妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

春之祝御書

全集 第7巻 2段 定本: #161(定本の該当ページへ)

書下し

春之祝御書はるのいわいごしよ


[1]春のいわい(祝)わすでに事ふり候ひぬ。
[2]さてはなんでうどの(南條殿)はひさしき事には候はざりしかども、よろづ事にふれてなつかしき心ありしかば、をろかならずをもひしに、よわひ盛んなりしに、はかなかりし事、わかれかなしかりしかば、わざとかまくら(鎌倉)よりうちくだかり、御はかをば見候ひぬ。
[3]それよりのちはするが(駿河)のびん(便)にはとをもひしに、このたびくだしには人にしのびてこれへきたりしかば、にしやま(西山)の入道殿にもしられ候はざりし上は力をよばず、とをりて候ひしが心にかかりて候ふ。その心をとげんがために、この御房は正月の内につかわして、御はかにて我偈一巻よませんとをもひてまいらせ候ふ。
[4]御とのの御かたみもなし、なんどなげきて候へば、とのをとどめをかれける事よろこび入りて候ふ。故殿こどのは木のもと、くさむらのかげ、かよ(通)う人もなし。仏法をも聴聞せんず、いかにつれづれなるらん。をもひやり候へばなんだもとどまらず。との(殿)の法華経の行者うちぐ(具)して御はかにむかわせ給ふには、いかにうれしかるらん、いかにうれしかるらん。(後欠)
現代語訳

春之祝御書


文永一二年(一二七五)正月下旬、五四歳於身延、和文、定八五九頁。

[1]新春を言祝ことほいでから、すでに多くの日数が過ぎましたね。
[2]さてさて、亡きお父上南条兵衛七郎殿とのおつきあいは、それほど長い間にわたってのことではありませんでしたが、何事につけてもうちとけられるお方でありましたので、とても頼りにしておりましたのに、まださかんな年齢にもかかわらずお亡くなりになりましたこと、その離別があまりに悲しかったので、どうしてもお墓参りがしたくて、あえて鎌倉から駿州上野のご墓所まで出向いたものです。
[3]その後は、駿河方面への便宜があった時にはまた訪れようと思っていたのですが、このたび身延山に入るに当たっては、人々に内緒で行動しましたので、同じ富士郡の西山の入道殿にさえ知られないで来たほどなのですから、どうしようもありません。ほんとうにご墓所のすぐ近くを通ったのにお参りできなかったことが気にかかってなりません。その無念さを晴らすために——この手紙を持参するのは弟子の日興房というものですが——それを正月のうちに参詣させて、ご墓前で自我偈一巻を読ませようと思って遣わした次第です。
[4]お父上の御形見もなくて残念だなどといてもみますが、思い返してみれば、貴殿のような立派な形見をお残しになったのですから、むしろ喜ぶべきことなのですね。お父上は、木の下の草葉の蔭にいらっしゃって、訪れる人もありません。仏法の話もお聞きになりたいでしょうに、どんなに退屈していらっしゃることでしょうか。そういう境遇を推測申し上げると、涙がとめどもなく流れてきます。お父上は、貴殿が、このたび身延から遣わした法華経の行者といっしょにご墓所に参詣なさったら、どんなにお喜びになることでしょうか。どれほど嬉しがられることでしょうか。(後欠)