富木殿御返事
書下し
富木殿御返事
[1]「<先>富木殿 御返事先> <人>日蓮人>」
[2]帷一領、給び候ひ了んぬ。
[3]夫れ、仏弟子の中、比丘一人はんべり。飢饉の世に、仏の御時、事かけて候ひければ、比丘、袈裟をう(売)て其のあたいを仏に奉る。仏、其の由来を問ひ給ひければ、「しか〴〵」とありのままに申しけり。仏云く、「袈裟はこれ三世の諸仏解脱の法衣なり。このあたひ(価)をば我れほうじがたし」と辞退しまし〳〵かば、此の比丘申す、「さてこの袈裟あたひをばいかんがせん」と申しければ、仏の云く、「汝、悲母ありやいなや」。答て云く、「あり」。仏の云く、「この袈裟をば汝が母に供養すべし」。此の比丘、仏に云く、「仏はこの三界の中、第一の特尊なり。一切衆生の眼目にてをはす。たとひ十方世界を覆ふ衣なりとも、大地にしく袈裟なりとも、よく報じ給ふべし。我が母は無智なる事、牛のごとし。羊よりもはかなし。いかでか袈裟の信施をほうぜん」と云云。仏返吉(詰)して云く、「汝が身をば誰が生みしぞや。汝が母これを生む。この袈裟の恩報じぬべし」等云云。
[4]これはまた、齢九旬にいたれる悲母の、愛子にこれをまいらせさせ給ふ。しかも我れと老眼をしぼり、身命を尽くせり。我れ子の身としてこの帷の恩かたしとをぼしてつかわせるか。日蓮またほうじがたし。しかれどもまた返すべきにもあらず。この帷をきて日天の御前にして、この子細を申し上げば、定めて釈梵諸天しろしめすべし。帷一つなれども十方の諸天これをしり給ふべし。露を大海によせ、土を大地に加ふるがごとし。生々に失せじ、世々にくちざらむかし。恐恐謹言。
[5]<日>二月七日日>
[6]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
現代語訳
富木殿御返事
文永一二年(一二七五)二月七日、五四歳、於身延、和文、定八六〇—八六一頁。
[1]「<先>富木殿 御返事先> <人>日蓮人>」(書状の上封に書かれた宛書)
[2]帷子一領、ありがたく頂戴いたしました。
[3]さて、昔、仏弟子の中に一人の比丘がおりました。飢饉の世で、仏さまのお食事にこと欠きましたので、比丘は自分の袈裟を売ってその代価を仏に差し上げました。そこで仏さまが、そのいきさつをお尋ねになられましたので、「これこれしかじかです」と、ありのままにお答えしました。すると仏さまの仰せられるのには、「袈裟というのは三世の諸仏の解脱の法衣である。その法衣を売って得られた価のご恩に自分は報いることができない」とて、ご辞退なされました。そこでこの比丘の言うのには、「ではこの袈裟の代価をどういたしましょうか」と問いましたので、仏は、「そなたには母があるか」と問われました。すると「おります」と答えました。さらに仏は、「ではこの袈裟の価は、そなたの母に差し上げるがよかろう」と仰せられた。そこで比丘は仏に対して申し上げました。「仏さまはこの三界の中で、第一に特別な尊いお方であります。生きとし生けるものの眼でいらっしゃいます。たとえ十方の世界を覆うほどの衣であろうとも、大地に敷きつめるほどの袈裟であろうとも、仏さまはそのご恩によく報じられるでありましょう。私の母は無智なることは牛のようであり、羊よりもはかない人間であります。どうして袈裟の布施に対して報いることができましょう」と。すると仏は返って詰問なさいました。「そなたの身体は、いったい誰が生んだのかな。そなたの母が生んでくれたのではないか。この袈裟の恩を報ずることができるに相違ない」と、述べられたのであります。
[4]さて、このたびの帷子もまた、御歳九十にもなられる母上が、愛しい我が子である貴殿のために仕立てられたものです。しかも自ら老いの眼をしばたたかせながら、身命の限りを尽くされたものです。貴殿は、ご自分は子として、この帷子の恩に報いることはできぬと思われて、私に遣わされたものでしょうか。とすれば日蓮も御母の深い恩に報いることはできません。しかしながら、貴殿と御母のお気持を汲みますと、これはお返しすべきではありません。ありがたくこの帷子を着て、日天子の御前で、このいきさつを申し上げますならば、かならずや梵天・帝釈・四天等もご承知下さることでありましょう。帷子は一枚でありますけれども、十方の諸天もこのことをお知りになるでありましょう。そういたしますと、この帷子の功徳は、わずかに一滴の露を大海に集め、ひとかけらの土を大地に加えるようなものではありますが、生々に失せることなく、世々に朽ちることもない、大きな功徳となるでありましょう。つつしんで申し述べました。
[5]<日>二月七日日>
[6]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>