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一谷入道御書

全集 第6巻 2段 定本: #20178(定本の該当ページへ)

書下し

一谷入道御書いちのさわにゆうどうごしよ


[1]ぬる弘長元年〈太歳辛酉〉五月十三日に御勘気をかをほりて、伊豆国いずのくに伊東の郷というところに流罪せられたりき。兵衛介頼朝ひようえのすけよりとものながされてありしところなり。さりしかどもほどもなく同き三年〈太歳癸亥〉二月に召し返されぬ。又文永八年〈太歳辛未〉九月十二日、重ねて御勘気を蒙りしが、たちまちに頸をはねらるべきにてありけるが、子細ありけるかの故に、しばらくのびて、北国佐渡の島を知行する武蔵前司むさしのぜんじ預りて、其の内の者どもの沙汰として彼島に行き付てありしが、彼の島の者ども因果の理をも弁へぬあらゑびすなれば、あらくあたりし事は申す計りなし。然れども一分も恨むる心なし。其の故は日本国の主として少しも道理を知りぬべき相模殿だにも、国をたすけんと云ふ者を子細も聞きほどかず、理不尽に死罪にあてがう事なれば、いわうやそのすへ(末)の人々のことはよきもたのまれず、あしきもにくからず。此の法門を申し始めしより命をば法華経に奉り、名をば十方世界の諸仏の浄土にながすべしと思ひけし也。
[2]弘演といゐし者はきみ、衛のいこうの肝を取て我が腹を割て納めて死にき。予譲よじようといゐし者は、主の智伯ちはくがはぢをすゝがんがために剣をのみて死せしぞかし。此れはたゞわづかの世間の恩をほうぜんがためぞかし。
[3]いわうや無量劫より已来このかた、六道に沈淪ちんりんして仏にならざることは、法華経の御ために身ををしみ命をすてざるゆへぞかし。されば喜見きけんと申せし菩は、千二百歳が間、身をやきて日月浄明徳仏にちがつじようみようとくぶつを供養し、七万二千歳が間ひぢをやきて法華経を供養し奉る。其の人は今の薬王やくおうぞかし。不軽*ふきようは法華経の御ために多劫が間、罵詈めり毀辱きにく杖木じようもく瓦礫がりやくにせめられき。今の釈仏に有らずや。されば仏になる道は、時によりてしなじなにかわりて行ずべきにや。今の世には法華経はさる事にておはすれども、時によて事ことなるならひなれば、山林にまじわりて読誦すとも、また里に住して演説すとも、持戒にて行ずとも、臂をやひてくやうすとも、仏にはなるべからず。
[4]日本国は仏法さかんなるやうなれども、仏法について不思議あり。人是れを知らず。譬へば虫の火に入り、鳥の蛇の口に入るが如し。真言師・華厳宗・法相・三論・禅宗・浄土宗・律宗等の人々は、我も法をえたり、我も生死をはなれなんとはをもへども、立てはじめし本師等依経の心をわきまへず、但我心のをもひつきてありしまゝに、その経をとりたてんとをもうはかなき心ばかりにて、法華経にそむけば仏意に叶はざる事をばしらずしてひろめゆくほどに、国主万民これを信じぬ。又他国へわたりぬ。又としもひさしくなりぬ。末々の学者等は本師のあやまりをばしらずして、師のごとくひろめならう人々を智者とはをもへり。源とにごりぬればながれきよからず、身まがればかげなをからず。真言の元祖善無畏ぜんむい等はすでに地獄に堕ちぬべかりしが、或いは改悔して地獄を脱れたる者もあり、或いは只依経えきよう計りをひろめて法華経の讃をもせざれば、生死は離れねども〔悪道に堕ちざる〕人もあり。而るを末々の者此の事を知らずして諸人一同に信をなしぬ。譬へば破れたる船に乗りて大海に浮び、酒に酔へる者の火の中に臥せるが如し。
