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法華行者値難事

全集 第5巻 2段 定本: #140(定本の該当ページへ)

書下し

法華行者値難事ほつけぎようじやちなんじ


[1]法華経の第四に云く、「如来の現在にすらなお怨嫉多し、いわんや滅度の後をや」等云云。同じく第五に云く、「一切世間怨多くして信じがたし」等云云。涅槃経*ねはんぎようの三十八に云く、「その時に外道に無量の人あり。○心に瞋恚しんいを生す」等云云。また云く、「その時に多く無量の外道あり、和合して共に摩伽陀まかだの王阿闍世あじやせの前に往きぬ。○今はただ一大悪人あり、くどん沙門なり。王いまだけんぎようせず、我等甚だ畏る。一切世間の悪人、利養のための故にそのもとに往集して眷族となる。乃至かしよう舎利弗しやりほつもつけんれん」等云云。「如来の現在にすらなお怨嫉多し」の心これなり。
[2]得一とくいつ大徳、天台智者大師*てんだいちしやだいし罵詈めりして曰く、「智公汝はこれ誰が弟子ぞ、三寸に足らざる舌根を以て、覆面舌ふめんぜつの所説の教時を謗す」。また云く、「あにこれてんおうの人にあらずや」等云云。南都七大寺の高徳寺、護命ごみよう僧都・景信けいしん律師等三百余人、伝教大師*でんぎようだいしを罵詈して云く、「西夏せいか鬼弁婆羅門きべんばらもんあり、東土に巧言を吐く禿頭とくずの沙門あり。これすなわち、物類冥召ぶつるいみようしようして世間を誑惑す」等云云。秀句に云く、「浅きは易く深きは難しとは、釈の所判なり。浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり。天台大師釈に信順し、法華宗を助けて震旦しんたん敷揚ふようし、叡山*えいざんの一家は天台に相承し、法華宗を助けて日本に弘通す」云云。
[3]それ在世と滅後正像二千年との間に、法華経の行者ただ三人あり、いわゆる仏と天台・伝教となり。真言宗*しんごんしゆう善無畏ぜんむい不空ふくう等、華厳宗*けごんしゆう杜順とじゆん智儼ちごん等、三論*さんろん法相*ほつそう等の人師等は、実経の文をして権の義に順ぜしむる人々なり。龍樹・天親等の論師は、内にかんがみて外に発せざる論師なり。経のごとく宣伝すること、正法の四依しえも天台・伝教にはしかず。
[4]しかるに仏記のごとくんば、末法に入つて法華経の行者あるべし、その時の大難在世に超過せん云云。仏に九横くおうの大難あり、いわゆる孫陀梨そんだりの謗と金鏘こんず馬麦めみやく琉璃るりの釈を殺すと・乞食空鉢こつじきくうはつせんしやによの謗と・調達ちようだつが山をすと・寒風衣をもとむと等なり。その上、一切の外道の讒奏ざんそう上に引がごとし。記文のごとくんば天台・伝教も仏記に及ばず。これを以てこれを案ずるに、末法の始めに仏説のごとく行者世に出現せんか。
[5]しかるに文永十年十二月七日、武蔵の前司殿より佐渡の国へ下す状に云う、自判じはんこれあり。
[6]佐渡さどの国の流人の僧日蓮、弟子等を引率し、悪行を巧むの由その聞えあり。所行の企て甚だ以て奇怪なり。今より以後、彼の僧に相随わん輩においては、炳誡へいかいを加へしむべし。なお以て違犯せしめば、交名を注進せらるべきの由候所なり。仍て執達件の如し。
[7]文永十年<日>十二月七日
[8]<人>沙門観恵上る
[9]<先>依智六郎左衛門尉*えちのろくろうざえもんのじよう殿
[10]等云云。この状に云く、「悪行を巧む」等云云。外道が云く、「くどんは大悪人なり」等云云。また九横の難一々これあり。いわゆる琉璃殺釈るりさつしやく乞食空鉢こつじきくうはつ寒風索衣かんぷうさくいとは、仏世に超過せる大難なり。恐らくは天台・伝教もいまだこの難に値いたまわず。まさに知るべし、三人に日蓮を入れ四人となして、法華経の行者末法にあるか。喜ばしいかな、「いわんや滅度の後をや」の記文に当れり。悲しいかな、国中の諸人阿鼻獄に入らんこと。茂きを厭うてこれを子細に記さず。心を以てこれを惟みれよ。
[11]文永十一年〈甲戌〉<日>正月十四日
[12]<人>日 蓮<花押>花押
[13]一切の諸人之を見聞し志あらん人々は互にこれを語れ。
[14]追申。龍樹・天親は共に千部の論師なり。ただし権大乗をべて、法華経をば心に存じて口に吐きたまわず〈此に口伝あり〉。天台・伝教はこれを宣べて、本門の本尊と四菩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字とはこれを残したまう。所、一には仏授与したまわざるが故に、二には時機未熟の故なり。今既に時来れり、四菩出現したまわんか。日蓮この事、先ずこれを知りぬ。西王母せいおうぼの先相には青鳥、客人の来相にはかんじやくこれなり。各々我が弟子たらん者は深くこの由を存ぜよ。たとい身命に及ぶとも退転することなかれ。
[15]富木*とき三郎左衛門尉*さぶろうざえもんのじよう河野辺かわのべ等・大和阿闍梨*だいわあじやり等の殿原御房達、各々互に読み聞けまいらせさせ給へ。かかる浮世には互につねにいいあわせて、ひま(間)もなく後世ねがわせ給ひ候へ。
[16]<先>河野辺殿等中
[17]<先>大和阿闍梨御房等中
[18]<先>一切我が弟子等中
[19]<先>三郎左衛門尉殿
[20]<人>日 蓮
[21]<先>謹上 富木殿
現代語訳

