法門可被申様之事
書下し
法門可被申様之事
[1]法門申さるべきやう。選択をばうちをきて、先ず法華経の第二の巻の「今此三界」の文を開きて、釈尊は我等が親父也等定め了るべし。何の仏か我等が父母にてはをはします。外典三千余巻にも、忠孝の二字こそせん(詮)にて候なれ。忠は又孝の家より出ずとこそ申候なれ。されば外典は内典の初門。此心は内典にたがわず候か。人に尊卑上下はありというとも、親を孝するにはすぎずと定められたるか。
[2]釈尊は我等が父母なり。一代の聖教は父母の子を教へたる教経なるべし。其中に天上・龍宮・天竺なんどには、無量無辺の御経ましますなれども、漢土日本にはわづかに五千七千余巻なり。此等の経々の次第勝劣等は私には弁まへがたう候。しかるに論師・大師・先徳には末代の人の智慧こへがたければ、彼の人々の料簡を用ゆべきかのところに、華厳宗の五教四教、法相三論の三時二蔵、或は三転法輪。「世尊法久後、要当説真実」の文は、又法華経より出てゝ金口の明説なり。仏説すでに大に分て二途なり。譬へば世間の父母の譲の前判後判のごとし。はた又、世間の前判後判は如来の金言をまなびたるか。孝不孝の根本は前判後判の用不用より事をこれり。
[3]かう立て申すならば、人々さもやとをぼしめしたらん時申すべし。抑浄土の三部経等の諸宗の依経は当分四十余年の内なり。世尊は我等が慈父として、未顕真実ぞと定めさせ給御心は、かの四十余年の経々に付けとをぼしめしゝか、又説真実の言にうつれとをぼしめしゝか。心あらん人々御賢察候べきかとしばらくあぢわひ(味)て、よも仏程の親父の一切衆生を一子とをぼしめすが、真実なる事をすてゝ、未顕真実の不実なる事に付とはをぼしめさじ。
[4]さて法華経にうつり候はんは、四十余年の経々をすてゝ遷り候べきか、はた又かの経々並に南無阿弥陀仏等をば、すてずして遷り候べきかとをぼしきところに、凡夫の私の計ひ、是非につけてをそれあるべし。仏と申す親父の仰せを仰ぐべしとまつところに、仏定めて云く、「正直捨方便」等云云。方便と申すは、無量義経に「未顕真実」と申す上に「以方便力」と申す方便なり。「以方便力」の方便の内に、浄土三部経等の四十余年の一切経は、一字一点も漏すべからざるか。
[5]されば四十余年の経々をすてゝ法華経に入らざらん人々は、世間の孝不孝はしらず、仏法の中には第一の不孝の者なるべし。故に第二譬喩品に云く、「今此三界乃至雖復教詔、而不信受」等云云。四十余年の経々をすてずして、法華経に並べて行ぜん人々は、主師親の三人のをほせを用ひざる人々なり。教と申すは師親のをしえ、詔と申すは主上の詔勅なるべし。仏は閻浮第一の賢王・聖師・賢父なり。されば四十余年の経々につきて法華経へうつらず、又うつれる人々も彼の経々をすてゝうつらざるは、三徳備へたる親父の仰せを用ひざる人、天地の中にすむべき者にはあらず。
[6]この不孝の人の住処を経の次下に定て云く、「若人不信乃至其人命終、入阿鼻獄」等云云。たとひ法華経をそしらずとも、うつり付ざらむ人々、不孝の失疑ひなかるべし。不孝の者は又悪道疑ひなし。故に仏は入阿鼻獄と定め給ぬ。いかにいわんや爾前の経々に執心を固くなして、法華経へ遷らざるのみならず、善導が「千中無一」、法然が「捨閉閣抛」とかけるは、あに阿鼻地獄を脱るべしや。其所化並に檀那は又申すに及ばず。
[7]「雖復教詔、而不信受」と申すは孝に二つあり。世間の孝の孝不孝は外典の人々これをしりぬべし。内典の孝不孝はたとひ論師等なりとも、実教を弁へざる権教の論師の流を受けたる末の論師なんどは、後生しりがたき事なるべし。いかにいわんや末々の人々をや。涅槃経の三十四に云く、「人身を受けん事は爪上の土、三悪道に堕ちん事は十方世界の土、四重五逆乃至涅槃経を謗ずる事は十方世界の土、四重五逆乃至涅槃経を信ずる事は爪の上の土」なんどととかれて候。末代には五逆の者と謗法の者は、十方世界の土のごとしとみへぬ。されども当時五逆罪つくる者は爪の上の土、作らざる者は十方世界の土程候へば、経文そらごとなるやうにみへ候を、くはしくかんがへみ候へば、不孝の者を五逆罪の者とは申し候か。又相似の五逆と申す事も候。
[8]さるならば、前王の正法実法を弘めさせ給と候を、今の王の権法相似の法を尊んで、天子本命の道場たる正法の御寺の御帰依うすくして、権法邪法の寺の国々に多くいできたれるは、愚者の眼には仏法繁盛とみへて、仏天智者の御眼には古き正法の寺々やうやくうせ候へば、一には不孝なるべし、賢なる父母の氏寺をすつるゆへ、二には謗法なるべし。若ししからば、日本国当世は国一同に不孝謗法の国なるべし。此国は釈迦如来の御所領。仏の左右臣下たる大梵天王、第六天の魔王にたはせ給て、大海の死骸をとどめざるがごとく、宝山の曲林をいとうがごとく、この国の謗法をかへんとをぼすかと勘へ申すなりと申せ。
[9]この上、捨てられて候四十余年の経々の今に候はいかになんど、俗の難ぜば返吉(詰)して申すべし。塔をくむあししろ(足代)は、塔をくみあげては切りすつるなりなんと申べし。この譬へは玄義の第二の文に〔「今の大教もし起れば方便の教絶す」〕と申す釈の心なり。妙と申すは絶という事、絶と申す事はこの経起れば已前の経々を断止と申す事なるべし。「正直捨方便」の捨の文字の心、又嘉祥の日出ぬるは星かくるの心なるべし。ただし爾前の経々は塔のあししろなれば切りすつるとも、又塔をすり(修理)せん時は用ゆべし。又切りすつべし、三世の諸仏の説法の儀式かくのごとし。
[10]又俗の難に云く、慈覚大師の常行堂等の難、これをば答ふべし。内典の人外典をよむ、得道のためにはあらず、才学のためか。山寺の小児の倶舎の頌をよむ、得道のためか。伝教・慈覚は八宗を極め給へり。一切経をよみ給ふ。これみな法華経を詮と心へ給はん梯磴なるべし。
