妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

南條殿御返事

全集 第7巻 2段 定本: #20185(定本の該当ページへ)

書下し

南條殿御返事なんじようどのごへんじ


[1]白麦しらむぎ一俵・小白麦こしらむぎ一俵・河のり五でふ送り給ひ了んぬ。
[2]仏の御弟子に阿那律尊者*あなりつそんじやと申せし人は、をさなくしての御名をば如意によいと申す。如意と申すは心のおもひのたからをふらししゆへなり。このよしを仏にとひまいらせ給ひしかば、「昔う(飢)えたるよ(世)に、縁覚*えんがくと申す聖人を、ひえ()のはん(飯)をもて、供養しまいらせしゆへ」と答へさせ給ふ。かしよう尊者と申せし人は、仏についでも閻浮提*えんぶだい第一の僧なり、俗にてをはせし時は長者にて、くらを六十、そのくら(蔵)にこがねを百四十こく(石)づつ入れさせ給ふ。それより外のたから申すばかりなし。この人のせんじやう(先生)の御事を、仏にとひまいらせさせ給ひしかば、「むかしう(飢)えたるよ(世)に、むぎのはん(飯)を一ぱひ供養したりしゆへに、利天*とうりてん千反せんべん生まれていま釈仏にあひまいらせ、僧の中の第一とならせ給ひ、法華経にて光明如来と名をさづけられさせ給ふ」と、天台大師文句*てんだいだいしもんぐの第一にしるされて候ふ。
[3]かれをもつてこれをあん(案)ずるに、葉尊者の麦のはんはいみじくて光明如来とならせ給ふ。今のだんな(檀那)の白麦はいやしくて仏にならず候ふべきか。在世の月は今も月、在世の花は今も花、むかしの功徳は今の功徳なり。その上、かみ一人よりしも万民までににくまれて、山中にうえし(飢死)にゆべき法華経の行者なり。これをふびんとをぼして山河をこえわたり、をくりたびて候ふ御心ざしは、麦にはあらずこがねなり、金にはあらず法華経の文字なり。我等が眼にはむぎなり。らせつ(羅刹)にはこのむぎをば仏のたねとこそ御らん候ふらめ。
[4]阿那律がひえのはんはへん(変)じてうさぎ(兎)となる。うさぎへんじて死人となる。死人へんじてこがねとなる。ゆびをぬきてう(売)りしかば、またいできたりぬ。王のせめのありし時は死人となる。かくのごとくつきずして九十一劫なり。*しやくまなん(摩男)と申せし人の石をとりしかばこがねとなりき。*こんぞく(粟)王はいさごを金となし給ひき。今のむぎは法華経のもんじ(文字)なり。または女人の御ためにはかがみ(鏡)となり、みのかざりとなるべし。男のためにはよろひ(甲)となり、かぶと(冑)となるべし。守護神となりてゆみやの第一の名をとらるべし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐恐謹言。
[5]<日>七月二日
[6]<人>日 蓮<花押>花押
[7]<先>南条殿御返事。
[8]追伸 このよ(此世)の中はいみじかりし時は、何事かあるべきとみえしかども、当時はことにあぶなげにみえ候ふぞ。いかなる事ありともなげかせ給ふべからず。ふつとおもひきりて、そりやう(所領)なんどもたがふ事あらば、いよいよ(弥)悦びとこそおもひて、うちうそぶきてこれへわたらせ給へ。所地しらぬ人もあまりにすぎ候ふぞ。当時つくし(筑紫)へむかひてなげく人々は、いかばかりとかおぼす。これは皆日蓮をかみのあなづらせ給ひしゆへなり。
現代語訳

