妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

兄弟鈔

全集 第6巻 2段 定本: #174(定本の該当ページへ)

書下し

兄弟鈔きようだい(てい)しよう


[1]れ法華経と申すは八万法蔵の肝心、十二部経の骨髄也。三世の諸仏は此の経を師として正覚をなり、十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導いんどうし給ふ。今現いまげん経蔵きようぞうに入つて此れを見るに、後漢の永平より唐の末に至るまで、渡れる所の一切経論に二本あり。所謂旧訳いわゆるくやくの経は五千四十八巻也。新訳の経は七千三百九十九巻也。彼の一切経は皆各各分分に随つて我第一也となのれり。しかるに法華経と彼の経経とを引き合せてこれを見るに、勝劣しようれつ天地也、高下こうげ雲泥也。彼の経経は衆星の如く、法華経は月の如し。彼の経経は灯炬星月の如く、法華経は大日輪だいにちりんの如し。此れは也。
[2]別して経文に入つて此れを見奉れば、二十の大事あり。第一第二の大事は塵点劫じんでんごう百塵点劫と申す二つの法門也。其の三千塵点と申すは、第三の巻化城諭品けじようゆほんと申す処に出て候。此の三千大千世界を抹してちりとなし、東方に向つて千の三千大千世界を過ぎて一塵いちじんを下し、又千の三千大千世界を過ぎて一塵を下し、かくのごとく三千大千世界の塵を下しはてぬ。さてかえつて、下せる三千大千世界と下さざる三千大千世界をともにおしふさねて、又塵となし、此の諸の塵をもてならべをきて一塵を一劫いつこうとして、経尽へつくしては又始め、かくのごとく上の諸塵の尽し経たるを三千塵点とは申すなり。
[3]三周さんしゆう声聞しようもんと申して舎利弗*しやりほつ*かしよう阿難*あなん羅云らうんなんど申す人人は、過去遠遠劫おんのんごう三千塵点劫のそのかみ、大通智勝仏だいつうちしようぶつと申せし仏の、第十六の王子にてをはせし菩ましましき。かの菩より法華経を習ひけるが、悪縁にすかされて法華経をすつる心つきにけり。かくして或いは華厳経けごんきようへをち、或いは般若経はんにやきようへをち、或いは大集経だいしゆうきようへをち、或いは涅槃経ねはんぎようへをち、或いは大日経だいにちきよう、或いは深密経じんみつきよう、或いは観経かんぎよう等へをち、或いは阿含小乗経あごんしようじようきようへをちなんどしけるほどに、次第に堕ちゆきて後には人天にんでん善根ぜんごん、後に悪にをちぬ。かくのごとく堕ちゆく程に、三千塵点劫が間、多分は無間むけん地獄、少分は七大地獄、たまには一百の地獄、まれには餓鬼がき畜生ちくしよう修羅しゆらなんどに生れ、大塵点劫なんどを経て人天には生れ候けり。
[4]されば法華経の第二の巻に云く、〔「常に地獄に処すること薗観に遊ぶがごとく、余の悪道に在ること己が舎宅のごとし」〕等云云。十悪をつくる人は等活とうかつ黒縄こくじようなんど申す地獄に堕ちて、五百生或いは一千歳を逆をつくる人は無間地獄に堕ちて、一中劫を経て後は、又かへり生ず。いかなる事にや候らん。法華経をすつる人は、すつる時はさしも父母を殺すなんどのやうに、をびただしくはみへ候はねども、間地獄に堕ちては多劫を候。たとひ父母を一人・二人・十人・百人・千人・万人・十万人・百万人・億万人なんど殺して候とも、いかんが三千塵点劫をば経候べき。一仏・二仏・十仏・百仏・千仏・万仏、乃至、億万仏を殺したりとも、いかんが五百塵点劫をば経候べき。しかるに法華経をすて候けるつみによりて、三周の声聞が三千塵点劫を経、諸大菩の五百塵点劫を経候けること、をびただしくをぼへ候。
[5]せんするところはくぶしをもて虚空を打つは、くぶしいたからず、石を打つはくぶしいたし。悪人を殺すは罪あさし、善人を殺すは罪ふかし。或いは他人を殺すはをもつて泥を打つがごとし。父母を殺すは、もて石を打つがごとし。鹿をほうる犬はこうべわれず、師子を吠る犬ははらわたくさる。日月をのむ修羅は頭七分こうべしちぶんにわれ、仏を打ちし提婆だいばは大地われて入りにき。所対によりて罪の軽重はありけるなり。さればこの法華経は一切の諸仏の眼目まなこ、教主釈尊の本師なり。一字一点もすつる人あれば千万の父母を殺せる罪にもすぎ、十方の仏の身より血を出す罪にもこへて候けるゆへに、五の塵点をば候けるなり。
[6]此の法華経はさてをきたてまつりぬ。又此の経をせつのごとくにとく人にふことが難きにて候。設ひ一眼いちげんの亀は浮木うきぎには値ふとも、はちすのいとをもつて須弥山*しゆみせんをば虚空にかくとも、法華経を経のごとく説く人にあひがたし。されば慈恩じおん大師と申せし人は、玄奘*げんじよう三蔵の御弟子、太宗たいそう皇帝の御師おんしなり。梵漢をそらにうかべ、一切経を胸にたゝへ、仏舎利ぶつしやりを筆のさきよりふらし、きばより光を放ち給ひし聖人なり。時の人も日月のごとく恭敬し、後の人も眼目げんもくとこそ渇仰せしかども、伝教大師これをせめ給ふには「雖讃法華経、還死法華心」(法華経を讃すといえども、還つて法華の心をころす)等云云。いうは彼の人の心には法華経をほむとをもへども、理のさすところは法華経をころす人になりぬ。
[7]善無畏ぜんむい三蔵は月支国がつしこくうぢやうな国の国王なり。位をすて出家して天竺五十余の国を修行して顕密二道けんみつにどうをきわめ、後には漢土にわたりて玄宗げんそう皇帝の御師となる。しな日本の真言師、誰かこの人のながれにあらざる。かゝるたうとき人なれども一時に頓死して閻魔のせめにあはせ給ふ。いかなりけるゆへとも人しらず。日蓮此れをかんがへたるに、もとは法華経の行者なりしが、大日経を見て法華経にまされりといゐしゆえなり。
[8]されば舎利弗・目連*もくれん等が三五さんごの塵点劫を経しことは十悪五逆の罪にもあらず、謀反八虐むほん*はちぎやくとがにてもあらず。但だ知識に値ふて法華経の信心をやぶりて権経ごんきようにうつりしゆへなり。天台大師釈して云く、〔「もし悪友に値えば、すなわち本心を失う」〕等云云。本心と申すは法華経を信ずる心なり。失ふと申すは法華経の信心を引きかへて余経よきようへうつる心なり。されば経文に云く、〔「しかるに良薬ろうやくを与うるに、しかもあえて服せず」〕等云云。天台云く、〔「それ心を失う者は良薬を与うといえども、しかも肯て服せず、生死しようじ流浪るろうし他国にちようぜいす」〕云云。