[11]又俗の難に云く、何にさらば御房は念仏をば申し給はぬ。答て云く、伝教大師は二百五十戒をすて給ひぬ。時にあたりて、法華円頓の戒にまぎれしゆへなり。当世は諸宗の行多けれども、時にあたりて念仏をもてなして法華経を謗ずるゆえに、金石迷ひやすければ唱へ候はず。例せば仏十二年が間、常楽我浄の名をいみ給ひき。外典にも寒食のまつりに火をいみ、あかき物をいむ。不孝の国と申す国をば孝養の人はとを(通)らず。此等の義なるべし。いくたびも撰択をばいろはずして、先ずかうたつ(立)べし。
[12]又御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかゝれて候事、かへす〳〵不思議にをぼへ候。そのゆへは僧となりぬ。其上、一閻浮提にありがたき法門なるべし。たとひ等覚の菩薩なりとも、なにとかをもうべき。まして梵天帝釈等は我等が親父釈迦如来の御所領をあづかりて、正法の僧をやしなうべき者につけられて候。毗沙門等は四天下の主、此等が門まほり。又四州の王等は毗沙門天が所従なるべし。其上、日本秋津嶋は四州の輪王の所従にも及ばず、ただ嶋の長なるべし。長なんどにつかへん者どもに召されたり、上なんどかく上、面目なんど申は、かたかたせんするところ、日蓮をいやしみてかけるか。
[13]総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば、始はわすれぬやうにて後には天魔つきて物にくるう。せう房がごとし。わ御房もそれていになりて、天のにくまれかほるな。のぼりていくばくもなきに、実名をかうる(替)でう物くるわし。定てことばつき音なんども、京なめりになりたるらん。ねずみがかわほり(蝙蝠)になりたるやうに、鳥にもあらず、ねずみにもあらず、田舎法師にもあらず京法師にもにず、せう房がやうになりぬとをぼゆ。言をば、ただいなかことばにてあるべし。なかなかあしきやうにて有なり。尊成とかけるは隠岐の法皇の御実名か、かた〳〵不思議なるべし。
[14]かつしられて候やうに、当世の高僧真言天台等の人々の御いのりは叶まじきよし、前々に申し候上、今年鎌倉の真言師等は去年より変成男子の法をこなわる。隆弁なんどは自歎する事かぎりなし。七八百余人の真言師、東寺・天台の大法・秘法尽して行ぜしが、ついにむなしくなりぬ。禅宗・律僧等又一同に行ひしかどもかなはず。日蓮が叶ふまじと申すとて、不思議なりなんどをどし候しかども皆むなしくなりぬ。小事たる今生の御いのりの叶はぬを用てしるべし。大事たる後生叶ふべしや。
[15]真言宗の漢土に弘まる始は、天台の一念三千を盗み取て真言の教相と定て理の本とし、枝葉たる印真言を宗と立、宗として天台宗を立下す条、謗法の根源たるか。又華厳・法相・三論も天台宗日本になかりし時は、謗法ともしられざりしが、伝教大師円宗を勘へいだし給て後、謗法の宗ともしられたりしなり。当世真言等の七宗の者、しかしながら謗法なれば、大事の御いのり叶ふべしともをぼへず。
[16]天台宗の人々は、我宗は正なれども邪なる他宗と同ずれば、我宗の正をもしらぬ者なるべし。譬へば東に迷ふ者は対当の西に迷ひ、東西に迷ふゆへに十方に迷ふなるべし。外道の法と申すは本内道より出て候。しかれども外道の法をもて内道の敵となるなり。諸宗は法華経よりいで、天台宗を才学としてしかも天台宗を失うなるべし。天台宗の人々は我宗は実義とも知らざるゆへに、我宗のほろび、我身のかろくなるをばしらずして、他宗を助けて我宗を失ふなるべし。
[17]法華宗の人が法華経の題目南無妙法蓮華経とはとなえずして、南無阿弥陀仏と常に唱へば、法華経を失ふ者なるべし。例せば外道は三宝を立て、其中に仏宝と申すは南無摩醯修羅天と唱へしかば、仏弟子は翻邪の三帰と申して南無釈迦牟尼仏と申せしなり。これをもつて内外のしるしとす。南無阿弥陀仏とは浄土宗の依経の題目なり。心には法華経の行者と存すとも、南無阿弥陀仏と申さば傍輩は念仏者としりぬ。法華経をすてたる人とをもうべし。叡山の三千人はこの旨を弁へずして王法にもすてられ、叡山をもほろぼさんとするゆへに、自然に三宝に申す事叶はず等と申し給ふべし。
[18]人不審して云く、天台妙楽伝教等の御釈に、我やうに法華経並に一切経を心えざらん者は、悪道に堕べしと申す釈やあると申さば、玄の三、籤の三の已今当等をいだし給べし。伝教大師、六宗の学者・日本国の十四人を呵して云く、顕戒論の下に云く、〔「昔し斉朝の光統を聞き、今は本朝の六統を見る。実なるかな法華のいかにいわんや」〕等云云。華厳・真言・法相・三論の四宗を呵して云く、依憑集に云く、〔「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯ぼし、旧到の華厳家は則ち影響の軌模を隠す。沈空の三論宗は弾呵の屈恥を忘れ、称心の酔を覆う。著有の法相宗は僕陽の帰依を非し、青龍の判経を撥らう」〕等云云。天台妙楽伝教等は、真言等の七宗の人々はたとひ戒定はまたく(全)とも、謗法のゆへに悪道脱べからずと定められたり。いかにいわんや禅宗浄土宗等は勿論なるべし。されば止観は偏に達磨をこそは(破)して候めれ。しかして当世の天台宗の人々は、諸宗に得道をゆるすのみならず、諸宗の行をうばい取て我行とする事いかん。
