太田入道殿御返事
書下し
太田入道殿御返事
[1]貴礼これを開きて拝見す。御痛みの事、一には歎き、二には悦びぬ。
[2]維摩詰経に云く、「爾の時に長者維摩詰、自ら念すらく、寝て牀に疾む。爾の時に仏、文殊師利に告げたまわく、汝、維摩詰に行詣して疾を問え」云云。大涅槃経に云く、「爾の時に如来、乃至、身に疾あるを現わし、右脇にして臥したもう、彼の病人のごとくす」云云。法華経に云く、「少病・少悩」云云。止観の第八に云く、「もし毘耶に偃臥し、疾に託して教を興す。乃至、如来滅に寄せて常を談じ、病によつて力を説く」云云。
[3]また云く、「病の起こる因縁を明すに六あり。一には四大順ならざるが故に病む。二には飲食節ならざるが故に病む。三には坐禅調わざるが故に病む。四には鬼便りを得る。五には魔の所為。六には業の起こるが故に病む」云云。大涅槃経に、「世に三人のその病治し難きあり。一には大乗を謗ず。二には五逆罪。三には一闡提。かくのごとき三病は、世の中の極重なり」云云。また云く、「今世に悪業成就し、乃至、必ず地獄なるべし。乃至、三宝を供養するが故に地獄に堕せずして現世に報を受く。いわゆる頭と目と背との痛」等云云。止観に云く、「もし重罪ありて、乃至、人中に軽く償うと。これはこれ業が謝せんと欲する故に病むなり」。
[4]竜樹菩薩の大論に云く、「問て云く、もししかれば華厳経、乃至、般若波羅蜜は秘密の法にあらず。法華は秘密なり等。乃至、譬えば大薬師の能く毒を変じて薬となすがごとし」云云。天台この論を承りて云く、「譬えば良医の能く毒を変じて薬となすがごとく、乃至、今経の得記は、すなわちこれ毒を変じて薬となすなり。故に論に云く、余経は秘密にあらず、法華を秘密となすなり」云云。止観に云く、「法華能く治す。また称して妙となす」云云。妙楽云く、「治し難きを能く治す。所以に妙と称す」云云。
[5]大経に云く、「爾の時に、王舎大城の阿闍世王、その性弊悪にして、乃至、父を害し已つて、心に悔熱を生ず。乃至、心悔熱するが故に徧体瘡を生ず。その瘡臭穢にして附近すべからず。爾の時に、その母韋提希と字く。種種の薬をもつて、しかもためにこれを傅く。その瘡、遂に増して降損あることなし。王、すなわち母に白す。かくのごとき瘡は心より生ず。四大より起るにあらず。もし衆生よく治する者ありと言わば、この処あることなけん云云。爾の時に世尊大悲導師、阿闍世王のために月愛三昧に入りたもう。三昧に入り已つて大光明を放つ。その光清涼にして、往きて王の身を照すに、身の瘡すなわち愈えぬ」。
[6]平等大慧妙法蓮華経の第七に云く、「この経はすなわちこれ、閻浮提の人の病の良薬なり。もし人病あらんに、この経を聞くことを得ば、病すなわち消滅して不老不死ならん」云云。
[7]已上、上の諸文を引きて惟に御病を勘うるに、六病を出でず。その中の五病はしばらくこれを置く。第六の業病、最も治し難し。はたまた、業病に軽あり重あり、多少定まらず。なかんずく、法華誹謗の業病最第一なり。神農・黄帝・華佗・扁鵲も手を拱き、持水・流水・耆婆・維摩も口を閉ず。ただ釈尊一仏の妙経の良薬に限つてこれを治す。法華経に云く、上のごとし。
[8]大涅槃経に法華経を指して云く、「もしこの正法を毀謗するも、能く自ら改悔し、正法に還帰することあれば、乃至、この正法を除きてさらに救護することなし。この故にまさに正法に還帰すべし」云云。荊谿大師云く、「大経自ら法華を指して極となす」云云。また云く、「人の地に倒れて還つて地に従りて起つがごとし。故に正の謗をもつて邪の堕を接す」云云。
[9]世親菩薩は、本小乗の論師なり。五竺の大乗を止めんがために五百部の小乗論を造る。後に無著菩薩に値い奉り、忽ち邪見を飜し、一時にこの罪を滅せんがために、著に向つて舌を切らんと欲す。著止めて云く、汝その舌をもつて大乗を讃歎せよと。親忽ちに五百部の大乗論を造りて小乗を破失す。また一の願を制立せり。我れ一生の間、小乗を舌の上に置かずと。しかして後、罪を滅して弥勒の天に生ず。
