四条金吾殿御返事
書下し
四条金吾殿御返事
[1]夫れ斉の桓公と申せし王、紫をこのみて服給ひき。楚の荘王と言ひし王は、女の腰のふとき事をにくみしかば、一切の遊女腰をほそからせんがために餓死しけるものおほし。しかれば一人の好む事をば、我が心にあはざれども万民随ひし也。たとへば大風の草木をなびかし、大海の衆流をひくが如し。風にしたがはざる草木は、をれうせざるべしや。小河大海におさまらずば、いづれのところにおさまるべきや。
[2]国王と申す事は、先生に万人にすぐれて大戒を持ち、天地及び諸神ゆるし給ひぬ。其の大戒の功徳をもちて、其の住むべき国土を定む。二人三人等を王とせず。地王・天王・海王・山王等、悉く来つてこの人をまほる。いかにいはんや、其の国中の諸民、其の大王を背くべしや。此の王はたとひ悪逆を犯すとも、一二三度等には、〔左右なく〕此の大王を罰せず。但諸天等の御心に叶はざる者は、一往は天変地夭等をもちてこれをいさむ。事過分すれば諸天善神等、其の国土を捨離し給ふ。若しは此の大王の戒力つき、期来りて国土のほろぶる事もあり。また逆罪多くにかさなれば、隣国に破らるゝ事もあり。善悪に付けて国は必ず王に随ふものなるべし。
[3]世間かくのごとし、仏法も又然也。仏陀すでに仏法を王法に付し給ふ。しかればたとひ聖人・賢人なる智者なれども、王にしたがはざれば仏法流布せず。或いは後には流布すれども、始めには必ず大難来る。迦貳志加王は仏の滅後四百余年の王なり。健陀羅国を掌のうちににぎれり。五百の阿羅漢を帰依して婆沙論二百巻をつくらしむ。国中総て小乗也、其の国に大乗弘めがたかりき。発舎密多羅王は五天竺を随へて仏法を失ひ、衆僧の頸をきる。誰の智者も叶はず。
[4]太宗は賢王也。玄奘三蔵を師として法相宗を持ち給ひき。誰の臣下かそむきし。此の法相宗は大乗なれども五性各別と申して、仏教中のおほきなるわざはひと見えたり。なを外道の邪法にもすぎ、悪法也。月支・震旦・日本、三国共にゆるさず。終に日本国にして伝教大師の御手にかゝりて此の邪法止め畢んぬ。大なるわざはひなれども、太宗これを信仰し給ひしかば、誰の人かこれをそむきし。
[5]真言宗と申すは大日経・金剛頂経・蘇悉地経による。これを大日の三部と号す。玄宗皇帝の御時、善無畏三蔵・金剛智三蔵、天竺より将ち来れり。玄宗これを尊重し給ふ事、天台・華厳等にもこえたり。法相・三論にも勝れて思し食すが故に、漢土総て大日経は法華経に勝るとおもひ、日本国当世にいたるまで、天台宗は真言宗に劣るなりとおもふ。彼の宗を学する東寺天台の高僧等、慢過慢をおこす。但し大日経と法華経とこれをならべて、偏党を捨て是れを見れば、大日経は蛍火の如く、法華経は明月の如く、真言宗は衆星の如く、天台宗は〔日輪のごとし〕、偏執の者の云く、汝未だ真言宗の深義を習ひきはめずして、彼の無尽の科を申すと。但し真言宗漢土に渡つて六百余年、日本に弘まりて四百余年、此の間の人師の難答あら〳〵これをしれり。伝教大師一人、此の法門の根源をわきまへ給ふ。しかるに当世日本国第一の科是れ也。〔勝をもつて劣と思い、劣をもつて勝と思うの故〕に、大蒙古国を調伏する時、還つて〔襲われんと欲す〕是也。
[6]華厳宗と申すは、法蔵法師が所立の宗也。則天皇后の御帰依ありしによりて、諸宗肩をならべがたかりき。しかれば王の威勢によりて宗の勝劣はありけり、法に依つて勝劣はなきやうなり。たとひ深義を得たる論師人師なりといふとも、王法には勝ちがたきゆへに、たま〳〵勝たんとせし仁は大難にあへり。所謂師子尊者は檀弥羅王のために頸を刎らる。提婆菩薩は外道のために殺害せらる。竺の道生は蘇山に流され、法道三蔵は面に火印をされて江南に放たれたり。
