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上野尼御前御返事

全集 第7巻 2段 定本: #20415(定本の該当ページへ)

書下し

上野尼御前御返事うえのあまごぜんごへんじ


[1]*しらよね一駄〈四斗定〉・あらひいも(洗芋)一俵送給びて南無妙法蓮華経と唱へまいらせ候ひ了んぬ。
[2]妙法蓮華経と申すは蓮に譬へられて候ふ。天上には摩訶曼陀羅華*まかまんだらげ、人間には桜の花、これ等はめでたき花なれども、これらの花をば法華経の譬へには仏取り給ふ事なし。一切の花の中にけてこの花を法華経に譬へさせ給ふ事はこの故候ふなり。
[3]或は「前華後菓」と申して花はさきあとなり。或は「前菓後華」と申してさきに花はあとなり。或は「一華多菓」、或は「多華一菓」、或は「無華有菓」と品々しなじなに候へども、蓮華と申す花はと花と同時なり。
[4]一切経の功徳はさきに善根をしてのちに仏とは成ると説く。かかる故に不定なり。法華経と申すは手に取ればその手やがて仏に成り、口に唱ふればその口即ち仏なり。譬へば天月の東の山の端に出づれば、その時即ち水に影の浮かぶがごとく、音とひびきとの同時なるがごとし。故に経に云はく「〔もし法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し〕」云云。文の心は「この経をたもつ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成る」と申す文なり。
[5]そもそも御消息を見候へば、尼御前の慈父おんちち、故松野の六郎左衛門入道殿の忌日と云云。「子息多ければ孝養まちまちなり。しかれども必ず法華経に非ざれば謗法等」云云。釈仏の金口*こんくの説に云はく「〔世尊の法は久しうして後、かならずまさに真実を説きたまうべしと。多宝の証明に云はく妙法蓮華経は皆これ真実なり〕」と。十方の諸仏の誓ひに云はく「〔舌相*ぜつそう梵天*ぼんでんに至る〕」云云。
[6]——これよりひつじさるの方に大海をわたりて国あり、漢土と名づく。かの国には或は仏を信じて神を用ひぬ人もあり、或は神を信じて仏を用ひぬ人もあり、或は日本国も始めはさこそ候ひしか。しかるにかの国に烏竜*おりようと申す手書てかきありき。漢土第一の手なり。例せば日本国の道風とうふう行成こうぜい等のごとし。この人仏法をいみて「経をかかじ」と申す願を立てたり。この人死期しご来たりて重病をうけ、臨終にをよんで子に遺言して云はく、「汝は我子なり。その跡絶あとたえずしてまた我よりも勝れたる手跡なり。たとひいかなる悪縁あるとも法華経をかくべからず」と云云。しかして後五根より血の出づる事いずみの涌くがごとし。舌八つにさけ、身くだけて十方にわかれぬ。しかれども一類の人々も三悪道を知らざれば地獄に堕つる先相ともしらず。
[7]その子をば遺竜*いりようと申す。又漢土第一の手跡なり。親の跡を追ふて「法華経を書かじ」と云ふ願を立てたり。その時大王おはします、司馬しば氏と名づく。仏法を信じ、殊に法華経をあふぎ給ひしが、同じくは我国の中に手跡第一の者にこの経を書かせて持経とせんとて遺竜を召す。竜の申さく、「父の遺言あり。こればかりは免じ給へ」と云云。大王父の遺言と申す故に他の手跡を召して一経をうつし了んぬ。しかりといへども御心みこころに叶ひ給はざりしかば、また遺竜を召して言はく、「汝親の遺言と申せばわれまげて経を写つさせず、ただ八巻の題目ばかりを勅に随ふべし」と云云。