妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

上野殿母尼御前御返事

全集 第4巻 2段 定本: #20388(定本の該当ページへ)

書下し

上野殿母尼御前御返事うえのどのははあまごぜんごへんじ


[1]南条故*なんじようこ七郎五郎殿の四十九日御菩提ぼだいのために送りたまふ物の日記の事。鵞目がもく両ゆひ・白米一いも一駄・すりだうふ・こんにやく・柿一・ゆ(柚)五十等云云。
[2]御菩提の御ために、法華経一部・自我偈じがげ数度・題目だいもく百千返唱べんとなへ奉り候おわんぬ。
[3]そもそも法華経と申す御経は、一代聖教しようぎようにはるべくもなき御経にて、しかも「唯仏与仏ゆいぶつよぶつ」と説かれて、仏と仏とのみこそしろしめされて、等覚已下*とうがくいか乃至凡夫ないしぼんぶはかなはぬ事に候へ。されば竜樹菩*りゆうじゆぼさつ大論だいろんには、「仏已下はただ信じて仏になるべし」と見えて候。
[4]法華経の第四法師品ほつしほんにいはく、〔「薬王*やくおうなんじに告ぐ、我所説わがしよせつの諸経あり。しかもこの経の中において、法華最も第一なり」〕等云云。第五の巻にいはく、〔「文殊師利もんじゆしり、この法華経は諸仏如来の秘密之蔵ひみつのくらなり。諸経の中において、最もそのかみり」〕等云云。第七の巻にいはく、〔「この法華経もまたまたかくのごとし。諸経の中において、最もこれその上なり」〕。またいはく、〔「最もこれ照明なり。最もこれそのとうときなり」〕等云云。
[5]これらの経文、私の義にあらず。仏の誠言じようごんにて候へば、定てよもあやまりは候はじ。たみが家に生れたる者、我はさむらいひとしなんど申せば必ずとが来る。まして我れ国王に斉し、ましてすぐれたりなんど申せば、我身のとがとなるのみならず、父母と申し、妻子といひ、必ず損ずる事、大火のいえを焼き、大木の倒るゝ時小木等の損ずるがごとし。
[6]仏教もまたかくのごとく、華厳けごん阿含あごん方等ほうどう般若はんにや大日経*だいにちきよう阿弥陀あみだ経等に依る人々の、我が信じたるまゝに勝劣しようれつも弁へずして、我が阿弥陀経等は法華経と斉等せいとうなり、はたまた勝れたりなんど申せば、その一類の人々は我が経をほめられ、うれしと思へども、かえつてとがとなりて師も弟子も檀那だんなも悪道におつることを射るがごとし。ただし法華経の一切経に勝れりと申して候はくるしからず。還て大功徳くどくとなり候。経文のごとくなるがゆえなり。
[7]この法華経のはじめ無量義経*むりようぎきようと申す経おはします。たとえば大王の行幸みゆきの御時、将軍前陳ぜんちんして狼藉ろうぜきをしづむるがごとし。その無量義経にいはく、〔「四十余年にはいまだ真実を顕さず」〕等云云。これは将軍が大王に敵する者を大弓をもつてはらい、また太刀たちをもつて切りすつるがごとし。
[8]華厳経を読む華厳宗・阿含経の律僧りつそう等・観経*かんぎようの念仏者等・大日経の真言しんごん師等の者共ものどもが法華経にしたがはぬをせめなびかす利剣りけん勅宣ちよくせんなり。譬ば貞任さだとう義家よしいえが責め、清盛*きよもり頼朝よりともの打ちうしなわせしがごとし。無量義経の四十余年の文は、不動明王ふどうみようおう剣索けんさく愛染あいぜん明王のゆみやなり。