[9]されば法華経を信ずる人のをそるべきものは、賊人ぞくにん強盗ごうとう夜打ようち虎狼ころう師子しし等より、当時の蒙古むこのせめよりも、法華経の行者をなやます人々なり。此の世界は第六天の魔王の所領なり。一切衆生は無始已来むしいらいの魔王の眷属けんぞくなり。六道の中に二十五有と申すろうをかまへて一切衆生を入るるのみならず、妻子めこと申すほだしをうち、父母主君と申すあみをそらにはり、とんじんの酒をのませて仏性の本心をたぼらかす。但あく(悪)のさかな(肴)のみをすゝめて三悪道の大地に伏臥ふくがせしむ。たまたま善の心あれば障碍しようげをなす。法華経を信ずる人をば、いかにもして悪へ堕さんとをもうに、叶はざればやうやくすか(賺)さんがために相似せる華厳経へをとしつ。杜順とじゆん智儼ちごん法蔵ほうぞう澄観ちようかん等これなり。又般若経へをとしつ。嘉祥かじようそうせん等これなり。又深密経へ堕しつ。玄奘・慈恩此れなり。又大日経へ堕しつ。善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智勝ちしよう等これなり。又禅宗へ堕しつ。達磨だるまえか等是れ也。又観経かんぎようへすかしをとす悪友は、善導ぜんどう法然ほうねん是れ也。此れは第六天の魔王が智者の身に入つて善人をたぼらかす也。法華経第五の巻に〔「悪鬼あつきその身に入る」〕と説かれて候は是れ也。
[10]設ひ等覚とうがくの菩なれども元品がんぽん無明むみようと申す大悪鬼だいあつき身に入つて、法華経と申す妙覚みようがくの功徳をへ候也。何に況んや、其の已下いげの人人にをいてをや。又第六天の魔王、或いは妻子めこの身に入つて親や夫をたぼらかし、或いは国王の身に入つて法華経の行者ををどし、或いは父母の身に孝養きようようの子をせむる事あり。悉達太子しつたたいしは位を捨てんとし給ひしかば、らごらはらまれてをはしませしを、浄飯王じようぼんのう此の子生れて後、出家し給へといさめられしかば、魔が王子ををさへて六年なり。舎利弗は昔、禅多羅仏ぜんだらぶつと申せし仏の末世まつせに、菩の行を立てて六十劫を経たりき。既に四十劫ちかづきしかば百劫にてあるべかりしを、第六天の魔王、菩の行の成ぜん事をあぶなしとや思ひけん。婆羅門ばらもんとなりて眼を乞ひしかば、相違なくとらせたりしかども、其れより退する心出で来て、舎利弗は無量劫が間、無間地獄に堕ちたりしぞかし。
[11]大荘厳仏*だいしようごんぶつの末の六百八十億の檀等は、苦岸くがん等の四比丘にたぼらかされて、大地微塵劫が間、無間地獄には経しぞかし。切明仏の末の男女等は、勝意しようい比丘と申せし持戒じかいの僧をたのみて喜根きこん比丘を笑てこそ、無量劫が間地獄に堕つれ。
[12]今又日蓮が弟子檀等は此れにあたれり。法華経には〔「如来の現在すらなお怨嫉多し、いわんや滅度の後をや」〕。又云く、〔「一切世間、あだ多くして信じ難し」〕。涅槃経に云く、〔「横に死殃しおうかかり、呵責かしやく罵辱めにく・鞭杖・閉・飢餓・困苦・かくのごとき等の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」〕等云云。般泥はつないおん経に云く、〔「衣服不足にして飲食麁疎おんじきそそなり。財を求むるに利あらず。賤の家及び邪見の家に生れ、あるいは王難及び余の種種の人間の苦報に遭う。現世に軽く受くるは、これ護法の功徳力に由るが故なり」〕等云云。文の心は、我等過去に正法を行じける者にあだをなしてありけるが、今かへりて信受すれば、過去に人をさまたげつる罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳強盛なれば、未来の大苦をまねきこして少苦に値ふなり。この経文に過去の誹謗によりてやう(様々)の果報をうくるなかに、或いは家に生れ、或いは邪見の家に生れ、或いは王難に値ふ等云云。この中に邪見の家と申すは、誹謗正法の父母の家なり。王難等と申すは悪王に生れあうなり。此の二つの大難は各々の身に当ておぼへつべし。過去の謗法の罪の滅せんとて邪見の父母にせめられさせ給ふ。又法華経の行者をあだむ国主にあへり。経文明々たり、経文赫々たり。我が身は過去に謗法の者なりける事、疑ひ給ふことなかれ。此れを疑て現世の軽苦忍びがたくて、慈父のせめに随て存の外に法華経をすつるよしあるならば、我が身地獄に堕るのみならず、悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちてともにかなしまん事、疑ひなかるべし。大道心と申すはこれなり。
[13]各々随分に法華経を信ぜられつるゆへに、過去の重罪をせめいだし給ひて候。たとへばくろがねをよくきたへば、きずのあらわるるがごとし。石はやけばはいとなる。金はやけば真金となる。此の度こそまことの御信用はあらわれて、法華経の十羅刹*じゆうらせつも守護せさせ給ふべきにて候らめ。雪山*せつせん童子の前に現ぜし羅刹は帝釈と申すなり。尸毘王しびおうのはとは毘沙門天ぞかし。十羅刹、心み給はんがために父母の身に入らせ給ひて、せめ給ふこともやあるらん。それにつけても心あさからん事は後悔あるべし。又前車のくつがへすは後車のいましめぞかし。
[14]今の世にはなにとなくとも道心をこりぬべし。此の世のありさまいとふとも、よも厭はれじ。日本の人々定めて大苦に値ぬと見へて候。眼前の事ぞかし。文永九年二月の十一日にさかんなりし花の大風にをるるがごとく、清絹すずしの大火にやかるるがごとくなりしに、世をいとう人のいかでかなかるらん。文永十一年の十月ゆき・つしまふのものども一時に死人となりし事は、いかに人の上とをぼすか。当時もかのうて(打手)に向かいたる人々のなげき、老たるをや、をさなき子、わかき妻、めづらしかりしすみか、うちすてて、よしなき海をまほり、雲のみ(見)うればはた(旗)かと疑ひ、つりぶねのみゆれば兵船かと肝心きもこころをけす。日に一二度山えのぼり、夜に三四度馬にくらををく。現身に修羅道しゆらどうをかんぜり。各々のせめられさせ給ふ事も、するところは国主の法華経のかたきとなれるゆへなり。国主のかたきとなる事は、持斎じさい等・念仏者等・真言師等が謗法ほうぼうよりをこれり。
