兵衛志殿御返事
書下し
兵衛志殿御返事
[1]かた〴〵のもの、ふ(夫)二人をもつて、をくりたびて候。その心ざし、弁殿の御ふみに申すげに候。
[2]さてはなによりも御ために第一の大事を申し候なり。正法・像法の時は世もいまだをとろへず、聖人賢人もつづき生れ候き。天も人をまほり給ひき。末法になり候へば、人のとんよくやうやくすぎ候て、主と臣と親と子と兄と弟と諍論ひまなし。まして他人は申すに及ばず。これによりて天もその国をすつれば、三災七難、乃至、一二三四五六七の日いでゝ、草木もかれうせ、小大河もつ(尽)き、大地はすみ(炭)のごとくをこり、大海はあぶらのごとくになり、けつくは無間地獄より炎いでゝ、上梵天まで火炎充満すべし。これていの事いでんとて、やうやく世間はをと(衰)へ候なり。
[3]皆人のをもひて候は、父には子したがひ、臣は君にかなひ、弟子は師にゐ(違)すべからずと云云。かしこき人もいやしき者もしれる事なり。しかれども貪欲・瞋恚・愚痴と申すさけ(酒)にゑひて、主に敵し、親をかろしめ、師をあなづる、つねにみへて候。但師と主と親とに随ひて、あしき事を諫めば孝養となる事は、さきの御ふみにかきつけて候しかば、つねに御らむあるべし。
[4]ただしこのたびゑもん(衛門)の志どのかさねて親のかんだう(勘当)あり。とのの御前にこれにて申せしがごとく、一定かんだうあるべし。ひやうへ(兵衛)の志殿をぼつかなし。ごぜん(御前)かまへて御心へあるべしと申して候ひしなり。今度はとのは一定をち給ひぬとをぼうるなり。をち給はんをいかにと申す事は、ゆめ〳〵候はず。但地獄にて日蓮をうらみ給ふ事なかれ。しり候まじきなり。千年のかるかや(苅萱)も一時にはひ(灰)となる。百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり。
[5]さゑもんの大夫殿は、今度法華経のかたきになりさだまり給ふとみへて候。ゑもんのたいうの志殿は、今度法華経の行者になり候はんずらん。とのは現前の計らひなれば、親につき給はんずらむ。ものぐるわしき人々は、これをほめ候べし。宗盛が親父入道の悪事に随ひてしのわら(篠原)にて頸を切られし、重盛が随はずして先に死せし、いづれか親の孝人なる。法華経のかたきになる親に随ひて、一乗の行者なる兄をすてば、親の孝養となりなんや。せんずるところ、ひとすぢにをもひ切つて、兄と同じく仏道をなり(成)給へ。親父は妙荘厳王のごとし、兄弟は浄蔵・浄眼なるべし。昔と今はかわるとも、法華経のことわりたがうべからず。当時も武蔵入道、そこばくの所領・所従等をすてて遁世あり。ましてわどのばらがわづかの事をへつらひて、心うすくて悪道に堕ちて日蓮うらみさせ給ふな。
[6]かへすがへす今度とのは堕つべしとをぼうるなり。此れ程心ざしありつるが、ひきかへて悪道に堕ち給はん事がふびんなれば申すなり。百に一、千に一も日蓮が義につかんとをぼさば、親に向つていゐ切り給へ。親なればいかにも順ひまいらせ候べきが、法華経の御かたきになり給へば、つきまいらせては不孝の身となりぬべく候へば、すてまいらせて兄につき候なり。兄にすてられ候わば、兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ。すこしもをそるゝ心なかれ。過去遠々劫より法華経を信ぜしかども、仏にならぬ事これなり。
[7]しを(潮)のひるとみつと、月の出づるといると、夏と秋と、冬と春とのさかひには、必ず相違する事あり。凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す障いできたれば、賢者はよろこび、愚者は退く、これなり。此の事はわざとも申し、又びんぎにとをもひつるに御使にありがたし。堕ち給ふならば、よもこの御使はあらじとをもひ候へば、もしやと申すなり。
[8]仏になり候事は、此の須弥山にはり(針)をたてゝ、彼の須弥山よりいと(糸)をはなちて、そのいとのすぐにわたりて、はりのあな(穴)に入るよりもかたし。いわうや、さかさまに大風のふきむかへたらんは、いよ〳〵かたき事ぞかし。経に云く、〔「億億万劫より不可議に至る、時に乃しこの法華経を聞くことを得。億億万劫より不可議に至る、諸仏世尊、時にこの経を説きたまう。この故に行者仏滅後において、かくのごとき経を聞きて疑惑を生ずることなかれ」〕等云云。此の経文は法華経二十八品の中にことにめづらし。序品より法師品にいたるまでは等覚已下人天・四衆・八部そのかずありしかども、仏は但釈迦如来一仏なり。重くてかろきへんもあり。宝塔品より属累品にいたるまでの十二品は殊に重きが中の重きなり。其の故は釈迦仏の御前に多宝の宝塔涌現せり。月の前に日の出でたるがごとし。又十方の諸仏は樹下に御はします。十方世界の草木の上に火をともせるがごとし。此の御前にてせん(撰)せられたる文なり。