[10]馬鳴菩薩は東印度の人にして付法蔵の第十三に列れり。本外道の長たりし時に、勒比丘と内外の邪正を論ずるに、その心言下に解て、重科を遮せんがために、自ら頭を刎んと擬す。所謂、「我れ、我に敵して堕獄せしむ」。勒比丘諫め止めて云く、「汝頭を切ることなかれ。その頭と口とをもつて大乗を讃歎せよ」と。鳴急に起信論を造つて外小を破失せり。月氏の大乗の初めなり。
[11]嘉祥寺の吉蔵大師は、漢土第一の名匠、三論宗の元祖なり。呉会に独歩し、慢幢最も高し。天台大師に対して、已今当の文を諍い、立処に邪執を飜破し、謗人謗法の重罪を滅せんがために百余人の高徳を相語らい、智者大師を屈請して身を肉橋となし、頭に両足を承く。七年の間、薪を採り水を汲み、講を廃し衆を散じ、慢幢を倒さんがために、法華経を誦せず。大師の滅後、隋帝に往詣し、双足を挍摂し、涙を流して別れを告げ、古鏡を観見して自影を慎辱す。業病を滅せんと欲して、上のごとく懺悔す。
[12]それおもんみれば、一乗妙経は三聖の金言、已今当の明珠、諸経の頂に居す。経に云く、「諸経の中において最もその上に在り」。また云く、「法華最第一なりと」。伝教大師の云く、「仏立宗」云云。予随分、大・金・地等諸の真言の経を勘えたるに、あえてこの文の会通の明文なし。ただ畏・智・空・法・覚・証等の曲会に見えたり。ここに知んぬ。釈尊・大日の本意は限つて法華最上に在り。しかるに本朝真言の元祖たる法・覚・証等の三大師入唐の時、畏・智・空等の三三蔵の誑惑を果・全等に相承して帰朝し了んぬ。法華・真言弘通の時、三説超過の一乗の明月を隠して、真言両界の蛍火を顕わし、あまつさえ法華経を罵詈して曰く、戯論なり、無明の辺域なり。自害の謬誤に曰く、大日経は戯論なり、無明の辺域なり。本師すでに曲れり。末葉あに直ならん。源濁れば流れ清からず等、これをいうか。これに依つて日本久しく闇夜となり、扶桑終に他国の霜に枯れんと欲す。
[13]そもそも貴辺は、嫡嫡末流の一分にあらずといえども、はたまた檀那所従なり。身は邪家に処して年久しく、心は邪師に染みて月重なる。たとい大山に頽るとも、たとい大海は乾くとも、この重罪消えがたきか。しかりといえども、宿縁の催す所、また今生に慈悲の薫ずる所、存外に貧道に値遇して改悔を発起する故に、未来の苦を償い、現在に軽瘡出現せるか。
[14]彼の闍王の身瘡は五逆謗法の二罪の招く所なり。仏、月愛三昧にその身を照したまえば、悪瘡忽ちに消え、三七日の短寿を延べて四十年の宝算を保ち、兼ねてはまた千人の羅漢を屈請して一代の金言を書き顕わし、正・像・末に流布せり。この禅門の悪瘡はただ謗法の一科なり。所持の妙法は月愛に超過す。あに軽瘡を愈して長寿を招かざらんや。この語徴しなくんば声を発して、一切世間眼は大妄語の人、一乗妙経は綺語の典、名を惜しみたまわば、世尊、験を顕わし、誓を恐れたまわば諸の賢聖来り護りたまえと叫喚したまえと爾云う。書は言を尽くさず。言は心を尽くさず。事々見参の時を期せん。恐恐。
[15]<日>十一月三日日>
[16]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[17]<先>太田入道殿御返事先>
現代語訳
太田入道殿御返事
建治元年(一二七五)一一月三日、五四歳、於身延、原漢文、定一一一五—一一一八頁。
[1]貴殿からのお手紙を拝見した。病痛に悩まされておられるとのこと、一度は嘆いたが、しかしよく考えてみると、かえって貴殿にとっては祝福すべきことであると悦んだ次第である。
