高橋殿御返事
189 高橋殿御返事
瓜一篭、さゝげひげ、こえだまめ、ねいも、かうのうり給候了。
付法蔵経と申経には、いさごのもちゐを仏に供養しまいらせしわらは(童)、百年と申せしに一閻浮提の四分一の王となる、所謂阿育大王これなり。法華経の法師品には而於一劫中と申て、一劫が間釈迦仏を種々に供養せる人功徳と、末代の法華経の行者を須臾供養せる功徳とたくらべ候に、其福復過彼と申て、法華経の行者を供養する功徳すぐれたり。これを妙楽大師釈云有供養者福過十号と[云云]。されば仏を供養する功徳よりもすぐれて候なれば、仏にならせ給はん事疑なし。其上、女人の御身として尼とならせ給て候なり。いよいよ申に及ばず。
但さだめて念仏者にてやをはすらん。たうじ(当時)の念仏者・持斉は国をほろぼし、他国の難をまねくものにて候。日本国の人々は、一人もなく日蓮がかたきとなり候ぬ。梵王・帝釈・日月・四天のせめをかほりて、たうじのゆきつしま(壱岐対馬)のやうになり候はんずるに、いかがせさせ給べきせさせ給べき。
なによりも入道殿の御所労なげき入て候。しばらくいきさせ給て、法華経謗ずる世中御覧あれと候へ。日本国の人々は、大体はいけどりにせられ候はんずる也。日蓮を二度までながし、法華経の五巻をもてかうべを打候しは、こり候はんずらむ。 七月二十六日 日蓮 [花押] 御返事