妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

上野殿御返事

全集 第7巻 2段 定本: #20314(定本の該当ページへ)

書下し

上野殿御返事うえのどのごへんじ


[1]いゑのいも一駄、かうじ(柑子)一こ(籠)、ぜに六百のかわりざのむしろ十枚給ひ了んぬ。
[2]去今年こぞことしは大えき(疫)この国にをこりて、人の死ぬ事大風に木のたうれ、大雪に草のおるるがごとし。一人ものこるべしともみへず候ひき。しかれどもまた今年の寒温、時にしたがひて、五穀は田畠にみち、草木はやさん(野山)におひふさがりて堯舜*ぎようしゆんの代のごとく、成劫*じようこうのはじめかとみへて候ひしほどに、八月、九月の大雨大風に日本一同に不熟、ゆきてのこれる万人冬をすごしがたし。去ぬる寛喜・正嘉にもこえ、来たらん三災にもおとらざるか。
[3]自界じかいほんぎやくして盗賊国に充満し、他界きそいて合戦に心をつひやす。民の心不幸にして父母を見る事他人のごとく、僧尼は邪見にして狗犬くけんえんこうとのあへるがごとし。慈悲なければ天もこの国をまほらず、邪見なれば三宝にもすてられたり。また、疫病もしばらくはやみてみえしかども、鬼神かへり入るかのゆへに、北国も、東国も、西国も、南国も、一同にやみなげ(病嘆)くよしきこへ候ふ。
[4]かかるよにいかなる宿善にか、法華経の行者をやしなわせ給ふ事、ありがたく候ふ、ありがたく候ふ。事々見参の時申すべし。恐恐謹言。
[5]後<日>十月十三日
[6]<人>日 蓮<花押>花押
[7]<先>上野殿御返事
現代語訳

上野殿御返事


弘安元年(一二七八)閏一〇月一九日、五七歳、於身延、和文、定一五九六頁。

[1]里芋さといも一駄、蜜柑みかんかごぜに六百文の替わりの御座筵ござむしろ十枚を頂載いたしました。御礼申し上げます。
[2]去年から今年にかけては流行病が日本中に蔓延して、人がばたばたと死ぬ様子は、大風のために木が倒れ、大雪のために草が折れてしまうようでした。一人も生き残ることができないのではないかとさえ思われたのです。しかし、春過ぎのころからの寒暖は時節相応になって、五穀が田畠によくみのり、草木が山野によくしげって、中国で良い世の代表とされる堯帝・舜帝の時代のように、また世界が成立する成劫の初期のように希望が持てたのです。ところが、八月・九月の大雨大風によって国中が不作となり、生き残った民衆も冬を越せないような状態になりました。去る寛喜二年(<暦>一二三〇)や正嘉元年(<暦>一二五七)の大災害の時以上にひどく、将来発生するであろう火・水・風のどんな大難を受けた世にも劣らないほどの悲惨さといえましょう。
[3]内乱が起こって盗賊が国じゅうを横行し、外敵が攻める機会をきそうかがっているので、戦争の心配ばかりしています。人々の心は不孝になって父母を親として敬うこともなく、僧尼は邪念をおこして犬と猿が出会ったように仲たがいばかりしています。慈悲の心が失せてしまったので天もこの国を護らず、邪道が幅をきかせているので、仏にも見捨てられてしまいました。また流行病も一時は治まったように見えましたが、悪鬼神がもどって来たからでしょうか、北国も東国も西国も南国も、全国すべて病悩に陥っているということです。
[4]このような最悪の世であるのに、貴殿はどのような善業を前世でお積みになったというのでしょうか、法華経の行者をご供養くださいますこと、有難く存じます。委細はお目にかかった時に申し上げましょう。恐々謹言。
[5]閏<日>十月十三日
[6]<人>日 蓮 <花押>花押
[7]<先>上野殿御返事