返す返す辞し申すに、王瞋りて云はく、「汝が父と云ふも我臣なり。親の不孝を恐れて題目を書かずば違勅のとがあり」と、勅定度々重かりしかば、不孝はさる事なれども、当座の責めをのがれがたかりしかば、法華経の外題を書きて王へ上げ、宅に帰りて、父のはか(墓)に向ひて、血の涙を流して申す様は、「天子の責め重きによて、亡き父の遺言をたがへて、既に法華経の外題を書きぬ。不孝の責め免れがたし」ときて、三日の間墓を離れず、食を断ち既に命に及ぶ。
[8]三日と申す寅の時に已に絶死し畢つて夢のごとし。虚空を見れば天人一人おはします。帝釈*たいしやくを絵にかきたるがごとし。無量の眷属けんぞく天地に充満せり。
[9]ここに竜問ふて云はく、「いかなる人ぞ。」
[10]答へて云はく、「汝知らずや、我はこれ父の烏竜おりようなり。我人間にありし時、外典*げてんを執し仏法をかたきとし、殊に法華経に敵をなしまいらせし故に無間*むけんに堕つ。日日に舌をぬかるる事数百度、或るは死し、或るは生き、天に仰ぎ地に伏してなげけども叶ふ事なし。人間へ告げんと思へども便りなし。汝、我子として『遺言なり』と申せしかば、その言、炎と成つて身を責め、剣と成つて天より雨下る。汝が不孝極まり無かりしかども、我が遺言を違へざりし故に、自業自得果うらみがたかりし所に、金色の仏一体、無間地獄に出現して、『たとえ法界に遍き断善の諸の衆生、一たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜしむ』云云。
[11]この仏、無間地獄に入り給ひしかば、大水を大火になげたるがごとし。少し苦しみやみぬる処に、我合掌して仏に問ひ奉りて、『いかなる仏ぞ』と申せば、仏答へて『我はこれ汝が子息遺竜いりようが只今書くところの法華経の題目六十四字の内に妙の一字なり』とのたもふ。八巻の題目は八八六十四の仏、六十四の満月と成り給へば、無間地獄の大闇即ち大明となりしうえ、無間地獄は『〔当位即妙にして本位を改めず〕』と申して常寂光じようじやつこうの都と成りぬ。我及び罪人とは皆蓮はちすの上の仏と成りて、只今都率*とそつの内院へ上り参り候ふが、まづ汝に告ぐるなり」と云云。
[12]遺龍云はく、「我手にて書きけり、いかでか君たすかり給ふべき。しかも我が心よりかくにあらず、いかにいかに」と申せば、
[13]父答へて云はく、「汝はかなし、汝が手は我手なり。汝が身は我身なり。汝がきし字は我が書きし字なり。汝心に信ぜざれども、手に書く故に既にたすかりぬ。臂へば小児の火を放つに心にあらざれども物を焼くがごとし。法華経もまたかくのごとし。存外に信を成せば必ず仏になる。またその義を知りて謗ずる事なかれ。ただし在家の事なれば、いひしことことさら大罪なれども懺悔しやすし」と云云。
[14]この事を大王に申す。大王の言はく、「我願既にしるし有り」とて遺竜いよいよ朝恩を蒙り、国またこぞつてこの御経を仰ぎ奉る。——
[15]しかるに五郎殿と入道殿とは尼御前の父なり子なり。尼御前はかの入道殿のむすめなり。今こそ入道殿は都卒とそつの内院へ参り給ふらめ。
[16]この由をはわき(伯耆)どのよみきかせまいらさせ給ひ候へ。事々そうそうにてくはしく申さず候ふ。恐恐謹言。
[17]<日>十一月十五日
[18]<人>日 蓮<花押>花押
[19]<先>上野尼ごぜん御返事
現代語訳

