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兵衛志殿御書

全集 第6巻 2段 定本: #20260(定本の該当ページへ)

書下し

兵衛志殿御書ひようえさかんどのごしよ


[1]久しくうけ給はり候はねば、おぼつかなく候。何よりもあはれにふしぎなる事は、大夫志たゆうさかん殿と、とのとの御事ふしぎに候。
[2]つねさまにはすえになり候へば、聖人・賢人もみなかくれ、ただざんじん(讒人)・ねいじん(侫人)・わざん(和讒)・きよくり(曲利)の者のみこそ国には充満すべきと見へて候へば、へば水すくなくなれば池さはがしく、風ふけば大海しづかならず。代の末になり候へば、かんぱち(旱魃)・えきれい(疫癘)・大雨・大風ふきかさなり候へば、広き心もせばくなり、道心ある人も邪見になるとこそ見へて候へ。されば他人はさてをきぬ。父母と夫妻と兄弟と諍ふ事、れつし(猟師)としか(鹿)と、ねことねずみと、たかときじとの如しと見へて候。
[3]良観*りようかん等の天魔の法師らが親父左衛門大夫しんぶ*さえもんのたゆう殿をすかし、わどの(和殿)ばら二人を失はんとせしに、殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちゐりしゆへに、ふたつのわ(輪)の車をたすけ、ふたつの足の人をになへるが如く、ふたつの羽のとぶが如く、日月の一切衆生を助くるが如く、兄弟の御力にて親父を法華経に入りまいらせさせ給ひぬる御計おんはからひ、ひとえに貴辺の御身おんみにあり。
[4]又真実の経の御ことはりは代末よすえになりて仏法あながちにみだれば、大聖人に出づべしと見へて候。へば松のしも(霜)の後に木の王と見へ、菊は草の後に仙草せんそうと見へて候。代のおさまれるには賢人見えず。代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕はれ候へ。あはれ平左衛門*へいのさえもん殿・さがみ殿の日蓮をだに用ひられて候ひしかば、すぎにし蒙古国の朝使つかいのくびは、よも切らせまいらせ候はじ。くやしくおはすならん。
[5]人王八十一代安徳あんとく天皇と申す大王は、天台の座主明雲ざす*みよううん等の真言師等数百人かたらひて、源右将軍頼朝みなもとのうしようぐんよりともを調伏せしかば、「還著於本人げんじやくおほんにん」とて明雲は義仲よしなかに切られぬ。安徳天皇は西海に沈み給ふ。人王八十二三四、隠岐法皇おきのほうおう阿波院あわのいん佐渡院さどのいん当今とうぎん、已上四人、座主慈円僧正*じえんそうじよう御室おむろ三井みい等の四十余人の高僧等をもて、へいの将軍義時よしときを調伏し給ふ程に、又「還著於本人」とてかみの四王、島々に放たれ給ひき。此の大悪法は弘法こうぼう慈覚じかく智証ちしようの三大師、法華経最第一の釈尊の金言きんげんを破りて、法華経最第二・最第三、大日経最第一と読み給ひし僻見を御信用ありて、今生には国と身とをほろぼし、後生には無間地獄に堕ち給ひぬ。
[6]今度は又此れ調伏三度なり。今わが弟子等死したらん人々は、仏眼ぶつげんをもて是れを見給ふらん。命つれなくていきたらんまなこに見よ。国主等は他国へ責めわたされ、調伏の人々は或いは狂死くるいじに、或いは他国或いは山林にかくるべし。教主釈尊の御使を二度までこうぢをわたし、弟子等をろう(牢)に入れ、或いは殺し、或いは害し、或いは所国ところをおひし故に、其のとが必ず国々万民の身に一々にかゝるべし。或いは又白癩びやくらい黒癩こくらい・諸悪重病の人々おほかるべし。わが弟子等此の由を存ぜさせ給へ。恐恐謹言。
[7]<日>九月九日
[8]<人>日 蓮<花押>花押
[9]此のふみは別しては兵衛*ひようえさかん殿へ。じてはわが一門の人々御覧あるべし。他人に聞かせ給ふな。
現代語訳

