上野殿御返事
書下し
上野殿御返事
[1]さつきの二日にいものかしらいしのやうにほされて候ふを一駄、ふじのうへのよりみのぶの山へをくり給ひて候ふ。
[2]仏の御弟子にあなりち(阿那律)と申せし人は、天眼第一のあなりちとて十人の御弟子のその一。迦葉・舎利弗・目連・阿難にかたをならべし人なり。この人のゆらひ(由来)をたづねみれば、師子頬王と申せし国王の第二の王子にこくぼん(斛飯)王と申せし人の御子、釈迦如来のいとこにておはしましき。この人の御名三つ候ふ。一には無貧、二には如意、三にはむれう(無獦)と申す。一一にふしぎの事候ふ。
[3]昔うえたるよ(世)に、りだ(利咤)そんじやと申せしたうとき辟支仏ありき。うえたるよに七日とき(斎)もならざりけるが、山里にれうし(猟師)の御器に入れて候ひけるひえ(稗)のはん(飯)をこひてならせ給ふ。このゆへにこのれうし(猟師)現在には長者となり、のち九十一劫が間、人中・天上にたのしみをうけて、今最後にこくぼん王の太子とむまれさせ給ふ。金のごき(御器)にはん(飯)とこしなへにた(絶)えせず、あらかん(阿羅漢)とならせ給ふ。御眼に三千大千世界を一時に御らんありて、いみじくをはせしが、法華経第四の巻にして普明如来と成るべきよし、仏に仰せをかほらせ給ひき。妙楽大師この事を釈して云はく「〔稗飯軽しといえども所有を尽くし及び田勝るるをもつての故にことさらに勝報を得る〕」と云云。釈の心「かろきひえのはんなれども、このよのほかにはも(持)たざりしを、たうとき人のうえておはせしにまいらせてありしゆへに、かかるめでたき人となる」と云云。
[4]この身のぶのさわは石なんどはおほく候ふ。されどもかかるものなし。そのうへ夏のころなれば、民のいとまも候はじ。また御造営と申し、さこそ候ふらんに、山里の事ををもひやらせ給ひてをくりたびて候ふ。しよせんはわがをやのわかれをしさに、父の御ために釈迦仏・法華経へまいらせ給ふにや。孝養の御心か。
[5]さる事なくば、梵王・帝釈・日・月・四天その人の家をすみかとせんとちかはせ給ひて候ふは、いふにかひなきものなれども、約束と申す事はたがへぬ事にて候ふに、さりともこの人々はいかでか仏前の御約束をばたがへさせ給ふべき。もしこの事まことになり候はば、わが大事とおもはん人々のせいし(制止)候ふ。またおほきなる難来るべし。その時すでにこの事かなうべきにやとおぼしめして、いよいよ強盛なるべし。さるほどならば聖霊仏になり給ふべし。成り給ふならば来たりてまほり給ふべし。その時一切は心にまかせんずるなり。かへすがえす人のせいし(制止)あらば、心にうれしくおぼすべし。恐恐謹言。
[6]<日>五月三日日>
[7]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[8]<先>上野殿御返事先>
現代語訳
上野殿御返事
建治元年(一二七五)五月三日、五四歳、於身延、和文、定九八七—九八八頁。
[1]五月二日に、芋のかしらの石のように堅く干されているのを一駄、富士郡上野から身延山へお送りいただきました。御礼申し上げます。
[2]仏さまのお弟子であった阿那律という方は、修行によってものごとを見通す超能力を獲得したので「天眼第一の阿那律」と称され、迦葉・舎利弗・目連・阿難らと肩を並べる仏の十大弟子の一人に数えられた方です。この人の出身を尋ねてみると、師子頬王といった国王の第二王子であった斛飯王という方の御子で、釈迦如来の従兄弟でいらっしゃいました。この人には三つのお名前があります。一には無貧、二には如意、三には無猟と申します。それらの名前の各々については不思議な物語があるのです。
[3]それは遠い昔の飢饉の時代のことでしたが、利咤尊者という尊い辟支仏がいました。この聖者は、世が世のこととて七日間も食事をすることができなかったのですが、山里に住む猟師が器に盛っていた稗の飯を乞い受けて飢えをしのがれました。こうした因縁功徳によって、この猟師は現世では長者となり、死後の世では九十一劫という長い間、人間界・天上界に生まれかわって楽しく過ごし、ついに最後には斛飯王の太子としてお生まれになりました。それが阿那律なのです。阿那律の金の器にはご飯が永遠に絶えることなく、阿羅漢の位に達せられました。御眼は三千大千世界の隅々までを一時に見極められるという神通力をお具えになっており、法華経巻第四の授記品で、未来は成仏して普明如来となるという仏からの確約をいただいた方でありました。妙楽大師は、以上の物語に注釈を加えて「稗飯は軽いといっても、所有物を出し尽くしたこと、および福田がすぐれていたことにより、とくに偉大な果報を得た」とおっしゃいました。この注釈の内容は「稗の飯は貴重なものではないが、持っていたものを全部投げ出して、飢えていらっしゃる尊い修行者に献上したという、その大きな功徳によってあのような素晴らしいお方に生まれかわられたのだ」というのです。
[4]さてさてこの身延の沢には石ころなどがごろごろしていますが、お送りいただいたような芋のかしらはありません。貴殿におかれては、ただでさえ夏の農繁期で人手も足りないでしょうし、また大宮御造営中のこととて、いっそうご多忙でいらっしゃるでしょうに、ここ身延の山里のことをお思い出してくださって、貴重なお品をよくぞお送りくださいました。これも所詮は、亡きお父上との別れが辛く、ご供養をなさりたいお気持ちから、釈迦牟尼仏と法華経とに奉納なさるものでありましょう。まさに孝行の真心の現われといえましょう。
[5]梵天・帝釈天・日天・月天・四天王といった神々は、孝行の人の家に住みついて守護することを仏さまに誓願しています。そのようなことが実現しないとするならばいたし方ありませんが、約束というものは違えないことが大原則ですから、梵天・帝釈天といった立派な神々が、どうして仏さまの御前でお誓いになった約束を違えなさることがありましょうか。孝行者を守護するという神々の誓願は実現するに決まっています。とするならば、貴殿が生命をかけてお仕えしている主君たちから法華経信仰を捨てるように強要され、実際に大きな迫害を受けることがあるでしょうが、その時こそ、神々が仏への誓約を実現するかどうかを試すよい機会だとお思いになって、ますます強くさかんに信仰心をかきたててください。そのような信仰生活に徹するならば、亡きお父上の精霊は必ず成仏なさるでしょう。そして成仏なさったお父上は必ず貴殿を守護するためにおいでくださいます。その時、まさに、あらゆる障害が消えて、大安楽の境地に住むことができるようになるのです。そのようなわけですから、主君たちからの弾圧が加わったならば、この時こそが正念場だと、よくよく心に思い返して、喜びを感じるようにしてください。恐恐謹言。
[6]<日>五月三日日>
[7]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[8]<先>上野殿御返事先>