妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

時光殿御返事

全集 第7巻 2段 定本: #20300(定本の該当ページへ)

書下し

時光殿御返事ときみつどのごへんじ


[1]むぎ(麦)のしろきこめ一駄、はじかみ(薑)送り給ひ了んぬ。
[2]くぼんわう(斛飯王)の太子なりち(阿那律)と申す人は、家にましましし時は俗性は月氏国の本主、んりん(転輪)聖王のすえ、子けう()王のまご、浄飯王*じようぼんのうのおひ、こくぼん王には太子なり。天下にいやしからざる上、家中には一日の間、一万二千人の人出入す。六千人はたから(財)をか(借)りき。六千人はかへりなす。かかる富人にておはする上、天眼てんげん第一の人、法華経にては普明如来ふみようによらいとなるべきよし仏記し給ふ。
[3]これは過去の行ひはいかなる大善かとたづぬるに、むかしれうし(猟師)あり。山のけだものをとりてすぎけるが、また、ひえ()をつくり食とするほどに、飢えたる世なればものもなし。ただひえのはん(飯)ひとつありけるをくひければ、だ(利咤)と申す辟支仏*びやくしぶつの聖人来りて云はく、「我七日が間食ふことなし。汝がひものえさせよ」とこ(乞)わせ給ひしかば、「きたなき俗のごき(御器)に入れてけがしはじめて候ふ」と申しければ、「ただえさせよ、今食せずば死ぬべし」と云ふ。おそれながらまいらせつ。この聖人まいり給ひしが、ただひえひとつぶをとりのこしてれうしにかへし給ひき。ひえへんじていのこ(猪)となる。いのこ変じて金となる。金変じて死人となる。死人変じてまた金人となる。指をぬいて売れば本のごとし。かくのごとく九十一劫長者と生まれ、今はなりちと申して仏の御弟子なり。わづかのひえなれども、飢えたる国に智者の御いのちをつぐゆへに、めでたきほう(報)をう。
[4]葉尊者*かしようそんじやと申せし人は、仏の御弟子の中には第一にたと(貴)き人なり。この人の家をたづぬればかだい(竭提)国の*にくりだ(律陀)長者の子なり。宅にたたみ(畳)千でうあり。一でうはあつさ七尺、下品のたたみは金千両なり。からすき(犁)九百九十九、ひとつのからすきは金千両。金三百四十石入れたるくら(倉)六十。かかる大長者なり。め(妻)はまた身は金色こんじきにして十六里をてらす。日本国の衣通姫*そとおりひめにもすぎ、漢土のふじん(李夫人)にもこえたり。この夫婦道心を発して仏の御弟子となれり。法華経にては光明如来といはれさせ給ふ。この二人の人々の過去をたづぬれば、麦飯むぎはんを辟支仏に供養せしゆへに葉尊者と生まる。金のぜに(銭)一枚を仏師にあつらへて毘婆尸*びばし仏の像の御はく(箔)にひきし人は、この人のめ(妻)となれり。
[5]今日蓮は聖人にはあらざれども、法華経に名をたてり。国主ににくまれて我が身をせく上、弟子かよう(通行)人をも、或はのり、或はうち、或は所領をとり、或はところをおふ。かかる国主の内にある人々なれば、たとひ心ざしあるらん人々もとふ事なし。この事ことふりぬ。なかにも今年は疫病えやみと申し、飢渇けかちと申し、とひくる人々もすくなし。たとひやまひ(病)なくとも飢えてなん事うたがひなかるべきに、麦の御とぶら(訪)に金にもすぎ、珠にもこえたり。かのりだ(利咤)がひゑ()は変じて金人となる。この時光が麦、何ぞ変じて法華経の文字とならざらん。この法華経の文字は釈仏となり給ひ、時光が故親父の左右の御羽となりて霊山浄土へとび給へ。かへりて時光が身をおほ(覆)ひはぐくみ給へ。恐恐謹言。
[6]<日>七月八日
[7]<人>日 蓮<花押>花押
[8]<先>上野殿御返事
現代語訳