法華行者値難事


文永一一年(一二七四)一月一四日、五三歳、於佐渡一谷、富木常忍宛、原漢文、定七九六—七九九頁。

[1]法華経の行者が多くの難に値う証拠を示すならば、法華経第四巻の法師品に「法華経を弘通する者は釈尊の在世ですら、うらねたむものが多い。ましてや釈尊の滅後にはさらに多い」と説かれ、第五巻の安楽行品には「世間にはあだをなす者が多くて信じ難い」とも説かれています。涅槃経三十八の陳如きようじんによ品には「多くの婆羅門が釈尊に対して怒りの心を起こした」とも、また「多くの婆羅門が一緒になって摩伽陀国の阿闍世王の前にいき、今、一人の大悪人がいる。それは瞿曇沙門すなわち釈尊である。王はまだこの悪人の罪を取り調べていないが、われわれは大変恐れている。それは世間の悪人が自分の利のためにそこに集まり配下になっているからで、葉・舎利弗・目連がそれである」と説かれています。先に示した法華経の「釈尊の在世ですら怨み嫉むものが多い」とありますのはまさにこのことです。
[2]法相宗の得一大徳は、天台大師智をののしって「智よ、あなたは誰の弟子か。釈尊の弟子ではないか。口先ばかりで釈尊の説かれた三時教を謗るのか」といい、また「あなたは狂人ではないか」ともいっています。また、奈良七大寺の高僧、とりわけ護命僧都・景深律師らの三百余人は伝教大師最澄をののしって「昔、インドでは鬼弁婆羅門が人をたぶらかし、今、日本には口先のうまい禿頭の沙門が人を誑している。これはまさしく同類相集って世間を誑かすものだ」と批難しました。そこで伝教大師は法華秀句で「法華経以前の浅い教えをたもつのはやさしいが、深い教えを持つのは難しいとは釈尊の教判である。その浅い教えを捨て、深い教えにつくのが堅固な信仰をもつ者のとる道である。それゆえ、天台大師は釈尊に信順し、持ちがたい法華宗を中国に弘め、日本の叡山の天台一家もこの教えを承け、法華宗を日本に弘めるのである」と反論しました。
[3]このようにみますと、釈尊の在世と滅後の正法・像法二千年の間に、法華経の行者は釈尊と天台大師と伝教大師のわずか三人だけです。真言宗の善無畏・不空、華厳宗の杜順・智厳、三論・法相宗などの人師たちは、真実の経である法華経の義を曲げて、権経の義に従わせようとした人びとです。インドの龍樹・天親らの論師は、内心に法華経と余経の勝劣を知っていましたが、外には発表しませんでした。経文の通りに弘通したのは天台・伝教であり、正法の導師である龍樹・天親らもおよびません。
[4]しかるに、釈尊の予言によれば、末法の時代に入ると法華経の行者があらわれるとありますが、その時の迫害は釈尊在世のころより、はるかに激しいと説かれています。釈尊は在世のころ九種の災難を受けました。いわゆる孫陀梨女が釈尊をそしり、腐った食物を供養され、馬の食べる麦を与えられ、瑠璃王によって多くの釈族が殺され、婆羅門の村で乞食したが得られず、旃婆羅門の女に誹謗され、提婆達多だいばだつたに傷つけられ、三衣をもって寒さを耐えられるなどの難がこれです。その上、あらゆる婆羅門が一緒になり、釈尊を讒奏したことは先に引用した涅槃経のとおりです。もし、末法の行者はこれ以上の迫害を受けるという釈尊の予言のとおりならば、天台・伝教の難などはとてもそれにおよぶものではありません。以上のことどもから考えてみますと、末法時代の始めには釈尊の予言に符合するような法華経の行者が世に出現しなければなりません。
