松野殿御消息
書下し
松野殿御消息
[1]柑子一籠・種種の物送り給び候ふ。
[2]法華経第七の巻薬王品に云はく「〔衆星の中に月天子最もこれ第一なり。この法華経もまたまたかくのごとし、千万億種の諸の経法の中において最もこれ照明なり〕」云云。文の意は「虚空の星は或は半里、或は一里、或は八里、或は十六里なり。天の満月輪は八百里にてをはします。華厳経六十巻・或は八十巻、般若経六百巻、方等経六十巻、涅槃経四十巻・三十六巻、大日経・金剛頂経・蘇悉地経・観経・阿弥陀経等の無量無辺の諸経は星のごとし。法華経は月のごとし」と説かれて候ふ経文なり。これは竜樹菩薩・無著菩薩・天台大師・善無畏三蔵等の論師人師の言にもあらず、教主釈尊の金言なり。譬へば天子の一言のごとし。
[3]また法華経の薬王品に云はく「〔よくこの経典を受持すること有らん者もまたまたかくのごとし。一切衆生の中においてまたこれ第一なり〕」等云云。文の意は「法華経を持つ人は男ならば何なる田夫にても候へ、三界の主たる大梵天王・釈提桓因・四大天王・転輪聖王・ないし漢土日本の国主等にも勝れたり。何かにいわんや日本国の大臣・公卿・源平の侍・百姓等に勝れたる事申すに及ばず。女人ならば憍尸迦女・吉祥天女・漢の李夫人・楊貴妃等の無量無辺の一切の女人に勝れたり」と説かれて候ふ。
[4]案ずるに経文のごとく申さんとすればをびただしき様なり。人もちゐん事もかたし。これを信ぜじと思へば、如来の金言を疑ふ失は経文明らかに阿鼻地獄の業と見へぬ。進退わづらひ有り、いかがせん。
[5]この法門を教主釈尊は四十余年が間は胸内にかくさせ給ふ。さりとてはとて御年七十二と申せしに、南閻浮提の中天竺王舎城の丑寅耆闍崛山にして説かせ給ひき。今日本国には仏御入滅一千四百余年と申せしに来たりぬ。それより今七百余年なり。先き一千四百余年が間は日本国の人、国王・大臣ないし万民一人もこの事をしらず。いまこの法華経わたらせ給へども、或は念仏を申し、或は真言にいとまを入れ、禅宗持斎なんど申し、或は法華経を読む人は有りしかども、南無妙法蓮華経と唱える人は日本国に一人も無し。
[6]日蓮始めて建長五年夏の始めより二十余年が間ただ一人、当時の人の念仏を申すやうに唱ふれば、人ごとにこれを笑ひ、結句はのり、うち、切り、流し、頸をはねんとせらるること、一日二日一月二月一年二年ならざれば、こら(堪)ふべしともをぼえ候はねども、この経の文を見候へば、檀王と申せし王は千歳が間阿私仙人に責めつかはれ、身を牀となし給ふ。不軽菩薩と申せし僧は多年が間悪口罵言せられ、刀杖瓦礫を蒙り、薬王菩薩と申せし菩薩は千二百年が間身をやき、七万二千歳ひぢ(臂)を焼き給ふ。これを見はんべるに、何なる責め有りとも、いかでかさてせき(塞)留むべきと思ふ心に、今まで退転候はず。
[7]しかるに在家の御身として皆人にくみ候ふに、しかもいまだ見参に入候はぬに、何と思しめして御信用あるやらん。これひとへに過去の宿植なるべし。来生に必ず仏に成らせ給ふべき期の来たりてもよを(催)すこころなるべし。その上経文には「鬼神の身に入る者はこの経を信ぜず、釈迦仏の御魂の入りかはれる人はこの経を信ず」と見へて候へば、水に月の影の入りぬれば水の清がごとく、御心の水に教主釈尊の月の影の入り給ふかとたのもしく覚へ候ふ。
[8]法華経の第四法師品に云はく「〔人有りて仏道を求めて一劫の中において合掌して我前に在りて無数の偈をもつて讃めん。かくの讃仏によるが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんはその福またかれに過ぎん〕」等云云。文の意は「一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも、末代の浅智なる法華経の行者の、上下万人にあだまれて餓死すべき比丘等を供養せん功徳は勝るべし」との経文なり。一劫と申すは八万里なんど候はん青めの石を、やすりをもつて無量劫が間する(磨)ともつきまじきを、梵天三銖の衣と申して、きはめてほそくうつくしきあまの羽衣をもつて、三年に一度下りてなづるに、なでつくしたるを一劫と申す。この間無量の財をもつて供養しまいらせんよりも、濁世の法華経の行者を供養したらん功徳はまさるべきと申す文なり。この事、信じがたき事なれども、法華経はこれていに、をびただしく、まことしからぬ事どもあまたはんべり。また信ぜじとをもえば多宝仏は証明を加へ、教主釈尊は正直の金言となのらせ給ふ。諸仏は広長舌を梵天につけぬ。父のゆづりに母の状をそえて賢王の宣旨を下し給ふがごとし。三つこれ一同なり。誰かこれを疑はん。
