四條金吾殿御返事(梵音声書)
112 四条金吾殿御返事
夫斉桓公と申王紫をこのみて服給き。楚荘王と言し王は女の腰のふとき事をにくみしかば、一切の遊女腰をほそからせんがために餓死しけるものおほし。しかれば一人の好事をば我心にあはざれども万民随し也。たとへば大風の草木をなびかし、大海の衆流をひくが如し。風にしたがはざる草木はをれうせざるべしや。小河大海におさまらずばいづれのところにおさまるべきや。
国王と申事は、先生に万人にすぐれて大戒を持、天地及諸神ゆるし給ぬ。其大戒の功徳をもちて、其住べき国土を定。二人三人等を王とせず。地王・天王・海王・山王等悉来てこの人をまほる。いかにいはんや其国中の諸民、其大王を背べしや。此王はたとひ悪逆を犯とも、一二三度等には無左右此大王を不罰。但諸天等の御心不叶者、一往は天変地夭等をもちてこれをいさむ。事過分すれば諸天善神等其国土を捨離し給。若は此大王の戒力つき、期来て国土のほろぶる事もあり。又逆罪多にかさなれば鄰国に破らるゝ事もあり。善悪に付て国は必王に随ものなるべし。
世間如此仏法も又然也。仏陀すでに仏法を王法に付給。しかればたとひ聖人・賢人なる智者なれども、王にしたがはざれば仏法流布せず。或は後には流布すれども始には必大難来る。迦貳志加王仏滅後四百余年の王。健陀羅国を掌のうちににぎれり。五百の阿羅漢を帰依して婆沙論二百巻をつくらしむ。国中総て小乗也。其国に大乗弘がたかりき。発舎密多羅王は五天竺を随へて仏法を失ひ、衆僧の頸をきる。誰の智者も不叶。太宗は賢王也。玄奘三蔵を師として法相宗を持給き。誰の臣下かそむきし。此法相宗は大乗なれども五性各別と申て、仏教中のおほきなるわざはひと見たり。なを外道の邪法にもすぎ、悪法也。月支・震旦・日本三国共にゆるさず。終に日本国にして伝教大師の御手にかゝりて此邪法止畢。大なるわざはひなれども太宗これを信仰し給しかば、誰の人かこれをそむきし。
真言宗と申は大日経・金剛頂経・蘇悉地経による。これを大日の三部と号す。玄宗皇帝御時、善無畏三蔵・金剛智三蔵天竺より将来れり。玄宗これを尊重し給事、天台華厳等にもこえたり。法相三論にも勝て思食が故に、漢土総て大日経は法華経に勝とおもひ、日本国当世にいたるまで、天台宗は真言宗に劣なりとおもふ。彼宗を学する東寺天台の高僧等慢過慢をおこす。但大日経と法華経とこれをならべて偏党を捨て是を見れば、大日経は螢火の如く、法華経は明月の如く、真言宗は衆星の如く、天台宗は如日輪。偏執者云汝未だ真言宗の深義を習きはめずして彼無尽の科を申。但真言宗漢土に渡て六百余年、日本に弘て四百余年、此間の人師の難答あらあらこれをしれり。伝教大師一人此法門の根源をわきまへ給。
しかるに当世日本国第一の科是也。以勝思劣以劣思勝之故に、大蒙古国を調伏する時還て欲被襲是也。華厳宗と申は法蔵法師が所立の宗也。則天皇后の御帰依ありしによりて諸宗肩をならべがたかりき。しかれば王の威勢によりて宗の勝劣はありけり、法に依て勝劣はなきやうなり。たとひ深義を得たる論師人師なりといふとも、王法には勝がたきゆへに、たまたま勝とせし仁は大難にあへり。所謂師子尊者は檀弥羅王のために頸を刎らる。提婆菩薩は外道のために殺害せらる。竺の道生は蘇山に流され、法道三蔵は面に火印をされて江南に放たり。
而日蓮は法華経の行者にもあらず、僧侶の数にもいらず。然而随世人阿弥陀仏名号を持しほどに、阿弥陀仏の化身とひびかせ給善導和尚云、十即十生百即百生乃至千中無一。勢至菩薩化身とあをがれ給法然上人料簡此釈云、末代に念仏の外の法華経等を雑ふる念仏においては千中無一一向念仏者十即十生[云云]。日本国の有智・無智仰て此義を信て、于今五十余年一人も疑を加へず。唯日蓮の諸人にかはる所は、阿弥陀仏の本願には唯除五逆誹謗正法とちかひ、法華経には若人不信毀謗此経則断一切世間仏種乃至其人命終入阿鼻獄と説たり。此善導・法然謗法の者なれば、たのむところの阿弥陀仏にすてられをはんぬ。余仏余経においては我と抛ぬる上は、救給べきに不及。法華経の文の如きは無間地獄疑なしと[云云]。而を日本国はをしなべて彼等が弟子たるあひだ、此大難まぬがれがたし。無尽の秘計をめぐらして日蓮をあだむ是也。前々の諸難はさておき候ぬ。去九月十二日御勘気をかふりて、其夜のうちに頸をはねらるべきにて候しが、いかなる事にやよりけん、彼夜延て此国に来ていままで候に、世間にもすてられ、仏法にも被捨、天にもとふらはれず。二途にかけたるすてものなり。
