切衆生の怨敵なり。必ず阿鼻大城に堕つべし」と記し給えり。
[12]ここに日蓮進退わづらひて、この事を申すならば我身いかにもなるべし。我身はさてをきぬ、父母兄弟並びに千万人の中にも一人も随ふものは国主万民にあだまるべし。彼等あだまるるならば、仏法はいまだわきまえず、人のせめはたへがたし、「仏法を行ずるは安穏なるべしとこそをもうに、この法を持つによて大難出来するはしんぬこの法を邪法なり」と誹謗して悪道に堕つべし。これも不便なり。またこれを申さずば仏誓に違する上、一切衆生の怨敵なり。大阿鼻地獄疑ひなし。いかんがせんとをもいしかども、をもひ切って申し出しぬ。
[13]申し始めし上はまたひきさすべきにもあらざれば、いよいよつより申せしかば、仏の記文のごとく、国主もあだみ、万民もせめき。あだをなせしかば、天もいかりて日月に大変あり。大せいせい(彗星)も出現しぬ。大地もふりかへしぬべくなりぬ。どしうちもはじまり、他国よりもせめたり。仏の記文すこしもたがわず。日蓮が法華経の行者なる事も疑わず。
[14]ただし去年かまくらよりこのところへにげ入り候ひし時、道にて候へば各々にも申すべく疑ひしかども申す事もなし。また先度の御返事も申し候はぬ事はべち(別)の子細も候はず。なに事にか各々をばへだてまいらせ候ふべき。あだをなす念仏者・禅宗・真言師等をも並びに国主等もたすけんがためにこそ申せ。かれ等のあだをなすはいよいよ不便にこそ候へ。まして一日も我かた(方)とて心よせなる人々はいかんがをろか(疎)なるべき。世間のをそろしさに妻子ある人々のとをざかるをばことに悦ぶ身なり。日蓮に付いてたすけやりたるかたわなき上、わづかの所領をも召さるならば、子細もしらぬ妻子所従等がいかになげかんずらんと心ぐるし。
[15]しかも去年の二月に御勘気をゆりて、三月の十三日の佐渡の国を立ち、同月の二十六日にかまくらに入り、同四月の八日平のさえもの尉にあひたりし時、やうやうの事どもといし中に、「蒙古国はいつよすべき」と申せしかば、「今年よすべし。それにとて日蓮はな(離)して日本国にたすくべき者一人もなし。たすからんとをもひした(慕)うならば、日本国の念仏者と禅と律僧等の頸を切つてゆい(由比)のはまにかくべし。それも今はすぎぬ。ただし皆人のをもいて候ふは、日蓮をば念仏師と禅と律をそしるとをもひて候ふ。これは物のかずにてかずならず。真言宗と申す宗がうるわしき日本国の大なる呪咀の悪法なり。弘法大師と慈覚大師、この事にまどいてこの国を亡さんとするなり。たとひ二年三年にやぶるべき国なりとも、真言師にいのらする程ならば、一年半年にこの国にせめらるべし」と申しきかせ候ひき。
[16]たすけんがために申すをこれ程あだまるる事なれば、ゆりて候ひし時、さどの国よりいかなる山中海辺にもまぎれ入るべかりしかども、この事をいま一度平の左衛門に申しきかせて、日本国にせめのこされん衆生をたすけんがためにのぼりて候ひき。
[17]また申しきかせ給ひし後はかまくらに有るべきならねば、足にまかせていでしほどに、便宜にて候ひしかばたとひ各々はいとわせ給ふとも、今一度はみたてまつらんと千度をもひしかども、心に心をたたかいてすぎ候ひき。そのゆへはするがの国は守殿の御領、ことにふじ(富士)なんどは後家尼ごぜんの内の人々多し。故最明寺殿・極楽寺殿の御かたきといきどをらせ給ふなれば、ききつけられば各々の御なげきなるべしとをもひし心ばかりなり。いまにいたるまでも不便にをもひまいらせ候へば御返事までも申さず候ひき。この御房たちのゆきすりにも、あなかしこ、あなかしこ、ふじ(富士)かじま(賀島)のへんへ立ちよるべからずと申せども、いかが候ふらんとをぼつかなし。
