聖密房御書
書下し
聖密房御書
[1]大日経をば善無畏・不空・金剛智等の義に云く、大日経の理と法華経の理とは同じ事なり。ただ印と真言とが、法華経は劣なりと立たり。良諝和尚・広修・維蠲なんど申す人は、大日経は華厳経・法華経・涅槃経等には及ばず、ただ方等部の経なるべし。
[2]日本の弘法大師云く、法華経はなお華厳経等に劣れり。まして大日経には及ぶべからず等云云。又云く、法華経は釈迦の説、大日経は大日如来の説、教主既にことなり。又釈迦如来は大日如来の御使として顕教をとき給ふ。これは密教の初門なるべし。或は云く、法華経の肝心たる寿量品の仏は、顕教の中にしては仏なれども、密教に対すれば具縛の凡夫なりと云云。
[3]日蓮勘へて云く、大日経は新訳の経、唐の玄宗皇帝の御時、開元四年に天竺の善無畏三蔵もて来る。法華経は旧訳の経、後秦の御宇に羅什三蔵もて来る。その中間三百余年なり。法華経亙て後、百余年を経て天台智者大師、教門には五時四教を立てて、上五百余年の学者の教相をやぶり、観門には一念三千の法門をさとりて、始めて法華経の理を得たり。
[4]天台大師已前の三論宗、已後の法相宗には八界を立て十界を論ぜず。一念三千の法門をば立つべきやうなし。華厳宗は天台已前には南北の諸師、華厳経は法華経に勝れたりとは申しけれども、華厳宗の名は候はず。唐の代に高宗の后、則天皇后と申す人の御時、法蔵法師・澄観なんど申す人、華厳宗の名を立てたり。この宗は教相に五教を立て、観門には十玄六相なんど申す法門なり。をびただしきやうにみへたりしかども、澄観は天台をは(破)するやうにて、なを天台の一念三千の法門をかり(借)とりて、我経の「心は工なる画師のごとし」の文の心とす。これは華厳宗は天台に落ちたりというべきか。又一念三千の法門を盗みとりたりというべきか。澄観は持戒の人、大小の戒を一塵をもやぶらざれども、一念三千の法門をばぬすみとれり。よくよく口伝あるべし。
[5]真言宗の名は天竺にありやいな(否)や。大なる不審なるべし。ただ真言経にてありけるを、善無畏等の宗の名を漢土にして付たりけるか。よくよくしるべし。〔なかんずく〕善無畏等、法華経と大日経との勝劣をはん(判)ずるに、理同事勝の釈をばつくりて、一念三千の理は法華経大日経これ同じなんどいへども、印と真言とが法華経には無ければ、事法は大日経に劣れり。事相かけぬれば、事理倶密もなしと存ぜり。今日本国及び諸宗の学者等、並にこと(殊)に用ふべからざる天台宗、共にこの義をゆるせり。例せば諸宗の人人をばそねめども、一同に弥陀の名をとなへて、自宗の本尊をすてたるがごとし。天台宗の人人は、一同に真言宗に落ちたる者なり。
[6]日蓮理のゆくところを不審して云く、善無畏三蔵の法華経と大日経とを、理は同じく事は勝れたりと立るは、天台大師の始めて立て給へる一念三千の理を、今大日経にとり入れて、同じと自由に判ずる条、ゆるさるべしや。例せば先に人丸が、ほのぼのとあかし(明石)のうらのあさぎりに、しまかくれゆくふねをしぞをもうとよめるを、紀のしくばう(淑望)源のしたがう(順)なんどが判じて云く、この歌はうたの父うたの母等云云。今の人我れうたよめりと申して、ほのぼのと乃至船をしぞをもう、と一字をもたがへずよみて、我が才は人丸にをとらずと申すをば、人これを用ふべしや。やまかつ(山賤)海人なんどは用ふる事もありなん。天台大師の始めて立て給へる一念三千の法門は、仏の父仏の母なるべし。百余年已後の善無畏三蔵が、この法門をぬすみとりて、大日経と法華経とは理同なるべし、理同と申すは一念三千なり、とかけるをば智慧かしこき人は用ふべしや。