[15]今度ねうじくらして法華経の御利生りしよう心みさせ給へ。日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり。いよをづる心ねすがたをはすべからず。定めて女人は心よはくをはすれば、ごぜんたちは心ひるがへりてやをはすらん。がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ。例せば日蓮が平左衛門尉*へいのさえもんのじようがもとにてうちふるまい、いゐ(言)しがごとくすこしもをづる心なかれ。わだ(和田)が子となりしもの、わかさのかみ(若狭守)が子となりしもの、将門まさかど貞当さだとうが郎従等となりし者、仏になる道にはあらねども、はぢををもへば命をしまぬ習なり。なにとなくとも一度の死は一定なり。いろばしあしくて人にわらはれさせ給ふなよ。
[16]あまりにをぼつかなく候へば大事のものがたり一つ申す。はくひ、しゆくせいと申せし者は、胡竹国こちくこくの王の二人の太子なり。父の王、弟の叔せいに位をゆづり給ひき。父しして後、叔せい位につかざりき。白ひが云く、位につき給へ。叔せいが云く、兄位に継ぎ給へ。白ひが云く、いかに親の遺言をばたがへ給ふと申せしかば、親の遺言はさる事なれども、いかんが兄ををきては位にはつくべきと辞退もうせしかば、二人共に父母の国をすてて他国へわたりぬ。周の文王につかへしほどに、文王、いんちゆう王に打たれしかば、武王百ケ日が内、いくさををこしき。白ひ・叔せいは武王の馬の口にとりつきていさめて云く、をやしして後三ケ年が内いくさををこすは、あに不孝にあらずや。武王いかりて白ひ・叔せいを打んとせしかば、たいこうぼうせいして打たせざりき。二人は此の王をうとみてすやう(首陽)と申す山にかくれゐて、わらびををりて命をつぎしかば、麻子まこと申す者ゆきあひて云く、いかにこれにはをはするぞ、二人上件かみくだんの事をかたりしかば、麻子が云く、さるにてはわらびは王の物にあらずや。二人せめられて爾時そのときよりわらびをくわず。天は賢人をすて給はぬならひなれば、天白鹿と現じて乳をもつて二人をやしなひき。叔せいが云く、此の白鹿の乳をのむだにもうまし。ましてししむらをくわんといゐしかば、白ひせいせしかども、天これをききて来らず。二人うへて死ににき。一生が間、賢なりし人も一言に身をほろぼすにや。各々も御心の内はしらず候へば、をぼつかなし
[17]如来は太子にてをはせし時、父の浄飯王じようぼんのう、太子ををしみたてまつりて出家をゆるし給わず。四門に二千人のつわものをすへてまほらせ給ひしかども、ついにをやの御心をたがへて家をいでさせ給ひき。一切はをやに随ふべきにてこそ候へども、仏になる道は随はぬが孝養の本にて候か。されば心地観経しんじかんぎようには孝養の本をとかせ給ふには、「棄恩入無為きおんにゆうむい 真実報恩者」等云云。言はまことの道に入るには、父母の心に随はずして家を出て仏になるが、まことの恩をほうずるにてはあるなり。世間の法にも、父母の謀反なんどををこすには随はぬが孝養とみへて候ぞかし。孝経と申す外経にみへて候。天台大師も法華経の三昧に入らせ給ひてをはせし時は、父母左右のひざに住して仏道をさえんとし給ひしなり。此れは天魔の父母のかたちをげんじてさうるなり。
[18]白ひ・すくせいが因縁はさきにかき候ひぬ。又第一の因縁あり。日本国の人王第十六代に王をはしき。応神おうじん天王と申す。今の八幡はちまん大菩これなり。この王の御子二人まします。嫡子をば仁徳にんとく、次男をば宇治王子。天王、次男の宇治の王子に位をゆづり給ひき。王ほうぎよならせ給ひて後、宇治の王子云く、兄、位につき給ふべし。兄の云く、いかにをやの御ゆづりをばもちゐさせ給はぬぞ。かくのごとくたがいにろむじて、三ケ年が間位に王をはせざりき。万民のなげきいうばかりなし。天下のさい(災)にてありしほどに、宇治の王子云く、我いきて有るゆへに、あに(兄)位にき給はずといつて死なせ給ひにき。仁徳これをなげかせ給ひて、又ふししづませ給ひしかば、宇治の王子いきかへりて、やうにをほ(仰)せをかせ給ひて、又ひきいらせ給ひぬ。さて仁徳、位につかせ給ひたりしかば国をだやかなる上、しんら、はくさひ、かうらいも日本国にしたがひて、ねんぐ八十そうそなへけるとこそみへて候へ。賢王のなかにも兄弟をだやかならぬれいもあるぞかし。いかなるちぎりにて兄弟かくはをはするぞ。浄蔵じようぞう浄眼じようげんの二人の太子の生れかはりてをはするか、薬王やくおう薬上やくじようの二人か。
[19]さかん殿の御をやの御勘気はうけ給ひしかども、やうへのさかん殿の事は、今度はよもあににはつかせ給わじ。さるにては、いよ大夫志殿のをやの御不審は、をぼろげにてはゆりじなんどをもいて候へば、このわらわ・鶴王の申し候は、まことにてや候らん。御同心と申し候へば、あまりのふしぎさに別の御ふみをまいらせ候。未来までのものがたり、なに事かこれにすぎ候べき。
