松野殿女房御返事
書下し
松野殿女房御返事
[1]麦一箱・いゑのいも一籠・うり一籠等旁の物、六月三日に給び候ひしを、今まで御返事申し候はざりし事恐れ入つて候ふ。
[2]この身延の沢と申す処は甲斐の国の飯井野御牧三箇郷の内、波木井の郷の戌亥の隅にあたりて候ふ。北には身延の嶽天をいただき、南には鷹取が嶽雲につづき、東には天子の嶽日とたけをな(同)じ。西にはまだ峨々として大山つづきて、しらね(白根)の嶽にわたれり。猨のなく音天に響き、蝉のさゑづり地にみてり。天竺の霊山この処に来たれり、唐土の天台山親りここに見る。我が身は釈迦仏にあらず、天台大師にてはなけれども、まかるまかる昼夜に法華経をよみ、朝暮に摩訶止観を談ずれば、霊山浄土にも相似たり、天台山にも異ならず。
[3]ただし有待の依身なれば著ざれば風身にしみ、食はざれば命持ちがたし。燈に油をつがず、火に薪を加へざるがごとし。命いかでかつぐべきやらん。命続ぎがたく、つぐべき力絶へては、或るは一日ないし五日、既に法華経読誦の音も絶へぬべし、止観のまど(窓)の前には草しげりなん。
[4]かくのごとく候ふに、いかにして思ひ寄らせ給ひぬらん。兎は経行の者を供養せしかば、天帝哀れみをなして月の中にをかせ給ひぬ。今天を仰ぎ見るに月の中に兎あり。されば女人の御身として、かかる濁世末代に、法華経を供養しましませば、梵王も天眼をもつて御覧じ、帝釈は掌を合はせてをがませ給ひ、地神は御足をいただきて喜び、釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給ふらん。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐恐謹言。
[5]弘安二年〈己卯〉<日>六月二十日日>
[6]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[7]<先>松野殿女房御返事先>
現代語訳
松野殿女房御返事
弘安二年(一二七九)六月二〇日、五八歳、於身延、和文、定一六五一—一六五二頁。
[1]麦一箱、家の芋一籠、瓜一籠など品々のものを、六月三日に頂戴しながら、今までお礼のご挨拶をいたしませんでしたこと、申しわけなく存じます。
[2]この身延の沢というところは、甲斐国の南部実長殿が領する飯井野・御牧・波木井の三か郷のうちの波木井郷の西北の隅にあたっています。遠く見渡せば、北には身延の嶽が天空にそびえ、南には鷹取が嶽が雲に連なり、東には天子の嶽が太陽と背丈を比べ、西には同じように峨々として険しい高山が白根の嶽まで続いています。そしてこの身延の沢は、猿の鳴く声が天に響き、蝉のさえずりが地に満ちています。まるで、インドの霊鷲山がここに出現し、中国の天台山を目の前に見るような所です。私は釈迦仏でもなく、天台大師でもありませんが、恐れ多くもこの二聖者に習って、昼夜を分かたず法華経を読誦し、朝夕にわたって摩訶止観を談義しているので、ここ身延山は霊山浄土と同じく、天台山と異ならない聖山であるといえましょう。
[3]そうはいっても、私の身体は衣食によって保たれているものですから、衣服は着なければ寒風が身にしみ、食物を食べなければ生きていくことができません。たとえば、灯火に油をそそがず、火に薪をくべないようなもので、食料を補給しなかったら、どうして命を永らえることができるでしょう。命が保ちにくく、活力が絶えたのでは、一日一日と法華経読誦の声の聞こえない日がふえ、摩訶止観を談義する学窓の前に雑草が生い茂ってしまうでしょう。
[4]そのような厳しい状況のもとにある私を、どのようなご縁があってご供養してくださるのでしょうか。昔、インドのうさぎは遊行中の修行者を供養したので、帝釈天が感動して月の中に住まわせなさったということです。たしかに、今、空を仰いでみると月の中にうさぎがいるのが見えます。この話の例によるならば、あなたは女性の御身でありながら、こんな末代濁悪の世の中にもかかわらず、法華経が絶えないようにご供養なさっているのですから、梵天王は天眼によってあなたの善行を見通され、帝釈天は掌を合わせてあなたの姿を礼拝なさり、地神はあなたの御足を捧げ持って喜び、釈迦仏は霊鷲山から御手を延ばしておなたの御頭をおなでになることでしょう。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。恐々謹言。
[5]弘安二年〈己卯〉<日>六月二十日日>
[6]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[7]<先>松野殿女房御返事先>