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行敏訴状御会通

全集 第5巻 2段 定本: #84(定本の該当ページへ)

書下し

行敏訴状御会通ぎようびんそじようごえつう


[1]当世日本第一の持戒の僧良観聖人*りようかんしようにん、並に法然上人の孫弟念阿弥陀仏まごでし*ねんあみだぶつ道阿弥陀仏*どうあみだぶつ等、諸聖人等の日蓮を訴訟する状に云く、早く日蓮を召し決せられて、邪見を摧破さいはし、正義を興隆せんと欲する事云云。日蓮云く、邪見を摧破し、正義を興隆せば、一眼いちげんかめ浮木ふぼくの穴に入るならん。幸甚幸甚。
[2]彼の状に云く、右八万四千の教、乃至一を是とし諸を非とする理、あにしかるべけんや云云。道綽禅師*どうしやくぜんじ云く、「当今末法はこれ五濁悪世なり。ただ浄土の一門のみありて、路に通入すべし」云云。善導和尚*ぜんどうわじよう云く、「千中無一*せんちゆうむいつ」云云。法然上人云く、「捨閉閣*しやへいかくほう」云云。念阿上人等の云く、「一を是とし諸を非とするは謗法なり」云云。本師三人の御義に相違す、あに逆路伽耶陀ぎやくろがやだの者にあらずや。はたまた、忍性良観聖人彼等の立義に与力よりきして、これを正義と存ぜられるか。
[3]また云く、しかるに日蓮ひとえに法華一部に執して、諸余の大乗を誹謗す云云。無量義経*むりようぎきように云く、「四十余年未だ真実を顕わさず」。法華経に云く、「必ずまさに真実を説きたもうべし」と。又云く、「宣示顕説す」と。多宝仏証明を加えて云く、「皆これ真実なり」と。十方の諸仏は「舌相梵天に至ると」云う云云。已今当の三説を非毀して、法華経一部を讃するは釈尊の金言なり。諸仏の傍例なり。あえて日蓮が自義にあらず。その上、この難は去る延暦・大同・弘仁のころ、南都の徳一とくいつ大師が伝教大師*でんぎようだいしを難破せしことばなり。その難、すでに破れて法華宗を建立しおわんぬ。
[4]また云く、いわゆる法華前説の諸経は皆これ妄語なりと云云。これまた日蓮が私の言にあらず。無量義経に云く、「未だ真実を顕わさず」〈未だ真実を顕わさずとは、妄語の異名なり〉。法華経第二に云く、「むしろ虚妄ありやいなや」云云。第六に云く、「この良医の虚妄の罪を説くやいなや」云云。涅槃経に云く、「如来虚妄の言なしといえども、もし衆生虚妄の説によると知れば」云云。天台云く、「則ちこれ如来綺語きごの語」云云。四十余年の経経を妄語と称する、また日蓮が私の言にあらず。
[5]また云く、念仏は無間の業と云云。法華経第一に云く、「我れ則ち慳貪けんどんに堕せん、この事さだめて不可なり」云云。第二に云く、「その人命終して阿鼻獄に入らん」云云。大覚世尊ただ観経念仏等の四十余年の経経を説いて、法華経を演説したまわずんば、三悪道を脱れがたし云云。いかにいわんや、末代の凡夫一生の間ただ自らも念仏の一行に留まり、他人をも進めずんば、あに無間に堕せざらんや。例せば民と子との、王と親とに賄わざるがごとし。いかにいわんや、道綽・善導・法然上人等、念仏等を修行する輩、法華経名字を挙げて念仏に対当して、勝劣難易しようれつなんい等を論じ、未有一人得者・十即十生・百即百生・千中無一等という者、無間の大火を招かざらんや。
[6]また云く、禅宗は天魔波旬てんまはじゆんの説と云云。これまた日蓮が私の言にあらず。彼の宗の人人の云く、「教外別伝*きようげべつでん」と云云。仏の遺言に云く、「我が経の外に正法ありといわば天魔の説なり」云云。教外別伝の言あにこの科を脱んや。