[18]ただし真言の事ぞ御不審にわたらせ給ひ候ふらん。いかにと法門は申すとも御心へあらん事かたし。ただ眼前の事をもて知らしめせ。隠岐の法皇は人王八十二代、神武よりは二千余年、天照太神入りかわらせ給ひて人王とならせ給ふ。いかなる者かてきすべき上、欽明より隠岐の法皇にいたるまで漢土・百済・新羅・高麗よりわたり来る大法秘法を、叡山・東寺・園城・七寺並びに日本国にあがめをかれて候ふ。これは皆国を守護し国主をまほらんためなり。隠岐の法皇、世をかまくらにとられたる事を口をしとをぼして、叡山・東寺等の高僧等をかたらひて、義時が命をめしとれと行ぜしなり。この事一年二年ならず、数年調伏せしに、権の大夫殿はゆめゆめしろしめさざりしかば一法も行じ給はず、また行ずとも叶ふべしともをぼへずありしに、天子いくさにまけさせ給ひて、隠岐の国へつかはされさせ給ふ。
[19]日本国の王となる人は天照太神の御魂の入りかわらせ給ふ王なり。先生の十善戒の力といひ、いかでか国中の万民の中にはかたぶくべき。たとひとが(失)ありとも、つみあるをや(親)を失なき子のあだむにてこそ候ひぬらめ。たとひ親に重罪ありとも、子の身として失に行はんに天うけ給ふべしや。しかるに隠岐の法皇のはぢにあはせ給ひしはいかなる大禍ぞ。これひとへに法華経の怨敵たる日本国の真言師をかたらはせ給ひしゆへなり。一切の真言師は灌頂と申して釈迦仏等を八葉の蓮華にかきてこれを足にふみて秘事とするなり。かかる不思議の者ども諸山諸寺の別当とあをぎてもてなすゆへに、たみの手にわたりて現身にはぢにあひぬ。
[20]この大悪法またかまくらに下りて御一門をすかし、日本国をほろぼさんとするなり。この事最大事なりしかば弟子等にもかたらず、ただいつはりをろかにて念仏と禅等ばかりをそしりてきかせしなり。今はまた用ひられぬ事なれば、身命もおしまず弟子どもに申すなり。かう申せばいよいよ御不審あるべし。「日蓮いかにいみじく尊くとも慈覚・弘法にすぐるべきか」。この疑ひすべてはるべからず。いかにとかすべき。ただし皆人はにくみ候ふに、すこしも御信用のありし上、これまでも御たづねの候ふはただ今生ばかりの御事にはよも候はじ。定めて過去のゆへか。
[21]御所労の大事にならせ給ひて候ふなる事あさましく候ふ。ただしつるぎはかたきのため、薬は病のため。阿闍世王は父をころし仏の敵となれり。悪瘡身に出て後、仏に帰伏し法華経を持ちしかば、悪瘡も平癒し寿をも四十年のべたりき。しかも法華経は「〔閻浮提人の病の良薬〕」とこそとかれて候へ。閻浮の内の人は病の身なり。法華経の薬あり。三事すでに相応しぬ。一身いかでかたすからざるべき。ただし御疑ひの御わたり候はんをば力及ばず。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
[22]<日>七月十二日日>
[23]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[24]<先>御返事先>
現代語訳
高橋入道殿御返事
建治元年(一二七五)七月一二日、五四歳、於身延、和文、定一〇八三—一〇九一頁。
[1]進上 <先>高橋入道殿御返事先> <人>日 蓮人>
[2]われわれの慈父でいらっしゃる大覚世尊は、人が百歳の寿命を保つことができた時代に、中インドに出現なさって、一切の衆生のために、一代五十年にわたって聖教をお説きになりました。仏がご在世のころの一切衆生は、過去の世に積んだもろもろの功徳があって、仏とのご縁が深かったので、仏ご在世の間に早くも仏道を成就しました。仏は、ご自分が亡くなってから後の世の衆生をどのようにして救おうかとお悩みになった末に、八万四千の聖教を文字に現わし、その中の小乗経典を迦葉尊者にお授けになり、大乗経典ならびに法華経・涅槃経などを文殊師利菩薩にお授けになって、ご入滅後の衆生済度を委嘱なさいました。
[3]ただし、八万四千の聖教の肝心であり、法華経の眼目である「妙法蓮華経」の五字は、迦葉にも阿難にもお授けにならず、また文殊・普賢・観音・弥勒・地蔵・竜樹たちの大菩薩がたにもお授けになりませんでした。これらの大菩薩がたが伝授を切望したのですが、仏はお許しにならず、大地の底から上行菩薩といった長老を召し寄せて、多宝如来と十方世界の諸仏たちが並みいる御前で、釈迦如来は七宝で飾られた塔の中にいらっしゃって、「妙法蓮華経」の五字をお授けになったのです。