[9]さればこれを疑ひし人無垢論師は舌五つに破れ、嵩法師は舌ただれ、三階禅師は現身に大蛇となる。徳一は舌八つにさけにき。それのみならず、この法華経並びに行者を用ひずして、身をそんじ、家をうしない、国をほろぼす人人、月支・震旦にその数をしらず。第一には「日天朝に東に出で給ふに、大光明を放ち天眼を開きて南閻浮提を見給ふに、法華経の行者あれば心に歓喜し、行者をにくむ国あれば天眼をいからしてその国をにらみ給ふ。始終用ひずして国の人にくめば、その故と無くいくさをこり、他国よりその国を破るべし」と見へて候ふ。
[10]昔徳勝童子と申せしをさなき者は、土の餅を釈迦仏に供養し奉りて、阿育大王と生まれて、閻浮提の主と成りて、結句は仏になる。今の施主の菓子等をもつて法華経を供養しまします。何かに十羅刹女等も悦び給ふらん。ことごとく尽くしがたく候ふ。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
[11]<日>二月十七日日>
[12]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[13]<先>松野殿御返事先>
現代語訳
松野殿御消息
建治二年(一二七六)二月一七日、五五歳、於身延、和文、定一一三九—一一四二頁。
[1]蜜柑一籠、そのほか種々のお品をお送りいただきました。お礼申し上げます。
[2]法華経第七巻の薬王品に「衆星の中では月天子、もっともこれ第一である。この法華経もまたまたかくのごとし。千万億種々のもろもろの経法の中にもっともこれ照明である」とあります。この経文の意味は「大空の星の光は、あるいは半里、あるいは一里、あるいは八里、あるいは十六里四方を照らしている。それに対して天空の満月は、八百里四方にわたって輝いていらっしゃる。それにたとえていうならば、華厳経旧訳の六十巻や新訳の八十巻、般若経六百巻、方等経六十巻、涅槃経の北本四十巻や南本三十六巻、そのほか大日経・金剛頂経・蘇悉地経・観無量寿経・阿弥陀経など数えきれないほどの諸経は星のようなものであり、法華経は満月のようなものだ」ということです。これは、インドで論をお立てになった竜樹菩薩や無著菩薩、また中国で法をお説きになった天台大師や善無畏三蔵といった方々の説ではなく、教主釈尊ご自身のおことばです。たとえば天子様の一言のように絶対不動のものなのです。
[3]また法華経の薬王品に「よく法華経を受持する者も、またまたこれと同じで、一切衆生の中で第一にすぐれている」とあります。この経文の意味は「法華経を信仰する人は、男ならばどんなに身分の低いものでも、大宇宙の主である大梵天王をはじめ釈提桓因・四大天王・転輪聖王らの諸聖、ないし中国や日本の国主らよりもすぐれている。まして日本国の大臣・公卿・源平の侍・すべての人民たちよりすぐれているのは当然である。女ならば、インドの憍尸迦女や吉祥天女、中国の李夫人や楊貴妃らをはじめとするあらゆる女よりもすぐれている」ということです。
[4]つくづく考えてみるのに、法華経を経文通りに説こうとすると、それはあまりに研ぎ澄まされた教えであり、一般には理解しにくいので妨害されます。それでは経文を信じないほうがよいかと思うと、仏のお言葉を疑うのは阿鼻地獄に落ちる罪にあたると経文にはっきり示されています。信じても信じなくても災厄をまぬがれないのですが、どうしたらよいのでしょう。
[5]法華経はたいへんむずかしい法門であるので、教主釈尊はそれを悟られてからもなかなか発表なさらず、四十年あまりの間は胸中に深く秘めていらっしゃいました。しかし、そのままにしてはおけないということで、御年七十二歳の時に、南閻浮提の中天竺は王舎城の東北にあたる耆闍崛山においてお説きになりました。この教えは、日本国には仏のご入滅後千四百年あまりたって渡来しました。それから今まで七百年あまりになります。日本へ渡来以前の千四百年あまりの間は、わが国の人は国王・大臣から万民にいたるまで、誰一人としてそれを知りませんでした。今、その法華経は目の前に出現なさっているのですが、人々は、あるいは阿弥陀仏の名を唱えたり、あるいは真言密教の祈禱に時を費し、また坐禅や八斎戒を持つ修行をするなどといって法華経を無視し、たまに法華経を読む人がいても、南無妙法蓮華経と唱える人は日本国じゅうを探してもいません。