[19]当世の人々ことに真言宗を不審せんか。立申すべきやう。日本国に八宗あり。真言宗大に分て二流あり。いわゆる東寺天台なるべし。法相・三論・華厳・東寺の真言等は大乗宗、たとひ定慧は大乗なれども、東大寺の小乗戒を持つゆへに戒は小乗なるべし。退大取小の者、小乗宗なるべし。叡山の真言宗は天台円頓の戒をうく、全く真言宗の戒なし。されば天台宗の円頓戒にをちたる真言宗なり等申すべし。しかるに座主等の高僧、名を天台宗にかりて、一向真言宗によて法華宗をさぐる(下)ゆへに、叡山皆謗法になりて御いのりにしるしなきか。
[20]問て云く、天台法華宗に対当して、真言宗の名をけづらるゝ証文如何。答て云く、学生式に云く〈伝教大師作也〉。〔「天台法華宗年分学生式〈一首〉。年分度者人〈柏原先帝加へらる天台法華宗伝法者〉。およそ法華宗天台の年分は弘仁九年より○叡山に住せしめて、一十二年山門を出さず両業を修学せしめん。およそ止観業の者、○およそ遮那業の者」〕等云云。顕戒論縁起の上に云く、〔「新法華宗を加えんことを請う表一首。沙門最澄○華厳宗二人、天台法華宗二人」〕等云云。又云く、〔「天台の業に二人〈一人は大毗盧遮那経を読ましめ、一人は摩訶止観を読ましむ〉」〕。此等は天台宗の内に真言宗をば入れて候こそ候めれ。嘉祥元年六月十五日の格に云く、〔「右入唐廻て請益す。伝燈法師位円仁の表にいわく、伏して天台宗の本朝に伝ることを尋れば、○延暦廿四年○廿五年○特天台の年分度者二人を賜う。一人は真言の業を習わし、一人は止観の業を学す。○然れば則ち天台宗の止観と真言との両業は、これ桓武天皇の崇建するところなり」〕等云云。叡山にをいては、天台宗にたいしては真言宗の名をけづり、天台宗を骨とし真言をば肉となせるか。しかるに末代に及んで、天台真言両宗中あしうなりて骨と肉と分、座主は一向に真言となる。骨なき者のごとし。大衆は多分天台宗なり、肉なきものゝごとし。仏法に諍ひあるゆへに、世間の相論も出来して叡山静かならず、朝下にわづらい多し。此等の大事を内々は存すべし。この法門はいまだをしえざりき。よく〳〵存知すべし。
[21]又念仏宗は法華経を背いて浄土の三部経につくゆへに、阿弥陀仏を正として釈迦仏をあなづる。真言師、大日をせん(詮)とをもうゆへに釈迦如来をあなづる。戒にをいては大小殊なれども釈尊を本とす。余仏は証明なるべし。諸宗殊なりとも釈迦を仰ぐべきか。師子の中の虫師子をくらう。仏教をば外道はやぶりがたし。内道の内に事いできたりて仏道を失ふべし。仏の遺言なり。仏道の内には小乗をもて大乗を失ひ、権大乗もて実大乗を失ふべし。此等は又外道のごとし。又小乗権大乗よりは実大乗法華経の人々が、かへりて法華経をば失わんが大事にて候べし。仏法の滅不滅は叡山にあるべし。叡山の仏法滅せるかのゆえに、異国我朝をほろぼさんとす。叡山の正法の失るゆえに、大天魔日本国に出来して、法然大日等が身に入、此等が身を橋として王臣等の御身にうつり住み、かへりて叡山三千人に入るゆえに、師檀中不和にして御祈禱しるしなし。御祈請しるしなければ、三千の大衆等檀那にすてはてられぬ。
[22]又王臣等〔天台真言の学者に向て〕問て云く、念仏・禅宗等の極理は、天台・真言とは一かととわせ給へば、名は天台・真言にかりてその心も弁ぬ高僧、天魔にぬかれて答て云く、禅宗の極理は天台真言の極理なり。弥陀念仏は法華経の肝心なり、なんど答へ申すなり。しかるを念仏者禅宗等のやつばらには天魔乗りうつりて、当世の天台真言の僧よりも智慧かしこきゆえに、全くしからず禅ははるかに天台真言に超えたる極理なり。或は云く、諸教は理深、我等衆生は解微なり、機教相違せり、得道あるべからず、なんど申すゆへに、天台真言等の学者、王臣等の檀那皆奪ひとられて御帰依なければ、現身に餓鬼道に堕ちて友の肉をはみ、仏神にいかりをなし、檀那をすそ(呪咀)し、年々に災を起し、或は我生身の本尊たる大講堂の教主釈尊をやきはらい、或は生身の弥勒菩薩をほろぼす。進では教主釈尊の怨敵となり、退ては当来弥勒の出世を過とくるい候か。この大罪は経論にいまだとかれず。
[23]又この大罪は叡山三千人の失にあらず。公家武家の失となるべし。日本一州上下万人一人もなく謗法なれば、大梵天王・帝桓並に天照大神等、隣国の聖人に仰せつけられて謗法をためさんとせらるゝか。例せば国民たりし清盛入道王法をかたぶけたてまつり、結句は山王大仏殿をやきはらいしかば、天照大神・正八幡・山王等よりき(与力)せさせ給て、源の頼義が末の頼朝に仰下して、平家をほろぼされて国土安穏なりき。今一回挙て仏神の敵となれり。我国にこの国を領すべき人なきかのゆへに、大蒙古国は起るとみへたり。例せば震旦・高麗等は天竺についでは仏国なるべし。彼の国々禅宗・念仏宗になりて蒙古にほろぼされぬ。日本国は彼二国の弟子なり。二国のほろぼされんに、あにこの国安穏なるべしや。
[24]国をたすけ家ををもはん人々は、いそぎ禅念の輩を経文のごとくいましめらるべきか。経文のごとくならば仏神日本国にましまさず。かれを請しまいらせんと術は、おぼろげならでは叶ひがたし。先ず世間の上下万人云く、八幡大菩薩は正直の頂にやどり給ふ、別のすみかなし等云云。世間に正直の人なければ大菩薩のすみかましまさず。又仏法の中に法華経計りこそ正直の御経にてはをはしませ。法華経の行者なければ大菩薩の御すみかをはせざるか。ただし日本国には日蓮一人計りこそ、世間・出世正直の者にては候へ。其故は故最明寺入道に向て、禅宗は天魔のそい(所為)なるべし。のちに勘文もてこれをつげしらしむ。日本国の皆人無間地獄に堕つべし。これほど有る事を正直に申すものは、先代にもありがたくこそ。これをもつて推察あるべし。それより外の小事曲べしや。又聖人は言をかざらずと申す。又いまだ顕れざる後をしるを聖人と申すか。日蓮は聖人の一分にあたれり。この法門のゆへに二十余所をわれ、結句流罪に及び、身に多くのきずをかをほり、弟子をあまた殺させたり。比干にもこえ、伍しそ(子胥)にもをとらず。提婆菩薩の外道に殺され、師子尊者の壇弥利王に頸をはねられしにもをとるべきか。もししからば八幡大菩薩は日蓮が頂をはなれさせ給ひては、いずれの人の頂にかすみ給はん。日蓮をこの国に用ずばいかんがすべき、となげかれ候なりと申せ。
