王舎城事
書下し
王舎城事
[1]銭一貫五百文、給び候ひ了んぬ。焼亡の事、委しく承り候事、悦び入り候。
[2]大火の事は仁王経の七難の中の第三の火難、法華経の七難の中には第一の火難なり。夫れ虚空をば剣にてきることなし。水をば火焼くことなし。聖人・賢人・福人・智者をば火やくことなし。例せば、月氏に王舎城と申す大城は在家九億万家也。七度まで大火をこりてやけほろびき。万民なげきて逃亡せんとせしに、大王なげかせ給ふ事かぎりなし。其の時賢人ありて云く、七難の大火と申す事は、聖人のさ(去)り、王の福の尽くる時をこり候也。然るに此の大火万民をばやくといえども、内裏には火ちかづくことなし。知んぬ、王のとがにはあらず、万民の失なり。されば万民の家を王舎と号せば、火神名にをそれてやくべからずと申せしかば、さるへんもとて王舎城とぞなづけられしかば、それより火災とどまりぬ。されば大果報の人をば大火はやかざるなり。
[3]これは国王已にやけぬ。知んぬ、日本国の果報のつくるしるし(兆)なり。然るに此の国は、大謗法の僧等が強盛にいのりをなして、日蓮を降伏せんとする故に、いよいよわざはひ来るにや。其の上、名と申す事は体を顕はし候に、両火房と申す謗法の聖人、鎌倉中の上下の師なり。一火は身に留りて極楽寺焼けて地獄寺となりぬ。又一火は鎌倉にはなちて御所やけ候ぬ。又一火は現世の国をやきぬる上に、日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて、阿鼻の炎にもえ候べき先表也。愚痴の法師等が、智慧ある者の申す事を用ひ候はぬは是体に候也。不便不便。
[4]先先御文まいらせ候ひしなり。御馬のがい(野飼)て候へば、又ともびき(友引)して、くり(栗)毛なる馬をこそまうけて候へ。あはれあはれ見せまいらせ候はばや。
[5]名越の事は、是れにこそ多くの子細どもをば聞て候へ。ある人のゆきあひて、理具の法門自讃しけるを、さむざむにせめ(責)て候ひけると承り候。
[6]又女房の御いのりの事。法華経をば疑ひまいらせ候はねども、御信心やよはくわたらせ給はんずらん。如法に信じたる様なる人人も、実にはさもなき事ども是れにて見て候。それにも知しめされて候。まして女人の御心、風をばつなぐ(繋)ともとりがたし。御いのりの叶ひ候はざらんは、弓のつよくしてつる(絃)よはく、太刀つるぎ(剣)にてつかう人の臆病なるやうにて候べし。あへて法華経の御とがにては候べからず。よくよく念仏と持斎とを我もすて、人をも力のあらん程は、せか(塞)せ給へ。譬へば左衛門殿の人ににくまるるがごとしと、こまごまと御物語り候へ。いかに法華経を御信用ありとも、法華経のかたきをとわり(遊女)ほどにはよもおぼさじとなり。
[7]一切の事は父母にそむき、国王にしたがはざれば、不孝の者にして天のせめをかうふる。ただし法華経のかたきになりぬれば、父母・国主の事をも用ひざるが孝養ともなり、国の恩を報ずるにて候。されば日蓮は此の経文を見候ひしかば、父母手をすり(擦)てせい(制)せしかども、師にて候ひし人かんだうせしかども、鎌倉殿の御勘気を二度までかほり、すでに頸となりしかども、ついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん。日本国に国主・父母・師匠の申す事を用ひずして、ついに天のたすけをかほる人は、日蓮より外は出だしがたくや候はんずらん。是れより後も御覧あれ。日蓮をそしる法師原が日本国を祈らば、弥弥国亡ぶべし。結句せめの重からん時、上一人より下万民まで、もとどり(髻)をわかつやつこ(奴僕)となり、ほぞをくうためしあるべし。後生はさてをきぬ、今生に法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天罰し給ひて皆人にみこり(見懲)させ給へと申しつけて候。日蓮法華経の行者にてあるなしは是れにて御覧あるべし。
[8]かう申せば国主等は、此の法師のをど(威)すと思へるか。あへてにくみては申さず。大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生にけ(消)さしめんとなり。章安大師云く、〔「彼がために悪を除くは、すなわちこれ彼が親なり」〕等云云。かう申すは国主の父母、一切衆生の師匠なり。事事多く候へども留め候ひぬ。又麦の白米一だ(駄)・はじかみ(薑)送り給候ひ了んぬ。
[9]<日>卯月十二日日>
[10]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[11]<先>四条金吾殿御返事先>
現代語訳
王舎城事
文永一二年(一二七五)四月一二日、五四歳、於身延、四条金吾宛、和漢混淆文、定九一五—九一八頁。
[1]銭一貫五百文、ありがたく頂戴しました。また火災のことを委細にお知らせいただき、悦んでおります。