[2]維摩経にはつぎのことが説かれている。あるとき維摩居士が病気を装って床に臥していた。すると釈尊はこれを聞いて、文殊師利に見舞いに行くように命じられた。大般涅槃経には、あるとき釈尊が身に病を現じて、右脇を下にして臥されたが、その様子はちょうど普通の病人のようであったとある。また法華経には、諸仏菩薩が釈尊に対してご挨拶するとき、「少病少悩」という言葉をもって問うている。これらの経文を受けて、天台大師は摩訶止観第八巻の中で、「維摩居士は毘耶梨城の自邸で病気と称して床に伏し、病気に託して菩薩の化他行の教えを説いた。また、仏は肉身の入滅にことよせて法身常住の法門を談じ、病によせてその力を説かれている」と釈している。
[3]また摩訶止観には、病気の起こる原因について六通りを挙げている。「一には、身体の構成要素である地・水・火・風の四大が調和しないための病気。二には、飲食の節度を欠くための病気。三には坐禅が定められた通りに行なわれないための病気。四には、悪鬼のさわりによる病気。五には、天魔のしわざによる病気。六には、前世の悪業が現われるための病気」をいう。大般涅槃経には、「世の中に治し難い病者が三種ある。第一は大乗経を誹謗する者、第二には五逆罪を犯した者、第三には一闡提という極悪不信の者である。この三つの病は世の中で一番重い病である」と説かれている。また、「現世で悪業を犯すと、来世には必ず地獄に堕ちる。しかし、仏・法・僧の三宝を供養すれば、地獄に堕ちないで現世で軽い報いを受ける。それは頭と目と背との痛みなどである」とも説かれている。これらを承けて摩訶止観には、「もし重い罪業があって地獄の重苦を受けなければならない場合であっても、この世で軽く償うことができると。これは、前世の罪業が今世においてなくなろうとするための病気である」と解釈されている。
[4]竜樹菩薩の大智度論には、「問う、もしそうであるならば華厳経やその他の般若経は、秘密の法ではなく、二乗の成仏を説く法華経こそが秘密の教法である。たとえば法華経は、大薬師が毒を変じて薬とすることができるようなものである」といっている。天台大師はこの論を承けて、「たとえば良い医者が毒を変じて薬とすることができるようなもので、法華経において、不成仏の人と定められた二乗が成仏の保証を得たのは、まさしく毒を薬に変化させたものである。それゆえ大智度論には、余経は秘密ではなく、法華経だけが秘密の深法であるといわれたのである」と釈している。さらに摩訶止観には、「法華経は、他経では対処することのできない二乗を治することができるので、妙と称される」とあり、妙楽大師も「治し難いのを治すことができるから、法華経を妙というのである」と記している。
[5]ところで涅槃経に次のような説示がある。「ある時、王舎城の阿闍世王は、その狂悪な性質から父を殺害してしまったが、後悔の念にさいなまれて高熱を発し、全身に瘡を生じた。その瘡は悪臭を放ち、誰も近づけないほどであった。その時、阿闍世王の母の韋提希がいろいろと薬を塗ったが、その瘡はますますひどくなるばかりで、少しも治らなかった。阿闍世王は母に向かって、『私のこの瘡は、自分の心から起こったものであって、身体の四大が調和を失ったから起こったのではありません。もし世の中に、この病を治すという者があっても、とうてい治らないでしょう』と言った。その時、釈尊はまさに涅槃に入ろうとするところを中断されて、大慈悲をもって阿闍世王を救うために月愛三昧に入られた。そこから清浄の大光明を放って阿闍世王の身を照らされると、王の瘡は即座に治癒してしまった」という。
[6]また、平等大慧の妙法蓮華経第七巻には、「この経は、この世界の人々の病の良薬である。もし人が病む時、この経を聞くことができたならば、病は即座に治って、年もとらず死ぬこともない」と説かれている。
