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八幡宮造営事

全集 第6巻 2段 定本: #20405(定本の該当ページへ)

書下し

八幡宮造営事はちまんぐうぞうえいのこと


[1]此の法門申し候事、すでに二十九年なり。日々の論義、月々の難、両度の流罪に身つかれ、心いたみ候し故にや、此の七八年が間、年々に衰病をこり候つれども、なのめにて候つるが、今年は正月より其の気分出来して、既に一期をわりになりぬべし。其の上、よわい既に六十にみちぬ。たとひ十に一、今年はすぎ候とも、一二をばいかでかすぎ候べき。忠言は耳に逆ひ、良薬は口に苦しとは先賢の言也。やせ病の者は命をきらう、佞人ねいじんは諫を用ひずと申す也。此の程は上下の人人の御返事申す事なし。心もものうく、手もたゆき故也。しかりと申せども、此の事大事なれば苦を忍んで申す。ものうしとおぼすらん。一きこしめすべし。村上天皇の前中書王の書を投げ給ひしがごとくなることなかれ。
[2]さては八幡宮の御造営につきて、一定ざむそうや有らんずらむ、と疑ひまいらせ候也。をやと云ひ、我身と申し、二代が間きみにめしつかはれ奉りて、あくまで御恩のみ(身)なり。たとひ一事相違すとも、なむのあらみ(恨?)かあるべき。わがみ賢人ならば、設ひ上よりつかまつるべきよし仰せ下さるゝとも、一往はなに事につけても辞退すべき事ぞかし。幸に讒臣等がことを左右によせば、悦んでこそあるべきに、望まるゝ事一のとが也。
[3]此れはさておきぬ。五戒を先生に持ちて今生に人身を得たり。されば云ふに甲斐なき者なれども、国主等いわれなくとがにあつれば、守護の天のいかりをなし給ふ。況んや命をうばわるゝ事は天の放ち給ふなり。いわうや日本国四十五八万九千六百五十九人の男女をば、四十五億八万九千六百五十九の天まほり給ふらん。しかるに他国よりせめ来る大難は脱るべしとも見へ候はぬは、四十五億八万九千六百五十九人の人々の天にも捨てられ給ふ上、六欲・四禅・梵釈・日月・四天等にも放たれまいらせ給ふにこそ候ひぬれ。
[4]然るに日本国の国主等、八幡大菩をあがめ奉りなば、なに事のあるべきと思はるゝが、八幡は又自力叶ひがたければ、宝殿を焼きてかくれさせ給ふか。然るに自らの大科をばかへりみず、宝殿を造りてまほらせまいらせむとおもへり。日本国の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生が、釈・多宝・十方分身の諸仏、地涌と娑婆と他方との諸大士、十方世界の梵釈・日月・四天に捨てられまひらせん分斉の事ならば、はづか()なる日本国の小神天照太神・八幡大菩の力及び給ふべしや。其の時八幡宮はつくりたりとも、此の国他国にやぶられば、くぼきところ(凹処)にちり(塵)たまり、ひきゝ(低)ところに水あつまると、日本国のかみ一人よりしも万民にいたるまで、さたせむ事は兼ねて又知れり。
[5]八幡大菩は本地は阿弥陀ほとけにまします。衛門の大夫は念仏無間地獄と申し、阿弥陀仏をば火に入れ水に入れ、其の堂をやきはらひ、念仏者のくびを切れと申す者也。かゝる者の弟子檀と成りて候が、八幡宮を造りて候へども、八幡大菩用ひさせ給はぬゆへに、此の国はせめらるゝなりと申さむ時はいかがすべき。然るに天かねて此の事をしろしめすゆへに、御造営の大ばんしやう(番匠)をはづされたるにやあるらむ。神宮寺じんぐうじの事のはづるゝも天の御計ひか。
[6]其の故は去ぬる文永十一年四月十二日に大風ふきて、其の年他国よりおそひ来るべき前相也。風は是れ天地の使なり。まつり事あらければ風あらしと申すは是れ也。又今年四月二十八日を迎へて此の風ふき来る。しかるに四月二十六日は八幡むねあげと承はる、三日の内の大風は疑ひなかるべし。蒙古の使者の貴辺が八幡宮を造りて、此の風ふきたらむに、人わらひさたせざるべしや。
[7]返す返す穏便にして、あだみうらむる気色なくて、身をやつし、下人をもぐせず、よき馬にものらず、のこぎり(鋸)かなづち()手にもち、こし(腰)につけて、つねにえめ(咲)るすがたにておわすべし。此の事一事もたがへさせ給ふならば、今生には身をほろぼし、後生には悪道に堕ち給ふべし。返す返す法華経うらみさせ給ふ事なかれ。恐々。
[8]<日>五月二十六日
[9]<人><花押>花押
[10]<先>夫志殿
[11]<先>衛志殿
現代語訳