[4]仏がなぜそのような手段をおとりになったのかというと、仏にとって滅後の一切衆生はみな自分の子であってすべてが平等に可愛い存在なのですが、医者の常として患者の病状に応じてそれぞれに適した薬を授けるようなもので、まず第一に、滅後の五百年間は、正しい仏法が確実に実践されている正法時代であるから、迦葉や阿難らに小乗経の薬を一切衆生に与えなさいと命じ、次の五百年間も、ほぼ正しい仏法が行なわれる正法時代であるから、文殊師利菩薩・弥勒菩薩・竜樹菩薩・天親菩薩らに華厳経・大日経・般若経などの薬を一切衆生に授けなさいと命じ、滅後一千年を過ぎて仏法が形骸化した像法の時代には、薬王菩薩・観世音菩薩らが法華経のうちの題目を除いた部分の薬を一切衆生に授けなさいと命じました。ところが滅後二千年を過ぎて仏法が衰滅してしまった末法濁乱の時代に入ったならば、迦葉や阿難ら・文殊や弥勒菩薩ら・薬王や観音らが授与されたところの小乗経・大乗経ならびに法華経は、文字はあっても衆生の病気を治す薬とはなりません。なぜなら、病気が非常に重いのにそれらの薬はあまりに効力が弱いからです。どうしたものかと仏が思案なさっている時に、大地が破れて上行菩薩が出現し、「妙法蓮華経」の五字を世界中の一切衆生に授けなさいと命じられたのです。
[5]さて、いよいよ末法の時代が来て、上行菩薩が出現したとなると、一切衆生はこの菩薩を敵にまわすでしょう。あたかも猿が犬に会ったように、または鬼神が人間を憎むようにです。そして菩薩は、威音王仏の時代の常不軽菩薩が人々から罵倒され憎まれたばかりでなく、杖で打たれ、枷で責められ、瓦や石を投げつけられたように、あるいは歓喜仏の世に覚徳比丘が殺害されそうになったような目に会うでしょう。
[6]その時節には、正法・像法の時代に活躍なさった迦葉・阿難らは、あるいは霊鷲山中に隠れたり、あるいはガンジス河の底に沈んだりし、弥勒・文殊らも、あるいは兜率天の内院に昇ったり、あるいは香酔山に入ったりなさり、観世音菩薩は西方の浄土へ、普賢菩薩は東方の浄土へとそれぞれお帰りになっているでしょう。こうして、聖者たちがみな去ってしまわれ、諸経を修行する人はいても、それを守護してくださる方がいなくなっているのですから、ご利益があるはずがありません。また諸仏のお名を唱える人がいても、それを守護する天神が昇天してしまっているのですから、ご加護にあずかれるはずもありません。ちょうど子牛が母牛から離れ、雉が鷹に会ったような危機に立たされるでしょう。
[7]またその時節には、十方世界の大鬼神が世界中に充満して、在家出家を問わず仏教信者の心身を犯し、あるいは父母を悩ませ、あるいは兄弟らを離反させるでしょう。ことに恐ろしいのは、国中の、いかにも学識ゆたかそうな、あるいは戒律を堅く守っているような、そういう世間から尊敬されている僧や尼の心にこの大鬼神が取りついて、国主や重臣たちを騙 し迷わすことなのです。
[8]こういう状況の時に、上行菩薩のご守護をいただいて、法華経の題目「南無妙法蓮華経」の五字だけを信奉すれば仏になれるのだといって人々を導いたならば、大鬼神に心身を犯された例の仏教信者や高僧たちが、この法華経の行者を憎むことは、父母の仇か、前世からの敵か、あるいは朝敵か怨敵かのように酷いでしょう。
[9]その時には大きな天変地異に見舞われるでしょう。経文にあるような、日蝕・月蝕が起こり、大彗星が空を渡り、大地は震動して水車のようにぐるぐると廻るでしょう。天災の次は人災で、「自界叛逆難」といわれる内乱が起きて、国主が自分の兄弟や国中の重臣たちを殺すし、「他国侵通難」といわれる外国からの侵犯があって、人民は生け捕られたり自殺したりし、国中の上下万民はみな、たいへんな苦痛を味わうことになるでしょう。