[7]而るに日蓮は法華経の行者にもあらず、僧侶の数にもいらず。〔しかして世の人に随つて〕阿弥陀仏の名号を持ちしほどに、阿弥陀仏の化身とひびかせ給ふ善導和尚の云く、「十即十生百即百生、乃至千中無一」と。勢至菩薩の化身とあをがれ給ふ法然上人、〔この釈を料簡して〕云く、「末代に念仏の外の法華経等を雑ふる念仏においては千中無一、一向に念仏せば十即十生」と云云。日本国の有智・無智仰ぎて此の義を信じて、今に五十余年、一人も疑ひを加へず。唯日蓮の諸人にかはる所は、阿弥陀仏の本願には〔「ただ五逆と誹謗正法とを除く」〕とちかひ、法華経には〔「もし人信ぜずしてこの経を毀謗せば、すなわち一切世間の仏種を断ず。乃至、その人命終して阿鼻獄に入らん」〕と説かれたり。此れ善導・法然謗法の者なれば、たのむところの阿弥陀仏にすてられをはんぬ。余仏余経においては、我と抛ちぬる上は、救ひ給ふべきに及ばず。法華経の文の如きは無間地獄疑なしと云云。
[8]而るを日本国はをしなべて、彼等が弟子たるあひだ、此の大難まぬがれがたし。無尽の秘計をめぐらして日蓮をあだむ是れ也。前々の諸難はさておき候ひぬ。去る九月十二日御勘気をかふりて、其の夜のうちに頸をはねらるべきにて候しが、いかなる事にやよりけん、彼の夜は延て、此の国に来ていままで候に、世間にもすてられ、仏法にも捨てられ、天にもとぶらはれず。二途にかけたるすてものなり。
[9]而るを何なる御志にてこれまで御使ひをつかはし、御身には一期の大事たる悲母の御追善第三年の御供養を送りつかはされたる事、両三日はうつゝともおぼへず。彼の法勝寺の修行が、いはを(硫黄)が島にてとしごろつかひける童にあひたりし心地也。胡国の夷陽公といひしもの、漢土にいけどられて北より南へ出けるに、飛びちがひける雁を見てなげきけんも、これにはしかじとおぼへたり。但し法華経に云く、〔「もし善男子・善女人、我が滅度の後に、よく竊かに一人のためにも、法華経の乃至一句を説かん。まさに知るべし、この人はすなわち如来の使ひ、如来の所遣として、如来の事を行ずるなり」〕等云云。法華経を一字一句も唱へ、又人にも語り申さんものは、教主釈尊の御使ひ也。然れば日蓮賤しき身なれども、教主釈尊の敕宣を頂戴して此の国に来たれり。此れを一言もそしらん人々は、罪を無間に開き、一字一句も供養せん人は、無数の仏を供養するにもすぎたりと見えたり。
[10]教主釈尊は一代の教主、一切衆生の導師也。八万法蔵は皆金言、十二部経は皆真実也。無量億劫より以来、持ち給ひし不妄語戒の所詮は、一切経是れ也。いづれも疑ふべきにあらず。但し是れは総相也。別してたづぬれば、如来の金口より出来して、小乗・大乗・顕・密・権経・実経是れあり。今この法華経は、「仏正直捨方便等、乃至、世尊法久後、要当説真実」と説き給ふ事なれば、誰の人か疑ふべき。なれども多宝如来証明を加へ、諸仏舌を梵天に付け給ふ。されば此の御経は一部なれども三部也、一句なれども三句也、一字なれども三字也。此の法華経の一字の功徳は、釈迦・多宝・十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給ふ。たとへば如意宝珠の如し。一珠も百珠も同じき事也。一珠も無量の宝を雨す、百珠も又無尽の宝あり。たとへば百草を抹て一丸乃至百丸となせり。一丸も百丸も共に病を治する事これをなじ。譬へば大海の一渧も衆流を備へ、一海も万流の味をもてるが如し。妙法蓮華経と申すは総名也、二十八品と申すは別名也。月支と申すは天竺の総名也、別しては五天竺是れ也。日本と申すは総名也、別しては六十六州これあり。
[11]如意宝珠と申すは釈迦仏の御舎利也。竜王にこれを給ひて頂上に頂戴して、帝釈是れを持つて宝をふらす。仏の身骨の如意宝珠となれるは、無量劫来持つ所の大戒身に薫じて骨にそみ、一切衆生をたすくる珠となる也。たとへば犬の牙の虎の骨にとけ(渙)、魚の骨の鸕の気に消ゆるが如し。乃至師子の筋を琴の絃にかけてこれを弾けば、余の一切の獣の筋の絃、皆きらざるにやぶる。仏の説法をば師子吼と申す、乃至法華経は師子吼の第一也。