[7]事勝と申すは印真言なし、なんど申すは天竺の大日経・法華経の勝劣か、漢土の法華経・大日経の勝劣か。不空三蔵の法華経の儀軌には、法華経に印真言をそへて訳せり。仁王経にも羅什の訳には印真言なし。不空の訳の仁王経には印真言これあり。此等の天竺の経経には無量の事あれども、月氏漢土国をへだててとをく、ことごとくもちて来がたければ、経を略するなるべし。
[8]法華経には印・真言なけれども、二乗作仏劫国名号・久遠実成と申すきぼ(規模)の事あり。大日経等には印真言はあれども、二乗作仏・久遠実成これなし。二乗作仏と印真言とを並ぶるに天地の勝劣なり。四十余年の経経には、二乗は敗種の人と、一字二字ならず無量無辺の経経に嫌はれ、法華経にはこれを破して、二乗作仏を宣へたり。いづれの経経にか印・真言を嫌ふことばあるや。その言なければ、又大日経にも其名を嫌はずただ印・真言をとけり。印と申すは手の用なり。手仏にならずば手の印、仏になるべしや。真言と申すは口の用なり。口仏にならずば、口の真言仏になるべしや。二乗の三業は法華経に値ひたてまつらずば、無量劫、千二百余尊の印・真言を行ずとも仏になるべからず。勝れたる二乗作仏の事法をばとかずと申して、劣れる印・真言をとける事法をば勝れたりと申すは、理によれば盗人なり、事によれば劣謂勝見の外道なり。この失によりて閻魔の責めをばかほりし人なり。後にくい(悔)かへして、天台大師を仰ひで法華にうつりて、悪道をば脱れしなり。
[9]久遠実成なんどは、大日経にはをもひもよらず。久遠実成は一切の仏の本地、譬へば大海は久遠実成、魚鳥は千二百余尊なり。久遠実成なくば、千二百余尊はうきくさの根なきがごとし、夜の露の日輪の出でざる程なるべし。天台宗の人人この事を弁へずして、真言師にたぼらかされたり。真言師は又自宗の誤をしらず、いたづらに悪道の邪念をつみをく。
[10]空海和尚はこの理を弁へざる上、華厳宗のすでにやぶられし邪義を借りとりて、法華経はなお華厳経にをとれりと僻見せり。亀毛の長短、兎角の有無。亀の甲には毛なし、なんぞ長短をあらそい、兎の頭には角なし、なんの有無を論ぜん。理同と申す人、いまだ閻魔のせめを脱れず。大日経に劣る、華厳経になお劣る、と申す人謗法を脱るべしや。人はかはれども、その謗法の義同じかるべし。弘法の第一の御弟子、かきのもと(柿本)き(紀)の僧正、紺青鬼となりし、これをもてしるべし。空海悔改なくば悪道疑ふべしともをぼへず。その流をうけたる人人又いかん。
[11]問て云く、わ法師一人、この悪言をはく如何。答て云く、日蓮はこの人人を難ずるにはあらず。ただ不審する計りなり。いかり(怒)おぼせば、さでをはしませ。外道の法門は一千年八百年、五天にはびこりて、輪王より万民かうべ(頭)をかたぶけたりしかども、九十五種共に仏にやぶられたりき。摂論師が邪義、百余年なりしもやぶれき。南北の三百余年の邪見もやぶれき。日本二百六十余年の六宗の義もやぶれき。其上、この事は伝教大師の或書の中にやぶられて候を申すなり。
[12]日本国は大乗に五宗あり。法相・三論・華厳・真言・天台。小乗に三宗あり。倶舎・成実・律宗なり。真言・華厳・三論・法相は大乗よりいでたりといへども、くわしく論ずれば皆小乗なり。宗と申すは、戒定慧の三学を備へたる物なり。其中に定慧はさてをきぬ。戒をもて大小のばうじ(牓示)を、うちわかつものなり。東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なきゆへに、東大寺に入りて小乗律宗の驢乳臭糞の戒を持つ。戒を用つて論ぜば、此等の宗は小乗の宗なるべし。比叡山には天台宗・真言宗の二宗、伝教大師習ひつたへ給ひたりしかども、天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇立つべきよし申させ給ひしゆへに、天台宗に対しては、真言宗の名あるべからずとをぼして、天台法華宗の止観・真言とあそばして、公家へまいらせ給ひき。伝教より慈覚たまはらせ給ひし誓戒の文には、天台法華宗の止観・真言と正くのせられて、真言宗の名をけづられたり。天台法華宗は、仏立宗と申して仏より立てられて候。真言宗の真言は当分の宗、論師人師始めて宗の名をたてたり。しかるを、事を大日如来・弥勒菩薩等によせたるなり。仏御存知の御意は、ただ法華経一宗なるべし。