[10]国にこのような大混乱が起きるのは、上行菩薩のご守護をいただいて法華経の題目を弘める者を、反対者たちが、あるいは罵倒し、あるいは打擲し、あるいは配流し、あるいは命を絶ちなどするものだから、昔、仏が法華経をお説きになった席で、梵天・帝釈天・日天・月天・四天王たちが起請文を書いて「仏の滅後、末法の世に、法華経の題目を弘める人を妨害する輩は、親の敵よりもさらに厳しく懲めます」と誓った。その約束を果たすからだと思います。そこで私は、日本国に生を受けた使命感から、一切経ならびに法華経という真実を映し出す明鏡でもって日本国の万民を正面から照らし出してみたところ、前の推測が寸分違わず当たっていることが明らかになりました。いやそればかりでなく、仏が経文にお記しになっていらっしゃった通りの天変もあり地異もあったのです。
[11]これでは日本国は滅んでしまうに違いないと予知したので、私は事の次第を国主に申し上げました。ですから、国主としては、たとえ国が安らかな状態であろうとも、私の進言の内容についてその実否を検討するのが当然でしょう。もし日本が滅亡に向かうという運命にあるならば、国主は進言を取り上げないでしょう。取り上げないということになると流罪か死罪の刑罰に処せられる可能性が大きい——こういう展開になることはわかっているのですが、しかし仏は訓誡を垂れて「法華経の教えに反するということを知りながら、それをいうと身が危険に曝されるという理由で発表を控えるような者は、私の敵であるばかりでなく、一切衆生の怨敵である。必ず無間阿鼻地獄に落ちるであろう」と記していらっしゃいます。
[12]そこで私は、いうべきかいわざるべきか思い悩みました。というのは、第一に、拙論を発表するとなると、どのような目にあうか知れません。私自身はどうなってもよいのですが、父母兄弟はいうまでもなく、千万人の中に一人でも私に同意する人がいると、その人たちすべてが国主万民の憎悪の対象となるでしょう。そうするとその人たちは、仏法の信仰がまだ浅いことだし、外からの弾圧が辛いので「仏法を修行するのは安らかな人生を送れるからだと思ってのことであるのに、かえって大難がふりかかってくるところをみると、この法は邪法に違いない」と仏法を誹謗して悪道に落ちるでしょう。それも気の毒です。第二に、拙論を発表しないというと、それは仏の誓命に違背することになり、一切衆生の怨敵となって大阿鼻地獄に落ちること疑いないのです。さてさてどうしたものかと考えた末、思いきって進言しました。
[13]ひとたびいい出したからにはもう撤回するわけにはいかないので、日を追うにつれてますます主張を強くしたところ、仏の予言どおり、国主も憎み嫌い、万民も攻めおびやかしました。こうして万民が法華経の弘通を妨害したものですから、天も怒って日月に大変事が起こり、大彗星も出現しました。大地も憤って大震動が絶えなくなりました。さらに国内の政情は悪化して同士討ちも始まり、外敵蒙古も攻めてきました。仏の記した予言は少しも違わず実現しています。これらの事実によっても、私が法華経の行者であることは疑いありません。
[14]話は変わりますが、去年の夏に鎌倉を逃げ出してこの身延山中に来た時、貴殿の邸宅は道添いであったのですからお寄りし、皆さんにも会っていろいろとお話をしようかと思いましたが、結局そのまま通り過ぎてしまいました。また、以前いただいたお便りのお返事もまだしていませんが、それも他意があってのことではありません。そのことについてご不審を懐かれたかも知れませんが、私がどうして貴殿方を疎略にお扱いすることがありましょうか。私は、対立する念仏者・禅家・真言師たちにも、それから国主らに対しても、ずいぶん厳しいことをいっていますが、それは彼らの誤りを正して、地獄に落ちるのを防ごうと思っているからのことです。だから、彼らが私に迫害を加えるのは、そのことによって悪業を積むのではないかと心配さえしているのです。そのような気持ちでいる私ですから、まして、たった一日でも私の考え方に共鳴した人をおろそかにすることなど、どうしてありましょうか、決してありません。それではなぜ私が貴殿に連絡をとらなかったのかというと、その方が良いと思ったからなのです。私はこのごろ、世間の仕打ちが恐ろしいという理由で妻子のある人々が私から遠ざかるのを、とても嬉しく思うようになっているのです。私の近くにいても、助けてあげる方法はないし、むしろそれが原因で、わずかしかない領地でも召し上げられるようなことがあれば、事情を知らない妻子や郎等たちが、どんなに歎くことだろうかと思うと心苦しくてなりません。