[9]南条五郎殿の死出しでの山、三途さんずの河を越し給はん時、煩悩ぼんのうの山賊・罪業ざいごうの海賊を静めて、事故ことゆえなく霊山浄土*りようぜんじようどへ参らせ給ふべき御供おんとも兵者つわものは、無量義経の「十余年未顕真実みけんしんじつ」の文ぞかし。
[10]法華経第一のまき方便品にいはく、〔「世尊せそんの法はひさしくして、後要のちかならずまさに真実を説きたまうべし」〕。またいはく、〔「正直に方便をすてて、ただ無上道を説く」〕云云。第五の巻にいはく、〔「唯髻中ただけいちゆう明珠みようじゆ」〕。またいはく、〔「ひとり王の頂上にこの一珠あり」〕。またいはく、〔「彼強力かのごうりきの王のひさしまもれる明珠を今乃ちこれあたえるがごとし」〕等云云。
[11]もんの心は、日本国に一切経わたれり、七千三百九十九巻なり。彼々の経々は、皆法華経のけんぞくなり。例せば、日本国の男女の数十九億九万四千八百二十八人候へども、皆一人の国王の家人たるがごとし。一切経の心は愚癡ぐちの女人なんどの唯一時に心うべきやうは、たとへば大塔だいとうをくみ候には、先づ材木より外に足代あししろと申して多くの小木を集め、一丈二丈ばかりゆひあげ候なり。かくゆひあげて、材木をもつて大塔をくみあげ候つれば、返つて足代を切り捨て大塔は候なり。足代と申すは一切経なり、大塔と申すは法華経なり。
[12]仏、一切経を説き給ひし事は、法華経を説かせ給はんための足代なり。「正直捨方便しようじきしやほうべん」と申して法華経を信ずる人は、阿弥陀経あみだきよう等の南無阿弥陀仏・大日経だいにちきよう等の真言しんごん宗・阿含あごん経等のりつ宗の百五十かい等を切りすてなげうちてのち、法華経をばたもち候なり。大塔をくまんがためには足代大切なれども、大塔をくみあげぬれば足代を切り落すなり。「正直捨方便」と申す文の心これなり。足代より塔は出来して候へども、塔を捨てゝ足代ををがむ人なし。
[13]今の世の道心者どうしんじや等、一向いつこうに南無阿弥陀仏と唱へて一生をすごし、南無妙法蓮華経と一返も唱へぬ人々は、大塔をすてゝ足代ををがむ人々なり。世間にかしこくはかなき人と申すは是なり。
[14]故七郎五郎殿は、当世の日本国の人々にはにさせ給はず。をさなき心なれども賢き父の跡をおひ、御年いまだはたちにも及ばぬ人が、南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひて仏にならせ給ひぬ。「無一不成仏」は是なり。ひ願くは、悲母我子ひもわがここいし思食おぼしめし給ひなば、南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひて、故南条殿・故五郎殿と一所に生まれんと願はせ給へ。一つたねは一つ種、の種は別の種。同じ妙法蓮華経の種を心にはらませ給ひなば、同じ妙法蓮華経の国へ生まれさせ給べし。三人おもてをならべさせ給はん時、御悦びいかがうれしくおぼしめすべきや。
[15]そもそもこの法華経を開いて拝見つかまつり候へば、〔「如来すなわち為に衣をもってこれをおおいたまう、また他方の現在の諸仏の護念ごねんするところとならん」〕等云云。経文の心は東西南北八方、並に千大千世界の外、四百万億那由佗なゆたの国土に十方の諸仏ぞくと充満せさせ給ふ。天には星のごとく、地には稲麻とうまのやうに並居なみいさせ給ひ、法華経の行者を守護せさせ給ふ事、たとえば大王の太子を諸の臣下しんかの守護するがごとし。