[7]また云く、大小の戒律は世間誑惑の法と云云。日蓮が云く、小乗戒は仏世すらなおこれを破す。その上、月氏国がつしこくに三寺あり、いわゆる一向小乗の寺と、一向大乗の寺と、大小兼行の寺なり云云。一向小と一向大とは水火のごとし。はたまた通路をも分隔せり。日本国に去る聖武皇帝と孝謙天皇との御宇に、小乗の戒壇を三所に建立せり。その後、桓武の御宇に伝教大師これを責め破りたまひぬ。そのは、小乗戒は末代の機に当らずと云云。護命ごみよう・景深の本師等、その諍論に負けるのみにあらず、六宗の碩徳おのおの退状を捧げ、伝教大師に帰依し、円頓えんどんの戒体を伝受す云云。その状、今に朽ちず、汝自ら開き見よ。しかして良観上人当世日本国の小乗に昔の科を存せずという。
[8]また云く、年来の本尊弥陀・観音等の像を火に入れ、水に流す等云云。この事たしかなる証人を指し出して申すべし。もし証拠無くんば、良観上人等、自ら本尊を取り出して火に入れ水に流し、とがを日蓮に負わせんと欲するか。委細はこれを糾明せん時、その隠れ無からんか。ただし御尋無き間は、その重罪は良観上人等に譲り渡す。二百五十戒を破失せる因縁、この大妄語にしかず。無間大城の人、他処に求むるなかれ。
[9]また云く、凶徒きようと室中しつちゆうに集むと云云。法華経に云く、「或は阿練若あれんにやに有り」等云云。妙楽*みようらく云く、東春云く、輔正記に云く、此等の経釈等を以て、当世日本国に引向うるに、汝等がこぞる所の建長寺*けんちようじ寿福寺*じゆふくじ極楽寺*ごくらくじ多宝寺*たほうじ大仏殿*だいぶつでん長楽寺*ちようらくじ・浄光明寺等の寺寺は、妙楽大師の指す所の第三の最も甚しき悪所なり。東春に云く、「即ちこれ出家の処に一切の悪人を摂す」云云。また云く、「両行は公処くじよに向う」等云云。
[10]また云く、兵等云云。涅槃経*ねはんぎように云く。天台*てんだいの云く。章安*しようあんの云く。妙楽*みようらくの云く、法華経守護のための弓は、仏法の定むる法なり。例せば、国王守護のために刀を集むるがごとし。
[11]ただし良観上人等、弘通する所の法、日蓮が難のがれがたきの間、既に露顕せしむべきか。故に彼の邪義を隠さんがために、諸国の守護・地頭・雑人等を相語らいて言く、日蓮並びに弟子等は阿弥陀仏を火に入れ水に流す、汝等が大怨敵なりと云云。頸を切れ、所領を追い出せ等と勧進するが故に、日蓮の身にきずをこうむり、弟子等を殺害に及ぶこと数百人なり。これひとえに良観・念阿・道阿等の上人の大妄語より出でたり。心あらん人人は驚くべし、怖るべし云云。
[12]瑠璃王びるりおうは七万七千の諸の得道の人を殺す。月氏国の大族王は率都婆そとば滅毀めつきし、僧伽藍そうがらんを廃することおよそ一千六百余処、乃至大地震動して無間地獄に堕ちにき。盧釈びるしやかおうは釈種九千九百九十万人を生け取り、並べ従えて殺戮す。積屍芥せきしくさむらのごとく、流血池を成す。弗沙弥多羅王ほつしやみたらおうは四兵を興して五天を回らし、僧侶を殺し寺塔を焼く。設賞せつしようがおうは仏法を毀壊きえす。訖利多王きりたおうは僧徒を斥逐せきちくし、仏法を毀壊す。欽明・敏達・用明の三王の詔に曰く、「炳然へいぜんとしてよろしく仏法を断ずべし」云云。二臣自ら寺にいたつて堂塔を斫倒しやくとうし、仏像を毀破し、火をはなつてこれを焼き、所焼の仏像を取て難破の堀江ほりえに棄て、三尼を喚出してその法服を奪い、並に笞を加う云云。大唐の武宗は四千六百余処を滅失して、僧尼の還俗する者、かぞうるに二十六万五百人。去る永保年中には山僧園城寺を焼払う云云。御願は十五所、堂院は九十所、塔婆は四基、鐘楼は六宇、経蔵は二十所、神社は十三所、僧坊は八百余宇、舎宅は三千余等云云。去る治承四年十二月二十二日、太政入道浄海、東大・興福の両寺を焼失して僧尼等を殺す。此等は仏記に云く、此等の悪人は仏法の怨敵にはあらず、三明六通の羅漢のごとき僧侶等が我が正法を滅失せん。いわゆる守護経に云く。涅槃経に云く。