[20]西域*さいいきと申す文にかきて候は、月氏がつし婆羅ばらなつし施鹿林せろくりんと申すところにひとり隠士いんしあり。仙の法を成ぜんとをもう。すでに瓦礫を変じて宝となし、人畜の形をかえけれども、いまだ風雲にのて仙宮にはあそばざりけり。此の事を成ぜんがためにひとり烈士れつしをかたらひ、長刀をもたせて壇の隅に立てゝ息をかくし言をたつ。よひよりあしたにいたるまでものいわずば仙の法成ずべし。仙を求むる隠士は壇の中に坐して手に長刀をとて口に神呪をずうす。約束して云く、設ひ死なんとする事ありとも物言ふ事なかれ。烈士云く、死すとも物いわじ。かくのごとくしてすでに夜中をすぎて、よまさにあけなんとす。いかんがをもひけん。あけんとする時、烈士をゝきな声をあげてよばわる。すでに仙の法成ぜず。隠士烈士に云く、いかに約束をばたがうるぞ、くち惜しき事也と云ふ。烈士きて云く、少し眠つてありつれば、昔し仕へし主人自ら来りて責めつれども、師の恩厚ければ忍んで物いはず。彼の主人怒つて頸をはねんと云ふ。然而されど又ものいはず。遂に頸を切りつ。中陰ちゆういんに趣く我が屍を見れば惜しくかし。然而されど物いはず。遂に南印度の婆羅門ばらもんの家に生れぬ。入胎出胎するに大苦忍びがたし。然而されど息を出さず、又物いはず。已に冠者かんじやとなりて妻をとつぎぬ。又親死にぬ。又子をまうけたり。かなしくもあり、よろこばしくもあれども物いはず。かくのごとく年六十有五になりぬ。我が妻かたりて云く、汝し物いはずば汝がいとをしみの子を殺さんと云ふ。時に我思はく、我れ已に年衰へぬ。此の子を若し殺されなば、又子をまうけがたしと思ひつる程に、声をおこすとをもへばをどろきぬと云ひければ、師が云く、〔力及ばず〕、我も汝も魔にたぼらかされぬ。終に此の事成ぜずと云ひければ、烈士大いにきけり。我が心よはくして師の仙の法を成ぜずと云ひければ、隠士が云く、我が失也。兼て誡しめざりける事をと悔ゆ。然れども烈士、師の恩を報ぜざりける事をきて、遂に思ひ死にししぬとかかれて候。
[21]仙の法と申すは、漢土には儒家より出て、月氏には外道の法の一分也。云ふにかひ無き仏教の小乗阿含あごん経にも及ばず、況んやつうべつえんをや。況んや法華経に及ぶべしや。かゝる浅き事だにも成ぜんとすれば、四魔競しまきそひて成じがたし。何に況んや、法華経の極理、南無妙法蓮華経の七字を、始めて持たん日本国の弘通の始ならん人の、弟子檀とならん人人の大難の来らん事をば、言をもて尽し難し、心をもてをしはかるべしや。
[22]されば天台大師の摩訶止観まかしかんと申すふみは、天台一期いちごの大事、一代聖教しようぎよう肝心かんじんぞかし。仏法漢土に渡りて五百余年、南北の十師、智は日月にひとしく、徳は四海に響きしかども、いまだ一代聖教の浅深せんじん勝劣しようれつ・前後・次第には迷惑してこそ候しが、智者大師再び仏教をあきらめさせ給ふのみならず、妙法蓮華経の五字の蔵の中より念三千の如意宝珠によいほうじゆを取り出して、三国の一切衆生に普く与へ給へり。此の法門は漢土に始るのみならず、月氏の論師までも明し給はぬ事也。然れば章安大師の釈に云く、〔「止観の明静みようじようなる、前代にいまだ聞かず」〕云云。又云く、〔「天竺の大論、なおその類にあらず」〕等云云。
[23]其の上、摩訶止観の第五の巻の一念三千は、今一重立ち入りたる法門ぞかし。此の法門を申すには、必ず魔出来すべし。魔競はずは正法と知るべからず。第五の巻に云く、〔「行解ぎようげすでに勤めぬれば、三障四魔*さんしようしま然として競い起る。乃至、随うべからず、畏るべからず。これに随えば人をして悪道に向わしむ。これを畏るれば正法を修することを妨ぐ」〕等云云。此の釈は日蓮が身に当るのみならず、門家の明鏡めいきよう也。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ。
[24]此の釈に三障と申すは、煩悩障ぼんのうしよう業障ごうしよう報障ほうしよう也。煩悩障と申すはとんじん等によりて障礙出来しようげしゆつたいすべし。業障と申すは妻子等によりて障礙出来すべし。報障と申すは国主・父母等によりて障礙出来すべし。又四魔の中に、天子魔と申すもかくのごとし。今日本国に我も止観を得たり。我も止観を得たりと云ふ人人、誰か三障四魔競へる人あるや。〔「これに随えば人をして悪道に向わしむ」〕と申すは、ただ三悪道のみならず、人天九界を皆悪道とか(書)けり。されば法華経をのぞいて華厳・阿含・方等・般若・涅槃・大日経等也。天台宗を除きて余の七宗の人人は、人を悪道に向はしむる獄卒ごくそつ也。天台宗の人人の中にも法華経を信ずるやうにて、人を爾前にぜんへやるは悪道に人をつかはす獄卒也。
[25]今二人の人人は隠士と烈士とのごとし。ひとりもかけなば成ずべからず。譬へば鳥の二の羽、人の両眼の如し。又二人の御前ごぜ達は、此の人々の檀ぞかし。女人となる事は物に随つて物を随へる身也。おとこたのしくば妻もさかふべし。夫盗人ならば妻も盗人なるべし。是れ偏へに今生計りの事にはあらず。世世生生に影と身と、はなこのみと、根と葉との如くにておはするぞかし。木にすむ虫は木をは(食)む、水にある魚は水をくらふ。芝かるればらんなく、松さかうれば柏よろこぶ。草木すらかくのごとし。比翼ひよくと申す鳥は、身は一つにて頭二つあり。二つの口より入る物一身を養ふ。ひほく(比目)と申す魚は一目づつある故に一生が間はなるる事なし。夫と妻とはかくのごとし。此の法門のゆへには、設ひおとこに害せらるるともゆる事なかれ。一同して夫の心をいさめば竜女りゆうによあとをつぎ、末代悪世の女人の成仏の手本と成り給ふべし。
[26]かくのごとくおはさば、設ひいかなる事ありとも、日蓮が二聖にしよう・二天・十羅刹・釈・多宝に申して順次生じゆんじしように仏になしたてまつるべし。「心の師とはなるとも心を師とせざれ」とは、六波羅蜜経の文也。設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして、只法華経の事のみ、さはぐらせ給ふべし。中にも日蓮が法門は古へこそ信じかたかりしが、今は前前いひをきし事既にあひぬれば、よし(由)なく謗ぜし人人も悔ゆる心あるべし。設ひこれより後に信ずる男女ありとも、各々にはかへ(替)思ふべからず。始めは信じてありしかども、世間のをそろしさにすつる人々かずをしらず。其の中に、返つて本より謗ずる人々よりも強盛にそしる人々、又あまたあり。在世にも善星ぜんしよう比丘等は始めは信じてありしかども、後にすつるのみならず、返つて仏をはうじ奉りしゆへに、仏も叶ひ給はず、無間地獄にをちにき。
[27]此の御ふみは、別してひやうへのさかん殿へまいらせ候。又太夫志殿の女房・兵衛志殿の女房によくよく申しきかせさせ給ふべし。きかせ給ふべし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
[28]<日>文永十二年四月十六日
[29]<人>日 蓮<花押>花押
現代語訳