[25]又日蓮房の申し候。仏菩薩並に諸大善神をかへしまいらせん事は別の術なし。禅宗・念仏宗の寺々を一もなく失ひ、その僧らをいましめ、叡山の講堂を造り、霊山の釈迦牟尼仏の御魂を請じ入れたてまつらざらん外は、諸神もかへり給ふべからず、諸仏もこの国を扶け給はん事はかたしと申せ。
現代語訳
法門可被申様之事
文永六年(一二六九)、四八歳、三位房宛、和漢混交文、定四四三—四五六頁。
浄土教破折の教示
[1]念仏の教えを破折する順序についてですが、法然の選択集についての批判はひとまずおいて、まず法華経第二巻の譬喩品に「今この三界は皆これわが有なり、その中の衆生はことごとくこれわが子なり」とある経文を示して、釈尊こそわれわれすべての人びとの父であることを確定することです。釈尊をのぞいて、どの仏がわれわれの父母となるべき仏でありましょう。儒教や道教の三千余巻の書も到達するところは忠孝なのです。その忠もまた孝の門より出ると説かれています。したがって、儒教や道教は仏教に入る初門で、孝を中心とするところは仏教と同じです。つまり、人間に身分の上で尊卑上下があっても、親に孝行する人が、身分を問わず最も大切であると定めているのです。
[2]釈尊はわれらの父母であり、釈尊がその一代に説かれた多くの聖教は、父母が子供であるわれらを導くために教示されたものなのです。この一代聖教は天上界、龍王の居所、インドなどには非常に多くの経典が存在していますが、中国・日本に伝えられたものはわずかに五千巻あるいは七千巻の経典にすぎません。これらの多くの経典が説かれた順序や内容の勝劣については、私の考えで判別することはむずかしいことです。上代の論師や大師や先徳には、末代の人の智恵をもってしては及びませんので、それらの人びとの勝劣の判釈などの考えによるべきでありましょう。すなわち、華厳宗の賢首大師の立てた五教の判釈、その弟子の慧苑法師の立てた四教の判釈、法相宗の戒賢論師や慈恩大師、三論宗の智光論師の立てた三時の判釈、三論宗の嘉祥大師の立てた二蔵や三転法輪の判釈など、実にさまざまです。しかし、釈尊はすでに自ら一代聖教を説かれた順序、勝劣を判釈されています。すなわち、法華経方便品に「世尊は長い間の説法の後に、必ず真実を説くであろう」と釈尊自らがいわれた明文がそれです。これによれば、仏の説法は大別して法華経以前の方便の諸経と、真実が説き明かされた法華経との二つに分けることができます。これはあたかも、貞永式目に父母が子供に財産を譲与するとき、前の判定と後の判定に相違があれば後判によるという前判後判のようなものです。あるいは、貞永式目の財産譲与の前判後判は仏説から学んだものでしょうか。われらの父母である釈尊に対しての孝不孝の根本は、前判の方便の教えである諸経を用いるか、それとも後判の真実の教えである法華経を用いるかにあるのです。
[3]このように申すならば、聞いている人びとは、なるほど確かにその通りだと思うでありましょう。そのときさらに、次のように申し述べなさい。そもそも、浄土宗が頼りとする無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経の三部経をはじめ、諸宗が頼りとする経々は、釈尊が法華経を説かれるまでの四十余年の間に、法華経へ導くために説かれた方便の経なのです。われらの慈父である釈尊が、その四十余年の経々をいまだ真実を顕わしていないと定められたのは、その四十余年の経々に付かせようとの考えからなのか、それとも真実の経である法華経に帰依させようとの考えからであるのか、分別のある人はよく考えていただきたい。といってしばらく考えさせ、まさか釈尊ほどのすべての人びとを一人の子供のように思われる方が、真実の教えを捨てて、いまだ真実を顕わしていない教えに付けとお思いになるはずがないといいなさい。
[4]さて、この法華経に移るには、法華経以前の四十余年の経々を捨てて移るのか、それとも四十余年の経々や称名念仏などを捨てずに移るのか迷うでしょうが、凡夫である私たちが勝手に決定することは慎しまなければなりません。それは、われらの親父である釈尊の言葉にしたがうべきで、釈尊は法華経方便品に「正直に方便を捨てて、ただこの上ない法華経を説き明かす」と定めています。ここに「方便」といわれたのは、無量義経に「方便力を以て、四十余年にはいまだ真実を顕わさず」とある「方便」です。釈尊が「方便力を以て」といわれたその方便のうちに、浄土三部経などをはじめとするすべての経が、一字一点漏れなく含まれているのです。
[5]したがって、四十余年の諸経を捨てて法華経に移らない人びとは、世間でいかに孝行の人であっても、仏法においては最も不孝の者といわねばなりません。ゆえに、法華経第二巻の譬喩品に「今この娑婆世界は皆わが所有であり、その中の衆生はすべてわが子である。しかしながらこの世界には種々の苦しみや悩みが絶えることなく充ちあふれ、ただわれ釈迦仏のみがよくこの苦の世界の衆生を救うことができる。しかし、衆生は迷っているので、教えてもさとしてもわが言葉を信じようとしない」と説かれているのです。その方便の経である四十余年の諸経を捨てないで、法華経といっしょに行ずる人びとは、主師親三人の仰せを用いない人びとです。なぜなら、先の譬喩品の「教詔す」の教とは師や親の教えのことであり、詔というのは天皇の詔勅のことであるからです。仏は世界第一の賢王であり、聖師であり、賢父です。したがって、捨てよといわれた四十余年の諸経を信奉して法華経に移らない者、また移ってもかの経々を捨てない人びとは、主師親の三徳を備えた親父である釈尊の仰せを用いない者で、この世界に住むべき者ではありません。