[12]仏には三十二相そなはり給ふ。一々の相皆百福荘厳也。肉髻・白毫なんど申すは菓の如し。因位の華の功徳等と成つて三十二相を備給ふ。乃至無見頂相と申すは、釈迦仏の御身は丈六也。竹杖外道は釈尊の御長をはからず、頂を見奉らんとせしに御頂を〔見たてまつらず〕。応持菩薩も御頂を〔見たてまつらず〕。大梵天王も御頂をば〔見たてまつらず〕。これはいかなるゆへぞとたずぬれば、父母・師匠・主君を、頂を地につけて恭敬し奉りしゆへに、此の相を感得せり。
[13]乃至梵音声と申すは、仏の第一の相也。小王・大王・転輪王等、此の相を一分備へたるゆへに、此の王の一言に国も破れ国も治まる也。宣旨と申すは梵音声の一分也。万民の万言、〔一王の一言に及ばず〕。三墳・五典なんど申すは小王の御言也。〔この小国を治め〕、乃至大梵天王、三界の衆生を随ふる事、仏の大梵天王・帝釈等をしたがへ給ふ事もこの梵音声也。これらの梵音声、〔一切経と成つて〕一切衆生を利益す。其の中に法華経は釈迦如来の御志を書き顕はして、此の音声を文字と成し給ふ。仏の御心はこの文字に備はれり。たとへば種子と苗と草と稲とはかはれども、心はたがはず。釈迦仏と法華経の文字とはかはれども、心は一つ也。然れば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあひ進らせたりとおぼしめすべし。此の志ざしの佐渡の国までおくりつかはされたる事、すでに釈迦仏知食し畢んぬ。実に孝養の詮也。恐々謹言。
[14]文永九年<日> 月 日日>
[15]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[16]<先>四条三郎左衛門尉殿御返事先>
現代語訳
四条金吾殿御返事
文永九年(一二七二)、五一歳、於佐渡、和漢混淆文、定六六〇—六六七頁。
国は王法に従う
[1]その昔、中国の斉の桓公という王様は紫の衣服を好んで着たので、宮中ではみな紫色を着るようになった。また楚の荘王という王様は女性の腰の太いのを嫌い細い女を愛したので、宮女はみな腰を細くするために餓死する者が多かった。このことは上一人の好むところに、下万民が心ならずも従った結果である。たとえば大風が草木を吹きなびかせ、大海が多くの川の流れを受け容れるようなものである。風になびかない草木は折れ散ってしまうであろう。小河が大海に注がずにいたとしたならば、いったいどこに流れがおさまるであろうか。
[2]そもそも国王という存在は、前世において万人にすぐれて大戒を持ち、その功徳によって天地の諸神がその支配する領土を定められたものである。したがって二人三人を同時に王とすることはない。地王、天王、海王、山王等が来集してこの王を守るのであるから、国中の万民がどうしてその王に背くことができようか。また国王はたとえ悪逆を犯しても、二、三度までは罰をうけることなく許されるけれども、もし諸天の御心に叶わないときには天変地夭を現じて国王を諫め、それでも反省のない場合には諸天善神はその国土を見捨てられるのである。あるいはその王の持戒の功徳が尽きて国の滅びることもあれば、逆罪が多く重なったために隣国に破られることもある。要するに善いことも悪いことも、国民は必ず国王に従うものなのである。
仏法は王法に付属される