[13]<人>日 蓮<花押>花押
現代語訳

行敏訴状御会通


文永八年(一二七一)、五〇歳、於鎌倉、原漢文、定四九七—五〇一頁。

[1]今の世で、日本第一の持戒の僧といわれています良観聖人、並びに法然上人の孫弟子であります念阿弥陀仏・道阿弥陀仏らの諸聖人が、日蓮を問所へ訴訟した状に、早く日蓮と対決しその誤った考えを破り、正しい仏法を興隆したいといっているようです。日蓮が思いますに、公式の場で良観聖人らの悪義を破り、法華経の正法を興隆することは、またとない機会で私としても待ち望んでいたところで、大変うれしい限りです。
[2]彼らの訴状に、八万四千の教えはすべて釈尊の教えであり、一つの教えを正とし、それ以外の教えを誤りとする道理がはたしてあるだろうかといっています。しかし、彼らが先師と仰ぐ道綽禅師は、その著である安楽集のなかで「今末法は五濁の悪世である。ただ浄土教だけが往生成仏の道である」といっています。また、善導和尚もその著、往生礼讃で「念仏の教え以外では千人中一人も往生成仏することはできない」といい、法然上人もその著、選択集で法華経を「捨てよ閉じよさしおなげうてよ」と主張しています。これら先師の教えはみな一を是とし、諸を非とするものですが、念阿上人らは「一を是とし、諸を非とするのは謗法である」と主張しています。これは明らかに、道綽・善導・法然の本師三人の教えに相違する主張で、まさに先師の教えに違背するものではありませんか。あるいは、忍性良観上人は念阿上人らの主張に加勢して、これを正義と考えているのでしょうか。
[3]また、彼らの訴状に日蓮はもっぱら法華経一部に執着して、それ以外の大乗経典を誹謗しているといっています。しかし、これは私の考えではなく、釈尊自ら無量義経に「この四十余年の間、いまだ真実を説き顕わしていない」といわれ、法華経に「まさにこの経に真実を説くであろう」、「真実を宣示し顕説する」といわれました。多宝仏はそれを証明して「皆これ真実である」といわれ、十方の諸仏も「舌相を梵天につけ」て、その真実であることを証明しています。すでに説かれた諸経、今説かれた無量義経、まさに説かれるであろう涅槃経を、法華経と比較して下げ、法華経のみを讃するのは日蓮の私見ではありません。その上、このような批難はすでに去る延暦・大同・弘仁年間(<暦>七八二—八二四)に、南都法相宗の徳一大師が、伝教大師最澄に対して論破しようとしましたが、逆に論破されて最澄は天台法華宗を建立されたのです。
[4]また彼らの訴状に、日蓮は法華経以前の諸経はすべて真実でないと主張している、といっています。これもまた、日蓮の私見ではありません。すなわち、無量義経には「いまだ真実を顕わしていない」と説かれているからです〈いまだ真実を顕わしていないということは妄語の別称です〉。また法華経第二巻の譬喩品には「虚妄ありやいなや」と釈尊が問われたとき、すべての大衆は虚妄なしと答えたとあり、第六巻の寿量品には「この良医に虚妄の罪ありやいなや」と釈尊が問われたとき、大衆は真実と承認しました。涅槃経には「如来には虚妄の言葉はないが、もし衆生虚妄の説によると知れば」諸経を説くといわれました。また天台大師智は、釈尊が小乗に記するのは「釈尊の巧みに偽った言葉で一時的なものである」といっています。このように法華経が説かれる前の四十余年の経々を妄語というのは、日蓮の私見でないことが明らかとなりましょう。