[7]已上、多くの経論釈の文を引いて、ここに貴殿の病を勘えてみると、前の摩訶止観にある六種の外の病ではない。その中の五つの病のことは今しばらく置くとして、第六の業病というのが最も治し難い病である。業病には軽いのと、重いのとがあって定まっていないが、なかでも法華経を誹謗した結果、得るところの業病が一番重くて、古代中国の名医といわれる神農・黄帝・華佗・扁鵲でもこの病には手を出せないし、経文に説く過去世の持水・流水、釈尊在世の耆婆・維摩等もなすすべを知らない。ただ釈尊一仏だけが、法華経の良薬をもってこれを治される。そのことを端的に示す法華経の文は、上に挙げた通りである。
[8]大般涅槃経の中で、法華経を指していうには、「もしこの正法を謗っても、心に自ら悔い改め、正法にふたたびかえって、信仰するならば、その謗法の罪は消える。ただしこの正法を除いて外には、謗法の罪から救い護ってくれるものはないのだから、必ず正法にかえらなければならないのである」とある。それを指して荊谿(妙楽)大師は法華文句記の中で、「大涅槃経は自ら法華経を指して至極の正法とする」といい、また、「たとえば大地に倒れた者が、再び大地を支えとして起き上がるようなものである。つまり、正法を謗ったことが縁となり、かえって地獄から救われることになるのだ」と解釈している。
[9]世親菩薩は、もとは小乗教の学者であった。インド全土に大乗教の弘まるのを阻止するために五百部の小乗論を造った。その後、大乗教に帰依していた兄の無著菩薩と出会って大乗教の奥義を聞くに及んで、たちまち小乗の邪見を捨て、ただちに大乗を謗った罪を消滅させるために、無著に向かって、舌を切って謝罪したいと申し出た。無著はこれを止めて、「大乗を謗ったその舌で、今度は大乗を讃歎するがよい」と言った。世親はすぐに五百部の大乗論を造って小乗の誤りを破し、また一つの願を立てて「私は一生の間、小乗の教えはけっして語らない」と誓った。こうした後、大乗を謗った罪は消滅して、弥勒菩薩がおられる兜率天に生まれることができたという。
[10]馬鳴菩薩は東インドの人で、釈尊から法を付嘱された第十三番目の人である。もとバラモン教の長老であったが、ある時、勒比丘という人に出会い、仏教とバラモン教との邪正を論じていたところ、その場で直ちに仏教の道理を理解して悔い改めた。そして今までの重科を消すために、自分の頸を刎ねようとして言うには、「今まで、私は自分自身を敵として地獄に堕とそうとしたようなものであった」と。これに対して勒比丘は、「頸を切るは無益である。その頭と口とをもって大乗を讃歎するがよい」と諫め諭した。そこで馬鳴は、急いで大乗起信論を造ってバラモン教や小乗教の誤りを破したのである。これがインドに大乗教の起こった始まりである。
[11]嘉祥寺の吉蔵大師は、中国第一の学匠で、三論宗の元祖である。呉の国の会稽に住み、天下に肩を並べる者なしと、慢心の幢が最も高かった。天台大師に対して法華経の「已・今・当」の経文の解釈について論争したが、たちどころに論破された。そして自ら悔い改めて、真実の大乗の人や正法を謗った重罪を消滅しようとして、百余人の高徳の学者たちを勧誘し、天台智者大師を請い招いて講義を拝聴し、大師が高座へ登られる時は自分の身を橋とし、大師の両足を頭にのせるほどであった。七年の間、薪を採ったり水を汲んだりして給仕し、自分の講義は廃止して聴衆の人を断り、慢心の幢を倒すために法華経を読誦しなかった。天台大師の滅後も隋帝のところに赴き、両足を交叉させて、最上の礼をなし、涙を流して別れを告げ、古い鏡に自分の影を写して、この影が正法に背いていたのだと深く自らを辱しめた。これはまさしく謗法の業病を消滅したいと思って、このように懺悔したのである。