[6]なぜならば、釈尊の仰せにそむくこの不孝の人の住処については、先に引用した譬喩品の経文につづいて「もし人が信じないで、この経を毀謗するならば、その人は命終して必ず阿鼻地獄に堕ちるであろう」と説かれているからです。たとえ、法華経を謗らなくても、法華経に移らない人びとも不孝の罪となるのです。不孝の者が悪道へ堕ちることも間違いありません。だから釈尊は「阿鼻地獄に堕ちるであろう」と定められたのです。まして、四十余年の爾前の諸経に固く執著して、法華経へ移らないばかりか、法華経によって成仏する人は「千人に一人もいない」と説いた善導や、浄土三部経以外の諸経を「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」とした法然らがどうして阿鼻地獄に堕ちないことがありましょうか。まして、その弟子や信者が地獄へ堕ちることはいうまでもないことです。
[7]法華経の譬喩品に「しかし、衆生は迷っていて、教えてもさとしてもわが言葉を信じようとしない」と、主師親三徳を備えた釈尊の仰せを信じない不孝の人びとについて嘆かれていますが、この孝不孝には二つあります。第一は世間の孝不孝で、これは儒教や道教を知る人はみな知っています。第二は仏教の孝不孝で、これはたとえ論師といわれる人でも、実教を知らない権教の論師の教えを受けた末世の論師などは、永久にこの孝を知ることができないのです。まして、末世の人びとにわかるはずがありません。涅槃経の第三十四巻に「人間として生まれる者は爪の上の土のように少なく、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちる者は、十方世界の土のように多い。四重罪や五逆罪を犯す者や、正法である涅槃経を謗る者は十方世界の土のように多く、四重罪や五逆罪を犯さず、涅槃経を信奉する者は爪の上の土のように少ない」と説かれています。つまり、末法には五逆罪を犯す者と正法を謗る者が、十方世界の土のように多くなるという意味です。しかし現在、五逆罪を犯す者は爪の上の土のように少なく、逆に五逆罪を犯さない者は十方の土のように多いのです。この事実は涅槃経の文が偽りのように思われますが、くわしく経文を考えてみますと、主師親の三徳を備えた釈尊の仰せを守らない不孝の人たちをも、五逆罪を犯し、正法を謗る者といわれたと思われるのです。これを相似の五逆ともいうのです。
[8]このように不孝の者を五逆罪を犯した者であるとすれば、桓武天皇が伝教大師最澄をして比叡山に正法の法華経を弘めさせたのに、今の天皇が権教や正法に似た誤った教えを尊び、天皇の道場である正法の比叡山への帰依が少なくなり、そのために権教悪法の寺々が諸国に多数創建されたのです。これを不孝とも五逆罪ともいうのです。つまり、愚者の眼にはそれが仏法繁昌のように見えますが、仏や諸天や智者の眼からは、古い正法の寺々が次第に滅亡していくのですから、決して仏法繁昌ではなく不孝の行ないなのです。また、その中心ともなるべき比叡山を捨てることは謗法の行為となるのです。そうであるならば、今の日本国は国全体が不孝と謗法の国となるでありましょう。しかしながら、この日本国は釈尊の領地です。そこで、今のさまざまな災難は釈尊の左右の臣下である大梵天王と第六天の魔王にこの国を与え、正しいものの中には不正なものを交じえないように、この日本国の謗法を責め、これを改めさせようとしたものであると申し述べるのがよいでしょう。
[9]さらに、爾前の四十余年の諸経を捨てるべしとの主張に対し、捨てられた四十余年の経が今日にいたるまで弘まっているのはなぜかという俗人の批難があったときは、塔を建てるための足場は、完成すれば切り捨てるものであると答えなさい。この譬えは、法華玄義第二巻の「もし今、法華の大教が起これば、方便である爾前の教は絶える」という釈の心を示したものです。「妙」とは「絶」ということで、「絶」とはこの法華経が起これば、法華経以前の経がたちまち止むということです。法華経方便品の「正直に方便を捨てる」という「捨」の文字の心も、嘉祥大師が「日が出れば星が隠れる」といった「隠」の文字の心もみな同じです。しかし、法華経が説かれる以前の経々は、塔を建てるための足場でありますから、完成すれば切り捨ててもよいのですが、塔を修理するとき用いるためにそのままにしておくこともあれば、切り捨てることもあるのです。三世の諸仏の説法の儀式とはこのようなものです。
[10]また先に、念仏は地獄に堕ちると説いたことに対し、慈覚大師円仁は比叡山に常行堂を建て、そこで阿弥陀経を読み、念仏を称えたではないかとの批難があれば次のように答えなさい。仏教を修行する人が儒教や道教の書物を読むのは、学問のためであり得道のためではありません。比叡山や三井寺の小僧が倶舎の頌を暗誦するのも、学問のためで得道のためではないのです。伝教大師や慈覚大師が八宗を究め、一切経を読破したのも、すべて法華経が一代仏教の肝要であることを知るために、段階を一つ一つこえていくようなものなのです。