[5]日蓮是れを見し故に、忽ちに菩提心を発して此の事を申し始めし也。世間の人々いかに申すとも信ずることはあるべからず。かへりて死罪流罪となるべしとはかねて知てありしかども、今の日本国は法華経をそむき釈仏をすつるゆへに、後生に阿鼻大城*あびだいじように堕つることはさてをきぬ。今生に必ず大難に値ふべし。所謂他国よりせめきたりて、上一人より下万民に至るまで一同のきあるべし。譬へば千人の兄弟が一人の親を殺したらんに、此の罪を千に分けては受くべからず。一々に皆無間大城に堕ちて同じく一劫を経べし。此の国も又々かくのごとし。
[6]裟婆世界は塵点劫じんでんごうより已来、教主釈尊の御所領也。大地・虚空・山海・草木一分も他仏のものならず。又一切衆生は釈尊の御子也。譬へば成劫じようこうの始め、一人の梵王下りて六道の衆生をばうみて候ぞかし。梵王の一切衆生の親たるが如く、釈仏も又一切衆生の親也。又此の国の一切衆生のためには、教主釈尊は明師にておはするぞかし。父母を知るも師の恩也。黒白を弁ふも釈尊の恩也。而るを天魔の身に入りて候善導・法然なんどが申すに付て、国土に阿弥陀堂を造り、或いは一郡・一郷・一村等に阿弥陀堂を造り、或いは百姓万民の宅ごとに阿弥陀堂を造り、或いは宅々人々ごとに阿弥陀仏を書き造り、或いは人ごとに口々に或いは高声に唱へ、或いは一万遍或いは六万遍なんど唱ふるに、少しも智ある者は、いよいよこれをすゝむ。譬へば火にかれたる草をくわへ、水に風を合せたるに似たり。
[7]此の国の人々は一人もなく教主釈尊の御弟子御民ぞかし。而るに阿弥陀等の他仏を一仏もつくらず、かかず、念仏も申さずある者は悪人なれども、釈仏を捨て奉る色はいまだ顕れず。一向に阿弥陀仏を念ずる人々は既に釈仏を捨て奉る色顕然也。彼の人々の墓なく念仏を申す者は悪人にてあるぞかし。父母にもあらず、主君・師匠にてもおはせぬ仏をばいとをしき妻の様にもてなし、現に国主・父母・明師たる釈仏を捨て、乳母の如くなる法華経をば口にも〔誦し奉らず〕、是れに不孝の者にあらずや。
[8]此の不孝の人々、一人二人百人千人ならず、一国二国ならず、上一人より下万民にいたるまで、日本国皆こぞて一人もなく逆罪のものなり。されば日月色を変じて此れをにらみ、大地もいかりてをどりあがり、大彗星天にはびこり、大火国に充満すれども僻事ひがごとありともおもはず。我等は念仏にひまなし。其の上、念仏堂を造り、阿弥陀仏を持ち奉るなんど自讃する也。是れは賢き様にて墓なし。譬へば若き夫妻等が夫は女を愛し、女は夫をいとおしむ程に、父母のゆくへをしらず。父母は衣薄けれども我はねや熱し。父母は食せざれども我は腹に飽きぬ。是れは第一の不孝なれども、彼等はとがともしらず。況や母に背く妻、父にさかへる夫、逆重罪にあらずや。阿弥陀仏は十万億のあなたに有りて、此の娑婆世界には一分も縁なし。なにと云ふとも故もなき也。馬に牛を合わせ、犬にさるをかたらひたるが如し。但日蓮一人計り此の事を知りぬ。命を惜しみて云はずば、国恩を報ぜぬ上、教主釈尊の御敵となるべし。是れを恐れずしてありのまゝに申すならば、死罪となるべし。設ひ死罪はまぬかるとも流罪は疑ひなかるべしとは兼て知りてありしかども、仏恩重きが故に人をはばからず申しぬ。
[9]案にたがはず両度まで流されて候ひし中に、文永九年の夏のころ佐渡国石田郷一谷さどのくにいしだのごういちのさわと云ひし処に有りしに、預りたる名主等はと云ひ、私と云ひ、父母の敵よりも宿世の敵よりもにくげにありしに、宿の入道といゐ、めといゐ、つかうものと云ひ、始めはおぢをそれしかども、先世の事にやありけん、内々不便と思ふ心付きぬ。預りよりあづかる食は少なし。付ける弟子は多くありしに、かの飯の二口三口ありしを、或いはおしきに分け、或いは手に入れて食ひしに、宅主内々心あて、外にはをそるる様なれども、内には不便げにありし事、何の世にかわすれん。我を生みておはせし父母よりも、当時は大事とこそ思ひしか。何なる恩をもはげむべし。まして約束せし事たがうべしや。