[5]しかるに、文永十年(<暦>一二七三)十二月七日に北条宣時殿より、佐渡国へ下知した宣時殿の花押のある状に、
[6]佐渡国の流人の僧日蓮が、弟子等を率いて悪行を企んでいるとの報告があった。その所行はまことに不埒ふらちである。今後、日蓮に随う者は厳しく罰せられる。それでも違犯する者はその名前を上申するよう申しつける。以上が北条宣時殿の御意向である。
[7]文永十年<日>十二月七日
[8]<人>沙門観恵上る
[9]<先>依智六郎左衛門尉殿
[10]とあります。この下知状に「悪行を巧む」などと書かれているのは、あの婆羅門が「釈尊は大悪人だ」といったのと同じことです。また、釈尊は波瑠璃王によって釈族が殺され、乞食や、寒風に耐えるという九種の大難を受けましたが、日蓮が受けたところの弟子を殺され、雪を食して命をつなぎ、寒風に着る衣もないという迫害は、釈尊の在世にも超える大難ではないでしょうか。おそらく、天台大師・伝教大師もこのような難に値われてはいないでしょう。これらを考えてみますと、釈尊・天台・伝教の三人に日蓮を加えたこの四人の中に、末法の法華経の行者があることになります。この日蓮が「ましてや釈尊の滅後にはさらに多い」という釈尊の予言に符合したことは、何とうれしいことでありましょう。しかし、日本の人びとが法華経の行者である日蓮を苦しめる罪により、無間地獄に堕ちる悪業を重ねていることこそ、悲しいといわねばなりません。あまりにも煩瑣になりますのでこれでやめにします。どうか御推察いただきたいと存じます。
[11]文永十一年<日>正月十四日
[12]<人>日 蓮 <花押>花押
[13]日蓮の弟子・檀越らのすべての人びとにこの書状を知らせ、志ある人たちは同志の人と、末法の法華経の行者の弟子となったことを話し合っていただきたい。
[14]追って申し上げます。龍樹・天親は千部の論著を著した大論師です。ただ、二人とも権大乗だけを述べて、実大乗の法華経は内心には知っていましたが、外に述べなかっただけです〈これには口伝があります〉。天台・伝教は法華経を弘めましたが、本門の本尊と本化の四菩と本門の戒壇と本門の題目である南無妙法蓮華経の五字については弘め残されたのです。つまり、一つには釈尊からこの教えを授与されなかったことと、二つにはこの教えを弘める時機でなかったからです。今はすでにその時期が到来し、経文のとおりならば本化の四菩が出て本法を弘められるはずです。日蓮はこのことを早くから自覚していました。それは漢の武帝の代に西王母が来る前兆として、青鳥が西から飛来し、かささぎが鳴けば客人が来るようなものです。わが弟子たる者は、深くこの道理を考えねばなりません。たとえ身命におよぶようなことがあっても、法華経の信仰をやめてはいけません。
[15]富木・四条三郎左衛門尉・河野辺殿、大和阿闍梨御房らは、たがいにこの書状を読みあって下さい。このような濁世じよくせにはたがいに常に語りあい、たえず後世を願うことが大切です。
[16]<先>河野辺殿等中
[17]<先>大和阿闍梨御房等中
[18]<先>一切のわが弟子等中
[19]<先>三郎左衛門尉殿
[20]<人>日 蓮
[21]謹んで富木殿に上る