妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

転重軽受法門

全集 第6巻 2段 定本: #89(定本の該当ページへ)

書下し

転重軽受法門てんじゆうきようじゆほうもん


[1]周利槃特*すりはんどくと申すは兄弟二人なり。一人もありしかば、すりはんどくと申すなり。各々おのおの三人は又かくのごとし。一人もきたらせ給へば三人と存じ候なり。
[2]涅槃経に転重軽受てんじゆうきようじゆと申す法門あり。先業せんごうの重き、今生こんじようにつきずして未来に地獄じごくの苦を受くべきが、今生にかゝる重苦じゆうくはせ候へば、地獄の苦しみはつときへて、死に候へばにんでん三乗さんじよう一乗いちじようやくをうる事の候。不軽菩*ふきようぼさつ悪口罵詈あつくめりせられ、杖木瓦礫じようもくがりやくをかほるも、ゆへなきにはあらず。過去の誹謗正法*ひほうしようぼうのゆへかとみへて、「其罪畢已ございひつち」と説かれて候は、不軽菩の難にふゆへに、過去の罪の滅するかとみへはんべり〈是一これひとつ〉。
[3]付法蔵ふほうぞうの二十五人は仏をのぞきたてまつりては、皆ほとけのかねてしるしをき給へる権者ごんじやなり。其の中に第十四の提婆菩だいばぼさつ外道げどうにころされ、第二十五の師子尊者ししそんじや檀弥栗王だんみりおうくびはねられ、其のほか仏陀密多ぶつだみつた竜樹菩りゆうじゆぼさつなんども多くの難にあへり。又難なくして、王法に御帰依きえいみじくて、法をひろめたる人も候。これは世に悪国・善国あり、法に摂受しようじゆ折伏しやくぶくあるゆへかとみへはんべる。正像猶しようぞうなおかくのごとし。中国ちゆうごく又しかなり。これは辺土へんどなり。末法のはじめなり。かゝる事あるべしとは先にをもひさだめぬ。をこそまち候ひつれ。〈是二これふたつ〉。
[4]このかみの法門は、いにしえ申しをき候ひき。めづらしからず。
[5]円教えんぎよう六即ろくそくくらい観行即かんぎようそくと申すは、「所行如所言しよぎようによしよごん所言如所行しよごんによしよぎよう(行ずる所言う所のごとく、言う所行ずる所のごとし)」と云云。理即りそく名字みようじの人は円人えんにんなれども、ことばのみありてまことなる事かたし。例せば外典げてん三墳さんぷん五典ごてん等は読む人かずをしらず。かれがごとくに世ををさめふれまう事、千万が一つもかたし。されば世のをさまる事も又かたし。法華経は紙付かみつきこえをあげてよめども、の経文のごとくふれまう事わかたく候か。
[6]ひゆほんに云く、〔「経を読誦どくじゆ書持しよじすることあらん者を見て、軽賤憎嫉きようせんぞうしつして結恨けつこんいだかん」〕。法師品ほつしほんに云く、〔「如来によらい現在げんざいすらなお怨嫉おんしつ多し、いわんや滅度めつどのちをや」〕。勧持品かんじほんに云く、〔「刀杖とうじようを加え、乃至ないし数数擯出しばしばひんずいせられん」〕。安楽行品あんらくぎようほんに云く、〔「一切世間いつさいせけん怨多あだおおくしてしんがたし」〕と。此等は経文には候へども、何世いつのよにかゝるべしともしられず。過去の不軽菩ふきようぼさつ覚徳比丘*かくとくびくなんどこそ、身にあたりてよみまいらせて候ひけるとみへはんべれ。現在には正像しようぞう二千年はさてをきぬ。末法に入つては、この日本国には、当時(事)は日蓮一人みへ候か。
[7]昔の悪王の御時、多くの聖僧せいそうの難に値ひ候けるには、また所従しよじゆう眷属けんぞく等・弟子でしだんな等いくそばくかなげき候ひけんと、今をもちてをしはかり候。今日蓮、法華経一部よみて候。一句一偈いつくいちげ猶受記なおじゆきをかほれり。いかに況んや一部いちぶをやと、いよたのもし。但をほけなく国土までとこそ、をもひて候へども、われと用ひられぬ世なれば、力及ばず。しげきゆへにとどめ候。恐々謹言。
[8]文永八年〈辛未〉<日>十月五日
[9]<人>日 蓮<花押>花押
[10]<先>田左衛門尉殿
[11]<先>蘇谷*そや入道殿
[12]<先>金原法橋*かなはらほつきよう御房
[13]<先>御返事
現代語訳