[10]然れども入道の心は後世ごせを深く思ひてある者なれば、久しく念仏を申しつもりぬ。其の上阿弥陀堂を造り、田畠も其の仏の物也。地頭も又をそろしなんど思ひて直ちに法華経にはならず。是れは彼の身には第一の道理ぞかし。然れども又無間大城は疑いなし。設ひ是れより法華経を遣したりとも、世間もをそろしければ念仏すつべからずなんど思はば、火に水を合わせたるが如し。法の大水、法華経を信ずる小火をけさん事疑ひなかるべし。入道地獄に堕つるならば、還つて日蓮がとがになるべし。如何んがせん、如何んがせんと思ひわづらひて、今まで法華経を渡し奉らず。渡しまいらせんが為にまうけまいらせて有りつる法華経をば、鎌倉の焼亡に取り失ひ参らせて候由申す。かたがた入道の法華経の縁はなかりけり。約束申しける我が心も不思議也。又我とはすゝまざりしを、鎌倉の尼の還りの用途にきし故に、口入くにゆう有りし事なげかし。本銭もとせんに利分を添て返さんとすれば、又弟子が云く、御約束違ひなんど申す。かたがた進退きわまりて候へども、人の思はん様は狂惑の様なるべし。力及ばずして法華経を一部十巻渡し奉る。入道よりもうば(祖母)にてありし者は内々心よせなりしかば、是れを持ち給へ。
[11]日蓮が申す事は、愚かなる者の申す事なれば用ひず。されども去る文永十一年〈太歳申戌〉十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに、対馬の者かためて有りしに馬尉そうのそうまのじよう逃げければ、百姓等は男をば或いは殺し、或いは生取いけどりにし、女をば或いは取集めて手をとをして船に結付ゆいつけ、或いは生け取りにす。一人も助かる者なし。壱岐によせても又かくのごとし。船おしよせて有りけるには、奉行入道豊前前司ぶぜんのぜんじは逃げて落ちぬ。松浦が党は数百人打たれ、或いは生け取りにせられしかば、寄せたりける浦々の百姓ども壱岐・対馬の如し。又今度は如何が有るらん。彼国の百千万億のつわもの、日本国を引き回らして寄せて有るならば、如何に成るべきぞ。北の手は先づ佐渡の島に付て、地頭・守護をば須臾に打ち殺し、百姓等は北山へにげん程に、或いは殺され、或いは生け取られ、或いは山にして死ぬべし。
[12]そもそも是れ程の事は如何として起るべきぞと推すべし。前に申しつるが如く、此の国の者は一人もなく三逆罪の者也。是れは梵王・帝釈・日月・四天の、彼の蒙古国の大王の身に入らせ給ひて責め給ふ也。日蓮は愚なれども、釈仏の御使・法華経の行者也となのり候を、用ひざらんだにも不思議なるべし。其のとがに依て国破れなんとす。況や或いは国々を追ひ、或いは引はり、或いはちようちやくし、或いは流罪し、或いは弟子を殺し、或いは所領を取る。現の父母の使つかいをかくせん人々よかるべしや。日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。是れを背かん事よ。念仏を申さん人々は無間地獄*むけんじごくに堕ちん事、決定けつじようなるべし。たのもしたのもし。
[13]そもそも蒙古国より責めん時は如何がせさせ給ふべき。此の法華経をいただき、頸にかけさせ給ひて北山へ登らせ給ふとも、年比としごろ念仏者を養ひ念仏を申して、釈仏・法華経の御敵とならせ給ひて有りし事は久しし。又し命ともなるならば、法華経ばし恨みさせ給ふなよ。又閻魔王宮えんまおうぐうにしては何とか仰せあるべき。をこがましき事とはおぼすとも、其の時は日蓮が檀也とこそ仰せあらんずらめ。
[14]又是れはさてをきぬ。此の法華経をば学乗房に常に開かさせ給ふべし。人如何いかに云ふとも、念仏者・真言師・持斎なんどにばし開かさせ給ふべからず。又日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者をば御用ひあるべからず。恐恐謹言。
[15]<日>五月八日
[16]<人>日 蓮<花押>花押
[17]<先>谷入道女房
現代語訳