[5]また彼らの訴状に、日蓮は念仏が無間地獄に堕ちる行為であると主張している、といっています。確かに私はそのように主張していますが、それも私見ではありません。法華経第一巻の方便品に「もし自分が小乗の教えで一人たりとも教化するならば、自分は慳貪の罪におちるであろう。このようなことは絶対にないのだ」といわれ、また第二巻の譬喩品に「この法華経を読誦し受持する者をみて、軽賤し憎みうらみをいだく者は、その人は命つきたあと必ず阿鼻地獄に堕ちるであろう」といわれています。このように、釈尊といえども観無量寿経などの念仏や真実を顕わしていない経々だけを説き、もし法華経を説かなかったならば、地獄・餓鬼・畜生の三悪道から脱れることができないといわれているのです。ましてや、末世のわれら凡夫が一生の間、ただ念仏の一行のみをおこない、たとえ他人にそれを勧めなかったとしても、それは仏の意志に反するもので無間地獄に堕ちることはまちがいありません。たとえていえば、民や子が王や親の命に従わないで罰を受けるようなものです。まして、浄土教の祖である中国の道綽・善導、日本の法然上人らは、もっぱら念仏を行とする人びとで、法華経と念仏とを比較し、その勝劣難易などを論じて、念仏を行ずる者は十人は十人が、百人は百人が往生成仏するが、法華経では一人も往生得道するものはないと主張しています。これは明らかに先に示した釈尊の言葉に背くもので、必ず無間地獄に堕ちることになるでしょう。
[6]また彼らの訴状に、日蓮は禅宗の教えが人心を乱し、仏道修行を妨げていると主張している、といっています。しかし、これもまた日蓮の私見ではありません。禅宗の人びとは「わが宗は教えの外に仏心を伝えている」と誇っています。だが、釈尊の臨終の言葉に「私が経に説いたほかに正法があるという者は、仏法を破壊する説である」といわれています。禅宗が「教外別伝」などと主張しているのは、その罪から脱れることができません。
[7]また彼らの訴状に、日蓮は大小の戒律が世間を惑わす法であると主張している、といっています。私がいいたいのは次のことなのです。小乗戒は釈尊の在世のときにすでに論破されています。釈尊滅後、インドに三種類の寺がありました。いわゆる、もっぱら小乗律の寺と、もっぱら大乗律の寺と大乗・小乗の両律兼行の寺です。しかし、小乗律の寺と大乗律の寺とは仲が悪く、そこに至る道路すら別にしたほどです。日本においても、聖武天皇の時に来朝した鑑真は、孝謙天皇の時に奈良東大寺、筑紫観世音寺、下野薬師寺の三か所に小乗戒壇を建立しました。ところがその後、桓武天皇の時に伝教大師最澄によって、小乗戒は末法の人びとにふさわしくないとして論破されました。南都の護命・景深はその論争に敗退し、さらに南都六宗の高僧たちが、それぞれ帰伏状を提出して伝教大師に帰依したことは、大乗円頓戒を伝授したことになるのではないでしょうか。その帰伏状は今もありますから、自分の目で見られるとよいでしょう。しかるに良観上人や今の日本の小乗律を信奉する者が、このことを知らないというのは驚くべきことといわねばなりません。
[8]また彼らの訴状に、日蓮は長年信奉してきた本尊の弥陀・観音の像を燃やしたり水に流した、といっています。しかしこれは、この事実を証明する確かな証人を出していうべきです。その事実を証明する証拠がないならば、良観上人が自ら本尊を燃やしたり水に流したその罪を、日蓮に負わせようとするものでありましょう。くわしいことは対決のとき糺明すれば、明らかになると思います。ただし、お尋ねのない間は、この重罪はすべて良観上人らの責任でありましょう。二百五十戒を破った原因は、この大妄語によるものです。これによって、良観上人が無間地獄に堕ちる人であることは間違いありません。
