智慧亡国御書
203 智慧亡国御書
減劫と申は人の心の内に候。貪・瞋・痴の三毒が次第に強盛になりもてゆくほどに、次第に人のいのちもつづまり、せい(身長)もちいさくなりもてまかるなり。
漢土・日本国は仏法已前には三皇・五帝・三聖等の外経をもて、民の心をとゝのへてよ(世)をば治しほどに、次第に人の心はよきことははかなく、わるき事はかしこくなりしかば、外経の智あさきゆへに悪のふかき失をいましめがたし。外経をもつて世をさまらざりしゆへに、やうやく仏経をわたして世間ををさめしかば、世をだやかなりき。此はひとへに仏教のかしこきによて、人民の心をくはしくあかせるなり。当時の外典と申は、本の外経の心にはあらず。仏法のわたりし時は外経と仏経とあらそいしかども、やうやく外経まけて王と民と用ざりしかば、外経のもの内経の所従となりて立あうことなくありしほどに、外経の人々内経の心をぬきて智慧をまし、外経に入て候を、をろかなる王は外典のかしこきかとをもう。
又人の心やうやく善の智慧ははかなく、悪の智慧かしこくなりしかば、仏経の中にも小乗経の智慧世間ををさむるに、世をさまることなし。其時大乗経をひろめて代ををさめしかば、すこし代をさまりぬ。其後、大乗経の智慧及ざりしかば、一乗経の智慧をとりいだして、代ををさめしかば、すこししばらく代をさまりぬ。
今の代は外経も、小乗経も、大乗経も、一乗法華経等も、かなわぬよ(世)となれり。ゆへいかんとなれば、衆生の貪・瞋・痴の心のかしこきこと、大覚世尊の大善にかしこきがごとし。譬へば犬は鼻のかしこき事人にすぎたり。又、鼻の禽獣をかぐことは、大聖の鼻通にもをとらず。ふくろうがみゝ(耳)のかしこき、とびの眼のかしこき、すずめの舌のかろき、りうの身のかしこき、皆かしこき人にもすぐれて候。そのやうに末代濁世の心の貪欲・瞋恚・愚痴のかしこさは、いかなる賢人聖人も治がたき事なり。其故は貪欲をば仏不浄観の薬をもて治し、瞋恚をば慈悲観をもて治、愚痴をば十二因縁観をもてこそ治給に、いまは此の法門をとひて、人ををとして貪欲・瞋恚・愚痴をますなり。譬へば火をば水をもつてけす、悪をば善をもつて打。しかるにかへりて水より出ぬる火をば、水をかくればあぶらになりて、いよいよ大火となるなり。
今末代悪世に世間の悪より出世の法門につきて大悪出生せり。これをばしらずして、今の人々善根をす(修)ゝれば、いよいよ代のほろぶる事出来せり。今の代の天台真言等の諸宗の僧等をやしなうは、外は善根とこそ見ゆれども、内は十悪五逆にもすぎたる大悪なり。しかれば代のをさまらん事は、大覚世尊の智慧ごとくなる智人世に有て、仙予国王のごとくなる賢王とよりあひて、一向に善根をとどめ、大悪をもて八宗の智人とをもうものを、或はせめ、或はながし、或はせ(施)をとどめ、或は頭をはねてこそ、代はすこしをさまるべきにて候へ。
法華経の第一の巻の諸法実相乃至唯仏与仏乃能究尽ととかれて候はこれなり。本末究竟と申は、本者悪のね(根)善の根、末と申は悪のをわり善の終ぞかし。善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申なり。天台云 夫一心具十法界等[云云]。章安云 仏尚此為大事何可得易解也。妙楽云 乃是終窮究竟極説等[云云]。法華経云 皆与実相不相違背等[云云]。天台承之云 一切世間治生産業皆与実相不相違背等[云云]。
智者とは世間の法より外に仏法を行ず。世間の治世の法を能々心へて候を智者とは申なり。殷の代の濁て民のわづらいしを、大公望出世して殷の紂が頸を切て民のなげきをやめ、二世王が民の口ににがゝりし、張良出て代ををさめ民の口をあまくせし。此等は仏法已前なれども、教主釈尊の御使として民をたすけしなり。外経人々はしらざりしかども、彼等の人々の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり。今の代には正嘉の大地震、文永大せひせひ(彗星)の時、智慧かしこき国主あらましかば、日蓮をば用つべかりしなり。それこそなからめ、文永九年のどしうち(同士打)、十一年の蒙古のせめの時は、周の文王の大公望をむかへしがごとく、殷の高丁王の傅悦を七里より請せしがごとくすべかりしぞかし。日月は生盲の者財にあらず。賢人ば愚王のにくむとはこれなり。しげきゆへにしるさず。法華経の御心と申はこれてひの事にて候。外のこととをぼすべからず。大悪は大善の来るべき瑞相なり。一閻浮提うちみだすならば、閻浮提内広令流布はよも疑候はじ。
此大進阿闍梨を故六郎入道殿の御はかへつかわし候。むかしこの法門を聞て候人々には、関東の内ならば、我とゆきて其はかに自我偈よみ候はんと存て候。しかれども、当時のありさまは日蓮かしこへゆくならば、其日に一国にきこへ、又かまくらまでもさわぎ候はんか。心ざしある人なりとも、ゆきたらんところの人人め(目)ををそれぬべし。いままでとぶらい候はねば、聖霊いかにこひしくをはすらんとをもへば、あるやうもありなん。そのほどまづ弟子をつかわして御はかに自我偈をよませまいらせしなり。其由御心へ候へ。恐々。