一谷入道御書


建治元年(一二七五)五月八日、五四歳、於身延、一谷入道女房宛、和漢混淆文、定九八九—九九七頁。

流罪に対する覚悟


[1]去る弘長元年(<暦>一二六一)辛酉五月十三日、鎌倉幕府の咎めを受けて、伊豆の国伊東の郷というところに流された。ここは兵衛介源頼朝の流されたところであった。ところが、ほどなく翌々年の弘長三年癸亥二月にゆるされて鎌倉に帰った。だが、また文永八年(<暦>一二七一)辛未九月十二日、再び幕府の咎めを受けて捕らえられ、今度こそすぐにも頸を刎られるはずであったが、どんな理由からか、しばらく処刑が延期となって北国佐渡ヶ島の守護をつとめる武蔵前司(北条宣時)に預けられ、その家臣らの計らいで佐渡ヶ島に遠流される身となった。この島の人たちは仏教の因果の道理も知らず、性格も荒々しい人が多かったので、流人の身につらく当たったことは言語に絶するほどであった。しかしながら、少しも恨みに思ってはいない。なぜなら、この日本国の主として少しは道理を弁えていなければならないはずの相模守北条時宗殿でさえ、日本国を滅亡の危機から助けようとする者に対して、その言い分を詳しく聞こうともせず、理不尽にも死罪にしようとしたのだから、ましてや下々の人たちのことは、善いといっても頼みにはならず、悪いといっても憎いとは思わないのである。日蓮は法華経の法門を説きはじめた当初から、身命を法華経のために捧げ、その名を十方世界の諸仏の浄土に流そうと決意していたのであるから、迫害が来ることは覚悟していたのである。

法華経の修行は時による


[2]中国の故事によると、衛の懿の臣下であった弘演という人は、主君が他国の者に殺されたとき、その肝を取って自分の腹を割いて納め、主君の恩に報いて死んだという。また智伯の臣下であった予譲という人は、主君が趙の襄子に殺されてその遺骨が辱められたので、その恥をすすごうとしたが果せず、ついに剣にわが身を伏して死んだという。これらは、いずれも世俗の世界のことで、しかもわずかな恩に報いるための行為であった。
[3]これに比べて仏法の世界においては、我々衆生が無量劫の遠い過去から今にいたるまで、六道に流転して仏に成ることができないでいるのは、法華経のために身を投じ、命を捨てることができなかったからである。喜見菩という人は、千二百年の間、わが身を焼いて日月浄明徳仏を供養し、七万二千年の間、その臂を焼いて法華経に供養されたという。今の薬王菩がこれである。また不軽菩は法華経を弘通するために多劫の間、人々から罵られ、そしられ、杖木で打たれ、瓦石を投げつけられるような迫害にあった。この菩が釈仏の前身である。だから仏に成るための修行の方法は、時代により種々に変わっていくべきものである。今の世の中においては、法華経はそれなりに重んじられてはいるけれども、時代によってその修行方法は異なるのであるから、山林に籠って経を読誦しても、また人里に出て演説しても、戒律を守って修行しても、臂を焼いて供養しても、仏に成ることはできないのである。