而を何御志にてこれまで御使をつかはし、御身には一期の大事たる悲母の御追善第三年の御供養を送つかはされたる事、両三日はうつゝともおぼへず。彼法勝寺の修行が、いはを(硫黄)が嶋にてとしごろつかひける童にあひたりし心地也。胡国の夷陽公といひしもの、漢土にいけどられて北より南へ出けるに、飛ちがひける雁を見てなげきけんもこれにはしかじとおぼへたり。但法華経云若善男子善女人我滅度後能窃為一人説法華経乃至一句当知是人則如来使如来所遣行如来事等[云云]。法華経を一字一句も唱、又人にも語申さんものは、教主釈尊の御使也。然者日蓮賤身なれども、教主釈尊の敕宣を頂戴して此国に来れり。此を一言もそしらん人々罪を無間に開、一字一句も供養せん人は、無数の仏を供養するにもすぎたりと見たり。
教主釈尊は一代の教主、一切衆生の導師也。八万法蔵皆金言、十二部経皆真実也。無量億劫より以来、持給し不妄語戒の所詮は、一切経是也。いずれも疑べきにあらず。但是は総相也。
別てたづぬれば、如来の金口より出来して小乗・大乗・顕・密・権経・実経是あり。今この法華経は、仏正直捨方便等乃至世尊法久後要当説真実と説給事なれば、誰の人か疑べき。なれども多宝如来証明を加へ、諸仏舌を梵天に付給。されば此御経は一部なれども三部也、一句なれども三句也、一字なれども三字也。此法華経の一字の功徳は、釈迦・多宝・十方諸仏の御功徳を一字におさめ給。たとへば如意宝珠の如し。一珠も百珠も同事也。一珠も無量の宝を雨す、百珠も又無尽の宝あり。たとへば百草を抹て一丸乃至百丸となせり。一丸も百丸も共に病を治事これをなじ。譬へば大海の一・衆流を備へ、一海も万流の味をもてるが如。妙法蓮華経と申は総名也、二十八品と申は別名也。月支と申は天竺の総名、別ては五天竺是也。日本と申は総名也、別六十六州これあり。如意宝珠と申は釈迦仏の御舎利也。龍王これを給て頂上に頂戴して、帝釈是を持て宝をふらす。仏の身骨の如意宝珠となれるは、無量劫来所持の大戒身に薫て骨にそみ、一切衆生をたすくる珠となる也。たとへば犬の牙虎の骨にとけ(渙)、魚骨・の気に消が如し。乃至師子の筋を琴の絃にかけてこれを弾ば、余の一切の獣の筋の絃、皆きらざるにやぶる。仏の説法をば師子吼と申、乃至法華経は師子吼の第一也。
仏には三十二相そなはり給。一々の相皆百福荘厳也。肉髻・白毫なんど申は菓の如し。因位の華の功徳等と成て三十二相を備給。乃至無見頂相と申は、釈迦仏の御身は丈六也。竹杖外道釈尊の御長をはからず、頂を見奉とせしに御頂を不見。応持菩薩も御頂を不見。大梵天王も御頂をば不見。これはいかなるゆへぞとたずぬれば、父母・師匠・主君を頂を地につけて恭敬し奉しゆへに此相を感得せり。乃至梵音声と申は仏の第一の相也。小王・大王・転輪王等此相を一分備へたるゆへに、此王の一言に国も破国も治也。
宣旨と申は梵音声の一分也。万民万言不及一王一言。三墳五典なんど申は小王の御言也。此治小国乃至大梵天王三界の衆生を随ふる事、仏大梵天王帝釈等をしたがへ給事もこの梵音声也。此等梵音声成一切経一切衆生を利益す。其中に法華経は釈迦如来の御志を書顕て、此音声を文字と成給。仏の御心はこの文字に備れり。たとへば種子と苗と草と稲とはかはれども心はたがはず。釈迦仏と法華経の文字とはかはれども、心は一也。然ば法華経の文字を拝見せさせ給は、生身の釈迦如来にあひ進らせたりとおぼしめすべし。此志佐渡国までおくりつかはされたる事、すでに釈迦仏知食畢。実に孝養の詮也。恐恐謹言。 文永九年 月 日 日蓮[花押] 四条三郎左衛門尉殿御返事