[16]ただ天王一類のまほり給はん事のかたじけなく候に、一切の四天王・一切の星宿せいしゆく・一切の日月・帝釈*たいしやく天等の守護せさせ給ふに足るべき事なり。その上、一切の二乗・一切の菩兜率内院*とそつないいん弥勒みろく羅陀からだ山の地蔵じぞう補陀落ふだらく山の観世音かんぜおん清涼せいりよう山の文珠師利もんじゆしり等、各々眷属けんぞく具足ぐそくして、法華経の行者を守護せさせ給ふに足るべき事に候に、またかたじけなくも、釈・多宝・十方の諸仏のてづからみづから来り給ひて、昼夜十二時に守られ給はん事のかたじけなさ申すばかりなし。
[17]かゝるめでたき御経を、故五郎殿は御信用ありて仏にならせ給ひて、今日は四十九日にならせ給へば、一切の諸仏、霊山浄土*りようぜんじようどに集まらせ給ひて、あるいは手にすへ、あるいはいただきをなで、あるいはいだき、あるいは悦び、月のはじめでたるがごとく、花の始てさけるがごとく、いかに愛しまいらせ給らん。
[18]そもそも、いかなれば三十方の諸仏はあながちに、この法華経をば守らせ給ふとかんがへて候へば、道理にて候けるぞ。法華経と申すは、三世十方の諸仏の父母なり。めのとなり。主にてましましけるぞや。かえると申す虫は母のこえを食とす。母の声を聞かざれば生長する事なし。ら(羅)ぐら(求羅)と申す虫は風を食とす。風吹かざれば生長せず。魚は水をたのみ、鳥は木をすみかとす。仏もまたかくのごとく、法華経を命とし、食とし、すみかとし給ふなり。魚は水にすむ、仏はこの経にすみ給ふ。鳥は木にすむ、仏はこの経にすみ給ふ。月は水にやどる、仏はこの経にやどり給ふ。この経なき国には、仏まします事なしと御心得あるべく候。
[19]古昔むかし輪陀りんだ王と申せし王をはしき。南閻浮提*なんえんぶだいの主なり。この王はなにをか供御くごとし給ひしと尋ぬれば、白馬のいなゝくを聞て食とし給ふ。この王は白馬のいなゝけば年も若くなり、いろさかんに、魂もいさぎよく、力もつよく、また政事まつりごとも明らかなり。ゆえに、その国には白馬を多くあつめ飼ひしなり。たとえ魏王ぎおうと申せし王の、鶴を多くあつめ、徳宗とくそう皇帝のほたるを愛せしがごとし。白馬のいなゝく事は、また白鳥の鳴きしゆえなり。されば、また白鳥を多く集めしなり。ある時いかにしけん。白鳥皆うせて、白馬いななかざりしかば、大王供御くごたえて、盛なる花の露にしほれしがごとく、満月の雲におほはれたるがごとし。この王すでにかくれさせ給はんとせしかば、きさき・太子・大臣・一国皆母に別れたる子のごとく、皆色をうしなひて涙をそでにおびたり。いかんせん、いかんせん。
[20]その国に外道*げどう多し、当時のぜん宗・念仏ねんぶつ者・真言しんごん師・律僧りつそう等のごとし。また仏の弟子も有り、当時の法華宗の人々のごとし。中悪なかあしき事水火すいかなり。*こえつとに似たり。大王勅宣ちよくせんを下していはく、一切の外道この馬をいなゝかせば、仏教を失ひて一こう外道げどうを信ぜん事、諸天の帝釈たいしやくを敬ふがごとくならん。仏弟子この馬をいなゝかせば、一切の外道のくびを切り、その所をうばひ取りて仏弟子につくべしと云云。外道も色をうしなひ、仏弟子も歎きあへり。