[13]小乗には二宗・十八宗・二十宗候へども、ただ所詮の理は無常の一理なり。法相宗は唯心有境。大乗宗無量の宗ありとも、所詮は唯心有境とだにいはば、ただ一宗なり。三論宗は唯心無境。無量の宗ありとも、所詮唯心無境ならばただ一宗なり。これは大乗の空有の一分か。華厳宗・真言宗あがらば但中、くだらば大乗の空有なるべし。経文の説相はなお華厳・般若にも及ばず。ただし、よき人とをぼしき人人の多く信じたるあいだ、下女を王のあい(愛)するににたり。大日経等は下女のごとし。理は但中にすぎず。論師・人師は王のごとし。人のあいするによて、いばう(威望)があるなるべし。
[14]上の問答等は、当時は世すえになりて、人の智浅く慢心高きゆへに、用ふる事はなくとも、聖人・賢人なんども出でたらん時は、子細もやあらんずらん。不便にをもひまいらすれば、目安に注せり。御ひまにはならはせ給ふべし。
[15]これは大事の法門なり。こくうざう(虚空蔵)菩薩にまいりて、つねによみ奉らせ給ふべし。
[16]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[17]<先>聖密房へ〔之を遣わす〕先>
現代語訳
聖密房御書
文永一一年(一二七四)五・六月頃、五三歳、於身延、聖密房宛、和文、定八二〇—八二七頁。
[1]大日経について、インドの僧侶である善無畏三蔵・不空三蔵・金剛智三蔵らは、大日経と法華経とは理は同じであるが、法華経には事相の印契と真言がないから、大日経のほうが法華経より勝れていると主張しています。しかし、中国天台宗の広修やその弟子である良諝・維蠲などの人びとは、大日経は華厳経・法華経・涅槃経などにも及ばないもので、方等部の経であると主張しています。
[2]日本の弘法大師空海は、法華経は華厳経などにも劣るもので、まして大日経に及ぶはずがないと主張しています。また、法華経は応身の釈迦の説であるが、大日経は法身の大日如来の説かれたもので教主がすでに異なっているといい、また釈迦如来は大日如来の使者として法華経・涅槃経の顕教を説いたが、これは真言密教に導くための初門であるといい、さらに法華経の肝要である寿量品の仏は、顕教の中では仏といわれても、密教に対すれば少しの煩悩も断じていない凡夫であると主張しています。
[3]このことについて日蓮が考えてみますと、大日経は新訳の経で、唐の玄宗皇帝の開元四年(<暦>七一六暦>)に、インドの善無畏三蔵が中国へ将来し訳されたものです。それに対し法華経は旧訳の経で、鳩摩羅什が中国へ将来し訳されたもので、大日経よりも三百余年も前に中国に将来されたものです。法華経が将来されてから百余年後に天台大師智顗が出られ、法華経によって教相門で五時八教の教判を立てて、それ以前の五百年の間に諸学僧が立てた教相を破り、観心門で法華経によって一念三千の法門を悟り、はじめて法華経の真理が得られたのです。
