妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

南條殿御返事

第二巻 定本番号 20185 建治1(1275) 分類: 真蹟断片現存

祖寿: 54 著作地: 身延 真蹟: 富士 大石寺外一ヶ所 写本: 日興筆 富士大石寺蔵

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    185   南條殿御返事
白麦一俵・小白麦一俵・河のり五でふ送給了。仏の御弟子に阿那律尊者と申せし人は、をさなくしての御名をば如意と申。如意と申は心のおもひのたからをふらししゆへ也。このよしを仏にとひまいらせ給しかば、昔うえ(飢)たるよ(世)に、縁覚と申聖人を、ひえ(稗)のはん(飯)をもて、供養しまいらせしゆへと答させ給。
迦葉尊者と申せし人は、仏についでも閻浮提第一の僧なり。俗にてをはせし時は長者にて、くらを六十、そのくら(蔵)に金を百四十こく(石)づつ入させ給。それより外のたから申ばかりなし。この人のせんじやう(先生)の御事を、仏にとひまいらせさせ給しかば、むかしうえたるよ(飢世)に、むぎのはん(飯)を一ぱひ供養したりしゆへに、利天に千反生て今釈迦仏に値まいらせ僧の中の第一とならせ給、法華経にて光明如来と名をさづけられさせ給と、天台大師文句の第一にしるされて候。
かれをもつて此をあん(案)ずるに、迦葉尊者の麦のはんはいみじくて光明如来とならせ給。今のだんな(檀那)の白麦はいやしくて仏にならず候べきか。在世の月は今も月、在世の花は今も花、むかしの功徳は今の功徳なり。その上、上一人より下万民までににくまれて、山中にうえしに(餓死)ゆべき法華経の行者なり。これをふびんとをぼして山河をこえわたり、をくりたびて候御心ざしは、麦にはあらず金なり、金にはあらず法華経の文字なり。我等が眼にはむぎなり。十らせつ(羅刹)には此むぎをば仏のたねとこそ御らん候らめ。
阿那律がひえのはんはへん(変)じてうさぎ(兎)となる。うさぎへんじて死人となる。死人へんじて金となる。指をぬきてうり(売)しかば、又いできたりぬ。王のせめのありし時は死人となる。かくのごとくつきずして九十一劫なり。釈まなん(摩男)と申せし人の石をとりしかば金となりき。金ぞく(粟)王はいさごを金となし給き。今のむぎは法華経のもんじ(文字)なり。又は女人の御ためにはかがみ(鏡)となり、みのかざりとなるべし。男のためにはよろひ(甲)となり、かぶと(胄)となるべし。守護神となりて弓箭の第一の名をとらるべし。南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。恐々謹言。       七月二日   日蓮  [花押]  南條殿御返事
追申 このよ(此世)の中はいみじかりし時は、何事かあるべきとみえしかども、当時はことにあぶなげにみえ候ぞ。いかなる事ありともなげかせ給べからず。ふつとおもひきりて、そりやう(所領)なんどもたがふ事あらば、いよいよ(弥)悦とこそおもひて、うちうそぶきてこれへわたらせ給へ。所地しらぬ人もあまりにすぎ候ぞ。当時つくし(筑紫)へむかひてなげく人々は、いかばかりとかおぼす。これは皆日蓮をかみのあなづらせ給しゆへなり。