上野尼御前御返事
書下し
上野尼御前御返事
[1]聖人ひとつつ(筒)、ひさげ(提子)十か。十字百。あめひとをけ(一桶)、二升か。柑子ひとこ(一籠)、串柿十連。ならびにおくり候ひ了んぬ。
[2]春のはじめ御喜び花のごとくひらけ、月のごとくみたせ給ふべきよし、うけ給はり了んぬ。
[3]そもそも故五らうどのの御事こそをもいいでられて候へ。ちりし花もさかんとす、かれしくさ(枯草)もねぐみぬ。故五郎殿もいかでかかへらせ給はざるべき。あわれ無常の花とくさとのやうならば、人丸にはあらずとも、花のもともはなれじ。いはうるこま(駒)にあらずとも、草のもとをばよもさらじ。
[4]経文には子をばかたきととかれて候ふ。それもゆわれ候ふか。梟と申すとりは母をくらう。破鏡と申すけだものは父をがいす。あんろく(安禄)山と申せし人は、師史明と申す子にころされぬ。義朝と申せしつはものは、為義と申すちちをころす。子はかたきと申す経文ゆわれて候ふ。
[5]また子は財と申す経文あり。妙荘厳王は一期の後、無間大城と申す地獄へ堕ちさせ給ふべかりしが、浄蔵と申せし太子にすくわれて、大地獄の苦をまぬがれさせ給ふのみならず、沙羅樹王仏と申す仏とならせ給ふ。生提女と申せし女人は、慳貪のとがによて餓鬼道に堕ちて候ひしが、目連と申す子にたすけられて餓鬼道を出て候ひぬ。されば子を財と申す経文たがう事なし。
[6]故五郎殿はとし十六歳、心ね、みめかたち、人にすぐれて候ひし上、男ののう(能)そなわりて、万人にほめられ候ひしのみならず、をやの心に随ふこと、水のうつわものにしたがい、かげの身にしたがうがごとし。いへ(家)にてははしら(柱)とたのみ、道にてはつへとをもいき。はこのたから(筐財)もこの子のため、つかう所従ふもこれがため。我し(死)なばになわれてのぼへゆきなんのちのあと、をもいをく事なしとふかくをぼしめしたりしに、いやなくいやなくさきにたちぬれば、いかんにや。ゆめかまぼろしか、さめなんさめなんとをもへども、さめずしてとし(年)もまたかたりぬ。
[7]いつとまつべしともをぼへず、ゆきあう(行逢)べきところだにも申しをきたらば、はねなくとも天へものぼりなん。ふねなくとももろこしへもわたりなん。大地のそこにありときかば、いかでか地をもほらざるべきとをぼしめすらむ。
[8]やすやすとあわせ給ふべき事候ふ。釈迦仏を御使として、りやうぜん浄土へまいりあわせ給へ。「〔もし法を聞くもの有らば、一として成仏せざるは無し〕」と申して、大地はささばはづるとも、日月は地に堕ち給ふとも、しを(潮)はみちひぬ代はありとも、花はなつ(夏)にならずとも、「南無妙法蓮華経」と申す女人の、をもう子にあわずという事はなしととかれて候ふぞ。いそぎいそぎつとめさせ給へ、つとめさせ給へ。恐恐謹言。
[9]<日>正月十三日日>
[10]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[11]<先>上野尼御前御返事先>
現代語訳
上野尼御前御返事
弘安四年(一二八一)正月一三日、六〇歳、於身延、和文、定一八五七—一八五九頁。
[1]清酒一筒、提子十箇、蒸餅百、飴一桶(二升か)、蜜柑一籠、串柿十連などいろいろとお送りいただきました。厚く御礼申し上げます。
[2]新春のご慶賀のこと、貴家におかれましては、花のように開け、月のように満ちていらっしゃるとのことを承りました。まことにおめでとうございます。
[3]それにつけても亡くなったご子息五郎殿のことが思い出されます。散った花も咲こうとしています。枯れた草も芽をふきました。そのように、故五郎殿も生き返りなさるとよいのですが、どうして駄目なのでしょうか。ああ、人生が栄枯盛衰を繰り返す花や草のようであるならば、柿本人麿ではなくても朽木のもとを離れないで再び花が咲くのを待つでしょうし、繋がれた駒でなくても枯草のもとを去らないでまた芽を吹くのを待つでしょう。しかし人生にはくり返しがないので、故五郎殿の再来を期待してもいたしかたありません。
[4]ある経文には、子は敵であると説かれています。それも理由のあることでしょう。梟という鳥は母を食うし、破鏡という獣は父を殺します。人間でも、中国の安禄山という人は師史明という子に殺されました。わが国の源義朝という武士は源為義という父を殺しました。子は敵であると記す経文には根拠があるのです。
[5]またある経文には、子は財であると説かれています。法華経に登場する妙荘厳王は、仏法に背いたために死後は無間大城という最低の地獄へお落ちになることになっていたのですが、浄蔵という太子の教えで救われて無間地獄の苦しみから逃れることができたばかりでなく、ついには娑羅樹王仏という仏になられました。また青提女といった女性は、けちで欲張りであった罪によって餓鬼道に落ちましたけれども、目連という子に助けられて苦界から脱出できました。だから子は財であるという経文も正しいのです。
[6]故五郎殿は、年齢わずか十六歳、心情や容貌が他人よりも秀れていらっしゃった上に、男らしさにあふれて人々の賞賛の的であったばかりでなく、親の心に背かないことは、水が器にしたがって形を変え、影が身に添って離れないようでした。あなたは、故五郎殿のことを、家にいては柱と頼み、道にあっては杖と思ったことでしょう。そして、箱に納めてある財宝もこの子のために蓄えたのであり、召し使う従者もこの子のため故に雇い入れたもの、そして自分が死んだらこの子に棺をかつがれて野辺の墓所へ葬られるのだから、その後のことは何の心配もないと深く思っていらっしゃったでしょうに、故五郎殿は、その期待をすっかり裏切って、先に黄泉の国へ旅立ってしまったので、あなたのお気持ちはどれほどお辛いことでしょうか。夢か幻か、夢ならば早く覚め、幻ならばすぐに消えてもらいたいと思うのですけれど、夢も覚めず、幻も消えないで年が改まってしまいました。
[7]いつになったら故五郎殿と再会できるかわからないまでも、会える場所だけでもお知らせしておいたならば、あなたは、羽がなくても天へ昇っていくでしょう。船がなくても中国まで渡るに違いありません。また大地の底にその場所があると聞いたならば何としても地を掘り割って会いに行かずにはおかない、とお思いになるでしょう。
[8]ところが実は、そんな苦労をしなくても、とても簡単にお会いになれる方法があるのです。釈迦仏をお頼りして、霊山浄土へ行ってお会いください。法華経の方便品に「もし、妙法蓮華経を聞くことがあるならば、一人として成仏しないものはいない」とありますが、これは、大地を指さしてはずれることがあっても、日月が地に落ちることがあっても、海水が満ちたり干いたりしない時代があっても、花は夏に咲かなくても、そのように、どんな起こるはずのないことが起こったとしても「南無妙法蓮華経」と唱える女性が、会いたいと思う子に会わないということはない、と説かれているのです。怠けず、怠らず、お勤めください、お励みください。恐々謹言。
[9]<日>正月十三日日>
[10]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[11]<先>上野尼御前御返事先>