[11]さらに、それならばなぜ貴僧は法華の助行として、念仏を称えないのかとの批難があるでしょう。それに対しては次のように申し述べなさい。伝教大師は小乗の二百五十戒を捨てて、円頓戒だけを持たれました。小乗の二百五十戒を捨てずにいると、法華円頓の大戒と紛らわしくなるからです。今は諸宗の修行もさまざまですが、とりわけ念仏を大切にし法華経を謗る者が多い時ですので、黄金と黄石が紛れやすいように、法華と念仏が紛れるのを恐れて念仏を称えないのです。たとえば、釈尊が阿含経を説かれた十二年の間は、常楽我浄の無為法の四徳の名をお示しにならなかったようなものです。儒教でも寒食の祭りに火や赤いものを用いず、また不孝の国を孝行の者は避けて通らないようなものです。以上のように、法然の選択集にはふれずに、繰り返しこのことを申し述べるのがよいでしょう。
三位房に対する厳誡
[12]また、御房の手紙のなかに公家の持仏堂で説法したことが名誉であると書かれていますが、それはまことに卑しい行為です。なぜなら、御房は人びとを導く僧となり、しかもこの世界第一の尊い教えを頂戴している身です。たとえ、仏の次位にある菩薩に対してもうろたえることはありません。まして、梵天・帝釈天などは、われらの親父である釈尊から所領をあずかり、正法を弘める僧を助け守るために随従させられたものです。また、毘沙門天らは四天下の主ではありますが、この梵天・帝釈天の門番にすぎません。また、四州の王たちはその毘沙門天の家来です。そのうえ、日本は四州を治める転輪聖王の家来にもおよびません。ただ、島の支配者ではありませんか。その支配者に仕える家臣などに、「召された」とか「上」などと書く上に、「名誉である」などというのは、結局は日蓮をさげすんで書いたものでしょうか。
[13]だいたい、日蓮の弟子は京都に上ると、はじめは日蓮の教誡を忘れずに守っているようですが、後には天魔に魅せられたように気が狂うようです。少輔房がまさにそれです。御房も同じようになって天罰を受けないように注意しなければいけません。京都へ上って間もないのに、実名を変えるなど気が狂ったとしか思えません。おそらく言葉づかいや、話をする声なども京訛りになったことでしょう。鼠がこうもりになったように、鳥でもなく鼠でもなく、田舎法師でもなければ京法師ともみえず、さぞや少輔房のようになったと思われます。言葉はもっぱら田舎言葉を使いなさい。中途半端なのは、かえって聞き苦しいものです。また、実名を尊成と変えたということですが、それは後鳥羽上皇の実名ではありませんか。あれこれと非常識なことばかりです。
叡山への批判
[14]御房も知っているように、今の世の真言・天台宗などの高僧たちの祈禱のかなわないことは前々から申しているとおりですが、去年から今年にかけて、鎌倉の真言師たちは変成男子の修法をさかんに行なっています。鎌倉鶴ケ岡八幡宮の別当である隆弁などは、それを大いに自慢しています。しかし、七、八百人余りの真言師が東寺や叡山に伝わるあらゆる大法秘法をもって祈りましたが、何の験もありませんでした。禅宗・律宗の僧たちもまた、それぞれの修法をしましたがやはり験はありません。日蓮がそのような祈禱では成就しないといったのは不審であると嚇しましたが、すべて何の験もありません。小さな事柄である現世の祈りすら成就しないのに、どうして大事な未来の成仏がかないましょうか。できるはずがありません。
[15]真言宗は中国に弘まった当初、天台の一念三千の法門を盗み取って、自宗の教えの根本と定め、その上に枝葉である事相の印と真言をもって立てた宗です。その真言宗が天台宗を自宗より下に位置づけるのは、まさに謗法の根源といわざるをえません。また、華厳宗・法相宗・三論宗も日本に天台宗がなかったときは、自宗が謗法の宗であることを知りませんでしたが、伝教大師が日本に天台宗を開いて以降、謗法の宗であることが明らかになったのです。今の世の真言宗などの七宗はことごとく謗法でありますから、大事の祈禱も成功するはずがないのです。
[16]今の天台宗の人びとは、自宗が正しいにもかかわらず、誤っている他宗と同調しているために、自宗の正しさを見失っています。たとえば、東の方角を見失う者は反対の西の方角もわからなくなり、東西に迷うとその他の方角がまったくわからなくなるのと同じです。インドの仏教以外の教えも、もともと仏教から出たものです。しかしながら、その教えがかえって仏教の敵となっています。それと同じように、諸宗は法華経から出て、天台宗を学んで成立しながら、その天台宗を滅亡させようとしています。天台宗の人びとは自宗が真実の教えであることを知らないために、自宗が滅亡することも、自宗が軽視されていることも知らずに他宗を助けて自宗を失おうとしています。
[17]天台宗の人びとが法華経の題目である南無妙法蓮華経と唱えないで、南無阿弥陀仏と常に称えることは、法華経を滅ぼすものではありませんか。たとえば、インドの仏教以外の教えでは、仏法僧の三宝を立て、その中の仏宝を南無摩醯修羅天と唱えましたので、仏弟子はこれらの誤った法を破し正しい三宝を立て、その中の仏宝を南無釈迦牟尼仏と唱えました。この仏宝こそ仏教とそれ以外の教えである外道とを区別するしるしです。南無阿弥陀仏とは浄土宗の依経の題目です。したがって、叡山の人びとは心では法華経の行者であると思っていても、南無阿弥陀仏と称えるのですから同僚はみな、念仏者と見て法華経を捨てた人だと思います。叡山三千人の大衆は、この道理を知らないために朝廷にも捨てられ、叡山をも滅亡させようとしているのです。ゆえにおのずから三宝に祈っても、成就するはずがないと申し述べなさい。