八幡宮造営事


弘安四年(一二八一)五月二六日、六〇歳、於身延、池上兄弟宛、和文、定一八六七—一八七〇頁。

[1]日蓮が法華経の法門を弘めはじめてから、すでに二十九年に及んでいる。日々に論義し、月々に諸難を蒙り、二度の流罪にも遭って身も疲れ心も病んだためであろうか、この七、八年の間は年とともに衰弱してきたが、それでもまず命をながらえることができた。しかし今年は正月から衰弱の度を増してきており、もうすぐ臨終も近いようである。そのうえ年齢もすでに六十に満ちた。たとえ十に一つ今年は無事であっても、来年、再来年までも生き延びることはおぼつかない。忠言は耳に逆い、良薬は口に苦しとは昔の先賢の言葉である。病身の者は死期をい、邪心のある者は人の諫言を用いないといわれている。最近では心も進まず手もだるいから、上下にかかわらず誰に対しても返事を出さないことにしている。しかしながら今度のことは大切なことであるから、病苦を忍んで申しあげるのである。面倒と思うであろうが、是非お読みいただきたい。村上天皇が兼明親王の書を投げ捨てたようには取り扱わないでいただきたい。
[2]さて、八幡宮の造営の問題については、きっと讒奏する者があろうかとかねて思っていたところである。貴殿等は父上から引き続き二代にわたって同じ主君に召されて、どこまでも御恩を蒙った身であるから、たとえ思い通りにならない一事があっても、主君を粗略に思ってはならない。こちらが賢人であるならば、たとえ主君の方から八幡宮の造営に携わることを命令されたとしても、一往は辞退するのが謙虚な態度というものである。今回の事件では信仰を異にする讒臣どもが事件をねじ曲げて貴殿等を排斥したのであるから、むしろそれを幸いとして悦ぶべきであるのに、自分から造営工事の担当を希望するのは、かえって貴殿等の一つの過失といわなければなるまい。
[3]それはさておき、人間は前世に五戒を持ったので、その果報でこの世に人間として生まれたのである。それゆえたとえどんなにつまらない者でも、国主等が謂れのない罪をかぶせるならば、守護の天神はお怒りになるに違いない。それなのに命を奪われるということは、よくよく天神から見放されたのである。いま日本国の四十五億八万九千六百五十九人の全国民は、四十五億八万九千六百五十九の天神に守られているはずである。しかしながら蒙古から攻め寄せられて、その大難を免れることができないようであるから、四十五億八万九千六百五十九人の人々は、天神に見捨てられた上、六欲天・四禅天・梵天・帝釈天・日天・月天・四天王等の諸天にも見放されたのである。
[4]日本国の国主等は、八幡大菩を崇め奉っておきさえすれば、何事もなくて済むと思っているが、八幡大菩も自分の力でこの大難を救うことができないから、宝殿を焼いて隠れてしまわれたのであろう。それなのに自分たちの過失は顧みないで、宝殿を造って安置しようと思っている。日本国の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生は、釈・多宝・十方世界の分身諸仏、地涌の菩や、娑婆世界と他方世界との諸菩や、十方世界の梵天・帝釈天・日天・月天・四天王等に見捨てられた分際であるのに、どうしてわずかに日本国の小神である天照太神・八幡大菩の力でこれを救うことができようか。もし八幡宮を造営したとしても、この日本国が他国に侵略されたならば、たとえば凹みのあるところに塵がたまり、低いところに水が集まるように亡びてしまうであろう。こうしたことは、かねてから日本国の上下万民に知らせていたはずのことである。
[5]もし念仏者たちが、「八幡大菩の本地は阿弥陀仏である。衛門大夫は念仏を無間地獄の業因と言い、阿弥陀仏を火に投じ水に入れ、その堂を焼き払い、念仏者の頸を切れと主張した日蓮の弟子檀である。そのような者が八幡宮を造営しても、八幡大菩は宿られないから、この日本国は他国に攻められるのである」などと言われたとしたら、いったいどうするおつもりか。仏天は以前からこのことをご存じなので、八幡宮造営の担当から外されたのであろう。また神宮寺の担当から外れたのも仏天の御計らいに違いない。
[6]なぜならば、去る文永十一年四月十二日に大風が吹いたのは、同年十月に蒙古国が来襲する前兆であったように、風というのは天地の使いである。国の政治が荒廃すると暴風が吹くというのはこのことである。また今年四月二十八日に大風が吹いた。その前々日の四月二十六日は八幡宮の上棟式であったとのこと、三日の内に大風が吹くと言った通りではないか。日蓮の門下として、まるで蒙古の使者のように評されている貴殿が、もし八幡宮の造営に関わってこの風が吹いたのであったならば、人々の笑い者にされたに違いない。
[7]くれぐれも穏便にして、人を憎むような様子もなく、謙虚な態度で、下人なども召し連れず、良馬にも乗らず、鋸を手に持ち金を腰に付けて、いつもにこやかな様子をしておられるがよい。この教訓を少しでも違えるならば、今生には身を滅ぼし、後生には悪道に堕ちるであろう。再三申し上げておくが、そのようなことになっても法華経を恨むことがあってはならない。以上、つつしんで申し上げる。
[8]<日>五月二十六日
[9]<人><花押>花押
[10]<先>大夫志殿
[11]<先>兵衛志殿