日本の仏法の様相


[4]今の日本国は、表面的には仏法が盛んなようであるが、その仏法については不思議なことがある。しかし人々はそのことに気づいていない。たとえば、虫が飛んで火に入り、鳥が蛇の口に入るように、真言師・華厳宗・法相宗・三論宗・禅宗・浄土宗・律宗などの人々は、自分は仏法の真実を得た、自分は生死を解脱したと思っているけれども、そもそもこれらの宗旨を立てた元祖たちは、その拠り所の経の意義さえ知らないで、ただ自分の思い付きのままに、それぞれの経を取り立てようとしただけである。そんな浅薄な心で、法華経に背けば仏の本意に叶わなくなるということを知らずに、各師がその宗旨を弘めていったので、国主も万民もこれらを盲目的に信じてしまった。そしてわが国に伝わってすでに長い年月が経っている。末流の学匠たちはそれぞれの元祖の誤りを知らず、その教えを習い弘めた人々を智者と思ってしまった。その源が濁っていれば流れが清いはずはない。その身が曲がっていれば影が真直ぐなわけはない。真言師の元祖である善無畏をはじめ、これらの元祖の中には、すでに地獄に堕ちるはずであったが、悔い改めて地獄の苦報を免れた者もあり、あるいはただ各自の依経だけを弘めて法華経を讃もしなければ謗りもしなかったので、生死は離れないまでも、悪道には堕ちないですんだ者もあった。それなのに、今の末々の者たちはこのことを知らないで、みな一同にこれら元祖の間違った教えを信じている。これはたとえていうと、壊れた船に乗って大海に浮かんでいたり、酒に酔っている人が火の中に寝るような危険なことである。
[5]日蓮は、このように間違った仏法が流布している様子を見たので、ただちに菩提心を起こして真実の法華経の法門を説きはじめたのである。ところがどのように説明しても世間の人々は信じようとはせず、かえって流罪や死罪の法難に遭うだろうということは、はじめから覚悟していたけれども、今の日本国は法華経に背き釈仏をないがしろにしているから、後生には阿鼻地獄に堕ちることは決定的である。それどころか、今生においても必ず大難に遭うことになるであろう。すなわち他国の軍勢が襲来して、上は天皇から下は万民に至るまで大変な苦難に遭うことになる。たとえば千人の兄弟が一人の親を殺した場合、その罪を千に分けて受けるのではなく、一人ひとりの兄弟がみな無間地獄に堕ちて、一劫の長いあいだ苦報を受けなければならない。日本の国もまたこのように、衆生一人ひとりがその罪を被らなければならないのである。

教主釈尊の徳と阿弥陀信仰の罪


[6]この娑婆世界は、五百塵点劫という久遠の過去以来、法華経の教主釈尊の御所領である。大地、虚空、山海、草木にいたるまで、何ひとつたりとも他の仏のものではない。また一切衆生はすべて釈尊の子供である。たとえば、この世界ができあがった成劫の始めに、一人の梵王が天から下って六道の衆生を生んだことから、梵王が一切衆生の親であるように、釈仏もまた一切衆生の親である。またこの国の一切衆生にとって、教主釈尊は正しく教導してくださる明師である。父母を弁えるのも師の恩であり、善悪の分別を弁えるのも釈尊の恩である。ところが、天魔にとりつかれた善導や法然らの教えを信じて、今の日本には国ごとに、一郡・一郷・一村ごとに阿弥陀堂を造り、ときには百姓万民までがその家に阿弥陀堂を建てている。または家ごとに人ごとに、阿弥陀仏の名号を書いたり仏像を造ったり、口々に高声に念仏を称え、しかも一万遍とか六万遍とか称えるありさまである。少し智のある念仏者は、ますますこの称名念仏を人々に勧めている。それはあたかも火に枯れ草を投げ入れ、波に風を吹かせたようである。
[7]この日本国の人々は、一人残らず教主釈尊の弟子であり、その民である。その中で、阿弥陀仏などの他仏を造ることも書くことも全くせず、また念仏も称えない人は、悪人ではあっても、釈仏を捨てようとする様子はまだ顕れていない。これに対して、ひたすらに阿弥陀仏を念じている人々は、釈仏を捨て去ったことが明白であるから、念仏を称えれば功徳があるなどという浅はかな考えをもっている者こそ真の悪人というべきである。父母でもなく、主君や師匠でもない阿弥陀仏を妻のようにいとおしみ、逆に我ら衆生にとって国主であり、父母でも明師でもある釈仏を捨て、乳母のような法華経をば、口にもまないということは、不孝者といわずして何であろうか。

