転重軽受法門
書下し
転重軽受法門
[1]周利槃特と申すは兄弟二人なり。一人もありしかば、すりはんどくと申すなり。各々三人は又かくのごとし。一人も来らせ給へば三人と存じ候なり。
[2]涅槃経に転重軽受と申す法門あり。先業の重き、今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかゝる重苦に値はせ候へば、地獄の苦しみはつときへて、死に候へば人・天・三乗・一乗の益をうる事の候。不軽菩薩の悪口罵詈せられ、杖木瓦礫をかほるも、ゆへなきにはあらず。過去の誹謗正法のゆへかとみへて、「其罪畢已」と説かれて候は、不軽菩薩の難に値ふゆへに、過去の罪の滅するかとみへはんべり〈是一〉。
[3]又付法蔵の二十五人は仏をのぞきたてまつりては、皆仏のかねて記しをき給へる権者なり。其の中に第十四の提婆菩薩は外道にころされ、第二十五の師子尊者は檀弥栗王に頸を刎られ、其の外、仏陀密多・竜樹菩薩なんども多くの難にあへり。又難なくして、王法に御帰依いみじくて、法をひろめたる人も候。これは世に悪国・善国あり、法に摂受・折伏あるゆへかとみへはんべる。正像猶かくのごとし。中国又しかなり。これは辺土なり。末法の始なり。かゝる事あるべしとは先にをもひさだめぬ。期をこそまち候ひつれ。〈是二〉。
[4]この上の法門は、いにしえ申しをき候ひき。めづらしからず。
[5]円教の六即の位に観行即と申すは、「所行如所言、所言如所行(行ずる所言う所のごとく、言う所行ずる所のごとし)」と云云。理即・名字の人は円人なれども、言のみありて真なる事かたし。例せば外典の三墳・五典等は読む人かずをしらず。かれがごとくに世ををさめふれまう事、千万が一つもかたし。されば世のをさまる事も又かたし。法華経は紙付に音をあげてよめども、彼の経文のごとくふれまう事わかたく候か。
[6]譬喩品に云く、〔「経を読誦し書持することあらん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん」〕。法師品に云く、〔「如来の現在すらなお怨嫉多し、いわんや滅度の後をや」〕。勧持品に云く、〔「刀杖を加え、乃至、数数擯出せられん」〕。安楽行品に云く、〔「一切世間、怨多くして信じ難し」〕と。此等は経文には候へども、何世にかゝるべしともしられず。過去の不軽菩薩・覚徳比丘なんどこそ、身にあたりてよみまいらせて候ひけるとみへはんべれ。現在には正像二千年はさてをきぬ。末法に入つては、この日本国には、当時(事)は日蓮一人みへ候か。
[7]昔の悪王の御時、多くの聖僧の難に値ひ候けるには、また所従・眷属等・弟子・檀那等いくそばくかなげき候ひけんと、今をもちてをしはかり候。今日蓮、法華経一部よみて候。一句一偈に猶受記をかほれり。何に況んや一部をやと、いよ〳〵たのもし。但をほけなく国土までとこそ、をもひて候へども、我と用ひられぬ世なれば、力及ばず。しげきゆへにとどめ候。恐々謹言。
[8]文永八年〈辛未〉<日>十月五日日>
[9]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[10]<先>大田左衛門尉殿先>
[11]<先>蘇谷入道殿先>
[12]<先>金原法橋御房先>
[13]<先>御返事先>
現代語訳
転重軽受法門
文永八年(一二七一)一〇月五日、五〇歳、於相模依智、大田乗明・曾谷入道・金原法橋宛、和漢混淆文、定五〇七—五〇九頁。
[1]周利槃特というのは兄弟二人の名である。兄弟であるから、一人でいても周利槃特といった。各々方三人もまたこれと同じようである。一人が来られても三人が来られたように思われる。
[2]涅槃経に「転重軽受」という法門がある。それは前生の悪業の報いが重くて、今生では尽くしきれず、未来において地獄の苦しみを受けなければならないのを、今生でそれに代わる苦しみを受けることにより、未来の地獄の苦しみはたちまちに消えて、死後は人間界・天上界・三乗・一乗の利益を受けることができるという教えである。不軽菩薩が悪口され罵られ、杖木で打たれ瓦礫を投げつけられたりして迫害を受けたのも、理由のないことではなかった。それは不軽菩薩が過去世において正法を誹謗した報いかと、見られるからである。経文には、「その罪畢え已って」と説かれているのは、不軽菩薩が難に値ったことによって、過去の罪が消滅されたということを言い表わされたものと思われるのである。これが第一点である。