[4]天台大師が出られる前にインドから中国に将来した三論宗、それ以後に将来した法相宗では八界を立て、十界を立てません。したがって十界互具と三世間が交叉するところに成立する一念三千の法門などあるはずがないのです。また、華厳宗は天台大師が出られる前の南三北七の諸師が、華厳経は法華経より勝れていると主張していますが、天台大師以前にはまだ華厳宗の名前はなかったのです。天台大師以降の唐の高宗の后、則天皇后のときに法蔵法師や澄観などが華厳宗の名を立てたのです。この華厳宗は教相門に五教の教判を立てて華厳第一とし、観心門に十玄六相の法門を立てます。その法門は数こそ非常に多いようにみえますが、教義的内容はありません。そこで澄観は天台を破折しながら、実は天台の一念三千の法門を借用し、自分の華厳経の「心は工なる画師のごとし」という文の魂であるとしたのです。これは華厳宗が天台宗に同調したというべきでしょうか。また、天台の一念三千の法門を盗み取ったというべきでしょうか。澄観は持戒堅固の人で、大乗小乗の戒律を塵ほども破らなかった人ですが、このように天台の一念三千の法門を盗んだ人なのです。このことは、よく伝えておかねばならないと思います。
[5]真言宗の名前がインドにあったかどうかは明らかでありません。インドではただ真言の経があったのを、善無畏三蔵らが中国に将来してから真言宗を名乗ったのでありましょう。この点はよくわきまえておく必要がありましょう。とりわけ、善無畏三蔵らは、法華経と大日経との勝劣を判断するのに、理同事勝という判釈をつくり、一念三千の理は法華経も大日経も同じであるが、印契と真言の二つが法華経に説かれていないから、事法の上で法華経は大日経より劣っている、事相が欠けているから法華経には大日経のような事理倶密の法門はないといっています。今の日本の諸宗の学者たち、とりわけこの理同事勝の法門を認めてはならない天台宗の人びとまでが、この義を許しています。これはあたかも、諸宗の人びとが浄土宗の人びとを憎みながら、諸宗一同で弥陀の名を称えているようなもので、自宗の本尊を捨てたのと同じです。今の天台宗の人びとは、すべて真言宗に同調した人たちなのです。
[6]日蓮が道理にしたがって考えてみますと、次のような疑問がでてきます。善無畏三蔵が法華経と大日経は理は同じであるが、事相において大日経が勝れていると主張するのは、天台大師が初めて立てられた法華経の一念三千の理を、新たに大日経に取り入れて、法華・大日二経の理が同じであると勝手に判断したことで、これがはたして許されることでしょうか。たとえば、むかし歌聖といわれた柿本人麻呂が、「ほのぼのと明石の浦のあさぎりに、島かくれゆく舟をしぞをもう」と詠んだのを、紀淑望や源順などが、この歌はまことに歌の父母とも称すべき名歌であると称賛しました。ところが、今の人が自分は歌を詠んだといって、この人麻呂の歌を「ほのぼのと乃至舟をしぞをもう」と一字も違わずに詠んで、自分の才能は人麻呂に劣らないと主張しても、山に住むきこりや海の漁師なら、あるいは信ずる人もあるでしょうが、多少教養のある人ならこれを信ずる人は誰もいないでしょう。それと同じように、天台大師の立てられた一念三千の法門は、まさしく仏の父母ともいうべきものです。その法門を百余年も後にでた善無畏三蔵が盗み取って、大日経と法華経はその理は同じである、それは一念三千の理であるからだと主張しても、教養のある人びとがどうしてこれを信ずることができるでしょうか。
[7]また、真言のほうが事に勝れているのは、大日経には印契と真言があるからだなどと善無畏三蔵が主張するのは、インドの原本の大日経と法華経の勝劣をいうのか、あるいは中国で翻訳された法華経と大日経の勝劣をいうのでしょうか。中国で翻訳された羅什訳の法華経には印・真言はありませんが、不空三蔵が伝訳した法華観智儀軌には、法華経に印と真言をそえて訳しています。仁王経も羅什訳には印・真言がありませんが、不空三蔵訳の仁王経には印・真言があります。以上のことから、インドの原本の経経には多くの事相がありましたが、インドと中国が遠く隔たっていたので、そのすべてを将来することができず、あるいは翻訳者も重要でない部分の経を省略したものもあったと思われます。