[21]しかれども、さてはつべき事ならねば、外道は先きに七日を行ひき。白鳥も来らず、白馬もいなゝかず。後七日を仏弟子に渡して祈らせしに、馬鳴*めみようと申す小僧一人あり。諸仏の御本尊ごほんぞんとし給ふ法華経をもつて七日祈りしかば、白鳥壇上だんじように飛び来る。この鳥一声鳴きしかば、一馬一声いなゝく。大王は馬の声を聞いて、病の床よりをき給ふ。きさきより始て、諸人馬鳴に向て礼拝をなす。白鳥一二三乃至十百出来して、国中に充満せり。白馬しきりにいなゝき、一馬二馬乃至百千の白馬いなゝきしかば、大王このこえを聞こし面貌かおかたちは三十ばかり、心は日のごとく明かに、まつりごと正直なりしかば、天より甘露かんろふり下り、勅風万民をなびかして無量百歳を治め給ひき。
[22]仏もまたかくのごとく、多宝仏と申す仏はこの経にあひ給はざれば御入滅、この経をよむ代には出現し給ふ。釈仏十方の諸仏もまたまたかくのごとし。かゝる不思議の徳まします経なれば、この経をたもつ人をば、いかでか天照太神*てんしようだいじん八幡大菩*はちまんだいぼさつ千眼せんげん大菩すてさせ給ふべきとたのもしき事なり。
[23]また、この経にあだをなす国をばいかに正直に祈り候へども、必ずその国に七難起りて他国に破られて亡国ぼうこくとなり候事、大海の中の大船の大風にふがごとく、大旱魃かんばつの草木を枯すがごとしとをぼしめせ。当時日本国のいかなるいのり候とも、日蓮が一門法華経の行者をあなづらせ給へば、さまざまの御いのりかなはずして、大蒙古もうこ国にせめられて、すでにほろびんとするがごとし。今も御覧ぜよ。ただかくては候まじきぞ。これ皆法華経をあだませ給ふゆへと御信用あるべし。
[24]そもそも、故五郎殿かくれ給てすでに四十九日なり。無常はつねのならいなれども、この事はうちきく人すら、なをしのびがたし。いわうや母となり、となる人をや。心のほとをしはかられて候。人の子にはをさなきもあり、をとなしきもあり、みにくきもあり、かたわなるもあり、をもひになるべきにや。をのこゝ(男子)たるうえ、かたわにもなし、ゆみやにもささひなし、心もなさけあり。故上野殿には盛なりし時をくれてなげき浅からざりしに、この子をはらみていまださん(産)なかりしかば、火にも入り、水にも入らんと思ひしに、この子すでに平安なりしかば、誰にあつらへて身をもなぐべきと思ふて、これに心をなぐさめて、この十四五年はすぎぬ。いかにいかにとすべき。二人のをのこごにこそにな(荷)われめと、たのもしく思ひ候つるに、今年九月五日、月を雲にかくされ、花を風にふかせて、ゆめ(夢)かゆめならざるか、あわれひさしきゆめかなと、なげきをり候へば、うつゝにてすでに四十九日はせすぎぬ。
[25]まことならばいかんがせん。さける花はちらずして、つぼめる花のかれたる。をいたる母はとどまりて、わかきこはさりぬ。なさけなかりける無常かな無常かな。
[26]かゝるなさけなき国をばいといすてさせ給ひて、故五郎殿の御信用ありし法華経につかせ給ひて、常住不壊*じようじゆうふえのりやう山浄土ぜんじようどへまいらせさせたまう。ちゝはりやうぜんにまします。母は娑婆しやばにとどまれり。二人の中間にをはします故五郎殿の心こそ、をもいやられてあわれにをぼへ候へ。事多しと申せども、とどめ候おわんぬ。恐々謹言きようきようきんげん
[27]<日>十二月二十四日
[28]<人>日 蓮 <花押>花押
[29]<先>上野殿母尼御前 御返事
現代語訳