転重軽受法門


文永八年(一二七一)一〇月五日、五〇歳、於相模依智、大田乗明・曾谷入道・金原法橋宛、和漢混淆文、定五〇七—五〇九頁。

[1]周利槃特というのは兄弟二人の名である。兄弟であるから、一人でいても周利槃特といった。各々方三人もまたこれと同じようである。一人が来られても三人が来られたように思われる。
[2]涅槃経に「転重軽受」という法門がある。それは前生の悪業の報いが重くて、今生では尽くしきれず、未来において地獄の苦しみを受けなければならないのを、今生でそれに代わる苦しみを受けることにより、未来の地獄の苦しみはたちまちに消えて、死後は人間界・天上界・三乗・一乗の利益を受けることができるという教えである。不軽菩が悪口されののしられ、杖木で打たれ瓦礫を投げつけられたりして迫害を受けたのも、理由のないことではなかった。それは不軽菩が過去世において正法を誹謗した報いかと、見られるからである。経文には、「その罪おわって」と説かれているのは、不軽菩が難に値ったことによって、過去の罪が消滅されたということを言い表わされたものと思われるのである。これが第一点である。
[3]また、釈尊から順次に仏法を伝えた二十五人は、仏を除いたほかの人々は皆、仏から衆生を導くために遣わされた権化の人である。その中で第十四人目の提婆菩は外道に殺害され、第二十五人目の師子尊者は檀弥栗王に頸を刎られ、そのほか第八人目の仏陀密多、第十三人目の竜樹菩など、多くの弘法者が難に値われた。その一方、難がなく、国王の帰依も篤くて、仏法を弘めた人もあった。このように違いがあるのは、世間には悪国と善国があり、弘教の方法にも摂受と折伏とがあるからであろうと思われる。釈尊滅後の正法時代・像法時代でさえもこのようであり、仏教の中心地であるインドでさえも、そのように受難が多かったのである。ましてや日本は中心地から遠く離れた辺土であり、しかも時代は末法の始めである。日蓮が法華経を弘通しようとすれば大難に値わなければならないのは当然のことであると、最初から覚悟していたことである。ただその時が来るのを待っていたのである。これが第二点である。
[4]以上の二つの法門は、すでに前から申し述べていたことであって、取り立てて珍しいことではない。
[5]さて、円教では、凡夫から仏への修行の段階を六種に分けて「六即」というが、その第三段階である観行即というのは、天台大師が摩訶止観に「行なうことが言うことと一致し、言うことが行なうことと一致する」と記されているように、言行一致の境地に到達することを指している。したがってその下の第一段階の理即、第二段階の名字即の人は、円教を信ずる人ではあるけれども、それは言葉の上のことだけであって、実際に行ずることは難しい。たとえば中国古代の三皇・五帝の事跡が語られている三墳とか五典という書物などは、読む人は数えきれないほど多い。しかし、実際に書物が教える通りに世を治めたり、行動していく者は、まず千万人の中で一人もありえない。それだから世が治まるということもまた難しいのである。法華経の経文は、紙に書かれた文字をそのまま声に出して読むことはできるが、その経文の教示に従って実際に行動することは非常に困難なのではないか。
[6]法華経譬品には、「法華経を読誦し書写し受持する者があると、これを見て軽んじ、いやしめ、にくみ、ねたんだりしてうらみを結ぶ者が出る」と説かれ、法師品には「如来の在世でさえもうらみ嫉む者が多い、まして滅度の後においてはなおさらである」と説かれ、勧持品には「刀で斬られ、杖で打たれたり、あるいはたびたび追放処分を受ける」と説かれ、安楽行品には「世間のあらゆる人々は、怨をなして法華経を信じようとしない」と説かれている。これらの経文は法華経を信じ行ずることが困難であるという釈尊の予言であるが、いつの時代にこのような難が起こるかということは具体的に述べられてはいない。過去の世においては、不軽菩や覚徳比丘などがこれらの経文を身をもって読まれたお方であると見ることができる。しかし現在の釈尊による衆生済度さいどの歴史に限ると、正法時代と像法時代の二千年間のことはさておくとして、末法時代に入ってからは、この日本国では、今は日蓮一人のみが経文の予言を実証しているといえるのではあるまいか。
[7]昔、悪王が暴威を振るって仏法を弾圧した時、多くの聖僧が難に値われ、迫害されたが、その聖僧に付き従った者や弟子・檀などがどれほど悲嘆したことであったろうかと、今の自分の体験から推測することができる。今、日蓮は、法華経一部を身をもって読んだのである。一句一偈のわずかな経文をたもつ人でさえ、仏は成仏の保証を与えられている。まして法華経一部を身をもって読んだ者の成仏は疑いないことであって、いよいよ頼もしいかぎりである。ただ身のほど知らずではあるが、自己一身のみでなく、国土全体の成仏を願っているのだけれども、国主が日蓮の主張を採用しない世の中であるから、残念ながら力が及ばない。これ以上は繁雑になるので筆をとどめることにする。以上、つつしんで申し述べたのである。
[8]文永八年〈辛未〉<日>十月五日
[9]<人>日 蓮 <花押>花押
[10]<先>大田左衛門尉殿
[11]<先>蘇谷入道殿
[12]<先>金原法橋御房
[13]<先>御返事