[8]法華経には印と真言はありませんが、諸経で成仏できないとされた声聞・縁覚の二乗が成仏するということと、釈尊の久遠成仏が説かれています。これは法華経の模範となる事相です。大日経などには印と真言はありますが、二乗作仏・久遠実成は説かれていません。二乗作仏と印・真言を比較すれば、その価値は天地の相違があります。法華経の前に説かれた四十余年の経々で、二乗は腐った草木の種子が芽をふかないように永久に成仏できないと、一・二の文字ならず多くの経々で嫌われましたが、法華経ではこれを破して二乗も必ず成仏すると宣べられています。ところで、いかなる経に印・真言を嫌うという言葉があるのでしょうか。諸経にもその言葉がないので、大日経でもそれを嫌わず印・真言を説いたまでのことで、大日経独特の法門ではありません。印は手の働きによるものですから、手が仏にならなければ印によって成仏することはできません。また、真言は口の働きによるもので、口が仏にならなければ真言によって成仏することはできません。二乗の身・口・意三業も法華経にあわなければ、無量劫という長い間、いくら真言宗の千二百余尊の印と真言を修行しても成仏することはできないのです。このように、勝れた二乗作仏の事法を説かないで、劣っている印・真言の事法を説いているから勝れていると主張するのは、まさしく盗人であり、劣れるものを勝れているという外道と同じです。この理同事勝の罪で善無畏三蔵は地獄に堕ち、閻魔の責めを受けたのです。そして、のちに悔い改めて天台大師を師と仰いで法華経を信奉し、悪道から遁れることができたのです。
[9]法華経の寿量品に説かれた釈尊の久遠実成の教えなどは、大日経では考えもおよばない勝れた教えです。釈尊の久遠実成の教えは、釈尊の本地を開顕するとともに、あらゆる仏の本地を明かしたものです。法華経の久遠実成は大海のごとく、真言の千二百余尊はその大海・大空に棲む魚・鳥のようなものです。大海・大空がなければ魚・鳥の棲むところがないように、久遠実成の教えがなければ千二百余尊は根のない浮草のように漂い、太陽の光を受けない夜の露と同じようなものです。今の天台宗の人びとは、このことを理解することができず真言師に迷わされ、真言師もまた自分の宗義の誤りを知らないで、むなしく悪道に堕ちる間違った考えを重ねています。
[10]日本の弘法大師空海は、善無畏三蔵が主張した理同事勝の誤りを理解しないばかりか、すでに伝教大師によって論破された華厳宗の誤った教義を借り受け、法華経はなお華厳経よりも劣るという誤った考えを主張しています。これはあたかも亀の毛の長短を論じ、兎の角の有無を論ずるようなものです。亀の甲に毛はなく、また兎の頭に角はなく、どうしてその長短、有無を論ずることができましょう。法華経と大日経を比較して、理において同じであるとした善無畏三蔵でさえ、閻魔の責めから遁れることができませんでした。この大日経より劣る華厳経よりも、法華経はさらに劣るといった空海が、どうして謗法の罪から遁れることができましょう。インドの善無畏三蔵と日本の弘法大師空海と人は異なりますが、おかした罪は同じです。それは、弘法大師の第一の弟子である柿本紀僧正真済が、染殿の皇后に恋慕して、地獄にいる体の色が紺色の鬼、紺青鬼となったことからも想像できます。その師である空海が改悔しなければ、悪道に堕ちることはまちがいありません。もちろん、空海の流れを汲む人びとも同様でありましょう。