[9]涅槃経に云く、〔「昔無数無量劫よりこのかた、常に苦悩を受く。一一の衆生一劫の中に積む所の身の骨は王舎城の毘富羅山のごとく。飲む所の乳汁は四海の水のごとく、身より出す所の血は四海の水より多し。父母・兄弟・妻子・眷属の命終に哭泣して出す所の目涙は四大海より多し。地の草木を尽して四寸の籌となし、もつて父母を数うともまた尽すことあたわじ」〕云云。此の経文は仏最後に双林の本に臥してかたり給ひし御言也。もつとも心をとゞむべし。無量劫より已来、生むところの父母は、十方世界の大地の草木を四寸に切りて、あてかぞうとも、たるべからずと申す経文なり。
[10]此等の父母にはあひしかども、法華経にはいまだあわず。されば父母はまうけやすし、法華経はあひがたし。今度あひやすき父母のことばをそむきて、あひがたき法華経のともにはなれずば、我が身仏になるのみならず、そむきしをやをもみちびきなん。例せば悉達太子は浄飯王の嫡子なり。国をもゆづり、位にもつけんとをぼして、すでに御位につけまいらせたりしを、御心をやぶりて夜中城をにげ出でさせ給ひしかば、不孝の者なりとうらみさせ給ひしかども、仏にならせ給ふては、まづ浄飯王・摩耶夫人をこそみちびかせ給ひしか。をや(親)というをやの世をすてゝ仏になれと申すをやは一人もなきなり。
[11]これはとによせかくによせて、わどのばらを持斎・念仏者等がつくりをとさんために、をやをすゝめをとすなり。両火房は百万反の念仏をすゝめて人々の内をせきて、法華経のたねをたゝんとはかるときくなり。極楽寺殿はいみじかりし人ぞかし。念仏者等にたぼらかされて日蓮をあだませ給ひしが、我が身といゐ、其の一門皆ほろびさせ給ふ。ただいまはへちご(越後)の守殿一人計りなり。両火房を御信用ある人はいみじきと御らむあるか。なごへの一門の善覚寺・長楽寺・大仏殿立てさせ給ひて、其の一門のならせ給ふ事をみよ。又守殿は日本国の主にてをはするが、一閻浮提のごとくなるかたきをへさせ給へり。わどの兄をすてゝ、あにがあとをゆづられたりとも、千万年のさかへかたかるべし。しらず、又わづかの程にや。いかんがこのよ(此世)ならんずらん。よく〳〵をもひ切つて、一向に後生をたのまるべし。かう申すとも、いたづらのふみ(文)なるべしとをもへば、かくもものうけれども、のちのをもひでにしるし申すなり。恐々謹言。
[12]<日>十一月二十日日>
[13]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[14]<先>兵衛志殿御返事先>
現代語訳
兵衛志殿御返事
建治三年(一二七七)あるいは建治元年(一二七五)の一一月二〇日、五六歳あるいは五四歳、於身延、池上兵衛志宛、和文、定一四〇一—一四〇六頁。
[1]さまざまの御供養の品、お使いの方二人でお届けいただき、ありがたく頂戴いたしました。貴殿の御志のほどは弁阿闍梨日昭殿の書状に申し越されるとのことを承りました。
[2]なにはさておき、貴殿のためにもっとも大事なことを申し上げましょう。釈尊御入滅後一千年の正法の時代、および二千年までの像法の時代においては、世の中は仏法の力がいまだ衰えず、聖人や賢人といわれる人々が相次いで出現し、仏天の加護もありました。しかし末法の時代になると、人々の貪欲が次第に深くなって、主君と家臣、親と子、兄と弟との間の争い事が絶え間なく起こり、まして他人同士の争いは言うまでもないありさまです。それがために天もこの国を見捨ててしまえば、三災七難が起こり、あるいは太陽が一つでなく、二つ、三つ、四五六七も現われたり、草木は枯れ失せ、大河も小河も水が干上がり、大地は炭が燃えるように熱くおこり、大海は油のように煮えたぎって、ついには無間地獄から炎が出て、上は梵天に至るまで焼き尽くすことでしょう。このような災難が興起することとなって、次第に世の中は衰えていくのです。