[6]私は、今まで誰も唱えられたことのないお題目を、建長五年(<暦>一二五三暦>)の夏のはじめから二十年あまりの間、ただ一人で、このごろの人たちが念仏を唱えるように熱心に唱えるので、みんなでそれを嘲笑し、果てには罵倒し、打擲し、切りかかり、流罪にし、斬首の刑場にまで坐らせたことは、一日や二日、一月や二月、いや一年や二年の間のことではないので、とても耐えられるとは思われないことなのですが、法華経を開いて見ますと、いろいろな難行苦行のことが書かれていて弱音を吐いてはいられなくなります。須頭檀王という王は法華経を学び求めるために千年間も阿私仙人のもとで酷使され、ついには身体を敷物がわりになさいました。不軽菩薩という僧は法華経を弘めようとして永年のあいだ悪口雑言を浴びせられたり、刀で切られたり、杖で打たれたり、石や瓦を投げつけられたりされました。また薬王菩薩という菩薩は、千二百年のあいだ身を焼き、七万二千年間も臂に火を灯して仏を供養なさいました。これらを拝見しますと、どんな困難に会おうとも、どうして意気地なく殻に閉じこもっていてよかろうかという勇気が湧いてきて、今まで退転せずにきたのです。
[7]出家をした私でさえもいろいろと思い悩むことが多いこのごろ、貴殿は在家の御身で、周囲の人々が反対をしているというのに、まだお目にかかったこともない私の教えをどうしてご信用なさっているのでしょうか。これは、きっと、過去の世に積んだ功徳の現われであるに違いありません。次の世では必ず仏におなりになるという、その時節が巡ってきたので起こる心なのでしょう。まして法華経には「鬼神が身に入っている者はこの経を信じず、釈迦仏の御魂が凡夫の心と入れ替わっている人はこの経を信じる」と説かれていますので、あたかも水の中に月の光が入れば水が清らかになるように、貴殿のお心という水中に教主釈尊の御魂という月の光がお入りになって濁りを取り除いてしまわれたのであろうと、頼もしく思われます。
[8]法華経第四巻の法師品に「人がいて、仏道を求めて、一劫の中において合掌して、わが前にあって無数の偈をもって讃めれば、この讃仏によって無量の功徳を得るであろう。持経者を歎美するは、その福また彼に過ぎる」とあります。この経文の意味は「清浄な上代において一劫という永いあいだ教主釈尊をご供養申し上げるよりも、末代濁悪の世の智恵の劣った法華経の行者で上下の万人に憎まれて餓死しそうな僧らを供養する功徳の方がすぐれている」ということです。一劫というのは、八万里立方もある青瑪腦石の、堅くて、無限に近いほどの時間をかけてやすりで磨ってもなくならないような大石を、天女が梵天三銖の衣という非常に繊細で美しい天の羽衣で、三年に一度ずつ舞い降りてきては撫でていって、その青瑪腦石が磨滅してしまうまでの期間、それを一劫というのです。そういう無限の長期にわたり、計りきれないほど多くの財物を捧げて釈尊をご供養申し上げるよりも、末法の濁世で法華経の行者を供養した功徳の方がまさっているというのが前の経文の意味なのです。これは信じられないことですが、法華経というのはこのように神秘的で本当とは思われないことがたくさんある経典なのです。それで、信じるのをやめようかと思うと、この経に対しては、多宝如来が「真実である」と証明を加え、教主釈尊ご自身は「正直の金言である」と宣言なさり、十方の諸仏は広長舌を梵天に届かせて讃嘆しました。これはちょうど、父の譲渡文に母の証明書を添えたものを賢王が認可宣言なさったようなものです。三者の主旨がまったく一致しています。誰がこれを疑えるでしょうか。誰も疑うことはできません。
[9]そういうわけですから、法華経を疑った人々——インドの無垢論師は舌が五つに破れ、中国の嵩法師は舌がただれ、三階教の祖信行は生きながら大蛇となりました。日本法相宗の徳一は舌が八つに裂けてしまいました。それだけではなく、法華経ならびに法華経の行者を信用しないために、身を損い、家を失い、国を滅ぼした人々は、インドにも中国にも数知らず多くいます。第一には「朝、日天子が東にお昇りになり、大光明を放ち、天眼を開いてこの世界をご覧になるにあたり、法華経の行者がいれば心中に喜びを涌かせ、その行者を憎む国があれば、天眼を怒らしてその国をお睨みになる。人々が、行者をいつまでも信用せずに憎み続ければ、その国には原因不明の内乱が起こり、また外国から攻め破られるであろう」と書かれています。
[10]昔、徳勝童子といった子供は、土の餅を釈迦仏にご供養申し上げた功徳によって阿育大王としてこの世に出生し、世界の主となって結局は仏になりました。今、施主である貴殿は果物などによって法華経をご供養なさっていらっしゃいます。法華経を守護する十羅刹女らもどれほどお喜びなさることでしょう。まだまだ書きたいことがありますがこのたびはこれで筆を擱きます。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。
[11]<日>二月十七日日>
[12]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[13]<先>松野殿御返事先>