[3]世間の事柄がそうであるように、仏教の盛衰についてもまたその国王に責任が託されている。すでに仏陀釈尊はその教えを国王に付属してその外護を委託されたのであるから、たとえ聖人賢人と言われるような智者でも、国王に従わなければ仏法は流布しない。またたとえ流布するとしても、最初は必ず大難が来るものである。インドの迦貳志加王は、釈尊の滅後四百年余りの年代の王であり、健陀羅国をその掌中に握って、五百の阿羅漢を外護しながら阿毘達磨大毘婆沙論二百巻を造らせた。だからこの国には小乗ばかりが弘まって、大乗の教えを弘めることはできなかった。発舎密多羅王は五天竺を従えた権力をもって仏教を弾圧し、多くの僧侶の頸を斬ったから、いかなる智者であってもどうすることもできなかったのである。
法相宗のこと
[4]また唐の太宗皇帝は賢王の誉れ高い人であったが、玄奘三蔵を国師として法相宗を信じられたから、その臣下は誰も逆らうことができなかった。この法相宗は大乗教ではあるが、「五性各別」といって一切衆生を五種に分別し、成仏できる人とできない人が定まっていると説くもので、仏教の中でも大きな誤りであって、外道の邪法にも過ぎた悪法である。インド・中国・日本の三国ともに許されざる悪法であるから、ついに日本国において伝教大師の手によってこの邪法は破られることになる。そのような法相宗が弘まったのは大いなる災禍であったが、太宗皇帝が信仰しておられたので、誰もこれに逆らうことはできなかったのである。
真言宗のこと
[5]また真言宗というのは大日経・金剛頂経・蘇悉地経の大日三部経によって立てた宗旨であって、この三部経は玄宗皇帝の時代に善無畏三蔵・金剛智三蔵がインドから伝えたものである。ところが玄宗皇帝がこれを尊重されることは、天台・華厳よりも、法相・三論よりもいっそう篤かったので、中国ではすべて大日経は法華経よりも勝れていると思われ、日本国でも現在まで天台宗は真言宗に劣るものと思われている。真言密教を学ぶ真言の東寺や天台の比叡山の高僧たちは、みな慢心を起こしている。しかし大日経と法華経とを並べて、執着心を捨てて比較するならば、大日経が蛍火ならば法華経は明月であり、真言宗が星ならば天台宗は太陽なのである。真言宗に執着する者は、汝はまだ真言宗の深義を習い究めていないから種々の欠点をあげつらうのだというだろう。しかし真言宗が中国に伝わって六百余年、日本に弘まって四百余年であるが、この間の人師のいろいろな問題提起とそれに対する回答などはあらかた知っているつもりである。そこで伝教大師一人がこの法門の根源をわきまえていらっしゃると言い切れるのである。現在の日本国第一の災禍はこの真言宗である。勝れた法華経を劣ると思い、劣った真言の法を勝ると思って、大蒙古国を調伏するための祈禱をするのであるから、かえってその国から侵略されようとしている。
華厳宗のこと
[6]また華厳宗というのは法蔵法師の立てた宗旨であって、則天皇后の御帰依が篤かったので、諸宗いずれも肩を並べうるものはなかった。したがって国王の威勢によって宗の勝劣がついたのであって、教法による勝劣が判定されたのではなかった。たとえ仏法の深義を体得した論師人師があっても、王法には勝てないからどうすることもできず、たまたま仏法の勝劣を主張しようとする人は大難に値ったのである。すなわち、インドにおいては、師子尊者は檀弥羅王のために頸を刎ねられ、提婆菩薩は外道のために殺害された。また中国においては、竺の道生は蘇山に流され、法道三蔵は顔面に火印を押されて江南に追放されたのである。
日蓮と阿弥陀仏信仰
[7]ところで日蓮は法華経の行者でもなく、僧侶の数にも入らない者である。かつては世間に倣って阿弥陀仏の名号を称えていた。阿弥陀仏の化身と仰がれる善導和尚は「念仏を修行する者は十人は十人、百人は百人、すべて浄土に往生することができるが、法華経を修行して成仏する者は千人に一人もない」と言い、勢至菩薩の化身と仰がれる法然上人は、この語を解釈して「末代に念仏の修行をする者が、法華経等の雑行を交えれば、浄土に往生する者は千人に一人もなく、一向に念仏のみの修行に専念すれば十人は十人、浄土に往生することができる」と主張している。