上野殿母尼御前御返事


弘安三年(一二八〇)十月二四日、五九歳、上野殿母尼宛、和文、定一八一〇—一八一八頁。

一 法華経とはどんなお経か


[1]亡くなられた南条七郎五郎殿の四十九日忌の御菩提のためとして、お布施のお金二結いと、白米と芋を一駄ずつ、すり豆腐・こんにゃく・柿を一かご柚子ゆずを五十個など届けて頂き、たしかに受領した。
[2]供養のために法華経一部八巻と自我偈数回、題目を百千返唱え奉った。
[3]そもそも法華経というお経は、仏一代の聖教の中では、他に類例のない立派なお経であって、しかも「ただ仏と仏のみ」と説かれているように、仏と仏のみがよく理解できるのであって、仏以下の等覚ないし凡夫はとても簡単には理解できないものである。したがって竜樹菩の大智度論には、「仏以下の者はただ信の力によってのみ仏に成れる」と記されている。
[4]法華経の第四巻法師品には「薬王、今汝に教えるが、数多く説かれてきたお経の中で、この法華経が最も第一である」とあり、第五の巻安楽行品には、「文殊師利よ、この法華経は諸仏如来の秘密の宝蔵であって、諸経の中でも最も上に位置するお経である」とあり、さらに第七の巻の薬王品には、「この法華経もまたこのように諸経の中では最上に位置するものである」と説かれており、また「最も明らかに照らし、この上なく尊い」とも記されているのである。
[5]これらの経文はみな私が勝手に言っているのではなく、すべて仏のまことの教えであるので、少しのあやまりもない。一般の庶民に生まれた者が、「私は侍と同じである」などと言えば、必ず罪を受けることになる。ましてや「私は国王と同じである」と言ったり「国王より優れている」などと言えば、自分自身の罪だけではなく、父母を始め妻子にまで必ず危害を受けることになるのは、ちょうど大火が宅を焼き、大木が倒れる時に、そばにある小さな木などは一緒に折れてしまうようなものである。
[6]仏教もまたこのように華厳・阿含・方等・般若・大日経・阿弥陀経等に依り所を求めた人々が、自分の信じたままに経の勝劣もわきまえないで、「我が阿弥陀経等は法華経と同じである」と言い、あるいはまた「法華経よりも優れている」などといえば、その同じ類の人々は我が信ずる経をほめられて嬉しく思うけれども、かえってそれが罪となり、師も弟子も檀那も一連の者は悪道に落ち入ることは矢で的を射るように間違いないことである。逆に、法華経が一切の他の経よりも優れていると説き示すことは一向にさしつかえのないことである。むしろ大きな功徳となるのである。このことは経文に示される通りである。

二 無量義経について


[7]この法華経のすぐ前に無量義経というお経がある。例えば大王の行列に先立って、将軍が先に進み乱暴をしようとする者をしずめるようなものである。その無量義経の中に「仏は最初に法を説かれてからこのかた四十余年になるが、いまだ方便の教えのみであって、真実の教えは説かれていない」とある。これは将軍が大王に敵対する者を、大弓でもって射払い、また太刀をもって切り捨てるようなものである。
[8]華厳経を読む華厳宗の人々、阿含経による律の僧ら、観無量寿経かんむりようじゆきようを信仰する念仏宗の人ら、あるいは大日経を信ずる真言宗の人師らなどが、法華経にしたがって信仰しないのを攻めなびかすための名刀であり勅宣である。例えば阿部貞任を源義家が攻めほろぼし、平清盛を源頼朝が打ち破ったようなものである。無量義経の「四十余年」の文は、ちょうど不動明王の剣となわであり、愛染明王の弓とにあたる。
[9]亡くなられた南条五郎殿が、死出の山や三途の河を渡ろうとする時に、煩悩の山賊や罪業の海賊が出て来て妨害しようとするのをしずめて無事に霊山浄土へまいるように守るお供の兵士は、この無量義経の「四十余年いまだ真実をあらわさず」の文である。

