妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

兵衛志殿御返事

第二巻 定本番号 20266 建治3(1277) 分類: 真蹟現存(完存orほぼ完存)

祖寿: 56 著作地: 身延 真蹟: 京都 妙覚寺 

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    266   兵衛志殿御返事
かたがたのもの、ふ(夫)二人をもつて、をくりたびて候。その心ざし弁殿の御ふみに申げに候。さてはなによりも御ために第一の大事を申候なり。
正法・像法の時は世もいまだをとろへず、聖人賢人もつづき生候き。天も人をまほり給き。末法になり候へば、人のとんよくやうやくすぎ候て、主と臣と親と子と兄と弟と諍論ひまなし。まして他人は申に及ず。これによりて天もその国をすつれば、三災七難乃至一二三四五六七の日いでゝ、草木かれうせ、小大河もつ(尽)き、大地はすみ(炭)のごとくをこり、大海はあぶらのごとくになり、けつくは無間地獄より炎いでゝ上梵天まで火炎充満すべし。これていの事いでんとて、やうやく世間はをと(衰)へ候なり。
皆人のをもひて候は、父には子したがひ、臣は君にかなひ、弟子は師にゐ(違)すべからずと[云云]。かしこき人もいやしき者もしれる事なり。しかれども貪欲・瞋恚・愚癡と申さけ(酒)にゑひて、主に敵し、親をかろしめ、師をあなづる、つねにみへて候。但師と主と親とに随てあしき事諫ば孝養となる事は、さきの御ふみにかきつけて候しかば、つねに御らむあるべし。
ただしこのたびゑもん(右衛門)の志どのかさねて親のかんだう(勘当)あり。とのの御前にこれにて申せしがごとく、一定かんだうあるべし。ひやうへ(兵衛)の志殿をぼつかなし。ごぜん(御前)かまへて御心へあるべしと申て候しなり。今度はとのは一定をち給ぬとをぼうるなり。をち給はんをいかにと申事はゆめゆめ候はず。但地獄にて日蓮うらみ給事なかれ。しり候まじきなり。千年のかるかや(苅茅)も一時にはひ(灰)となる。百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり。
さゑもんの大夫殿は今度法華経のかたきになりさだまり給とみへて候。ゑもんのたいうの志殿は今度法華経の行者になり候はんずらん。とのは現前の計なれば親につき給はんずらむ。ものぐるわしき人々はこれをほめ候べし。宗盛が親父入道の悪事に随てしのわら(篠原)にて頸を切し、重盛が随ずして先に死せし、いづれか親の孝人なる。法華経のかたきになる親に随て、一乗の行者なる兄をすてば、親の孝養となりなんや。せんずるところ、ひとすぢにをもひ切て、兄と同く仏道をなり(成)給へ。親父は妙荘厳王のごとし、兄弟は浄蔵・浄眼なるべし。昔と今はかわるとも、法華経のことわりたがうべからず。
当時も武蔵入道そこばくの所領所従等をすてて遁世あり。ましてわどのばらがわづかの事をへつらひて、心うすくて悪道に堕て日蓮うらみさせ給な。かへすがへす今度とのは堕べしとをぼうるなり。此程心ざしありつるが、ひきかへて悪道に堕給はん事がふびんなれば申なり。百に一、千に一も日蓮が義につかんとをぼさば、親に向ていゐ切給。親なればいかにも順まいらせ候べきが、法華経の御かたきになり給へば、つきまいらせては不孝の身となりぬべく候へば、すてまいらせて兄につき候なり。兄にすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申切給へ。すこしもをそるゝ心なかれ。
過去遠々劫より法華経を信ぜしかども、仏にならぬ事これなり。しを(潮)のひるとみつと、月の出といると、夏と秋と、冬と春とのさかひには必相違する事あり。凡夫の仏になる又かくのごとし。必三障四魔と申障いできたれば、賢者はよろこび、愚者は退、これなり。此事はわざとも申、又びんぎにとをもひつるに御使にありがたし。堕給ならばよもこの御使はあらじとをもひ候へば、もしやと申なり。
仏になり候事は此の須弥山にはり(針)をたてゝ彼の須弥山よりいと(糸)をはなちて、そのいとのすぐにわたりて、はりのあな(穴)に入よりもかたし。いわうや、さかさまに大風のふきむかへたらんは、いよいよかたき事ぞかし。経云億億万劫至不可議 時乃得聞是法華経。億億万劫至不可議 諸仏世尊時説是経。是故行者於仏滅後 聞如是経勿生疑惑等[云云]。此経文は法華経二十八品の中にことにめづらし。序品より法師品にいたるまでは等覚已下人天・四衆・八部そのかずありしかども、仏は但釈迦如来一仏なり。重てかろきへんもあり。宝塔品より嘱累品にいたるまでの十二品は殊に重が中の重きなり。其故は釈迦仏の御前に多宝の宝塔涌現せり。月の前に日の出たるがごとし。又十方の諸仏は樹下に御はします。十方世界の草木の上火をともせるがごとし。此御前にてせん(撰)せられたる文なり。涅槃経云 従昔無数無量劫来常受苦悩。一一衆生一劫之中所積身骨如王舎城毘富羅山。所飲乳汁如四海水身所出血多四海水。父母兄弟妻子眷属命終哭泣所出目涙多四大海。尽地草木為四寸籌以数父母亦不能尽[云云]。此経文は仏最後に双林の本に臥てかたり給し御言也。もつとも心をとゞむべし。無量劫より已来生ところの父母は、十方世界の大地の草木を四寸に切て、あてかぞうとも、たるべからずと申経文なり。
此等の父母にはあひしかども、法華経にはいまだあわず。されば父母はまうけやすし、法華経はあひがたし。今度あひやすき父母のことばをそむきて、あひがたき法華経のとも(友)にはなれずば、我身仏になるのみならず、そむきしをやをもみちびきなん。例せば悉達太子は浄飯王の嫡子なり。国をもゆづり位にもつけんとをぼして、すでに御位につけまいらせたりしを、御心をやぶりて夜中城をにげ出させ給しかば、不孝の者なりとうらみさせ給しかども、仏にならせ給てはまづ浄飯王・摩耶夫人をこそみちびかせ給しか。をや(親)というをやの世をすてゝ仏になれと申をやは一人もなきなり。
これはとによせかくによせてわどのばらを持斉念仏者等がつくりをとさんために、をやをすゝめをとすなり。両火房は百万反の念仏をすゝめて人々の内をせきて、法華経のたねをたゝんとはかるときくなり。極楽寺殿はいみじかりし人ぞかし。念仏者等にたぼらかされて日蓮をあだませ給しかば、我身といゐ其一門皆ほろびさせ給。ただいまはへちご(越後)の守殿一人計なり。両火房を御信用ある人はいみじきと御らむあるか。なごへの一門の善光寺・長楽寺・大仏殿立させ給て其一門のならせ給事をみよ。又守殿は日本国の主にてをはするが、一閻浮提のごとくなるかたきをへさせ給へり。
わどの兄をすてゝ、あにがあとをゆづられたりとも、千万年のさかへかたかるべし。しらず、又わづかの程にや。いかんがこのよ(此世)ならんずらん。よくよくをもひ切て、一向に後世をたのまるべし。かう申とも、いたづらのふみ(文)なるべしとをもへば、かくもものうけれども、のちのをもひでにしるし申なり。恐々謹言。   十一月二十日   日蓮  [花押]   兵衛志殿  [御返事]