[12]つつしんで考えてみると、この一乗の妙法蓮華経は釈迦・多宝・十方分身の三仏の金言であって、「已・今・当」の三説に超過した法華経の明珠は、一切経の頂上に位置している。それゆえ法華経には、「諸経の中において最もその上位にある」と説かれ、また「法華経は最第一である」とも説かれている。伝教大師は法華秀句の中で、天台大師が釈された法華経を指して「仏が自らお立てになられた宗旨である」と言われた。日蓮はこれまで、大日経・金剛頂経・蘇悉地経等の真言の三部経をはじめ、真言に関する多くの経について検討を重ねてきたが、この法華経の「最第一」の文に対して、真言の経が勝れていることを明らかに説いている経文は見られない。ただ中国の善無畏・金剛智・不空、日本の弘法・慈覚・智証などの勝手な解釈にみられるだけである。このことから、釈尊と大日如来のご本意は、ただ法華経を最上とせられていたことが知られる。それにもかかわらず、わが国の真言の元祖である弘法・慈覚・智証の三大師が唐に留学した時、善無畏・金剛智・不空などの三人の三蔵のいつわりの解釈を、慧果・法全などから承け継いで日本へ持ち帰ってしまった。法華・真言を弘める時、明月のような「已・今・当」の三説に超過した一仏乗の法華経を隠して、蛍火のような真言の金剛・胎蔵の両界の曼荼羅を顕し、そればかりでなく、法華経をののしって「戯論」であるとか、釈尊を「迷いの分域にいる」と蔑んでいる。しかし彼らの誤りは、それこそ自害の刃であって、大日経こそ「戯論」であり、大日如来こそ「迷いの分域」なのである。元祖がすでにこのように曲解しているのであるから、その末葉の弟子たちがまっすぐであるはずはない。源が濁ればその流れも清くないというのは、まさしくこのことである。このように真言がはびこってしまったために、日本も久しい間、闇夜となり、ついには他国の侵略にあって滅亡の危機に瀕している。
[13]そもそも貴殿は、その真言の嫡流の中に数えられる人ではないけれども、その真言に帰依した施主であり、従者であった。身は真言の邪宗の家にうまれて年久しく、心は邪師になじんで月を重ねてきた。したがって、たとえ大山が崩れるようなことがあっても、たとえ大海が乾くようなことがあっても、これまでの謗法の重罪は容易に消滅するものではない。しかしながら、過去の宿縁にうながされ、また今生には仏の慈悲をこうむって、思いがけなくも日蓮に遇って、今までの罪を悔い改める心を起こされた。それゆえに、未来は必ず地獄に堕ちなければならないほどの重い罪でありながら、それを償うために、現在に軽い瘡病にかかったのであろう。
[14]かの阿闍世王が身に瘡病を発して苦しんだのは、父を殺害したりした五逆罪と、釈尊の正法を謗った謗法罪との二つの重科によって招いたものである。しかし、釈尊が月愛三昧から清浄なる光明を照らされるや、阿闍世の悪瘡はたちまちに消え、二十一日間の寿命であったのが、四十年もの寿命を延ばすことができた。そこで阿闍世は、さらに千人の阿羅漢を請い招いて釈尊一代の聖教を書き留めさせ、仏滅後の正法・像法・末法の時代に経典を残し、世に弘めたのである。いま貴殿の悪瘡は、ただ謗法という一つの罪科が原因である。その上、信ずるところの妙法は、月愛三昧よりも勝れている。どうして軽い瘡病を癒して長寿を得られないことがあろうか。この日蓮が申し上げた言葉について、もし効験がないならば、声をあげて、「一切世間の眼である仏は大うそつきの人である。一乗の妙法蓮華経は無意味でいつわりの経典である。名が大切であると思われるならば、釈尊はすみやかに衆生を救うという誓願を現実にあらわし、また仏前において法華経守護を誓った多くの賢聖達は、来たって我をお護り下さい」と叫ぶがよい。書面では言いたいことを尽くせないし、言葉もなかなか意を尽くさない。万事はお目にかかった時にゆずることにしたい。つつしんで申し述べた。
[15]<日>十一月三日日>
[16]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[17]<先>太田入道殿御返事先>