日本国中の智者も愚人も一同にこの教義を信じて、すでに五十余年になるが、誰ひとりとして疑いを懐く者はない。ただ日蓮が大勢の人々と違うところは、阿弥陀仏の四十八願のうちの第十八願には「ただ五逆罪を犯した者と正法を誹謗した者は救済の対象から除外される」という一節に着目したことである。さらに法華経譬喩品には「もし法華経を信ぜずして誹謗する者があれば一切世間の仏種を断ずることになる。よってその人は寿命が終われば阿鼻地獄に堕ちるであろう」と説かれている。つまり善導も法然も法華経を誹謗した謗法の者であるから、たのむところの阿弥陀仏にも捨てられてしまう。他の仏や他の経においては、自分から捨ててしまったものだから救われるべき道理がない。そこで法華経の文の通りならば無間地獄に堕ちることは疑いないということになるではないか。
日蓮の受難
[8]しかしながら、現在の日本国の人々は、ほとんどが善導や法然の弟子であるから、大難を免れがたいのである。日蓮を恨んでさまざまの策略をめぐらし、それによって日蓮を迫害するのである。これまでの諸難はさておくとして、去年の九月十二日に幕府の御勘気を蒙って、その夜のうちに頸を刎ねられるところであったが、どうしたわけかその夜は延びて、この佐渡に流されて今まで生き長らえている。世間からも仏法からも捨てられ、諸天からも顧みられない。世法と仏法の二つの道から捨てられた孤独な身の上である。
供養の功徳を讃える
[9]そうしたところへ、いったいどうしたわけか、このような遠方まで御使いを遣わされて、貴殿には一生の大事である悲母の三年忌の追善のためにとて、御供養の品をお送りいただいたのであるから、二、三日は夢のように感じられ、現実とも思えなかった。かの法勝寺の執行俊寛が硫黄が島に流されて、長年召使っていた有王という童子に再会したような心地であった。夷の国の陽公という人が漢土に捕らえられてしまい、北から南へと連れられてくるとき、行き違いに飛んでいく雁を見て、自分の故郷へ飛んでいくのだなと見送りながら嘆いた、ということだが、そういう悲劇も日蓮の場合とは比較にもならないと思われた。ただし法華経法師品にはこう説かれている。「もし善男子・善女人があって、我が滅度の後、わずか一人のために法華経の一句なりとも説く者があれば、まさしくその人は如来使であって、如来から遣わされた者として、如来の事を行なうのである」と。法華経の一字一句を唱え、もしくは人にも説き聞かせる者は、教主釈尊の御使いである。そうであるならば、日蓮は賤しい身ではあるが、教主釈尊の勅宣を頂戴してこの日本国に来た者である。よってたとえ一言でも日蓮をそしる人々は、無間地獄へ堕ちる罪をつくり、一字一句でも供養する人は、無数の仏を供養するよりも勝れているということになる。
法華経の文字は生身の釈迦如来
[10]教主釈尊は一代の教主であり、そして一切衆生の導師である。その釈尊の説かれた八万法蔵はみな金言であり、十二部経と呼ばれる大乗の経典はみな真実である。無量億劫の昔から不妄語戒を持たれた釈尊が説かれた一切経であるから、いずれの経もけっして疑うべきではない。ただしこれは総括的な立場からみた場合である。別して詳細にみるならば、同じ釈尊の金口から出た教えでも、小乗・大乗・顕教・密教・権経・実経の区別がある。今この法華経は釈尊が方便品で自ら「仏は正直に方便を捨てて、乃至、世尊はいろいろな経を説いて、最後に必ずまさに真実を説くのである」とお説きになっているのであるから、誰が疑うべきであろうか、疑う者のあるはずはない。それにもかかわらず、多宝如来は見宝塔品において法華経は真実であるとの証明を加えられ、さらにまた如来神力品において十方の分身諸仏が来集されて長舌を梵天に付けて証明されたのである。