兄弟鈔


文永一二年(一二七五)四月一七日あるいは建治二年(一二七六)、五四歳あるいは五五歳、於身延、池上兄弟宛、和文、定九一八—九三四頁。

法華経の最勝性


[1]そもそも法華経という経典は、八万四千の経典の肝心であり、十二部経と称される一切経の骨髄である。三世の諸仏はこの経を師として正覚を開き、十方世界の分身の諸仏は、法華一乗を眼目として衆生をお導きになる。今まのあたり一切経蔵に入ってこれを見ると、後漢の永平年間から唐の末に至るまでの間に、中国に渡来した一切経論に二通りがある。羅什三蔵等の訳した旧訳の経は五千四十八巻で、玄奘三蔵等の訳した新訳の経は七千三百九十九巻である。その一切経はいずれもそれぞれの分にしたがって自分こそ第一であると主張している。しかしながら法華経とそれらの経々とを比較してみると、天地のような勝劣があり、雲泥のような高下がある。ちょうどそれらの経々はたくさんの星のようなものであり、法華経は月のようなものである。またそれらの経々はともしびやたいまつ、あるいは星や月のようなものであるのに対し、法華経は大日輪のように勝れたものである。以上は体の比較である。

三五塵点劫の法門


[2]別して法華経の文について見ると、勝れた二十の大事がある。その第一は三千塵点劫の法門、第二は五百塵点劫の法門である。第一の三千塵点劫というのは、法華経第三巻化城品に説かれてある。すなわちこの三千大千世界の土を粉末にして塵となし、東方に千の三千大千世界を過ぎて一つの塵を下し、さらに、千の三千大千世界を過ぎて、一つの塵を下し、かくして三千大千世界の塵をことごとく下してしまう。さてその塵を下した三千大千世界と下さない三千大千世界とを一緒にして、それをまた塵となし、この諸々の塵を並べて一塵を一劫とし、その塵を数えつくしたのが三千塵点劫というのである。
[3]今三周の声聞といって、法華経迹門の法説・譬説・因縁説の三周の説法で成仏の記別が授けられた舎利弗・葉・阿難・らごらなどの人々は、過去の遠い遠い三千塵点劫の昔、大通智勝仏という仏の第十六番目の王子であった菩、すなわち今の釈牟尼仏から法華経を習ったのであるが、悪縁に迷わされて法華経を捨てる心を起こし、かくして華厳経・般若経・大集経・涅槃経・大日経・深密経・観無量寿経等へ移ったり、阿含小乗経へ移ったりしている間に、次第に堕ち行きて、ついには天上界・人間界、さらに三悪道へと堕ちてしまった。それゆえに三千塵点劫の永い間、たいていは無間地獄、少しの間は七大地獄、たまには一百余の地獄、まれには餓鬼・畜生・修羅界などに生まれ、三千塵点劫を経てようやく人間界・天上界に生まれたのである。
[4]それゆえ法華経の第二巻の譬品には、「常に地獄にあっては花園や物見台で遊んでいるようであり、そのほかの悪道にあっては自分の家にいるようである」と説かれている。十悪を犯した人は等活地獄・黒縄地獄などに堕ちて五百歳もしくは一千歳を経る。五逆罪を犯した人は一中劫の永いあいだ無間地獄に堕ちてまた生まれてくる。ところがどういうわけか法華経を捨てる人は、捨てる時には五逆罪の父母を殺す罪などのように甚だしくは見えないものの、無量劫の永いあいだ無間地獄に堕ちたまま出られないのである。たとえ父母を一人・二人・十人・百人・千人・万人・十万人・百万人・億万人殺したとしても、どうして三千塵点劫のあいだ地獄に堕ちることがあろう。また仏を一仏・二仏・十仏・百仏・千仏・万仏ないし億万仏を殺したとしても、どうして五百塵点劫の永いあいだ無間地獄に堕ちることがあろうか。ところが法華経を捨てた罪によって、三周の声聞が三千塵点劫のあいだ無間地獄に堕ち、諸大菩が五百塵点劫のあいだ無間地獄に堕ちたというのは、きわめて非常なことであると思われる。
[5]結局のところは、拳で虚空を打っても痛くないが、石を打てば痛いようなもので、悪人を殺す罪は浅いが、善人を殺す罪は深い。また他人を殺すのは拳で泥を打つようなもの、父母を殺すのは石を打つようなものである。鹿に向かって吠える犬は頭はわれないが、師子に向かって吠える犬は腸が腐る。日と月とをのむ修羅は頭が七分に破れ、仏を打った提婆は大地が割れて地獄に堕ちた。つまりその相手によって罪に軽重がみられるのである。そうしてみると、この法華経は一切諸仏の眼目であり、教主釈尊の本師である。それゆえ一字一点でも法華経を捨てる者があれば、その罪は千万の父母を殺した罪にも過ぎ、十方世界の仏の身から血を出す罪にも超えるのであり、したがって、このように三千塵点劫、五百塵点劫という永いあいだ無間地獄に堕ちるのである。

法華経の行者には値い難い


[6]ところでこうした法華経の尊さについてはさておくこととして、法華経の経文通りに実践する行者に値うことはなおさら難しいことである。たとえ一眼の亀が栴檀の浮木に値うことはできても、蓮の根の糸で須弥山を虚空に懸けることはできても、この法華経を経文通りに説く人に値うことは困難である。さて慈恩大師という人は玄奘三蔵の御弟子で、太宗皇帝の御師範である。インド・中国の学問を暗に覚え、一切経を胸に蔵し、仏舎利を筆の先から降らし、から光を放ったほどの聖人である。当時の人は日月のように恭敬し、後代の人も眼目のように渇仰したのであるが、伝教大師はこれに対して法華秀句に「法華経を讃めても、還って法華経の心を殺すものである」と批判されている。すなわち慈恩大師は法華玄賛を造って法華経を讃めているようであるが、法華経の本意を心得ていないから、却って法華経の心を殺す人になったというのである。
[7]善無畏三蔵はインドの烏仗国の国王であったが、位を捨てて出家し、インド五十余国を修行して顕密二教を究め、後には中国に渡って玄宗皇帝の御師となられた。中国・日本の真言師はいずれもこの人の流れをまない者はいない。かくも尊き人であるが、あるとき頓死して閻魔王の責めに値われた。どうしてそうなったのか、誰も知らないようであるが、日蓮が勘えるところでは、善無畏三蔵は元来は法華経の行者であったが、大日経を見てから法華経よりも勝れた経であると言ったからである。