三 正直に方便を捨てる


[10]法華経第一の巻の方便品には、「世尊の説く法は最後に至ってまさに真実の法を説きたもう」とあり、また「正直に方便の教えを捨て、ただ無上真実の教えを説く」とも言っている。さらに第五の巻の安楽行品には、「転輪聖王の髪の中にある宝の珠」と言い、「この宝の珠はただ転輪聖王の頭の上だけにある」とも言い、「彼の強力な王が、久しい間護持してきた宝珠を、今初めて与えよう」とも説かれている。
[11]この経文の意味は、日本の国に仏教が渡来して、全部で七千三百九十九巻もある。これらの経典はみな法華経に随順するものである。例えば日本国の男女の数が四十九億九万四千八百二十八人あるが、みな一人の国王の家来であるのと同様である。法華経以外のすべての経は、愚かな女人のただ一時的な気安めのようなものである。例えば大塔を造るにあたって、まず材木を立てるよりも、外側に足場といって多くの小さな木を集め、一丈二丈と組み上げていくことから始めるのである。こうして組み上げた足場を利用して、次に材木を立て組み合わせて大塔を造っていくのである。大塔が出来上がると足場は取りはずして片付けてしまうのである。ここで足場というのは一切経のことであり、大塔というのは法華経にあたる。
[12]仏が一切経をお説きになられたのは、法華経をお説きになるための足場であったのである。「正直に方便を捨て」といわれているように、法華経を信ずる人は、阿弥陀経等の南無阿弥陀仏や大日経等の真言宗、阿含経等の律宗でいう二百五十戒等を切り捨て、なげうってのちに法華経をたもっているのである。大塔を造るためには足場も大切であるが、大塔が出来上がってしまえば、足場は切り落としてしまうものである。正直に方便の教えを捨てるというのはこのことをいうのである。足場から塔はできていくのであるが、塔を捨てて足場を拝む人はいないのと同じである。
[13]今の世の信仰に篤いといわれるような人々は、もっぱら南無阿弥陀仏を唱えて一生をすごし、南無妙法蓮華経と一返も唱えたことのない人はちょうど大塔を捨てて足場を拝むような人々である。世間でよくいう「かしこいようで、おろかな人」というのはこうした人のことである。

四 妙法蓮華経の種子


[14]亡くなられた七郎五郎殿は、現代の日本人としては珍しい人である。幼少の時から賢い父のあとを継ぎ、まだ二十歳にもならないのに、南無妙法蓮華経を唱えて仏に成られた。「法華経を聞いた者は一人として成仏しない者はいない」と経文にあるとおりである。願わくば母として我が亡き子を恋しく思ったならば、南無妙法蓮華経と唱えて、先に亡くなられた夫の南条殿と亡き子供の五郎殿といっしょの所へ生まれかわるようにと願うようにしなさい。一つ種子は同じ一つの種子であり、別の種子は結局別のものである。同一の妙法蓮華経の種子を心の田に植えれば、同じ妙法蓮華経の芽が生まれ花が咲いて、同じ国へ生まれることができるのである。親子三人で顔を並べて見合う時に、その悦びはいかに深いものであろうか。