[15]しかも、去年の二月に流罪が赦免になって、三月の十三日に佐渡の国を発ち、同月の二十六日に鎌倉に入り、同四月の八日に幕府の重臣平左衛門尉頼綱に面会した時、いろいろなことを談合した中で「蒙古国はいつごろ襲来するであろうか」と聞くので「年内に押し寄せるでしょう。それについて、私を除いて日本国を助けることのできる人は一人もいません。国が助かろうと本当に思い願うならば、国中の念仏者と禅家と律僧らの首を切って由比の浜に曝す以外に方法はないのですが、それさえもすでに手遅れになりました。だいたい貴殿たちはみな、日蓮のことを、念仏・禅・律の法師たちを誹謗するものだと思っています。しかしこれらの三宗は、いちおう取り立てはするけれどもたいしたしろものではありません。いちばん問題なのは真言宗という宗派で、これがうるわしい日本国を滅ぼす呪咀の悪法を行なっているのです。弘法大師と慈覚大師との創めた東密と台密とが、呪咀の悪法に取りつかれて日本国を滅ぼそうとしているのです。たとえば二年か三年は持ちこたえる国であっても、真言師に祈禱をさせると、一年か半年のうちに攻め滅ぼされるでしょう」といい聞かせました。
[16]私は日本国を助けようと思って進言しているのに、かえってこれほど酷く危害を加えられるのなら、流罪を赦された時に、佐渡の国から直接どこかの山中か海辺へ隠遁してしまった方がよかったように思うのですが、赦免の当時は、年来の主張をもう一度平左衛門尉に申し聞かせて、せめて、蒙古の襲来で敗北した日本国に生き残った人々だけでも救いたいと思って鎌倉へ戻ったのです。
[17]土壇場での進言を呈上した後は、もう鎌倉に留まる意味がないので、足にまかせて出立したところ、貴邸の近くを通ることになりましたので、たとえみなさんは迷惑にお思いになろうとも、今一度お会いしようと、千度も思ったのですが、お会いしない方がよいという心との葛藤のすえ、結局はお寄りしないことにしました。その理由は、駿河の国は相模守北条時宗殿の御領で、ことに富士のあたりは北条重時殿の娘で北条時頼殿の後家となった尼御前の身内の方々が多くおり、私のことを故最明寺入道時頼殿や極楽寺入道重時殿の敵であるといって怒っていらっしゃるので、私が貴邸に立ち寄ったことを聞きつけなさったら、貴殿方にご迷惑のかかることが起こるに違いないと心配したからなのです。私はそのようなことを今でもずっと気にかけていますので、例のお便りのお返事も差し上げなかったのです。それから、鎌倉と身延とを往来する弟子たちにも、決して決して富士や賀島のあたりに立ち寄ってはいけないと申しつけているのですが、いうことを聞いているかどうか心配です。
[18]それはそれとして、先ほど、念仏・禅・律はさほど問題ではなく、真言こそが大悪法だといったことについてご不審をお持ちになるでしょう。このことについては、いくら法門を説明してもご理解いただけないと思います。そこで、眼の前に起こっている事実を指摘しますから、それによって真言の悪法であることをご承知ください。承久の乱で隠岐の島に流されなさった後鳥羽上皇は、第八十二代の天皇で、神武天皇からいえば二千余年後に天照太神の御魂が体内にお住みつきになって皇位を継承された方です。だから、民間人は誰も敵対できないはずのお方なのです。そればかりではありません。欽明天皇の時代に仏法が渡来してから後鳥羽上皇の時代にいたるまでの間、中国・百済・新羅・高麗から渡ってきた真言密教の大法秘法を、比叡山延暦寺・東寺・園城寺・奈良七大寺をはじめとして日本国中の寺々で尊び伝えてきましたが、これはみな、国体を安穏にし、国主を守護するためになされたことですのに現実は反対です。後鳥羽上皇は国権を鎌倉幕府に握られたことを残念にお思いになって、延暦寺や東寺などの高僧たちを味方に引き入れて、執権北条義時の命を召し取るための祈禱をなさいました。この祈禱は一年や二年ではなく、数年にわたって行なわれたのですが、権大夫義時殿はそのことを夢にもご存じなかったので、それに対抗する祈禱など一法もなさいませんでした。いやたとえなさったとしても、上皇方の祈禱は真言密教界の総力を挙げてのものでしたから、とてもかなうはずがないと思われたのに、上皇は戦争に負けて、隠岐国へ流されてしまわれたのです。