[3]世間一般の人が常識として考えますことは、子は父に従い、下臣は主君に仕え、弟子は師に背いてはならない、ということです。これは賢い人も身分の低い人もよく知っていることです。しかしながら、人としての貪りの欲や、怒りの心や畜生のような愚かな心という酒に酔ってしまって、主君に背いたり、親を軽んじたり、師を侮ったりすることは、世間によくあることなのです。ただし師や主君や親の意に従うことが悪いことになる場合、諫めた方がかえって孝養になるという道理については、先に差し上げた書状(兄弟鈔)に書きつけておきましたから、始終ご覧になって下さい。
[4]ただし、このたび兄上の衛門志殿が再び父上から勘当されたとのこと。貴殿の女房御前にこの身延で申し上げたように、「兄の衛門志殿はきっと勘当されるに違いない。そうなると兵衛志殿は心もとないから、女房御前が心をしっかりとお持ちなさい」と、申しておりました。今度は貴殿はきっと信仰を退転されてしまうだろうと思えるのです。退転されることについて今さらとやかく言うつもりは、少しもありません。ただ、地獄に堕ちてから日蓮をお恨みなさいますな。知りませんぞ。千年かかって蓄えた苅萱も灰になる時は一瞬であり、百年かかって積み上げた功績もたった一言で無駄になってしまうということは道理のことなのです。
[5]お父上の左衛門大夫殿は、このたびいよいよ法華経の敵対者となってしまわれたようです。いっぽう兄上の衛門大夫志殿は、このたび法華経の行者となられるのでありましょう。貴殿は現実の生活のことを考えて、お父上の側に付かれるでしょう。狂気じみている人々は、これを褒めることでしょう。かの平宗盛が親父清盛入道の悪事について行って、ついには源氏に捕えられて篠原で頸を切られたのと、兄の重盛が親父に随わないで先に死を選んだのと、どちらが真実の親孝行だったのでしょうか。貴殿は、いま法華経の敵となった父上に随って、法華一乗の行者である兄上を捨てたならば、はたして真実の親孝行となるのでしょうか。結局のところ、しっかりと覚悟を決めて、兄上と同じように仏道を成就しなさい。お父上を妙荘厳王にたとえるなら、貴殿たち兄弟は浄蔵と浄眼におなりなさい。昔と今と時代は違っても、法華経が示す永遠の真理はけっして変わることはありません。最近でも武蔵入道、すなわち北条義政は、多くの領地や家来を捨てて出家されました。まして貴殿等がわずかの領地を保つために世間に諂って、法華経の信心を捨てて悪道に堕ちても、日蓮をお恨みなさいますな。
[6]再三申し上げますが、今度ばかりは貴殿は信仰を退転されることでしょう。最近まで法華経へ志のあった者が、かえって悪道に堕ちられるということが不憫に思われるので申すのです。百に一つ、千に一つでも、日蓮の説く道理に随おうとお思いならば、父上に向かって次のように言い切っておしまいなさい。「お父上の言い付けにはどのようにしても随うべきでありましょうが、法華経の御敵になられるのでしたら、お随い申し上げては、かえって不孝の身となるでありましょうから、お捨てして兄上の歩まれる側に付きます。万一、兄上に捨てられましたなら、兄と父上とは同じく地獄に堕ちるものとお考えなさいませ」と言い切りなさい。少しも恐れることはありません。はるかに遠い無限の過去の時代から、法華経を信じても、ついに今まで仏に成れなかったということは、ここにあるのです。
[7]潮の干満や月の出入、夏と秋と、冬と春と、こうした自然現象の境目には必ず何か変わったことが起こるものです。凡夫が仏に成るというときもまた、これと同じです。必ず三障四魔という障害が発生するものですから、賢者はかえってこれを喜ぶが、愚者はこれに恐れて退いてしまう、というのがまさにその境目なのです。このことについては、わざわざ申し上げるか、または機会があればとも思っていましたが、ちょうど貴殿の御使者がこの身延まで来られました。有難いことです。法華経の信仰を退転されてしまわれたのなら、まさかこの御使者はなかったろうと思えますので、もしや日蓮の言うことをお聞き下さるかと、申し上げるのです。
[8]仏に成るということは、こちらの須弥山に針を立てて、あちら側の須弥山から糸をまっすぐに投げて針の穴に通すことよりも難しいことです。まして強い逆風が吹いていたならば、いっそう難しいことでありましょう。法華経常不軽菩薩品には「億億万劫の昔から不可思議劫に至る永い時を経て、今、この法華経を聞くことができたのだ。億億万劫の昔から不可思議劫に至る永い時を経て、諸仏世尊は今、この法華経をお説きになるのだ。それゆえに、仏の滅後において法華経の修行を志す者は、この経を聞いて疑惑の念を起こしてはならない」とあります。この経文は、法華経二十八品の中でも特に尊い文言です。