上野尼御前御返事


弘安四年(一二八一)一一月一五日、六〇歳、於身延、和文、定一八九〇—一八九四頁。

[1]白米一駄〈四斗定〉ならびに洗い芋一俵お送りいただき、感謝の心をこめて南無妙法蓮華経とお唱えいたしました。
[2]妙法蓮華経というお経は蓮華にたとえられています。天上界では摩訶曼陀羅華、人間界では桜の花、これらはすばらしい花ですが、仏はこれらの花を法華経のたとえとして採用なさいません。すべての花の中から取り分けて蓮華を法華経のたとえになさったのには、はっきりとした理由があるのです。
[3]そもそも花には、「前華後菓」といって花が前に咲き果実が後になるものがあり、あるいは「前菓後華」といって果実が前になり花が後に咲くものがあります。その他、あるいは「一華多菓」、あるいは「多華一菓」、あるいは「無華有菓」とたいへん多くの種類がありますが、蓮華というのは特別で、果実のなるのと花の咲くのとが同時なのです。
[4]法華経以外の一切経の功徳は、先に善い業因ごういんの花を咲かせて、後に仏の果実がなると説きます。だから仏の果実を結ぶかどうかは決まっていません。ところが法華経というのは、手に取ればその手がたちまちに仏になり、口に唱えればその口がそのまま仏であるのです。たとえば天の月が東の山から出ると、そのとたんに水に月影が映るようなものであり、音と響きとが同時に鳴るようなものです。だから法華経の方便品に「もし、法を聞くことがあろう者は、一人として成仏しないことがない」とあります。この一節の内容は「法華経を受持する人は、百人なら百人すべて、千人なら千人すべて、一人も残らずに仏になる」というのです。
[5]さて御手紙を拝見しますと、尼御前の慈父でいらっしゃった故松野六郎左衛門入道殿のご命日がめぐってきたということですね。「父には子どもが多いから供養の仕方はまちまちであるが、いずれにせよ法華経によるものでなければ謗法ぼうほうではないか」とのお尋ね、まったくその通りです。法華経だけが真実の教えであるということを方便品に記されたところで説明すると、まず釈仏ご自身が「世尊は、久しく方便の説を述べ、その後に必ず真実の法を説く」とおっしゃると、それを多宝如来が「妙法蓮華経は、みなこれ真実である」と証明し、十方の国土の諸仏が「広長舌を梵天まで届かす」という誓願の相を示してたたえたということによって明らかです。
[6]——日本から西南の方に大海を渡って行くと一つの国があります。漢土という国です。その国には、あるいは仏を信仰して神を崇拝しない人もおり、あるいは神を信仰して仏を崇拝しない人もいます。ことによると日本国もはじめはそうだったのでしょう。さてその国に烏竜という書家がいました。当国第一の名筆家です。日本の例でいえば小野道風や藤原行成のような人です。烏竜は仏法を忌みって「仏経は書写しない」という願を立てました。この人は最期近くに重病をわずらっていましたが、死に臨んで子に遺言をし、「お前は私の子だ。書の道を受け継ぎ、私よりも良い字を書く。しかし、たとえどんな悪いめぐりあわせになっても法華経を書写してはいけない」と命じました。そして死んだのですが、げんぜつしんの五根から血が泉のように流れ出ました。また舌が八つに裂け、身体が十方にわたって砕け散りました。しかし一族の人たちは、地獄・餓鬼・畜生という三悪道のことを知らないものですから、烏竜の死相が地獄に落ちる前兆であることに気がつきませんでした。
[7]烏竜の遺言を受けた子を遺竜といいます。この子もまた当国第一の書家でした。親の跡を継いで「法華経を書かない」という願を立てました。その時代に大王がいらっしゃいました。司馬氏という名の方です。司馬氏は仏法を信じ、中でも法華経を厚く信仰していましたので、同じことならば国一番の書家に法華経を書写させて、それを常に所持する経典としようと思い立ち、遺竜を召して法華経の書写を命じました。遺竜は「父の遺言がありますので、こればかりはお許しください」といいました。大王は、父の遺言があるのではやむをえないと思い、他の書家を呼んで法華経を書写させました。しかし、その写経がお気に召さなかったので、また遺竜を招いて「親の遺言だというので朕は我慢をして写経を頼むのをあきらめた。しかし、八巻の題目だけは書いてもらいたい。これは厳命である」と云いました。遺竜は何回も辞退したのですが、王が怒って「お前の父といってもわが臣下である。親への不孝になるといって書かなければ、違勅の罪にあたるぞ」とまで厳しく命令なさることがたびたびに及んだので、遺竜は、親不孝は悪いことだとは思いながらも、当面の刑罰をまぬがれるために、法華経の表紙の題だけを書いて王に献上し、家に帰って父の墓前にぬかずき、血の涙を流して「天子の追求が厳しいので抵抗しきれず、亡き父上の遺言に反して法華経の外題を書いてしまいました。不幸の罪は重大です。まことに申しわけありませんでした」と懺悔しながら、三日間は墓前を離れずに断食しましたので、命が危くなりました。