五 法華経は諸仏の主人


[15]さて、この法華経を開いて拝見してみると、法師品の中に、「如来はこの経を信ずる人々を衣で覆い、数多くの仏によって守護してもらえるであろう」とある。この経文の意味は、東西南北の四方八方、ならびに三千大千世界の外、四百万億那由佗の国土に、十方の諸仏がぞくぞくとみちれ、天の星のように、また地上の稲や麻のようにたくさん集まってこられて、法華経の行者を守護してくださる。例えば大王が太子を数多くの臣下に命じて守護をさせるようなものである。
[16]ただ四天王の一族のものが守ってくれるだけでも有難いことなのに、すべての四天王を始め、星宿や日月・帝釈・梵天等までが守護してくださるということは、まことに満足すべきことである。そのうえ、すべての二乗や菩、兜率の内院にいる弥勒菩羅陀山の地蔵、補陀落山の観世音、清涼山の文殊師利菩等がそれぞれ随順する者をつれて、法華経の行者を守護してくださるということは、満足すべきことであるのに、さらにもったいないことには、釈・多宝を始め十方の諸仏が自ら来て昼夜を問わず守ってくださるとのことで、なんとも言いようがないほど有難いことである。
[17]このような尊い法華経を故五郎殿は信仰されて仏に成られ、今日は四十九日忌を迎えられたので、すべての諸仏が霊山浄土に集まり、あるいは掌に乗せられ、あるいは頭をなで、あるいは抱いて喜び合い、ちょうど月が初めて昇ってきた時のように、また花が初めて咲き出したように、大変に愛し慈しまれておられることであろう。
[18]どうして三世十方の諸仏が、特にこの法華経を守るのであろうかと考えてみるのに、それは道理のあることである。そのわけは法華経は三世十方の諸仏の父母であり乳母であり、また主人である。蛙は母の声を食物とするので、母の声を聞かないと成長しない。羅求羅からぐらという虫は風を食物とするので、風が吹かないと成長しない。また魚は水を頼りにし鳥は木を住家すみかとする。仏もまたこのように法華経を命とし、食物とし住家となされる。ちょうど魚が水の中に住むように、鳥が木に住むように、仏は法華経に住みたもうのである。また月は水に宿るように、仏はこの経に宿られるのである。この法華経のない国には仏もおられないものと心得えるように。

六 白鳥と白馬


[19]その昔、輪陀王という王様がおられた。この宇宙の主人であった。この王に何を召し上がるのかと尋ねたところ、白馬のいななきを食物とすることがわかった。この王は白馬がいななくと、年も若くなり、顔色も良く盛んとなり、心もさわやかに力も強く、また国の政治も明るく正しく行なえた。そのために彼の国では白馬を多く集めて飼った。例えば魏王という人は鶴を多く集め、徳宗皇帝が蛍を愛したのと同様である。白馬がいななくことはまた白鳥が鳴いたためである。したがってまた白鳥を多く集めておいたのである。ところがある時に、どうしたことか白鳥が皆どこかへ逃げて行ってしまって、白馬が全然鳴かなくなってしまったので大王は召し上がるものが無くなってしまい、盛んな花が露にしおれてしまうように、満月が雲にかくれてしまうようになってしまった。こうして大王が亡くなられてしまいそうになったとき、お后や太子・大臣を始め国中の人々が、みな母に別れた子のように悲しみ、涙を流した。「どうしたらよいのか」と困りはててしまった。
[20]その国には仏教以外の宗教を信仰する者が多く、ちょうど日本の禅宗・念仏者・真言師・律僧等のような存在であった。また仏の弟子もあり、現代の法華宗の人々のようであった。仲の悪いことは水と火のようであり、胡の国の人と越の国の人のようで、少しも和合しなかった。大王は勅宣を発して次のようにいわれた。すなわち「だれか外道の中で一人でもこの馬をいななかせたならば、仏教を捨てもっぱら外道の教えを信じることにする。ちょうど諸天が帝釈を敬うようにするであろう。またもし仏弟子がこの馬をいななかせたならば、すべての外道の頸を切り、その住んでいる所を取り上げ、仏弟子に与えるであろう」というのであった。これを聞いた外道は顔色を失い、仏弟子も歎き合った。
[21]しかし放置しておくわけにもいかないので、まず外道から七日間にわたり祈を行なったが、ついに白鳥も来ず、したがって白馬もいななかなかった。そこで今度は仏弟子が祈をすることになり、馬鳴という一人の名の知られていない僧が行なうことになった。その馬鳴は諸仏が御本尊とする法華経を奉安して、七日間にわたり祈ったところ、白鳥が壇上に一羽やって来て、一声鳴いた。その声を聞いた白馬がやって来て一声いなないたのである。大王は馬のいななきを病床で聞いたが、たちまち起き上がった。お后を始め周囲の人々はみな馬鳴に向かって礼拝をしたのである。白鳥は次第に数を増し、国中に充満していった。白馬もまたしきりにいなないてその数をふやし、百千の馬がいなないたので、大王はこの声を聞き、充分に食べて顔色も良くなり三十歳も若返り、心は太陽のように明るく、政治も正しく行なわれて、天からは甘露の雨が注ぎ、大王の政治はよく国民をなびかせ、末永く大王の御代が栄えて平和な世の中となっていったのである。