法華経では、序品第一から法師品第十までの説法の会座には、等覚の菩薩をはじめ、人間界・天上世界、そして比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆、天・竜・夜叉等の八部など、数多くあったけれども、仏はただ釈迦如来一仏だけでありました。ですから重要な教えが説かれてはおりますが、まだ軽いところがないわけではありません。ついで見宝塔品第十一から属累品第二十二までの十二品は、よりいっそう重要な教えが説かれているのです。その理由は、釈尊が説法をなさっている前に多宝如来の宝塔が大地の中から涌き出るように現われたのです。ちょうどそれは、月の前に太陽が出たようなものです。また十方のすべての世界から諸仏がお集まりになって菩提樹の下に坐っていらっしゃる。その様子はまるで十方世界すべての草木の上に灯りを点したようなものです。常不軽菩薩品の教えはこうした情景の中で明らかにされたものなのです。
[9]涅槃経巻第二十二の光明遍照高貴徳王品には「無数無量劫の昔からこのかた、衆生の苦悩は絶えることがない。一人ひとりの衆生が一劫という長い時間の単位の中で積み重ねた身体の骨は、王舎城の近くにある毘富羅山のようにうず高く、その間に飲んだ乳は須弥山の四方を取りまく四海のように多量で、その身体から出した血は四海の水より多く、また彼らが父母・兄弟・妻子・眷属の臨終において流した涙は四大海よりも多い。大地の草木をすべて四寸ほどの数取りの棒として父母を数えたとしても、けっして数え尽くすことはできないであろう」とあります。この経文は仏が入滅される時に沙羅双樹の下で横臥して語られたお言葉ですから、我々は最も心に銘記しておかなければなりません。無量劫の過去以来、我ら衆生を産み育てた父母の数というものは、十方世界の大地の草木をすべて四寸ほどの数を数えるための棒状に切ってそれを数えたとしても、数えきれないのだという経文なのであります。
[10]このように数多くの父母には会ってきたけれども、法華経にはいまだ巡り会うことができなかったのです。だから父母に会うことは容易だが、法華経に出会うのは至難であるというのです。今度その会うことが容易な父母の言葉に背いたとしても、出会うことが困難な法華経をしっかりと受持しておれば、自分自身が仏に成れるだけでなく、法華経に背いた親をも一緒に成仏の道へと導くことができるのです。たとえば悉達太子として生まれた釈尊は浄飯王の嫡子でありました。父王は国を譲り、世継ぎとして即位させようとしましたが、父王のそのような心に背いて夜中に人知れず城から逃げ出してしまわれました。そこで、この行為は不孝の者であると恨まれたけれども、仏として成道された後は、まず父の浄飯王と母の摩耶夫人をお導きになったのです。世の中の親はどの親であっても、出家して仏になりなさいなどとはけっして言わないものなのです。
[11]この度のことは、持斎や念仏等がなんとかして貴殿等の法華経の信仰を退転させようとして、お父上をそそのかしたのです。二度の火事の原因となり、「両火房」と称することのできるあの良観房忍性は、百万遍の念仏を称えるように勧誘して、親しい間柄を塞ぎとめてしまい、法華経の仏種を断絶させようという計画を立てていると聞いています。極楽寺殿とも呼ばれた北条重時は立派な人物でありましたが、念仏者等にだまされて日蓮を迫害したために、自身だけでなく、その一門が滅亡してしまい、現在ではただ越後守殿、すなわち北条業時一人だけがこの世に残られているのです。それでも両火房を信用する人々が立派な人だとお思いでしょうか。善覚寺・長楽寺・大仏殿を建立された名越の一門が、どのような結末を迎えられたかお考えなさい。また守殿、すなわち北条時宗は、日本国の主となられたが、一閻浮提の世界全体に及ぶほどの勢力をもつ巨大な敵に攻められる身となられています。貴殿が兄上を見捨てて、その相続権を継承したとしても、千万年も栄えるはずはないでしょう。ほんのわずかの間に亡びてしまうかもしれません。いつまでもこの世が存続するとも思えません。よくよく決心して、ひたすら来世の幸福をお祈りなさい。このように申し上げても、この手紙はむだになってしまうかもしれません。そう思うと筆を運ぶのもつらいですが、後のちに思い出してもらうため、認めて申し上げる次第です。以上、つつしんで申し述べました。
[12]<日>十一月二十日日>
[13]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[14]<先>兵衛志殿御返事先>