[18]もし人が疑って、天台大師、妙楽大師、伝教大師らの著書に、自分のように法華経ならびに一切経を理解しない者は地獄に堕ちるという解釈があるのかと尋ねたら、あるとはっきり答えなさい。そして、天台大師智顗の法華玄義第三巻の「もし人が法華経の理を見ないで、軽んずれば舌が爛れる」の文、妙楽大師の法華玄義釈籤第三巻の「已今当の三説にこえた法華経の妙に迷い、この正法を謗る者は長い間、地獄に堕ちねばならない」などの文を示しなさい。さらに、伝教大師は南都六宗の学僧である善議・勤操らの十四人を呵責しましたが、顕戒論下巻の「昔、中国斉朝の光統法師は非法を行なったと聞くが、今は日本の南都六宗の者どもが自分を批難する。法華経に仏の滅後はなおさらであると説かれているのは真実である」との文、同じく伝教大師が華厳宗・真言宗・法相宗・三論宗の四宗を呵責した依憑集の「後から伝来した弘法大師の真言宗は一行阿闍梨が善無畏から伝えた相承をほろぼし、前に伝来した華厳宗は、華厳の法蔵法師が天台の義によって立てたことを隠し、また、空の義を立てる三論宗は方等のときに小乗の空に執著する二乗が仏に破折された恥を忘れ、三論の嘉祥が称心寺で天台の章安に心服したことを隠し、また有の義を立てる法相宗は、その祖でもある僕陽の知周が天台大師に帰依したことを否定し、青龍寺の法相宗良賁が天台大師の義によって作成した仁王経の註釈を用いない」という文を証拠として示しなさい。このように、天台大師・妙楽大師・伝教大師らは真言宗など七宗の人びとが、たとえ完全に戒律を持ち、禅定を修しても、正法である法華経を謗る罪によって悪道に堕ちると定めています。いわんや、禅宗・浄土宗なども悪道に堕ちることはいうまでもありません。天台大師の摩訶止観は、もっぱら禅宗の達磨を破折したものです。ところが、今の世の天台宗の人びとは諸宗の成仏を許すだけでなく、それらの諸宗の行を無理に取り込んで、自宗の行としているのは何と嘆かわしいことでしょう。
[19]今の世の人びとが、とりわけ真言宗について質問してきたならば、次のように申し述べなさい。日本には八つの宗派があります。その一つである真言宗は大きく二流に分かれています。すなわち、東寺の真言と叡山の真言です。法相宗・三論宗・華厳宗、そして東寺の真言宗は自宗のことを大乗宗だといっています。たとえ、三学のうち定と慧が大乗であっても、戒は東大寺の小乗戒を受けるのですから小乗なのです。大乗を退き、小乗を取った者で小乗宗なのです。叡山の真言宗は法華の円頓大戒を受けますが、真言宗にはまったく戒はありません。したがって、天台宗の円頓戒に帰伏した真言宗であると申し述べなさい。ところが、比叡山の座主をはじめ、高僧たちは名は天台宗でありながら、ひたすら真言宗に依り、かえって天台宗を低くしていますので、叡山はみな謗法となってその祈禱に効験がないのです。
[20]お尋ねします。比叡山では天台法華宗に対して、真言宗の名をつけさせなかった証拠があるのでしょうか。お答えします。伝教大師の山家学生式に「天台法華宗年分学生式として、天台法華宗の僧は毎年二人(桓武天皇が南都仏教の六宗以外に加えた天台法華宗の伝法者)ずつ出家を許され、弘仁九年(<暦>八一八暦>)からは叡山に居住させ、十二年間叡山に籠って天台の止観業と真言の遮那業を修学させる」とあります。また同じく伝教大師の顕戒論縁起上巻に「最澄、新たに法華宗を立てることを朝廷に求むるの上表に、華厳宗二人、天台法華宗二人等」とあり、また同じく同書に収められている毎年出家した僧の学業を定めた官符にも「天台を修学する二人のうち一人は大日経を読ませ、一人は摩訶止観を読ませる」と記されています。これらはいずれも天台宗の内に真言を入れ、真言を一宗として立てなかったことを示しています。また、嘉祥元年(<暦>八四八暦>)六月十五日の官符に「唐に渡り、教えを求めた伝燈法師位慈覚大師円仁の上表に、天台宗が最澄によって日本に伝えられたのが延暦二十四年(<暦>八〇五暦>)で、翌延暦二十五年にはことさら天台宗において毎年二人ずつ出家することが許され、一人は真言を修学し、一人は止観を修学する。しかれば、天台宗で止観と真言とを修学するのは、桓武天皇が定められたものである」とあります。つまり、比叡山では天台宗に対して、真言宗の宗名を立てることを許さず、天台宗は天台を骨とし、真言を肉としたのです。ところが、末代になるにしたがい天台宗と真言宗の仲が悪くなり、骨と肉とが分離し、しかも比叡山の座主はもっぱら真言を行じているのです。肉ばかりで骨のない者のようです。また比叡山の大衆は多く天台宗ですので、骨ばかりで肉のない者のようです。このように仏法のなかに諍いがあるために、社会にも紛争がおこり、叡山が騒がしいため朝廷にも煩いごとが多いのです。この天台・真言宗に関する教えは、内々に承知しておくべき事柄で今まで教えなかったものです。よくよく心得ておいて下さい。
叡山の猛省を教示
