上野殿御返事
書下し
上野殿御返事
[1]白米一だ(駄)をくり給ひ了んぬ。
[2]一切の事は時による事に候ふか。春は花、秋は月と申す事も時なり。仏も世にいでさせ給ひし事は法華経のためにて候ひしかども、四十余年はとかせ給はず。その故を経文にとかれて候ふには、「〔説く時いまだ至らざる故〕」等云云と。夏あつわた(厚綿)のこそで、冬かたびらをたびて候はば、うれしき事なれども、ふゆ(冬)のこそで、なつ(夏)のかたびらにはすぎず。うへて候ふ時のこがね(金)、かつ(渇)せる時のごれう(御料)はうれしき事なれども、はん(飯)と水とにはすぎず。仏に土をまいらせて候ふ人、仏となり、玉をまいらせて地獄へゆくと申すことこれか。
[3]日蓮は日本国に生まれてわわく(誑惑)せず、ぬすみせず、かたがたのとがなし。末代の法師にはとがうすき身なれども、文をこのむ王に武のすてられ、いろ(色)をこのむ人に正直物のにくまるるがごとく、念仏と禅と真言と律とを信ずる代に値ひて法華経をひろむれば、王臣万民ににくまれて、結句は山中に候へば、天いかんが計らはせ給ふらむ。五尺のゆき(雪)ふりて本よりもかよわぬ山道ふさがり、といくる人もなし。衣もうすくてかん(寒)ふせぎがたし。食たへて命すでにをはりなんとす。
[4]かかるきざみ(刻)にいのちさまたげの御とぶらい、かつはよろこびかつはなげかし。一度にをもい切つてうへし(飢死)なんとあん(案)じ切つて候ひつるに、わづかのともしびにあぶら(油)を入れそへられたるがごとし。あわれ、あわれ、たうとくめでたき御心かな。釈迦仏・法華経定めて御計らひ候はんか。恐恐謹言。
[5]<日>十二月廿七日日>
[6]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[7]<先>上野殿御返事先>
現代語訳
上野殿御返事
弘安二年(一二七九)一二月二七日、五八歳、於身延、和文、定一七二一—一七二二頁。
[1]白米を一駄お送りいただきました。御礼申し上げます。
[2]何ごとによらず、時節に合うということが大切です。春は桜、秋は月がよいといわれますが、それも時節に合った趣きです。釈尊も、この世に出現なさったのは究極の教えである法華経をお説きになるためでしたけれど、悟りを開かれてからも四十余年間はそれをなさいませんでした。その理由を法華経の方便品に「説く時、未だ至らざる故に」などと示していらっしゃいます。夏に厚綿の小袖を、また冬に涼しい帷をいただくのも嬉しいことではありますが、冬に小袖を、夏に帷を頂載する方が一段とありがたいものです。飢えている時に金を、また喉が渇いている時に衣服などをいただくのも嬉しいのですが、そのような時には飯や水を頂載するにこしたことはありません。仏に土の餅を供養しただけなのに成仏したとか、反対に、宝石を供養したにもかかわらず地獄に落ちたとかいう話がありますが、それも時節に会ったか会わなかったかの違いによるものなのでしょう。
[3]私は、日本国に生をうけてからこのかた、人をあざむきまどわしたこともなく、盗みもせず、どれこれといった悪いことは一つもしていません。末代濁世の法師としては罪科の少ない身なのですが、あたかも文を愛好する王に武が顧みられず、派手好みの人に実直な者が憎まれるように、念仏・禅・真言・律などのさかんな世の中で法華経を弘めるものですから、国王にも万民にも憎まれ、結局は市井に身の置き所もなくて山中に隠棲することになっているのですが、この後、天はどのようにお計らいくださるのでしょうか。雪は五尺も降り積もって、もともと人通りのない山道を閉ざし、訪れて来る人もありません。着るものは薄くてこごえそうです。食物は絶えて死にそうです。
[4]そのような困窮の折も折、最期の決断をにぶらせるようなご訪問をいただき、一方では嬉しく、また一方では悲しく思います。といいますのは、もはやひと思いに餓死してしまおうと覚悟を決めたところでしたのに、白米のご供養をいただいて、消えかかった灯火に油を注がれたような状態になったからです。まことに、尊く立派なお志です。釈迦仏・法華経が、きっと、すばらしいご加護をお恵みくださることでしょう。恐々謹言。
[5]<日>十二月二十七日日>
[6]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[7]<先>上野殿御返事先>