七 仏国土たる霊山浄土へ


[22]仏もまたこれと同様である。多宝仏という仏は、法華経に会わない所では御入滅になられて現われず、法華経を読む所には出現なされる。釈仏も十方の諸仏もまた同じである。このように不思議な徳のあるお経なので、この経をたもつ人を、どうして天照大神や八幡大菩、ならびに富士の浅間大菩も捨て去ってしまうことができようか、そのようなことは決してできないと、大変にたのもしいことである。
[23]またこの経に敵対する国があったならば、どのように正直に祈願してみても、必ずその国に七つの難が生起し、他国からも攻められて国が滅び去ってしまうことは、ちょうど大海で大船が台風にあって沈没してしまうようであり、大日照りが続いて草木のすべてを枯らしてしまうようなものである。現在日本で行なわれているすべての祈願は、日蓮の一門である法華経の行者を無視し迫害を加えているので、いろいろとお祈りをしているが一向に叶えられず、むしろ逆に大蒙古国からは攻められて、すでに日本は滅亡しようとしているのである。現今の世相をよくご覧になられよ。まさしくその通りになっているではないか。これはすべて法華経に敵対しているからだということをお信じなさい。
[24]五郎殿が亡くなられてから早くも四十九日がたった。世の無常は常識であるが、亡くなられた事を聞くだけでも悲しみに堪えないものである。ましてや母の身にとり、また妻の身にとってはなおさらのことであり心痛のほどが推察できる。人の子には幼稚で可愛い子や、おとなしい子もあり、また反対にみにくい子、身体の不自由な子もあるが、可愛く思う情愛には変わりはない。五郎殿は男の子であるうえに身体も満足で、武芸にも通じ、心も情け深い人であった。夫である上野殿にはあなたがまだ若く盛りの頃に死別してしまったので、深い悲嘆に見舞われてしまったが、五郎殿を身ごもっておられたので、たとえ火の中、水の中に入ってでも夫の後を追って行こうとされたが、それもできずいた。しかしこの子も無事に生まれたので、誰かにあずけて身を投げ夫の後を追うつもりで心をなぐさめつつこの十四五年を過ごしてきた。それなのにどうしたらよいのであろうか。二人の男の子に担ってもらってと頼もしく思っていたのに、今年九月五日、月が雲にかくされてしまったように、花が風に吹き散らされてしまったように、愛しいわが子に先立たれてしまい、夢を見ているのかうつつなのか、あわれに永い悲しい夢であると思っていたのに、夢ではなくて現実であり四十九日忌も早や過ぎてしまった。
[25]これが現実だとしたらどうしようか。咲いた花は散らないで、蕾の花が開かぬままで枯れたように、老いたる母がこの世にとどまり、若い子が先に去って行ってしまった。まことに情けない無常の世の中である。
[26]このような情ない国土を捨て去って、わが子五郎殿が信仰していた法華経を信じ、永久に変化しない仏の国土である霊山浄土へお参りなさい。父は霊山浄土におられ、母は娑婆に残っておられる。この二人の中間におられる故五郎殿の心を思いやると、このうえなくあわれに覚えてならない次第である。まだ申し上げたい事もたくさんあるが、これにてとどめることにする。恐れながら謹んで申し上げる。
[27]<日>十月二十四日
[28]<人>日 蓮 <花押>花押
[29]<先>上野殿母尼御前 御返事