時光殿御返事


弘安元年(一二七八)七月八日、五七歳、於身延、和文、定一五三二—一五三四頁。

[1]白麦一駄ならびに生薑しようがをお送りいただきました。御礼申し上げます。
[2]斛飯王の太子の阿那律という人は、出家以前の素性を明かせばインドの国の本主であった転輪聖王てんりんじようおう後裔こうえいで、師子ししきよう王の孫、浄飯王の甥、そして斛飯王の太子となった人です。天下に隠れない高貴な家柄である上、たいへん裕福な方で、家には一日の間に一万二千人の人が出入りをしました。それは、金を借りる人が六千人と、返す人が六千人いたからです。そのような財産家であったばかりでなく、すべてを見透す天眼の神通力を得て、その面で仏のお弟子の中の第一人者とされ、法華経の五百弟子愛記品では未来に成仏して普明如来になるという保証が仏から与えられた方です。
[3]では、そのようなすぐれた果報を得た阿那律は、過去の世にどのような大きな善業ぜんごうを積んだかというと、次のようなことがありました。昔、猟師がいました。山のけだものを狩り、またひえを耕作して生活していましたが、飢饉で食料が足りなかった年のこと、たった一杯のひえめしがあったのを食べていると、そこへりたという、独りで覚りの境地に達した聖者が来て、「私は七日間も食べていません。あなたの食物を分けてください」と乞われたので、「私の飯は、汚い器に入れて、もう汚してしまいましたが」と答えると、聖者が「それでもかまいませんからお願いします。今食べなければ死んでしまいますから」というので、阿那律は恐縮しながら差し上げました。聖者はそれを召し上がって、ただ一粒ひとつぶを残した器を猟師に返しました。ところが、その一粒のが変わって猪子いのししとなり、その猪子が変わって黄金となり、その黄金が変わって死人となり、その死人が変わって黄金の人となりました。その黄金の人の指を抜いて売ると、また指が生えてきます。こうして猟師は、九十一劫という長い間、億万長者として生まれ変わり、今の世には阿那律と生まれて仏のお弟子となったのです。わずか一杯の飯ではありましたが、飢饉の折にそれで聖者の命を延ばしたので、阿那律はすばらしい果報を得たのでした。
[4]また葉尊者という人は、仏のお弟子の中でも修行を一番お積みになった最も尊いお方です。この人の家系を尋ねると、摩訶陀国の尼倶律陀にくりつだ長者という富豪の子です。その長者の家は、たたみが千畳も敷かれる広い家です。畳は厚さが七尺もあり、最低の畳でも金千両という高価なものです。またからすきという農具は九百九十九あり、一つの犁の価は金千両です。それから金三百四十石を入れた倉が六十あるという、そのような大富豪です。その奥方は金色に輝いて十六里四方を照らすほどで、日本国の衣通姫にも過ぎ、中国の李夫人を越えるほど美しい方でした。この夫婦が道心をおこして仏のお弟子となったのです。そして法華経の授記品にいたって、仏から、未来に成仏して光明如来といわれるようになるという保証が与えられた方です。この二人の過去世の行業を尋ねると、夫は、麦飯を独覚の聖者に供養したことによって葉尊者と生まれたのでした。また妻は、しい女だったのですが、金貨一枚を仏師に托して毘婆尸仏の像に押すはくを供養し、その功徳によって金色に輝く美女と生まれて葉尊者の奥方となったのです。
[5]いま、日蓮は、聖人ではないのですが、法華経の行者として名が通るようになりました。国主に敵視され、国権は私自身の身をおびやかすばかりでなく、弟子やその他の出入り人までを、あるいは罵倒ばとうし、あるいはちようちやくし、あるいは所領を召し上げ、あるいは領地から追放したりしています。私の弟子檀越たちは、そのような国家権力の統制下にある人たちですから、たとえ気持ちはあっても、人目をはばかって私を訪問せずにいます。このような状態は今始まったことではありません。が、特に今年は、流行病が蔓延まんえんしていることや、飢饉がひどいことやで、ここへ来る人が少ないのです。だから私は、たとえ病気がなかったとしても、飢えて死ぬに違いないと覚悟を決めていましたところへ、麦を送っていただきましたことは、黄金にも過ぎ、宝珠にも越えた賜りものと感謝いたします。あの利が残した一粒のは黄金の人と変じてしい猟師に福徳を授けました。このたびの時光の供養をした麦がどうして法華経の文字と変じないことがありましょうか。必ずなるでしょう。そしてその法華経の文字は釈仏と変じなされ、時光の亡き父上七郎兵衛殿の左右の翼となって霊山浄土へと飛んで行かれますように。またその功徳が時光の身に返ってきて福徳をお与えくださいますように。恐恐謹言。
[6]<日>七月八日
[7]<人>日 蓮 <花押>花押
[8]<先>上野殿御返事