[9]また彼らの訴状に、日蓮は暴徒を家中に集めている、といっています。法華経の勧持品に「閑寂の地にありながら権力者に法を説き、聖者のごとく仰がれながら権力者をそそのかし、法華経の弘通を妨げるものがいる」とあります。妙楽大師や東春、輔正記などの経文や釈義をもって、今の日本国に照らし合わせてみると、貴僧たちが誇る建長寺・寿福寺・極楽寺・多宝寺・大仏殿・長楽寺・浄光明寺などの寺々は、妙楽大師が指摘する第三僣聖増上慢の住む最大の悪所にほかなりません。東春にも、これらの所をもって「出家の処に一切の悪人をおさめる」といい、また「常に大衆の中にって」以下の二行の文は、国王や大臣などに向かって正しい法を謗り、それを弘める人を誹謗することであると説かれていますが、これまた貴僧のことを指していっているのです。
[10]また彼らの訴状に、日蓮は武器を貯えている、といっています。これについて涅槃経をはじめ天台大師や章安・妙楽大師は、法華経守護のために弓を持つことは仏法の定める法である。それは国王が国を守るために武器を集めるのと同じであるといっています。
[11]すでに記したように良観上人たちが弘めようとした教えは、日蓮の論難に反論できず、悪法であることが明確になりました。したがって、彼らは自分たちの悪義を隠そうとして、諸国の守護・地頭・庶人たちをそそのかして次のようにいっています。日蓮やその弟子たちは、本尊である阿弥陀仏を燃やし水に流したあなた方の憎むべき敵である。早く日蓮の首を切れ、所領から追放せよとすすめたために、日蓮は傷を受け、弟子・檀越のなかで殺害されたものは数百人におよんでいます。これはすべて良観・念阿・道阿らの諸上人の大妄語から起こったものです。心ある人たちはこのことを知って、いかに驚き怖れることでありましょう。
[12]昔、インドの瑠璃王は、七万七千人の仏道で悟りを開いた人を殺害しました。また大族王も多くの仏塔を毀し僧院を廃しましたが、その数は千六百余りにおよんでいます。そのために大地は震動し、彼らは無間地獄に堕ちたということです。また、先に記した瑠璃王すなわち盧釈王は、釈族の人びと九千九百九十万人を捕えて殺したといいます。死体は積まれて打ち捨てられ、血は流れて池となったといいます。また弗沙弥多羅王は、象・馬・車・歩の四種の兵を興して、インド各地の僧尼を殺害して寺塔を焼き払いました。また、設賞王は仏法を破滅させ、訖利多王も僧徒を追放し、仏法を破滅させました。日本においても、欽明・敏達・用明の三天皇は仏教を信奉することを禁止し、物部尾輿・中臣鎌子は堂塔を倒し、仏像を破壊してこれを焼き払い、燃える仏像を運んで難波の堀江に捨てたといいます。さらに善信・禅蔵・恵善尼の三比丘尼の法服を奪い、室にとどめて笞打ったといいます。さらに中国では唐の武宗が四千六百余りの寺塔を破却し、二十六万五百人の僧尼を還俗させています。日本でも去る永保年間(<暦>一〇八一—一〇八四)には、比叡山の僧徒がたびたび園城寺を焼き払い、御願所十五所、堂院九十所、仏塔四基、鐘楼六宇、経蔵二十、神社十三、僧坊八百余り、舎宅三千余所が焼失したといいます。また去る治承四年(<暦>一一八〇)十二月二十二日には、太政大臣平清盛が奈良の東大寺・興福寺を焼き払い、多くの僧尼を殺害したといいます。以上のことを釈尊の言葉に照らし合わせてみますと、これらの悪人はほんとうの仏法の怨敵ではありません。実は三つの智恵と六種の超人的な能力を得たと称する阿羅漢のような僧侶たちこそ、正法である法華経を破滅させるのです。それは守護経や涅槃経からも証明されるとおりです。
[13]<人>日 蓮 <花押>花押