[8]三日後の午前四時、遺竜は仮死状態に陥って夢幻の世界をさまよいました。大空を見上げると天人が一人いらっしゃいます。帝釈天を絵に画いたような神神こうごうしさです。その方を囲んで数えきれないほど多くの天人たちが天地に満ち満ちていました。
[9]そこで遺竜は「あなたは、どなたですか」と尋ねました。
[10]天人は「お前は知らないのか。私は父の烏竜なのだよ。私が人間界にいた時、仏典以外の書物に心酔して仏法を毛いし、ことに法華経を敵視したために無間地獄に落ちてしまった。毎日々々舌を抜かれること数百回、あるいは死にあるいは生き返りして苦しめられるので、天を仰ぎ地に伏してき悲しんだのだが、いっこうに許してもらえない。そこで人間に訴えようと思ったけれども、連絡の取りようがない。さらに辛いことには、お前が私の遺言を忠実に守って『仏経は書写しない』といったものだから、その言葉が、あるいは炎となって身を焼き、あるいは剣となって空から降ってきて体につきささるのだ。お前は親を苦しめるというたいへんな不孝をしたことになるのだが、私の遺言に背かなかったゆえの出来事だから、これは自業自得であって、誰も怨むわけにはいかないとあきらめていると、金色に輝く仏が一体、無間地獄に出現して『たとえ、世界中にあまねく満ちている断善極悪の衆生たちであっても、ひとたび法華経に耳を傾ければ必ず菩提を成就させる』と偈文をお唱えになった。
[11]この仏が無間地獄に出現なさったら、まるで大水を大火にかけたように苦しみがやや治まったものだから、私は不思議に思って『あなたは、どういう仏でいらっしゃるのですか』とお聞きすると、仏が『私は、お前の子の遺竜が今度書いた法華経の題字六十四のうちの妙という一字である』とお答えになられた。法華経八巻の題目は〈妙法蓮華経・巻第一〉といった八字の八倍で六十四字になるが、その一字一字が仏となり満月となられるので、無間地獄の大闇黒に大光明が差しこんで明るくなったばかりでなく、『何ごとももとの位相を改めることなくそのままで妙なるはたらきを現わす』といわれる通り無間地獄はそのまま常寂光の浄土となった。私も他の罪人たちも、みな蓮の上の仏となって、今、弥勒菩のいらっしゃる都率天の内院に参上するところだが、何よりも先にこの奇特な出来事をお前に知らせるために現われたのだ」と答えました。
[12]遺竜が「しかし、法華経の題目は私がこの手で書いたのですよ。それなのになぜ父上が救われなさるのでしょう。しかも私は、心ならずもいやいや書かされたというのに。いったいなぜなのでしょう」と云うと、
[13]父の天人が答えるには「お前は思慮が足りないな。お前の手は私の手、お前の体は私の体なのだ。だからお前の書いた字は私が書いた字なのだよ。お前は仏法を心から信じていたわけではないが、手が法華経を書写したので、その功徳によって私が救われたのだ。たとえば、子供が火をもてあそんでいて知らないうちに物を焼いてしまうようなものだ。法華経の功徳も同様に、意識はしなくても信仰の世界に接触すると、それだけで必ず仏になる。このことをよく心得て、おろそかに扱ってはいけないよ。それにしても私たちは、もともとが仏法とは縁の薄い在家の身であったので、いったことが大罰に当たることであっても、懺悔をすることによってすぐ救われたのだろう」
[14]夢心地から覚めた遺竜は、このことを大王に申し上げました。大王は「朕の法華経書写の願は、もうさっそく効験を現わした」と喜び、遺竜はその後ますます王から庇護を受け、国中の人々は挙げて法華経を信奉するようになりました。——
[15]烏竜・遺竜の話にひき比べて思えば、故五郎殿と故六郎入道殿とは尼御前にとって父子の関係にある人です。尼御前は故六郎入道殿の娘にあたります。尼御前の法華信仰の功徳によって、今はもう故入道殿は都率天の内院へ参詣していらっしゃることでしょう。
[16]この手紙に書いた内容について伯耆坊日興殿が読み聞かせて解説なさってください。いろいろと急いでいることがあるので詳細は省略します。恐々謹言。
[17]<日>十一月十五日
[18]<人>日 蓮 <花押>花押
[19]<先>上野尼御前御返事