土木殿御返事
書下し
土木殿御返事
[1]この十二日酉の時御勘気。武蔵守殿御あづかりにて、十三日丑の時にかまくらをいでて、佐土の国へながされ候が、たうじはほんま(本間)のえちと申すところに、えちの六郎左衛門尉の代官、右馬太郎と申す者あづかりて候が、いま四五日はあるべげに候。
[2]御歎きはさる事に候へども、これには一定と本よりご(期)して候へばなげかず候。いままで頸の切れぬこそ本意なく候へ。法華経の御ゆへに過去に頸をうしなひたらば、かかる少身のみ(身)にて候べきか。又「数数見擯出」ととかれて、度々失にあたりて重罪をけしてこそ、仏にもなり候はんずれば、我と苦行をいたす事は心ゆくなり。
[3]<日>九月十四日日>
[4]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[5]<先>土木殿御返事先>
[6]上のせめさせ給ふにこそ、法華経を信じたる色もあらわれ候へ。月はかけてみち、しを(潮)はひ(干)てみつ事疑なし。此も罰あり必ず徳あるべし。なにしにかなげかん。
現代語訳
土木殿御返事
文永八年(一二七一)九月一四日、五〇歳、於相模依智、土木殿宛、和文、定五〇三頁。
[1]この十二日の午後六時頃に、幕府の咎めを受けました。武蔵守北条宣時殿預りの罪人として、十三日の午前二時頃に鎌倉を出て、佐渡国へ流されることになりましたが、当時、依智に住する本間六郎左衛門尉殿の代官である右馬太郎という人が、私の身柄を預かることになり、もう四、五日はここに留めおかれるようです。
[2]お歎き下さることはもっともと存じますが、私は最初から覚悟しておりましたことですから歎きはいたしません。いままで首を切られずに生きてきたこそ不本意です。法華経のために過去に首を切られていたならば、このような凡俗の身には生まれてこなかったでしょう。また、法華経の勧持品に「しばしば追放される」と説かれていますように、法華経のためにたびたび咎めを受け、前世に犯した自分の重罪を消してこそ仏になることができるのですから、自分から進んで危難の道を求めるのは満足なことなのです。
[3]<日>九月十四日日>
[4]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[5]<先>土木殿御返事先>
[6]幕府の責めを受けてこそ、法華経を信仰していることが形となってあらわれたというものです。月は欠けてもまた満ち、潮は引いてもまた必ず満ちてきます。私も今は罰を受けていますが、月が満月になり潮が満潮になるように、必ずそれが功徳となってかえってきます。どうしてこのような喜びを歎くことがありましょうか。