謗法罪の重さ


[8]このような不孝者は一人や二人、百人や千人ではなく、また一国や二国にとどまらず、上は天皇から下は万民にいたるまで、日本国の人は一人残らず父母・主君・師匠である釈尊に背く三逆罪の者である。よって太陽や月は色を変えてこの不孝者を睨み、大地も怒って震動し、大彗星が出現し、大火が国中に発するという大凶事が続くのである。ところがこの道理に気づかない念仏者たちは、いつも念仏を称えているとか、念仏堂を建立したとか、阿弥陀仏を固く信じているなどと自慢しているのである。これは一見、賢いようであるが、実は愚かなことである。たとえば若い夫婦が互いのことは愛しても、父母のことは忘れ、父母が寒さに凍えていても、自分たちは寝室を暖かくし、父母が食に飢えていても、自分たちはいつも飽食しているようなものである。こうしたことは最も不孝な行為であるけれども、彼らはそれが罪であることに気づいていないのである。まして母に背く妻、父に逆らう夫は、重大な逆罪を犯していることにならないか。阿弥陀仏は西方十万億土の彼方にいる仏で、この娑婆世界には少しも縁のない他仏である。だから何をお願いしても無駄なことである。たとえば馬に牛を引き合わせ、犬と猿を仲良くさせるようなものである。このような道理は、ただ日蓮一人だけが知り得たことであった。命を惜しんでこの道理を説かなければ、国の恩を報じないばかりでなく、教主釈尊の御敵となってしまう。命を恐れずに、ありのままに言うならば、死罪となるであろう。たとえ死罪は免れても流罪に処せられるに違いないとは最初からわかっていたけれども、仏の御恩が重いから、他人を恐れずに敢えて言い出したのである。

一谷での流罪生活


[9]案の状、二度までも流罪となったが、そのうち文永九年(<暦>一二七二)の夏のころ、佐渡国石田郷の一谷という所に移された。身柄を預かる名主侍からは、私ともに父母の敵や宿世の仇敵よりも憎々しげに取り扱われた。だが、宿の入道やその妻、またその家の使用人たちは、はじめのうちは気味悪げに畏れていたが、前世の縁でもあったのだろうか、内々に同情を寄せるようになった。身柄預かりの名主から渡された食糧は少なく、付き従っている弟子は多かったので、わずか二口か三口の飯を折敷おしきに分けたり、手のひらに受けて食べるという有様だった。これを見た宿の主人が、表面では恐れながらも、心の中では同情を寄せて陰で世話をしてくれたことは、いつの世になっても忘れられない。その時は、私を生んでくれた父母よりも大事であると思い、どのようなことをしてでもこの御恩に報いなければならないと思った。まして約束したことを反故ほごにするようなことがあってはならないのである。
[10]ところが、入道は後世のことを深く考えている人なので、長年にわたって念仏を称え、その上、阿弥陀堂を建立し、田畠まで阿弥陀仏に寄進されている人である。地頭の思惑を恐れて、念仏を捨てて直ちに法華経を信仰されることもなかった。これは入道の身にとってみれば、無理もないことであろう。しかし、念仏を捨てないかぎり、無間大城に堕ちることは疑いないところである。たとえいま日蓮が入道に法華経をお渡ししても、入道が世間の眼を畏れていまさら念仏を捨てることはできないと考えているならば、法華経を送っても火に水を合わせるようなものである。謗法の大水が、法華経信仰がまだ浅い状態の小火を消してしまうことは疑いないことである。入道が地獄に堕ちるならば、かえって法華経をお渡しして謗法の罪を犯させたのは日蓮だということになる。だから今日までどうしようか、どうしようかと思い悩んで、約束した法華経を入道に今日までお渡ししていなかったのである。しかも、お渡しするために用意していた法華経は、鎌倉の大火の時に喪失してしまった。いずれにしても入道は法華経に縁がなかったのである。どうして法華経をお渡しする約束などしたのか、今となっては不思議なことである。それというのもあの時は、鎌倉の尼が、日蓮の身を案じてはるばる訪ねてくれたところが、帰りの旅費が不足して途方に暮れていたので、気は進まなかったが、法華経をお渡しするという約束で、借金をお願いしたのであった。法華経の代わりに借金に利子を添えてお返ししようとも思ったが、それでは約束を破ることになると弟子たちが言う。どうしたらよいか、まことに困ったことになった。世間の人からは、日蓮は偽りを言ったと思われるかもしれない。やむを得ず、法華経一部十巻をお渡し申し上げる。念仏者の入道よりも、法華経にひそかに心を寄せている入道の祖母が、どうかこの法華経をお持ちになるように。