このように法華経は釈迦・多宝・十方分身諸仏という三仏が証明された御経であるから、一部であっても三部であり、一句であっても三句であり、一字であっても三字である。つまりこの法華経の一字の功徳は、釈迦・多宝・十方分身諸仏の御功徳を一字におさめられているのであるから、たとえば如意宝珠のようなものである。一珠も百珠も同じことで、一珠でも無量の宝を出し、百珠もまた無尽の宝を具備している。ちょうどそれは百草をすりつぶして一粒もしくは百粒の丸薬とするならば、一丸も百丸も病を治療することに違いはないのと同じである。また大海の一滴にも多くの流れを含み、一つの海にも多くの川の味が含まれているようなものである。そうなると、「妙法蓮華経」というのは総名となり、二十八品それぞれが別名となる。インドは「月支」という総名と「五天竺」という別名があり、我が国は「日本」というのが総名であって六十六州それぞれが別名であるのと同じことなのである。
[11]如意宝珠というのは釈尊の御舎利である。竜王にこれを与えて頭に頂かせ、帝釈天がこれをもって宝をふらすのである。このように釈尊の御舎利が如意宝珠となったのは、無量劫の昔から大戒を守ってこられた功徳が身に薫じ、骨に染まっているから、一切衆生を救う珠となったのである。たとえば犬の牙が虎の骨に溶け、魚の骨も鵜がひと息で呑んでしまうように、また師子の筋を琴の絃にして弾けば、他の獣の絃はみな切れてしまうようなものである。仏の説法を師子吼というが、法華経はその師子吼の中の第一に当たる。
[12]仏には三十二相が具わって、その一々の相がみな百福をもって荘厳されている。すなわち頭頂の肉が髻のように隆起している「肉髻」や、眉間の白い巻き毛から光を放つ「白毫相」などというのは、華が菓を結んだようなもので、因位のご修行の功徳を成就された結果として三十二相を備えられたのである。また無見頂相というのは、釈尊の御身の丈は一丈六尺であるが、竹杖外道が釈尊の身丈を計ろうとしても計れず、頭の御頂を拝見しようとしても見ることができなかったというほどである。応持菩薩も釈尊の頂を見ることができず、大梵天王もまた釈尊の頂を見ることができなかった。なぜならば、釈尊は過去において頭を地につけて父母・師匠・主君を尊敬した果報により、この無見頂相を得られたからである。
[13]そして仏の三十二相の中でも、梵音声というのが最も重要な相である。小国の王や大国の王、および転輪聖王なども、この梵音声の一分を備えているために、王の一言によって国が衰えもすれば良く治まりもするのである。天皇の宣旨というのもまた梵音声の一分であるが、万民の万言は一王の一言には及ばない。古代中国の三墳五典などというのは小王の御言葉である。こうした小王が小国を治めるのも、大梵天王が三界の衆生を随えるのも、また仏が大梵天王や帝釈天等を随えるのも、みなこの梵音声の力である。仏の梵音声から出た教えは一切経となって、一切衆生を救済するのであるが、なかでも法華経は釈尊の御志が梵音声となり、その音声を文字として書き顕されたものであるから、仏の御心はこの法華経の文字に備わっているのである。たとえば種子と苗と、草と稲とは形は変わっても、その心に違いはないように、釈尊と法華経の文字とは形の相違はあるけれども、本質はまったく同じである。したがって法華経の文字を拝見する時には、生身の釈迦如来にお会いしているのだと思わなければならない。このたび、追善のための御供養を佐渡の国まで遣わされた御志のほどは、すでに釈尊がご存じである。まことに孝養の至りである。以上、つつしんで申し上げた。
[14]文永九年<日> 月 日日>
[15]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[16]<先>四条三郎左衛門尉殿御返事先>