[19]日本国の王となる人は、天照太神の御魂が体内にお住みつきになった尊い帝王です。そして天子として生まれるのは前の世で十善戒を保った方に限るのですが、その功徳の力を考えただけでも、どうして、全国のすべての人民の誰一人にも屈することがありましょうか。決して負けるはずがないのです。たとえ王に過失があったとしても、それを人民の側から責めるのは、罪のある親を過失のない子が責めるのと同じです。たとえ親に重罪があったとしても、子の立場として、親に刑罰を加えるとしたら、天はそれをお許しになるでしょうか。許されるはずのないことです。ところが後鳥羽上皇は、人民である義時に捕われて流刑に処せられるという大恥をおかきになった。これはいったいどこが間違っているのでしょう。答えは一つです。上皇が、法華経の怨敵である日本国中の真言師を味方におつけになったからなのです。すべての真言師は、灌頂といって、釈迦仏らの諸尊を八葉の蓮華に画いて、これを足ぶみにして秘法を行ないます。そんな怪しげな連中を全国の寺々の別当職につけて尊敬し信用するものだから、国王が人民に捕えられて、生きながら恥に会ったのです。
[20]さて現在は、この真言の大悪法が、奈良・京都から鎌倉に下ってきて、北条幕府一門の人々の心に取り入り、日本国を滅ぼそうとしています。これは、発表をすると大事件にも発展しかねない問題なので、今まで弟子たちにも語らず、ただ本心を隠し、焦点をぼかして、念仏とか禅とかばかりを攻撃してみせていたのです。しかし今は、周辺的なことをいっても埒があかないので、命がけで、核心を突く大問題を弟子たちに説き示すのです。こういうことをいうと、ご不審はますます募るでしょう。「日蓮がいかにすぐれて尊いといっても、慈覚大師や弘法大師にかなうはずはない。だからその方々が始められた真言密教に対する批判を信用してよいものか」といった疑念を拭い去ることはむずかしいでしょう。その疑いを晴らすにはどのような手段が有効なのでしょうか。ただし、世間の皆が私を憎んでいる中にあって、貴殿はわずかながらでもご信用くださっている上、この身延山中までお訪ねくださったことは、今生だけではなく前世からの深いご縁があってのことであろうと感謝しています。
[21]ご病気が重くおなりになったということ、たいへん心配です。しかし、剣は敵を倒すためにあり、薬は病気を治すためにあるものですから、貴殿のご病気もよい薬を用いれば治るはずです。昔、インドの阿闍世王は、父を殺し、仏の敵となりました。そんな悪人だったのですが、悪瘡が体にできてから後に、仏に帰依して法華経を信奉したので、悪瘡も治り、四十年間も寿命を延ばしたのです。しかも法華経には「閻浮提の人の病の良薬」と説かれています。この世の人はすべて病身なのです。その病気を治すために法華経という薬があるのです。貴殿の病気に対しては、法・仏・僧それぞれの第一に挙げられる法華経と釈迦仏と日蓮との三者が力を合わせて当たります。どうして大事に至ることがありましょうか。ただし、私の申し上げることに疑いをお持ちになっていたのでは、どうすることもできません。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。
[22]<日>七月十二日日>
[23]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[24]<先>御返事先>