[3]また、釈尊から順次に仏法を伝えた二十五人は、仏を除いたほかの人々は皆、仏から衆生を導くために遣わされた権化の人である。その中で第十四人目の提婆菩薩は外道に殺害され、第二十五人目の師子尊者は檀弥栗王に頸を刎られ、そのほか第八人目の仏陀密多、第十三人目の竜樹菩薩など、多くの弘法者が難に値われた。その一方、難がなく、国王の帰依も篤くて、仏法を弘めた人もあった。このように違いがあるのは、世間には悪国と善国があり、弘教の方法にも摂受と折伏とがあるからであろうと思われる。釈尊滅後の正法時代・像法時代でさえもこのようであり、仏教の中心地であるインドでさえも、そのように受難が多かったのである。ましてや日本は中心地から遠く離れた辺土であり、しかも時代は末法の始めである。日蓮が法華経を弘通しようとすれば大難に値わなければならないのは当然のことであると、最初から覚悟していたことである。ただその時が来るのを待っていたのである。これが第二点である。
[4]以上の二つの法門は、すでに前から申し述べていたことであって、取り立てて珍しいことではない。
[5]さて、円教では、凡夫から仏への修行の段階を六種に分けて「六即」というが、その第三段階である観行即というのは、天台大師が摩訶止観に「行なうことが言うことと一致し、言うことが行なうことと一致する」と記されているように、言行一致の境地に到達することを指している。したがってその下の第一段階の理即、第二段階の名字即の人は、円教を信ずる人ではあるけれども、それは言葉の上のことだけであって、実際に行ずることは難しい。たとえば中国古代の三皇・五帝の事跡が語られている三墳とか五典という書物などは、読む人は数えきれないほど多い。しかし、実際に書物が教える通りに世を治めたり、行動していく者は、まず千万人の中で一人もありえない。それだから世が治まるということもまた難しいのである。法華経の経文は、紙に書かれた文字をそのまま声に出して読むことはできるが、その経文の教示に従って実際に行動することは非常に困難なのではないか。
[6]法華経譬喩品には、「法華経を読誦し書写し受持する者があると、これを見て軽んじ、賤しめ、憎み、嫉んだりして恨みを結ぶ者が出る」と説かれ、法師品には「如来の在世でさえも怨み嫉む者が多い、まして滅度の後においてはなおさらである」と説かれ、勧持品には「刀で斬られ、杖で打たれたり、あるいはたびたび追放処分を受ける」と説かれ、安楽行品には「世間のあらゆる人々は、怨をなして法華経を信じようとしない」と説かれている。これらの経文は法華経を信じ行ずることが困難であるという釈尊の予言であるが、いつの時代にこのような難が起こるかということは具体的に述べられてはいない。過去の世においては、不軽菩薩や覚徳比丘などがこれらの経文を身をもって読まれたお方であると見ることができる。しかし現在の釈尊による衆生済度の歴史に限ると、正法時代と像法時代の二千年間のことはさておくとして、末法時代に入ってからは、この日本国では、今は日蓮一人のみが経文の予言を実証しているといえるのではあるまいか。
[7]昔、悪王が暴威を振るって仏法を弾圧した時、多くの聖僧が難に値われ、迫害されたが、その聖僧に付き従った者や弟子・檀那などがどれほど悲嘆したことであったろうかと、今の自分の体験から推測することができる。今、日蓮は、法華経一部を身をもって読んだのである。一句一偈のわずかな経文をたもつ人でさえ、仏は成仏の保証を与えられている。まして法華経一部を身をもって読んだ者の成仏は疑いないことであって、いよいよ頼もしいかぎりである。ただ身のほど知らずではあるが、自己一身のみでなく、国土全体の成仏を願っているのだけれども、国主が日蓮の主張を採用しない世の中であるから、残念ながら力が及ばない。これ以上は繁雑になるので筆をとどめることにする。以上、つつしんで申し述べたのである。
[8]文永八年〈辛未〉<日>十月五日日>
[9]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[10]<先>大田左衛門尉殿先>
[11]<先>蘇谷入道殿先>
[12]<先>金原法橋御房先>
[13]<先>御返事先>