兵衛志殿御書


建治三年(一二七七)あるいは弘安元年(一二七八)の九月九日、五六歳あるいは五七歳、於身延、池上兵衛志宛、和文、定一三八七—一三八九頁。

[1]久しくご様子を承らないので、案じておりました。何よりも尊く不思議に思われますことは、兄の大夫志殿とあなた(兵衛志殿)とのことであります。
[2]一般には、時代が下がって末法になると、聖人や賢人といわれるような人はいなくなり、ただ、をいって人を陥れる者、心のねじけた者、また表面ではお世辞を使いながら裏でそしったり、間違った理屈をいう者ばかりが国中に充満するもので、たとえば水が減ってくると魚たちで池はさわがしくなり、風が吹けば大海は穏やかでなくなるようなものであります。また末世には、ひでり・疫病・大雨・大風のような悪いことが重なってくるので、大らかな心も次第に狭くなり、道を求めようとしている立派な人でさえ邪見になるものと見られます。それゆえ他人のことはさておき、父母と夫妻と兄弟との間の争いは、まるで猟師と鹿、猫とねずみ、鷹と雉のように敵対するもののように見えてきます。
[3]極楽寺の良観房忍性らのような天魔に魅入られた法師たちが、お父上の左衛門大夫殿をそそのかして、あなたがた兄弟をも陥れようとしました。が、あなたのお心が賢くて、日蓮の忠告をお用いになったものですから、二つの輪が車を走らすように、二本の足が人を支えるように、二枚の羽で飛べるように、また太陽と月とが一切の生きとし生けるものを助けるように協力をなさり、ご兄弟の力によってお父上を法華経の信仰に導き入れることができたのです。このお計らいは、ひとえにあなたの御身の力にあるのです。
[4]さて、真実の経の道理というものは、世も末になって仏法が乱れてくると、却って偉大な聖人が出現するであろうと説かれています。たとえば松は霜にも枯れないで木の王といわれ、菊は他の草花に遅れて寒い時期に花を咲かせるので仙草といわれるようなものです。世の中が治まっている時には賢人は現われないけれども、世が乱れると聖人と愚人とが同時に出現するのです。もし平左衛門尉頼綱殿や相模守北条時宗殿が日蓮の諫言を用いられていたならば、先年来た蒙古国の使者の頸を斬らせるようなことはなかったでありましょう。今は後悔されていることでしょう。
[5]人王第八十一代の安徳天皇は、天台座主の明雲らの真言師数百人に命じて、源頼朝を調伏するための祈を修せられたが、法華経普門品の「その罪科はかえって本人に及ぶ」という経文の通りに、明雲は木曾義仲に切られ、安徳天皇は壇の浦の戦いで入水されました。つづく第八十二・三・四代の後鳥羽上皇・土御門上皇・順徳上皇、および当今の仲恭天皇は、天台座主慈円僧正や御室仁和寺、三井園城寺などの四十余人の高僧たちに命じて、北条義時を調伏されたけれども、これまた「その罪科はかえって本人に及ぶ」の経文通りに、これらの四天皇もそれぞれ遠島への流罪に処せられたのであります。こうした真言の大悪法は、弘法・慈覚・智証の三大師が法華経最第一という釈尊の金言を破って、法華経は第二・第三であり、大日経が最第一であると主張したことによるもので、このような誤った見解を信用されたために、今生には国と身とを亡ぼし、後生には無間地獄に堕ちることになられたのです。
[6]今度の蒙古調伏で、真言の調伏祈は三度目であります。今わが弟子たちの中で死んだ人々は、仏眼をもって見ることでしょう。また生き長らえた人々は眼前に見るでありましょう。やがて国主らは他国に捕われ、調伏の祈をした人々は狂い死にするか、他国に捕われるか、山林に隠れるかしなければならないでしょう。教主釈尊の使者である日蓮を二度までも鎌倉の小路を引き回したり、あるいは弟子たちを牢に入れたり、あるいは殺害したり、あるいは追放したりしたのでありますから、その罪科が必ずこの国の万民の身にも一々に及ぶでありましょう。あるいはまた白癩・黒癩や諸々の悪病にかかる人々も多いことでしょう。わが門下の弟子たちはこのことを十分に認識しなければならないのであります。以上つつしんで申し述べました。
[7]<日>九月九日
[8]<人>日 蓮 <花押>花押
[9]この手紙は別しては兵衛志殿へ、じてはわが一門の人々へ遣わすのですから、よくよく御覧下さい。ただし、他人に聞かせてはなりません。