富木殿御返事
162 富木殿御返事
富木殿 [御返事] 日蓮 帷一領給候了。
夫、仏弟子の中、比丘一人はんべり。飢饉の世に、仏の御時、事かけて候ければ、比丘袈裟をう(売)て其あたいを仏奉。仏其由来を問給ければ、しかじかとありのまゝに申けり。仏云、袈裟はこれ三世の諸仏解脱の法衣なり。このあたひ(価)をば我ほうじがたしと辞退しましましかば、此比丘申、さてこの袈裟あたひをばいかんがせんと申ければ、仏云 汝悲母有不。答云 有。仏云、此袈裟をば汝母に供養すべし。此比丘仏云、仏は此三界の中第一の特尊なり。一切衆生の眼目にてをはす。設十方世界を覆衣なりとも、大地にしく袈裟なりとも、能報給べし。我母は無智なる事牛のごとし。羊よりもはかなし。いかでか袈裟の信施をほうぜんと[云云]。仏返吉[(詰)云] 汝が身をば誰が生ぞや。汝が母これを生。此袈裟の恩報ぬべし等[云云]。
此は又、齢九旬にいたれる悲母の、愛子にこれをまいらせさせ給。而我と老眼をしぼり、身命を尽せり。我子の身として此帷の恩かたしとをぼしてつかわせるか。日蓮又ほうじがたし。しかれども又返べきにあらず。此帷をきて日天の御前して、此子細を申上ば、定て釈梵諸天しろしめすべし。帷一なれども十方の諸天此をしり給べし。露を大海によせ、土大地に加がごとし。生々に失せじ、世々にくちざらむかし。恐恐謹言。 二月七日 日蓮[花押]