妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

南條殿御返事

全集 第7巻 2段 定本: #20391(定本の該当ページへ)

書下し

南條殿御返事なんじようどのごへんじ


[1]しらよね二石並びにいも一だ(駄)故五郎殿百ケ日等云云。
[2]法華経の第七に云はく「〔川流江河の諸水の中に海これ第一なり。この法華経もまたかくのごとし〕」等云云。この経文は法華経をば大海に譬へられて候ふ。大海と申すはふかき事八万四千由旬*ゆじゆん、広きことまたかくのごとし。この大海の中にはなにのすみ候ふと申し候へば、阿修羅王*あしゆらおう(以下別紙)凡夫にてをはせし時、不妄語戒を持ちて、まなこをぬかれ、かわをはがれ、ししむらをやぶられ、血をすはれ、骨かれ、子を殺され、め(妻)をうばわれ、なんどせしかども無量劫が間一度もそら事なくしてその功に依りて仏となり給ひて候ふが、「〔一も成仏せざるはなし〕」と申して南無妙法蓮華経とただ一反いつぺん申せる人一人として仏にならざるはなしととかせ給ひて候ふ。釈一仏の仰せなりとも疑ふべきにあらざるに、十方の仏の御前にてなにのへんぱにかそら事をばせさせ給ふべき。その上釈仏と十方の仏と同時に舌を大梵天*だいぼんでんに(後欠)
現代語訳

南条殿御返事


弘安三年(一二八〇)一二月一三日、五九歳、於身延、和文、定一八二〇頁。

[1]白米二石ならびに芋一駄、故五郎百箇日忌の御供養料として拝受しました。御礼申し上げます。
[2]法華経第七巻の薬王菩本事品に「川流江河の諸水の中で海が第一である。この法華経もまたまた是の如し」などとあります。この経文は、法華経を大海に譬えなさっているものです。大海というのは深さが八万四千由旬もあり、広さもまたそのように膨大なものです。この大海の中には何々が住んでいるかと申しますと、阿修羅王(以下別紙)凡夫でいらっしゃった時、不妄語戒を守って、そのために、目をくりぬかれたり、皮をがれたり、肉を切り取られたり、血を吸われたり、骨をばらばらにされたり、子を殺されたり、妻を奪われたりしたけれども、永い永い間、一度も嘘をつかなかったので、その功徳によって仏とおなりになりましたが、法華経の方便品に「一人も成仏しない者はいない」とあって、南無妙法蓮華経とただの一度でもいった人は一人も仏にならないことがないとお説きになられています。これは釈尊ご自身が仰せられたことであるというだけでもまったく疑う余地がありませんが、まして十方世界から参集なさった仏たちの御前で、どうして誤ったことを言われるはずがありましょうか。その上、釈仏と十方世界の諸仏とが同時に、真実を証明するための長い舌を大梵天まで(後欠)