悪知識を恐れよ


[8]そうであるから、舎利弗・目連等の声聞が三千塵点劫、五百塵点劫のあいだ無間地獄に堕ちたのは、十悪・五逆の罪でもなく、謀反などの八虐を犯したためでもない。ただ悪知識に値って法華経の信心を捨てて権経へ移ったためである。天台大師は法華玄義第六巻に釈して、「もし悪友に値えば、すなわち本心を失う」と言われている。本心とは法華経を信ずる心、失うとは法華経の信心を捨てて余経へ移ることである。だから法華経の如来寿量品には「どんなに良薬を与えても、どうしても服そうとしない」とあり、それを天台大師は法華玄義第六巻に、「本心を失っている者は良薬を与えても、どうしても服そうとせず、生死のに流浪して他国に逃げゆく」と解釈している。
[9]以上のことから、法華経を信ずる人がもっとも恐れなければならないのは、賊人・強盗・夜打・虎狼・師子等ではなく、また近ごろの蒙古の襲来でもなく、まさしく法華経の行者を迫害する人々なのである。そもそもこの世界は第六天の魔王の所領であり、一切衆生は無始の過去からその魔王の眷属である。魔王は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道の中に二十五有という牢をしつらえて、その中へ一切衆生を入れるばかりでなく、妻子という縄で縛り、父母・主君という網を天に張り、貪・瞋・痴という三毒の酒を飲ませて、仏性の本心を狂わせるのである。ただ悪の肴ばかり人々に勧めて三悪道の大地に倒れさせ、たまに善の心がある者には妨害行為をするのである。法華経を信ずる人を何とかして悪道へ堕そうと思うのであるが、もしそれが叶わなければ漸次にして誘おうとして、まず法華経に似た華厳経へと堕すのである。華厳宗の学匠である杜順・智儼・法蔵・澄観等の人々がすなわちそれである。また般若経へ誘い堕した悪知識は三論宗の学匠の嘉祥・僧等であり、深密経へ誘い堕した悪知識は法相宗の学匠、玄奘・慈恩であり、また大日経へ誘い堕した悪知識は真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等であり、また禅宗へ誘い堕した悪知識は達磨・可等であり、また観経へ誘い堕した悪知識は、浄土教の善導・法然等である。これらはいずれも第六天の魔王が智者の身に入って善人をたぶらかすのであって、法華経第五巻の勧持品に「悪鬼がその身に入る」と説かれているのは、まさしくこのことである。
[10]たとえ次の生に仏の位を継ぐという等覚の菩でさえ元品の無明という大悪鬼がその身に入って、法華経の妙覚の功徳を妨げるのであるから、ましてそれ以下の人々においてはなおさらである。また第六天の魔王は、妻子の身に入って親や夫をたぶらかしたり、国王の身に入って法華経の行者を迫害したり、父母の身に入って孝養をつくす子を責めたりする。釈尊は、悉達太子であったとき、その位を捨てて出家しようとされたが、耶輸陀羅妃やしゆだらひには羅羅を懐妊されたので、父の浄飯王はこの子が生まれてから出家せよといさめられた。そこで魔王は太子の出家を妨げるために、その子を押さえて懐妊六年に及んだのである。舎利弗は昔、禅多羅仏の末法の世の時、菩の修行をして六十劫を経て、あと四十劫のあいだ修行すれば百劫になるところを、第六天の魔王は舎利弗の菩の修行が成就すればみずからがあぶないので、それを妨害しようと思い、婆羅門のすがたに現じてその眼を与えよと乞い求めたのである。舎利弗はその通り一眼を与えたが、婆羅門がその眼を踏みにじったのを見て怒りの心を起こし、ついに菩の修行を退転し、その結果、舎利弗は無量劫のあいだ無間地獄に堕ちたのであった。
[11]大荘厳仏の末法の世の六百八十億の檀等は、邪見の苦岸比丘等の四比丘にたぶらかされて、真実なる普事比丘を迫害したために大地微塵劫の永いあいだ無間地獄に堕ちたのであった。一切明仏(師子音王仏)の末法の世の男女等は、勝意比丘という戒律を持っているように見えるが実際には仏の真意を弁えていない悪知識に師事して、諸法実相の教えを説いていた喜根比丘を虚妄邪見の説と笑して誹謗したために、無量劫のあいだ無間地獄に堕ちたのであった。

受難と転重軽受の法門


[12]今また日蓮が弟子檀等にとって、これらの事例はまさにぴったりと当てはまる。法華経の法師品には「如来の在世でさえ怨嫉が多い、まして滅後はなおさらである」とあり、また安楽行品には「一切の世間には、怨が多くてこの経は信じ難い」とある。涅槃経巻第十七の梵行品には「善業の因縁によって地獄に堕ちず、現世に思いがけない死の災厄を受けたり、他人から責められたり、ののしられはずかしめられたり、むち打たれたり、投獄されたり、飢餓の苦しみに悩まされるといった軽い罪の報いを受けることで、過去の罪業を償うことができる」と説かれる。般泥経巻第四の四依品には「衣服に不足したり、飲食が粗末であったり、財産を求めても得られず、乏で卑賤な心や邪まな心をもった親の家に生まれたり、あるいは国王の迫害や世間のさまざまな迫害に遭遇するが、これらは過去の罪業の苦報を現世に軽く受けているのであり、それは正法を護っている功徳の力によるものである」とある。これらの経文の心は、我々は過去世において正法の行者を迫害したので、その罪によって未来には大阿鼻地獄に堕ちなければならないが、今生に信仰して正法を強盛に受持するならば、その功徳により却って未来の大苦を取り越してこの世で小苦に値うというのである。この経文には、過去の謗法によってさまざまの果報を受けるなかに、あるいは家に生まれ、あるいは邪見の家に生まれ、あるいは国王の迫害に値うと説かれている。その邪見の家というのは、謗法の父母の家のこと、王難に値うというのは悪王の治世に生まれ値うことで、この二つの大難はまさしく貴殿等の身に当たっている。今貴殿等は過去の謗法の罪を滅するために邪見の父母に責められているのである。また法華経の行者を迫害する国王の時代に生まれ値うたのである。経文は赫々として明らかにそのことを証拠立てているではないか。我が身が過去に謗法の者であったことを疑ってはならない。このことを疑って現世の軽い苦悩を忍ぶことができず、慈父が責めるからといって安易に法華経を捨てるならば、我が身が地獄に堕ちるばかりでなく、悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちて共々の悲しみとなることは疑いない。大道心というのはこのことである。

池上兄弟の法難


[13]貴殿等はずいぶんと法華経を信ぜられたのであるから、現世において過去の重罪を招き出したのである。たとえてみれば、それはちょうど鉄をよくよく鍛錬するとそのきずが顕れるようなものである。石は焼けば灰となってしまうが、金は焼けば真金となる。今度こそ真実の法華経の信心の功徳が顕れて、法華経守護の十羅刹女も貴殿等をお護りになるにちがいない。帝釈天が鬼神となって法を求めていた雪山童子を試したように、尸毘王を試した鳩は毘沙門天であったように、十羅刹女が貴殿等の信心を試そうとして父母の身に入って迫害するのかもしれない。それにつけても信心が薄くては後悔することになろう。また前車のくつがえるは後車の誡めとなるものである。

世間の出来事と仏道を求める心


[14]今の世の状態は自然と道心の起こるべき時である。この世の厭わしさは何としても厭いきれるものではない。日本国の人々が必ず大いなる苦に値わなければならないことは目に見えている。まさに眼前の事実である。文永九年二月の十一日の鎌倉における北条時輔の乱の時は、あたかも花が大風に乱れるように、絹の織物が大火に焼かれるようで、真にはかなく、悲しい出来事であった。そんなありさまを見てどうしてこの世を厭わないでいられようか。文永十一年十月の蒙古襲来の時、壱岐・対馬の人々が蒙古のために一時に殺されたことなどは、とうてい他人事とは思われないであろう。そのころ鎌倉から九州まで打手に向かった人々の嘆きはいかばかりであったか。年老いた親、幼い子、若い妻、大事な住まいをうち捨てて、手がかりのない海辺をまもっているのであるが、雲を見ては敵の軍旗かと疑い、釣船を見ては敵の兵船かと驚くほどおそれる。日に一、二度は山に登り、夜ごとに三、四度馬に鞍を置いて逃げ惑う状態は、この世さながらの修羅道であった。今貴殿等が父親から責められるのも、結局のところは国主が法華経の敵となっているからである。国主が敵となったのは、持斎・念仏者・真言師等が法華経を誹謗したことに端を発しているのである。

池上兄弟への激励


[15]今度こそは迫害を堪え忍んで法華経の御利益を試されるがよい。日蓮もまた強盛に仏天にお祈り申し上げるところである。けっして畏れ退く心や態度があってはならない。男はともかく、きっと女人は心弱き者であるから、おそらく女房たちは心を翻すこともあるかもしれない。強盛に歯をいしばり、どんなことがあっても退転してはならない。たとえば日蓮が平左衛門尉に対して憚ることなく諫めたように、少しも畏れる心があってはならない。和田義盛の子等は、父が北条義時を攻めて一族が戦死し、三浦泰村の子等は、父の若狭守が北条時頼と戦ってすべてが敗死し、あるいは平将門、安倍貞任の家来なども、仏道とは異なるけれども、それぞれ恥を思って命を捨てたではないか。人間はどうしても一度は死なねばならない。卑怯な態度などをとって他人から笑われてはなるまいぞ。