南条殿御返事


建治元年(一二七五)あるいは建治三年(一二七七)七月二日、五四歳あるいは五六歳、於身延、和文、定一〇七八—一〇八〇頁。

[1]精白大麦一俵、精白小麦一俵、川海苔五帖をお送りいただきました。御礼申し上げます。
[2]釈尊の弟子に阿那律尊者という方がいらっしゃいましたが、その人は幼い時のお名まえを如意と申し上げました。如意と申し上げた理由は、心の中に如意宝珠という宝のような尊い思いを懐いていたからです。どうしてそのようなお方になれたのかと釈尊におうかがいしましたところ、「昔、飢饉があった時に、縁覚という聖人に、ひえのご飯を差し上げてご供養申し上げた因縁による」とお答えになりました。また、葉尊者という方は、仏に次いで世界中で最も尊い僧です。在俗の時には富豪でいらっしゃって、倉を六十持ち、その倉の中に金を百四十石ずつ入れておいでになりました。そのほかの宝物も数えきれないほどにお持ちでした。葉尊者がどうしてそのような果報者におなりになったのかという前世の因縁を釈尊にお尋ねしたところ、「昔飢饉のあった時に、麦のご飯を一杯、辟支仏びやくしぶつに供養した功徳によって、利天に千回も生まれかわった後、今生では釈牟尼仏にお会いしてお弟子の中の第一人者となられ、法華経により成仏が保証されて、光明如来という名を授けられた」とお答えになったということが天台大師の法華文句の第一巻に記されています。
[3]これら釈尊時代の阿那律尊者や葉尊者の件に照らして現代のことを考え合わせてみるに、葉尊者が供養した麦のご飯は尊くてその功徳によって施主が光明如来におなりになったというのに、今の布施者の精白麦は卑しくて貴殿が成仏しないという、そんなおかしなことがありましょうか。絶対にないはずです。釈尊在世時代の月は今の月と同じでしょう。当時の桜花は今だって桜花なのです。そのように、昔の布施の功徳と現代の布施の功徳とに違いがあるわけがありません。まして今の私は、上一人かみいちにんから下万民しもばんみんにいたるまで日本じゅうの人々に阻害されて身延山中に隠棲しましたが、ここでこのまま餓死してしまいそうな法華経の行者なのです。その私を気の毒だとお思いくださって、山を越え川を渡りしてお届けいただいたお志の品は、麦というよりも黄金であります。いや黄金よりも尊い法華経の文字でありましょう。私たち凡夫の目には麦に見えますが、法華経の守護神である十羅刹女らせつによは、この麦を仏に成るための種とご覧になるでしょう。
[4]あの阿那律尊者が供養したひえのご飯をたべた聖者の背中にうさぎが跳びつきました。兎は死人となりました。聖者が家に帰って死人をおろすと黄金の人になりました。その指を抜いて売りましたが、そのたびごとに指が生えてきました。悪い王がそれを知って奪おうとしましたが、その時にはただの死人になりました。このようにして九十一却という長い間、黄金の恵みは尽きることなく続いたということです。また釈摩男しやくまなんといった人が石を持ったら黄金になりました。金粟王こんぞくおういさごを黄金に変えました。そのように、何でもないようなものを宝物にする人がいるものですが、貴殿も麦を法華経の文字としました。この法華経の文字は、女性にとっての鏡や装身具となり、男性にとってのよろいかぶととなるように、守護神となって武士としての貴殿の勇名を挙げてくれるでしょう。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経
[5]<日>七月二日
[6]<人>日 蓮 <花押>花押
[7]<先>南条殿御返事
[8]追伸 昔の、秩序がしっかりと維持されていた時代には、何の不安もなく過ごせたのだけれど、このごろは特に事態が迫しているように思われますぞ。どんな不都合なことが起こってもおきになってはいけません。つまらないこだわりはきっぱりと捨てて、領地などが侵犯されることがあったとしても、法華経に予言された災厄が及んできたのだからますます喜ぶべきことだと思い、平気な顔をして身延山へおいでなさい。領地の取り扱い方を知らない人もあまりにひどすぎますね。蒙古襲来に備えて筑紫へ出陣し、悲にくれる人々はどれほど多いことでしょうか。世の中がこんな状態になってしまったのは、みな私の主張を北条幕府が無視なさったからなのです。