蒙古襲来の実状


[11]日蓮のいうことは、愚か者のいうこととして世間では取り上げてもらえない。しかし、去る文永十一年(<暦>一二七四)甲戌十月に、蒙古の軍勢が筑紫に攻め寄せてきた。対馬では領主の宗助国そうのすけくにが防戦したが破れて逃げ去ったので、百姓等は男は殺されるか生捕りにされ、女は取り集められて手に穴をあけて船に結び付けられるか、あるいは生捕りにされたりして、一人も助かる者はなかった。壱岐に攻め寄せてきた時もまた同じであった。蒙古の軍船が押し寄せてくると、奉行入道や豊前前司は逃げてしまった。松浦でも松浦党が数百人打たれ、あるいは生捕りにされてしまったので、浦々の百姓たちの惨状も壱岐や対馬と同じであった。いま一度、蒙古が攻めてきたらどうなるだろう。蒙古の百千万億という軍兵が日本国を包囲して四方から攻めて来たら、どうなることだろう。北からの軍は、まず佐渡ヶ島に上陸して地頭や守護はあっという間に打ち殺され、百姓等は北山へ逃げても、殺されるか、生捕りにされるか、あるいは山の中で餓死することになるだろう。
[12]そもそも蒙古の軍勢が襲来するという事件は、どうして起こってくるのか、よく考えてみなければならない。前にも言ったように、日本国の人々は、みな三逆罪を犯している者である。そのため、梵天王・帝釈天・日天・月天・四天王が、蒙古国の大王の身に入って、日本国を責められているのである。日蓮は愚かな身であるが、釈尊の御使いであり、法華経の行者であると名乗って、法華経弘通による日本国の安泰を祈っているのに、立正安国論以来の諫言を採用しようとさえしない。これは奇怪なことである。日蓮の諫言を無視したという過失によって、いま国が滅びようとしているのである。ましてや、住居をつぎつぎと追われ、捕らえられて引き廻され、打され、あるいは流罪され、弟子を殺され、檀は所領を没収された。父母からの使者にもしもこのような迫害を加えたら、その人に善い報いがあるはずはない。日蓮は日本国の人々の父母であり、主君であり、明師でもある。このような存在に背いて念仏を称える人々は、無間地獄に堕ちることが決定的なのである。それにしても法華経が教説の通りに実証されていることは、実に頼もしいかぎりである。

入道へのいましめ


[13]いったい、蒙古国が攻めてきた時にはどうなされるお考えか。この法華経を頭に戴き、頸に懸けて北山へ登っても、永年にわたって念仏者に供養を捧げ念仏を称えて、釈尊と法華経の敵となって久しかったのであるから、その謗法の報いで、命を落とすようなことになったとしても、けっして法華経を恨んではならない。また、閻魔王の前では何と申されるつもりだろうか。おこがましいことと思われても、その時は日蓮の檀であると申されるがよい。
[14]それはさておき、この法華経は学乗房に常に読ませてお開きになるがよい。人が何と言おうとも、念仏者や真言師や持斎などには絶対に経巻を開かせてはならない。また、日蓮の弟子と名乗る者があっても、日蓮の花押のある文書を持たない者をけっして信用してはならない。以上、つつしんで申し上げました。
[15]<日>五月八日
[16]<人>日 蓮 <花押>花押
[17]<先>一谷入道女房