伯夷・叔斉の物語


[16]あまりに不安に思われるので、なお一つ大事の物語を申し上げよう。昔、中国の殷の時代、孤竹国の王に伯夷と叔斉という二人の王子があった。父の王は弟の叔斉に王位を譲られたが、父の死後、叔斉は即位しようとしない。伯夷は弟にご即位なされと言うと、叔斉は兄上こそご即位下されと言う。伯夷がそれでは親の遺言に背くことになるではないかと言うと、叔斉は親の遺言はもっともであるが、どうして兄を差し置いて自分が即位できようかと辞退する。こうして互いに譲り合った末、ついに二人ともに父母の国を捨てて他国へと行ってしまった。国を去って周の文王に仕えたところ、文王は殷の紂王に殺害され、その子の武王は父の死後百日と経たないうちに戦を起こして殷の紂王を攻撃した。そのとき伯夷・叔斉は武王の馬の口にとりつき、親の死後三年を経ずして戦を起こすのは不孝ではないかと諫めた。武王はそれを聞いて大いに怒り、伯夷・叔斉を殺そうとしたのであるが、太公望がこれを制したので事なきを得た。そして伯夷・叔斉の二人は武王のもとを去って首陽山に隠れ、わらびを採って命をいでいた。そこへ王麻子という者と道で行き会い、事の次第を話したところ、王麻子は、そうするとその蕨も周の武王のものではないかと責めたので、二人はそのときから蕨を食べることもやめてしまった。しかしながら天は賢人を見捨てないのが習いであるから、白鹿に身を現じてその乳で二人を養った。ところがあるとき叔斉がこの白鹿は乳がこんなに美味いから肉もさぞかし美味いだろうと言った。伯夷はそれを制止したけれども、天はそれを聞き、以来二度と白鹿は来なくなって二人は餓死してしまった。このように一生のあいだ賢人として暮らした人でさえ、ただ一言でその身を亡ぼすこともある。貴殿等の御心の内はいかがなものであろうか。気がかりでならないのである。

真の孝養


[17]如来が太子であられた時、父の浄飯王は太子を惜しんで出家を許されなかった。そして城の四門に二千人の兵を配置して監視させたけれども、ついに親の心に背いて出家をなさった。世間においては、一切の事は親に随わなければならないが、仏道修行においては親に随わないほうがかえって孝養となるのである。それゆえ心地観経には孝養の根本について、「親の恩愛を棄てて仏法に入るのが、真実の報恩である」と説かれている。すなわちこの経文の意味するところは、仏法の真実の道においては、父母の心に随わないで出家して仏になるのが本当の報恩なのである、ということである。世間のことにしても、親が謀反を起こす場合などは、かえって随わないほうが孝養であると、孝経という儒教の書物に書かれている。天台大師も法華経の三昧に入られた時、亡くなった父母が左右の膝にとりついて仏道修行を妨げようとした。これは天魔が父母の形となって妨害したのである。

仁徳天皇と宇治王子の物語


[18]伯夷・叔斉が一言で身を亡ぼした例は前に述べたが、さらにまた大事の物語がある。日本国人王第十六代の応神天皇は今の八幡大菩である。この天皇に二人の御子がおられた。長男は仁徳天皇、次男は宇治王子である。応神天皇は次男の宇治王子に位を譲られた。天皇が崩御ののち宇治王子は、兄君がご即位下されと言い、兄のほうはどうして父の遺言を用いないのかと言い、互いに譲り合って三年間、天皇の空位が続いた。万民の嘆きは一通りではなく、天下一同の災いであったので、宇治王子は自分が生きているために兄君が即位できないのであろうと思い余って自害された。仁徳は非常に嘆き悲しみ、深く沈みこまれたので、宇治王子は蘇生していろいろと言い遺し、すぐまた息を引き取られた。こうして仁徳天皇が即位されてからは、国内は穏やかで、新羅・百済・高麗も日本国に随い、毎年八十艘の貢物を献上したとのことである。賢王の中でも兄弟仲のよくない例は多くあるのに、どうした因縁で仁徳と宇治王子との間は、かくも美しかったのであろう。法華経の妙荘厳王本事品に説かれてある浄蔵・浄眼の二人の太子が生まれ変わったのであろうか。ひいては薬王菩・薬上菩の生まれ変わりであろうか。

兄の勘当と弟の協力


[19]兄の大夫志殿が父上から勘当されたことは承ったが、弟の兵衛志殿は今度はよもや兄に付くことはあるまい。そうなるとますます大夫志殿の父上からの勘当は並大抵のことでは許されないと思っていたが、この童子鶴王の申すのは本当であろうか。兵衛志殿も兄と御同心であると言う。あまりに尊く思うので、別の消息を書き付けることとする。どうか後々までの物語として語り伝えられたい。どうして、これにすぎたる物語があるだろうか。

インドの隠士の物語


[20]大唐西域記という書物に次のような物語が書かれている。インドの婆羅斯国施鹿林というところに世俗との交わりを断った一人の隠士があって、仙人の術を得ようとしていた。すでに瓦礫を宝に変じてみせたり、人や家畜の形を変えたりすることができたけれども、まだ風雲に乗って仙人の宮殿に出入りすることはできなかった。そこでこの術を成就するために、一人の気性が強く、威勢をもった烈士に話をもちかけて、長刀を持たせ息を殺し無言のままで土を盛って作った壇の隅に立たせた。今晩から明朝にいたるまで物を言わなければ、仙人の術は成就するというのである。仙人の術を求める隠士は壇の真中に坐し、手に長刀を持ち口には神呪を誦している。そしてお互いにたとえ死ぬようなことがあっても物を言うまいと約束したので、烈士は死んでも物言わぬと誓った。こうしてすでに夜半を過ぎて明け方になった時、何を思ったのか、烈士は突然大きな声を出して叫んだ。それがために無言の修行は失敗し、仙人の術を成就することができなかった。そこで隠士は烈士に向かって、どうして約束を破ったのか、残念なことではないかと非難した。烈士は嘆いて答えた。少し眠ったところが、昔仕えた主人が来て、なぜ物を言わないのかと責めたけれども、師との約束が重いので忍んで物を言わなかった。そのとき彼の主人は怒って頸を刎ねると言ったけれどもまだ物を言わなかった。それゆえついに頸を刎ねられてしまった。中陰をさまよう自分の死骸を見れば、さすがに残念で嘆かわしかったけれども、それでも物を言わなかった。やがて南インドのバラモンの家に生まれた。懐胎の時も出生の時もその苦は忍びがたいほどであったが、それでも息を出さず物も言わなかった。すでに成人して妻を娶り、また親が死んだり、子供が生まれたりしたので、悲しかったこともあり、悦ばしかったこともあったが物を言わなかった。こうして六十五歳の高齢になった。それでも物を言わないので、わが妻が語ることには、あなたがもし物を言わなければあなたの愛する子を殺してしまうと言った。そのとき、もはやこのような老齢で、もしこの子を殺されたならば、再び子をもうけることはできまいと思って、思わず声を出してしまい、その声に驚いて眠りからさめたのである、と語ったのである。師の隠士は、「それは致し方のないこと、我も汝も悪魔にたぶらかされて仙人の術を成就できなかったのである」と言うと、烈士は大いに嘆いて「私の心が弱かったために、師の仙法を成就することができなかったのは申し訳ない」と詫びた。すると隠士は「それは私がいけなかったのだ。前もって誡めておかなかったばっかりに」と言ったけれども、烈士は師の恩に報いることができなかったことを嘆き、とうとう思い死にに死んでしまった、という物語が書かれている。