[21]さて、念仏宗は法華経に背き、浄土三部経を依りどころとするために、阿弥陀仏を正しい仏であるとし、釈尊を侮っています。真言宗も大日経を第一と考えるので釈尊を侮っています。しかし、戒・定・慧の三学のうち、戒においては大乗でも小乗でも釈尊が中心となってこれを説いています。他の仏はその証明者にすぎないのです。したがって、諸宗の教義が異なるにしても、釈尊を敬わなければなりません。獅子の体にいる虫が獅子の肉を食べるように、仏教を滅ぼすものは外道ではなく、仏教の内部にいるものが滅ぼすとは釈尊の遺言です。仏教の内には、小乗教をもって大乗教を滅ぼし、権大乗教をもって実大乗教を滅ぼす者がいます。これらの人は外道が仏教を滅ぼすことができないように、実大乗の法華経を滅ぼすことはできません。しかるに今は、小乗教や権大乗の人びとよりも、実大乗の法華経を信奉する人が、かえって法華経を滅ぼそうとしていることこそ重大事といわねばなりません。すなわち、仏法が滅びるかどうかは、実大乗の法華経を弘める比叡山の動向にあるからです。比叡山の仏法が消滅しようとしているために、異国が日本を滅ぼそうとしているのです。また、比叡山の正法が滅びようとしているので、大天魔が日本に現われ、法然や禅僧の大日らの身に入り、さらにこれを仲介として国王や臣下の身に移り住み、それがさらに比叡山三千人の身に入ったために比叡山と朝廷の間が不和となり、いくら祈禱しても効験がないのです。祈禱に効果がなければ叡山三千人の大衆も朝廷から見放され、滅亡しなければならないのです。
[22]また、朝廷や幕府の人びとが密教化した天台宗の学僧に、念仏や禅宗等の極理は天台宗と同一であるかと尋ねると、名前は天台宗であるがその教理を理解していない彼らは、天魔に魅入られたように禅宗の極理は天台宗と同一であり、弥陀念仏は法華経の肝心であるなどと答えています。しかるに、念仏者や禅宗などの者には天魔が乗り移っており、さらに今の世の天台宗の僧よりも智慧が勝れていますので、自宗の教理が天台宗と同一であるどころか、禅の方がはるかに天台宗よりも勝れているなどと主張しています。さらに念仏者も、法華経などの諸経は理は深いが末代のわれら衆生は理解力が浅い。したがって、教えの内容と人の能力がかなわないので、これらの経では得道することができないなどと主張していますが、天台宗の学僧はそれを否定もしません。このため、帰依していた朝廷や幕府の信奉者を、みな禅宗や念仏宗に奪われて叡山は滅亡し、生きながら餓鬼道に堕ち、親しい三井寺と争い、仏や神に恨みをいだき信奉者を呪咀しています。このため、毎年のように災難が生じ、ついには叡山の大講堂に安置されていた生身の本尊である教主釈尊を焼失し、また三井寺の生身の弥勒菩薩をも焼失し、みずから教主釈尊の敵となって、未来に出現するという弥勒菩薩の出現を妨げるように乱れ狂っています。このような大罪が、いかなる結果を招くかは経論には説かれていません。
[23]また、釈尊と弥勒菩薩像を焼失させた大罪は、叡山三千人の大衆だけの罪ではなく、朝廷・幕府の罪でもあるのです。つまり、日本国すべての人が謗法となりましたので、大梵天王や帝釈天・天照大神らが隣国の聖人に命じて日本の謗法を攻めさせたのです。それはあたかも、平清盛が国を衰亡させ、ついには日吉山王や大仏殿を焼き払いましたので、天照大神や正八幡、山王等の神々が源頼義の孫である頼朝に味方して平家を滅亡させたために、この日本は安穏になったのです。今の日本は国全体が神仏の敵となり、しかもこの国を領知する人がいないので、大蒙古国が日本を攻めようとしているのです。たとえば、中国・朝鮮はインドについで仏教のさかんな国でした。しかし、これらの国々はことごとく禅宗・念仏宗になったために、蒙古に滅ぼされてしまったのです。日本は仏法の上では中国・朝鮮の弟子になります。禅宗・念仏宗が弘まった中国・朝鮮が滅亡したのに、この日本だけが安穏であるはずがないのです。
[24]したがって、国の滅亡を憂い、家を思う人びとは、ただちに禅宗・念仏宗を経文に説かれているように禁止しなければなりません。経文のとおりならば、今の日本国には仏も神もおられないのです。この仏・神を日本に迎え、安穏にしなければなりませんが、それは容易なことではありません。なぜかといえば、八幡大菩薩は正直の人の頭を住所とし、他を住所としないといっているからです。つまり、世間に正直の人がいなければ八幡大菩薩の住所はないのです。また、仏法の中では法華経だけが正直の経ですから、この法華経を受持する行者がいなければ、八幡大菩薩の住所もなくなるのです。しかし、今の日本国中において、日蓮一人だけが世法においても、仏法においても正直の者でありましょう。なぜなら、日蓮はかつて今はなき最明寺時頼入道殿に、禅宗は天魔の行為であるから禁止せよと直言し、さらに立正安国論を上呈して、念仏を信奉するために日本国の人びとはみな無間地獄に堕ちるであろうと諫言しました。これほど本当の事を正直にいった者はいままで一人もありません。これをもって推察いただきたいと思います。どうしてそれより他の小さな事柄をゆがめたりすることがありましょう。また、聖人は言葉を飾らないといわれています。いまだ顕われないことを先に知る人が聖人といわれています。とするならば、すでに蒙古の日本侵略の予言が的中したことから、日蓮は聖人の一分にあたるといえましょう。さらに日蓮は、この法華経を弘めるために二十余度も所を追われ、ついに伊豆国へ流罪され、安房の松原では身に多くの傷を受け、多くの弟子が殺されました。このような難は比干が殷の紂王を諫めて殺され、伍子胥が呉王夫差を諫めて殺されたのにも決して劣るものでありません。また、提婆菩薩が外道に殺され、師子尊者が壇弥利王に首を刎ねられた難にも劣るものでありません。もしそうであるならば、正直の人の頭を住所とする八幡大菩薩は、日蓮の頭を住所としないでいずれの人の頭を住所とされましょう。日本国がこの日蓮を用いないならば、いかにすべきかと日蓮は歎いているのだと申し述べなさい。
[25]また、師の日蓮は仏・菩薩や諸大善神を日本へ還すためには、禅宗や念仏宗の寺々をことごとくなくし、僧たちを罰し、焼失した比叡山の講堂を再建し、霊山の釈迦牟尼仏の御魂を請じ入れる以外にはありません。そうしなければ、諸仏も決してこの日本国を救済されることはないだろうといっていると申し述べなさい。