八幡宮造営事
405 八幡宮造営事
此法門申候事すでに廿九年なり。日々論義、月々難、両度流罪身つかれ、心いたみ候し故にや、此七八年が間、年々に衰病をこり候つれども、なのめにて候つるが、今年は正月より其気分出来して、既一期をわりになりぬべし。其上、齢既六十みちぬ。たとひ十一今年すぎ候とも、一二をばいかでかすぎ候べき。忠言耳逆、良薬口苦とは先賢言也。やせ病の者は命きらう、侫人は諌を用ずと申也。此程上下人人御返事申事なし。心もものうく、手もたゆき故也。しかりと申せども此事大事なれば苦を忍で申。ものうしとおぼすらん。一篇きこしめすべし。村上天皇前中書王書を投給しがごとくなることなかれ。
さては八幡宮御造営つきて、一定さむそうや有ずらむ、と疑まいらせ候也。をやと云ひ、我身と申、二代が間きみにめしつかはれ奉て、あくまで御恩のみ(身)なり。設一事相違すとも、なむのあらみ(恨?)かあるべき。わがみ賢人ならば、設上よりつかまつるべきよし仰下さるゝとも、一往はなに事つけても辞退すべき事ぞかし。幸讒臣等がことを左右よせば、悦でこそあるべきに、望るゝ事一失也。此さてをきぬ。五戒を先生持て今生人身得たり。されば云甲斐なき者なれども、国主等謂なく失にあつれば、守護天いかりをなし給。況や命をうばわるゝ事天放ち給なり。いわうや日本国四五億八万九千六百五十九人男女をば、四五億八万九千六百五十九天まほり給らん。然他国よりせめ来大難脱べしとも見候はぬは、四五億八万九千六百五十九人の人々の天にも捨られ給上、六欲・四禅・梵釈・日月・四天等にも放まいらせ給にこそ候ぬれ。
然日本国の国主等、八幡大菩薩をあがめ奉なば、なに事あるべきと思はるゝが、八幡は又自力叶がたければ、宝殿を焼かくれさせ給か。然自大科をばかへりみず、宝殿を造てまほらせまいらせむとおもへり。日本国四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生が、釈迦・多宝・十方分身諸仏、地涌と娑婆と他方との諸大士、十方世界梵釈・日月・四天捨られまひらせん分斉事ならば、はづか(僅)なる日本国小神天照太神・八幡大菩薩力及給べしや。其時八幡宮はつくりたりとも此国他国やぶられば、くぼきところ(凹処)にちり(塵)たまり、ひきゝ(低)ところに水あつまると、日本国上一人より下万民にいたるまでさたせむ事兼又知れり。
八幡大菩薩本地阿弥陀ほとけにまします。衛門大夫は念仏無間地獄申。阿弥陀仏をば火に入水に入、其堂をやきはらひ、念仏者くびを切れと申者也。かゝる者弟子檀那と成て候が、八幡宮造て候へども、八幡大菩薩用させ給はぬゆへに、此国はせめらるゝなりと申さむ時はいかがすべき。然天かねて此事しろしめすゆへに、御造営の大ばんしやう(番匠)をはづされたるにやあるらむ。神宮寺事はづるゝも天の御計歟。其故去文永十一年四月十二日大風ふきて、其年他国よりおそひ来べき前相也。風是天地使なり。まつり事あらければ風あらしと申は是也。又今年四月廿八日を迎て此風ふき来。而四月廿六日は八幡むね上と承はる。三日内大風は疑なかるべし。蒙古使者貴辺八幡宮を造て、此風ふきたらむに、人わらひさたせざるべしや。
返返隠便にして、あだみうらむる気色なくて、身をやつし、下人をもぐせず、よき馬にものらず、のこぎり(鋸)かなづち(金槌)手にもち、こし(腰)につけて、つねにえめ(咲)るすがたにておわすべし。此事一事もたがへさせ給ならば、今生には身をほろぼし、後生には悪道に堕給べし。返返法華経うらみさせ給事なかれ。恐々。 五月廿六日 花押 大夫志殿 兵衛志殿