大難興起の必然


[21]仙人の法というのは、中国では儒教を母胎とし、インドでは外道の法の一部である。この仙人の法は、仏教の中では言うに足らぬ小乗阿含経にさえ及ばないのであるから、その上の通・別・円の三教に及ぶはずもなく、まして法華経に及ばないことはもちろんである。このような浅い教えであっても成就しようとすると、四魔が競い起こり妨害して成就させないようにするのであるから、まして法華経の極理である南無妙法蓮華経の七字を、始めてたもたせるために日本国に弘通している日蓮の弟子檀には、大難が興起することは必然であり言葉にも尽くしがたいのである。ただ心をもって推量するしかあるまい。

摩訶止観と三障四魔


[22]天台大師の摩訶止観は、天台大師一期の大事であり、釈尊一代聖教の肝心である。仏法が中国に渡ってから五百年あまりのころ、南三北七といわれる十師が活躍し、その智は日月にも斉しく、その徳は四海に響いたほどであったけれども、いまだ一代聖教の浅深や勝劣や前後、次第には迷っていた。そのとき天台大師は再び釈尊の仏教を明らかにしたばかりでなく、妙法蓮華経の五字の蔵の中から一念三千という如意宝珠を取り出して、インド・中国・日本の三国の一切衆生に普く与えられたのである。この止観の法門は中国で初めて明らかにされたものであって、インドの論師達も明らかにし得なかったことである。それゆえ章安大師は、摩訶止観の冒頭に、「止観の明静なる法門は、いまだかつて明らかにされたことはなかった」と言い、また法華玄義第三巻には、「インドの大論も比べものにならないほどである」とも釈されている。
[23]その中でも、摩訶止観第五巻に明かされる一念三千の法門は、いっそう立ち入った深い法門であり、この法門を口にすれば必ず魔障が現われる。魔障が競い起こることで、逆にそれが正法であることが分かるのである。すなわち摩訶止観第五巻には「止観の修行とさとりとが進んでくると、三障四魔が次々と入り混じって競い起こり、さわりをなしてくる。しかし断じてそれに随ってはならない。また畏れてもならない。これに随えば悪道に堕ち、これを畏れれば正法を修することができない」とある。この文はまさしく日蓮が身をもって体験するところであるばかりでなく、我が一門にとっての明鏡でもある。つつしんで習い伝えて未来に法華経信仰に生きる者たちの資糧としなければならない。
[24]摩訶止観にいう「三障四魔」の三障というのは、煩悩障・業障・報障のことで、煩悩障とは貪・瞋・痴からくる妨げ、業障とは妻子等による妨げ、報障とは国主・父母等による妨げである。また四魔のうちの天子魔というのは第六天の魔王の妨げである。今日本国の止観修行者の中で、我も止観を修行している、私も止観を修行しているなどと自慢している人がいるが、はたしてそれらの誰に三障四魔が次々と起こっているであろうか。「これに随えば悪道に堕ちる」と言われているのは、ただ地獄・餓鬼・畜生の三悪道のことばかりでなく、仏界を除く人間界・天上界なども含んだ九界のことを称して悪道というのである。したがって法華経以外の華厳・阿含・方等・般若・涅槃・大日経等や、天台宗以外の七宗の人々は、すべて悪道に向かわせる獄卒である。天台宗の人々の中でも、表面的には法華経を信じているようで、却って人を法華経以前の経々へ導く者は、人を悪道に向かわせる地獄の鬼である。

兄弟協力の尊さ


[25]今貴殿等は前に述べた隠士と烈士との二人が仙法を求めたようなもので、一人が欠けても仏法を成就することができない。それはたとえてみれば鳥の両翼や人の両眼のような関係で、互いに助け合って存在しているものである。また二人の女房達は貴殿等によって導かれる後援者である。およそ女性という存在は相手に随いながらも、かえって相手を随えるものである。夫が楽しめば妻も栄えるし、夫が盗人ならば妻も盗人となるのである。こうした夫婦の契りはこの世ばかりのことではない。生々世々に影と身とのように、華と果とのように、根と葉とのように相添うものである。木に棲む虫は木を食し、水に棲む魚は水を口にしている。芝が枯れれば蘭が嘆き、松が栄えれば柏は喜ぶと言われているが、草木でさえそうである。比翼という鳥は身は一つで頭は二つあり、二つの口から入る物が一つの身体を養うのである。比目という魚は雌雄一目ずつしかないので一生のあいだ離れることはない。夫と妻とはまさにそのようなものであって、法華経の信仰を全うするためには、たとえ夫に殺害されるようなことがあっても後悔してはならない。共々同じ心になって夫を諫めるならば、法華経提婆品で成仏の姿を示した八歳の竜女の跡を継ぎ、末代悪世の女人の成仏の手本ともおなりになるであろう。
[26]そのようになさるならば、たとえどのようなことがあっても、日蓮が法華経守護の薬王・勇施の二聖、持国・多聞の二天、十羅刹女、釈・多宝の二仏に申しあげることによって、後生において順次に成仏させてくださるであろう。「心の師とはなっても、心を師としてはならない」とは六波羅蜜経の文である。たとえどのような難儀なことがあっても、それは夢と思って、ただ法華経のことばかり念じなさい。ことにまた日蓮の法門は、以前には信じがたかったけれども、最近は前に予言したことがすでに符合したので、理由なく謗った人たちも後悔して信ずる心がみられるようになった。たとえこれから後に信ずる人々があっても、それらと貴殿等と同様に思えるものではない。最初は信じていたけれども、やがて世間からののしられることを恐れて信仰を捨ててしまった人々が数知れずいる。そればかりか、その捨てた人たちの中には、最初から謗った人よりも強盛に謗る人が、またたくさんいるのである。釈尊在世においても、善星比丘等は最初は信じていたけども、後になって捨てたばかりでなく、かえって仏を謗ったので、仏の力も及ばず無間地獄に堕ちたのである。
[27]この手紙は、特に弟の兵衛志殿へ進上いたす。また兄の太夫志殿の女房と兵衛志殿の女房にも、よくよく申し聞かせなさい。くれぐれも申し聞かせなさい。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
[28]文永十二年<日>四月十六日
[29]<人>日 蓮 <花押>花押