[11]お尋ねしますが、貴僧一人のみがこのような悪言を吐くのは、いかなる理由からでしょうか。お答えします。日蓮は善無畏三蔵や弘法大師空海を批難しているのではありません。ただ、その疑問を明らかにしようとするだけで、これに立腹されてはいたしかたないところです。インドの外道の教えは釈尊が出られる前、一千年あるいは八百年の間、インド全土に弘まりました。上は転輪聖王から下は万民に至るまで、その教えを信奉していましたが、釈尊が出られて、九十五流の外道はことごとく破折されました。中国においては、梁の真諦三蔵が伝えた摂論宗の誤った教えが百余年の間つづきましたが、唐の玄奘三蔵によって破られ、また南三北七の諸師の誤った教えも三百余年つづきましたが、天台大師智顗によって破られました。日本でも仏教が伝来して以来、二百六十余年の間栄えた南都六宗の教えが、伝教大師最澄が出るにおよんで破られました。これらのことは、伝教大師の著書の中で破折されているのを申し上げているのです。
[12]日本には大乗仏教による五つの宗があります。法相・三論・華厳・真言・天台宗がそれです。そして、小乗仏教の倶舎・成実・律宗の三宗があります。大乗五宗のうち、真言・華厳・三論・法相宗は大乗経典によっていますが、詳細に論ずればみな小乗というべきです。なぜなら、宗というのは戒・定・慧の三学を備えていなければなりませんが、定と慧はしばらくおき、戒によってその宗が大乗か小乗かを示すしるしとなります。空海が建立した東寺の真言や、法相・三論・華厳宗は、自宗の戒壇をもたないので、小乗の東大寺の戒壇で小乗律宗の何の価値もない小戒を受けています。したがって、戒をもって論ずればこの四宗は小乗の宗というべきです。しかるに、伝教大師は入唐して比叡山延暦寺に天台・真言の二宗を伝えましたが、さらに天台法華の大乗円頓の円定・円慧・円戒の戒壇を比叡山に建立することを奏上されました。ここに天台を中心にこれを一宗の名とし、天台法華宗の止観・真言として勅許を奏上されたのです。伝教大師が慈覚大師円仁に与えた誓戒文にも、天台法華宗の止観・真言とあって真言宗の名は削られています。天台法華宗は仏立宗といって、仏の立てられた宗です。それに対して、真言宗はさしあたりの宗で、後世の論師や人師が大日如来や弥勒菩薩などに託して初めて立てられた宗なのです。釈迦如来の真実の意は、ただ法華経による一宗といわねばなりません。
[13]小乗仏教の宗は釈尊滅後、二宗・十八宗・二十宗とわかれていますが、その教理は結局、諸法無常の理です。法相宗は唯心有境の義を立て、大乗の宗は数多くわかれていても、結局は唯心有境の理を出ないものといいますが、それならば有の一辺に執着する宗といわねばなりません。また、三論宗も唯心無境の義を立て、大乗の宗は多くあっても、結局は唯心無境の理を出ないものといいますが、それならば空の一辺に執着する宗といわねばなりません。唯心有境と唯心無境とは通教の空と有との一分です。華厳宗と真言宗の教理は、穏やかにいえば別教の但中の理、厳しくいえば前の通教の空と有とにすぎません。真言宗が所依の経典とする大日経の内容は、華厳経や般若経にもおよびません。ただ、高貴な人びとが多く信奉したので弘まりましたが、それはあたかも下女を王が愛するのと同じです。大日経は下女のごとくであり、但中の理にすぎません。そして、真言の論師・人師は王のごとくで、これらの人びとが信奉しましたので、威光と人望があると思われ天下に弘まったのです。
[14]以上のべました問答論義は、末法の世となり、人びとの智恵も浅く、おごる心のみ高い現在では、私の申し上げることを信用する者はいないでしょうが、後の世に聖人・賢人が出れば道理であることがわかると思います。貴僧のことを気の毒に思い箇条書にして説明を加えましたが、暇をみてこれらの教えを学ばれるとよいでしょう。
[15]これは大事な教えですので、虚空蔵菩薩の所に詣で常に読まれるとよいと思います。
[16]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[17]聖密房にこれを与えます