兵衛志殿御書
260 兵衛志殿御書
久うけ給候はねばよくおぼつかなく候。何よりもあはれにふしぎなる事は大夫志殿と、とのとの御事ふしぎに候。
つねさまには代すえになり候へば聖人賢人もみなかくれ、ただざんじん・ねいじん(讒人侫人)・わざん(和讒)・きよくり(曲理)の者のみこそ国には充満すべきと見へて候へば、喩ば水すくなくなれば池さはがしく風ふけば大海しづかならず。代末になり候へばかんぱちえきれい(旱魃疫癘)大雨大風ふきかさなり候へば、広き心もせばくなり、道心ある人も邪見になるとこそ見へて候へ。されば他人はさてをきぬ。父母と夫妻と兄弟と諍事れつし(猟師)としか(鹿)と、ねことねずみと、たかときじとの如しと見へて候。
良観等の天魔法師らが親父左衛門大夫殿をすかし、わどの(和殿)ばら二人を失はんとせしに、殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちゐ有しゆへに、二のわ(輪)の車をたすけ二の足の人をになへるが如く、二の羽のとぶが如く、日月の一切衆生を助くるが如く、兄弟の御力にて親父を法華経に入まいらせさせ給ぬる御計、偏に貴辺の御身にあり。又真実の経の御ことはりを代末になりて仏法あながちにみだれば大聖人世に出べしと見へて候。喩へば松のしも(霜)の後に木の王と見へ、菊は草の後に仙草と見へて候。代のおさまれるには賢人不見。代の乱たるにこそ聖人愚人は顕候へ。
あはれ平左衛門殿・さがみ殿日蓮をだに用られて候しかば、すぎにし蒙古国の朝使のくびはよも切せまいらせ候はじ。くやしくおはすならん。
人王八十一代安徳天皇と申大王は天台座主明雲等の真言師等数百人かたらひて、源右将軍頼朝を調伏せしかば、還著於本人とて明雲は義仲に切ぬ。安徳天皇西海に沈給。人王八十二三四 隠岐法皇・阿波院・佐渡院・当今、已上四人、座主慈円僧正・御室・三井等の四十余人の高僧等をもて、平将軍義時を調伏し給程に、又還著於本人とて上の四王島々に放給き。
此の大悪法は弘法・慈覚・智証の三大師、法華経最第一の釈尊の金言を破て、法華最第二最第三、大日経最第一と読み給し僻見を御信用有て、今生には国と身とをほろぼし、後生には無間地獄に堕給ぬ。
今度は又此調伏三度なり。今我弟子等死したらん人々は仏眼をもて是を見給らん。命つれなくて生たらん眼に見よ。国主等は他国へ責わたされ、調伏の人々は或は狂死、或は他国或は山林にかくるべし。教主釈尊御使二度までこうぢをわたし、弟子等をろう(牢)に入れ、或は殺し、或は害し、或は所国をおひし故に、其科必ず国々万民の身に一々にかゝるべし。或は又白癩黒癩諸悪重病の人々おほかるべし。我弟子等此由を存ぜさせ給へ。恐恐謹言。 九月九日 日蓮 [花押] 此文は別は兵衛の志殿へ。総は我一門人々御覧有べし。他人に聞せ給な。