[2]大火災のことは、仁王経の七難の中では第三にあり、法華経の七難の中では第一にある。そもそも虚空は剣でも切ることはできず、水は火に焼けないように、聖人・賢人・福人・智者という存在は、火をもって焼かれることはない。例えば昔、インドの王舎城は民家が九億からなる大城であったが、七度まで大火が発生して焼亡した。住民は悲嘆のあまり城下から逃げ散じようとしたので、大王の嘆きは一通りではなかった。その時、賢人が言うには、七難の中の大火ということは、聖人が去り、王の福徳の尽きる時に起こるものである。しかしこの大火は民家を焼いても、王の宮殿には火が近づかないところをみると、王の失ではなくして、万民の失であるとみえる。そこで万民の家を「王舎」と呼べば、火神もその名に怖れて火災も起こるまいと予言した。そんなこともあるのかと、それに従って「王舎城」と名づけたところ、その後は絶えて火災がなくなった。この事実からすれば、大いなる果報の持ち主を、大火は襲わないものである。
[3]ところが今、鎌倉の御所が焼けた。ということは、日本国の果報が尽きる前兆であると知られる。しかも現在の日本国は、大謗法の僧たちが日蓮を降伏させようとして強盛に祈るので、ますます災いが起こるのではあるまいか。その上に、名は体を顕すものであって、両火房(良観房)という謗法の聖人は、鎌倉中の上下万人から師範と仰がれている。両火房の名は、一つの火は自身の寺の極楽寺を焼いて地獄寺となり、また一つの火は鎌倉中に燃えひろがって御所を焼いてしまったことによる。おそらく、さらに一つの火は現世に国を焼くのみならず、未来世に日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて、阿鼻の業火に焼かれる先兆と思われる。愚痴の僧たちが、智慧ある者の言葉を信用しないからこのような災禍を招くのであるが、誠に不憫なことである。
[4]以前の手紙にも申し述べたが、貴殿からいただいた御馬を放し飼いにしたところ、友引して栗毛の馬が得られた。誠に見事な馬であるから、是非お目にかけたいものである。
[5]名越の尼のことは、こちらでもいろいろなことを聞いている。ある人がこの尼と出会って、天台宗の理具の法門を自讃していたので、この尼を散々に論破したということである。
[6]また女房殿の祈りのことであるが、法華経を疑いはしないが、御信心が弱かったのであろう。御自分では法の通りに信じているようであっても、事実はそれほどでない例をしばしば見ている。それは貴殿も御存じのはずである。まして女人の心は、空吹く風よりも捕らえにくいものである。御祈りが叶わないのは、弓が強くても絃が弱かったり、よい刀剣であっても使う人が臆病であっては役に立たないようなもので、けっして法華経の力が足らないのではない。くれぐれも念仏と持戒の信仰を自ら捨て、また力の及ぶ限り、他人に対しても強く行動しなければならない。たとえば貴殿、左衛門殿が人から憎まれながらも、法華経の信仰を固守しているようでなければならぬと、懇々とお話しなさい。女房殿がいかに法華経を信じておられるとはいえ、法華経に敵対する者に対して、夫を誘惑する遊女を憎むほどには思っておられないはずなのである。
[7]およそ世間一般の道徳では、父母に背いたり、国王に従わなければ、不孝の者として天の責めを受けなければならない。ただし法華経の敵となった父母や国主の言い付けには、むしろ従わないのが孝養ともなり、国恩に報ずることにもなる。それゆえ日蓮がこの経文に出会ってからは、父母が手を擦って制止しても、師から勘当されても、幕府から二度も流罪に処せられ、今にも頸を刎ねられるところであったが、最後まで怖れることなく法華経の信仰を貫いたので、今はようやく日本国の人々も、日蓮の主張が道理に合っていると思うようになったのであろうか。日本国において、国主・父母・師匠の言い付けに背いて、しかも天の救いを蒙った者は、日蓮より外にはないであろう。今度とも御覧いただきたい。もし日蓮を謗る法師どもが、日本国の安泰を祈るようであれば、かえってますます国は滅亡するであろう。結局重い責め苦に値って、上は国王から下は万民にいたるまで、髪を分けて組む辮髪の蒙古の奴隷となり、臍をかむようなことになるであろう。後生のことはさておいて、今生に法華経に敵対する者を懲らしめるようにと、梵天・帝釈天・日天・月天・四天王に申しつけたところである。日蓮が法華経の行者であるかないかは、このことをもって判断していただきたい。
[8]このように言うと、国主等は日蓮が威嚇していると思うかもしれないが、けっして憎んで言っているのではない。深い慈悲の心から、彼らが後生に無間地獄の大苦を受けるのを、今生に軽く受けさせようと思えばこそである。章安大師は涅槃経疏に「彼のために悪を除いてやるのは、慈悲深い親のようなものである」と説かれている。この言に従えば、日蓮は国主のための父母であり、一切衆生のためには師匠なのである。なお申し上げたいことは多々あるけれども、これで筆をとどめる。また白米のような白い麦一駄と生姜もお送りいただき、たしかに拝受しました。
[9]<日>四月十二日日>
[10]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[11]<先>四条金吾殿御返事先>