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不孝御書・陰徳陽報御書

全集 第6巻 2段 定本: #20313(定本の該当ページへ)

書下し

不孝御書・陰徳陽報御書ふこうごしよ・いんとくようほうごしよ


[1](前欠)なによりも人には不孝がをそろしき事に候ぞ。とのゝあに(兄)をとゝ(弟)はわれと法華経のかたきになりて、とのをはなれぬれば、かれこそ不孝のもの、とのゝみ(身)にはとがなし。をうなるい(女類)どもこそ、とのゝはぐゝみ給はずは、一定不孝にならせ給はんずらんとをぼへ候。所領もひろくなりて候わば、我がりやうえも下しなんどして、一身すぐるほどはぐゝませ給へ。さだにも候わば、過去の父母定んでまほり給ふべし。
[2]日蓮がきせい(祈請)もいよかない候べし。いかにわるくとも、きかぬやうにてをはすべし。この事をみ候に、申すやうだにもふれまわせ給ふならば、なをも所領もかさなり、人のをぼへもいできたり候べしとをぼへ候。
[3]さき申し候ひしやうに、陰徳あれば陽報ありと申して、皆人は主にうたへ、主もいかんぞをぼせしかども、わどのゝ正直の心に、主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がうじやうにして、すねん(数年)をすぐれば、かゝるりしやうにもあづからせ給ふぞかし。此れは物のはしなり。大果報は又来るべしとをぼしめせ。
[4]又此の法門の一行いかなる本意ほいなき事ありとも、みずきかず、いわずしてむつばせ給へ。大人にいのりなしまいらせ候べし。上に申す事は私の事にはあらず。外典げてん三千、内典ないでん五千の肝心の心をぬきてかきて候。あなかしこ。恐々謹言。
[5]<日>卯月二十三日
[6]<人>日 蓮<花押>花押
[7]<先>御返事
現代語訳

不孝御書・陰徳陽報御書


弘安二年(一二七九)四月二三日、五八歳、於身延、四条金吾宛、和文、定一五九五・一六三八頁。

[1](前欠)何よりも人として生きる上で恐れなければならないことは、法華経と釈尊に対する「不孝」ということである。貴殿の兄も弟も自ら法華経に敵対する者となって、貴殿から離反したのであるから、兄弟衆こそ不孝の者であり、貴殿の身に過失はない。なお残る女性たちのことを貴殿が守らなければ、きっと兄弟衆と同じように不孝の者となってしまうであろうと思われる。所領も広くなったのだから、自分の領地へつかわすなどして、全身全霊をもっていつくしみなさい。そうすればきっと、亡き父母もお守り下さるであろう。
[2]日蓮が仏天に捧げてきた祈りも、いよいよ叶うことであろう。どんなに周囲から悪口を言われても、聞かぬふりをしているがよい。日蓮が見るところでは、かねて申し送ったように振舞っていさえすれば、いっそう所領も増し、人の信用もでてくるものと思われる。
[3]以前から申しているように、陰徳あれば陽報ありといって、どんなに多くの同僚が貴殿のことを主君に讒言し、主君もそれに動かされたとしても、貴殿が正直の心で、あくまでも主君の後生をお助けしたいという強盛な信念をもって、ここ数年を過ごしてきたのであるから、こうした御利生も受けられたのである。しかしこれはまだ御利生の一分に過ぎない。もっともっと大きな果報があるものと思し召されるがよい。
[4]また法門のことについては、たとえ不本意なことがあっても、今後は一切見ず聞かず言わずして、睦まじくしておられるがよい。貴殿の身の上については日蓮からご祈念申し上げよう。以上申したことは、けっして日蓮の私事ではない。儒教の三千巻、仏教の五千巻に通ずる精神の肝要な部分を書き抜いたのである。あなかしこ。以上恐れながらつつしんで申し上げました。
[5]<日>四月二十三日
[6]<人>日 蓮 <花押>花押
[7]<先>御返事