上野殿母尼御前御返事(中陰書)
388 上野殿母尼御前御返事
南條故七郎五郎殿の四十九日御菩提のために送給物の日記の事。鵞目両ゆひ・白米一駄・芋一駄・すりだうふ・こんにやく・柿一篭・ゆ(柚)五十等[云云]。御菩提の御ために法華経一部・自我偈数度・題目百千返唱へ奉り候畢。
抑法華経と申御経は一代聖教には似るべくもなき御経にて、而も唯仏与仏と説れて、仏と仏とのみこそしろしめされて、等覚已下乃至凡夫は叶はぬ事に候へ。されば龍樹菩薩の大論には、仏已下はただ信じて仏になるべしと見て候。法華経の第四法師品云薬王今告汝我所説諸経。而於此経中法華最第一等[云云]。第五巻云文殊師利此法華経諸仏如来秘密之蔵。於諸経中最在其上等[云云]。第七巻云此法華経亦復如是。於諸経中最為其上。又云最為照明。最為其尊等[云云]。此等の経文、私の義にあらず。仏の誠言にて候へば定てよもあやまりは候はじ。民が家に生たる者、我は侍に斉しなんど申せば必ずとが来る。まして我国王に斉し、まして勝たりなんど申せば、我身のとがとなるのみならず、父母と申し、妻子と云ひ、必ず損ずる事、大火の宅を焼き、大木の倒るゝ時小木等の損ずるが如し。仏教も又かくの如く、華厳・阿含・方等・般若・大日経・阿弥陀経等に依る人々の、我が信じたるまゝに勝劣も弁へずして、我が阿弥陀経等は法華経と斉等也、将又勝たりなんど申せば、其一類の人々は我が経をほめられ、うれしと思へども、還てとがとなりて師も弟子も檀那も悪道に堕ること箭を射るが如し。但し法華経の一切経に勝れりと申て候はくるしからず。還て大功徳となり候。経文の如くなるが故也。
此法華経の始に無量義経と申経おはします。譬ば大王の行幸の御時、将軍前陳して狼籍をしづむるが如し。其無量義経云四十余年未顕真実等[云云]。此は将軍が大王に敵する者を大弓を以て射はらひ、又太刀を以て切すつるが如し。華厳経を読む華厳宗・阿含経の律僧等・観経の念仏者等・大日経の真言師等の者共が法華経にしたがはぬをせめなびかす利剣之勅宣也。譬ば貞任を義家が責め、清盛を頼朝の打失しが如し。無量義経の四十余年の文は不動明王の劔索、愛染明王の弓箭也。故南條五郎殿の死出の山三途の河を越給時、煩悩の山賊・罪業の海賊を静めて、事故なく霊山浄土へ参らせ給べき御供の兵者は、無量義経の四十余年未顕真実の文ぞかし。
法華経第一巻方便品云世尊法久後要当説真実。又云正直捨方便但説無上道[云云]。第五巻云唯髻中明珠。又云独王頂上有此一珠。又云如彼強力之王久護明珠今乃与之等[云云]。文の心は日本国に一切経わたれり、七千三百九十九巻也。彼々の経々は皆法華経の眷属也。例せば日本国の男女の数四十九億九万四千八百二十八人候へども、皆一人の国王の家人たるが如し。一切経の心は愚癡の女人なんどの唯一時に心うべきやうは、たとへば大塔をくみ候には先材木より外に足代と申て多の小木を集め、一丈二丈計ゆひあげ候也。かくゆひあげて、材木を以て大塔をくみあげ候つれば、返て足代を切捨て大塔は候なり。足代と申は一切経也、大塔と申は法華経也。仏一切経を説給事は法華経を説せ給はんための足代也。正直捨方便と申て法華経を信ずる人は、阿弥陀経等の南無阿弥陀仏・大日経等の真言宗・阿含経等の律宗の二百五十戒等を切すて抛てのち法華経をば持候也。大塔をくまんがためには足代大切なれども、大塔をくみあげぬれば足代を切落す也。正直捨方便と申文の心是也。足代より塔は出来して候へども、塔を捨てゝ足代ををがむ人なし。今の世の道心者等、一向に南無阿弥陀仏と唱て一生をすごし、南無妙法蓮華経と一返も唱へぬ人々は大塔をすてゝ足代ををがむ人々也。世間にかしこくはかなき人と申は是也。
故七郎五郎殿は当世の日本国の人々にはにさせ給はず。をさなき心なれども賢き父の跡をおひ、御年いまだはたちにも及ばぬ人が、南無妙法蓮華経と唱させ給て仏にならせ給ぬ。無一不成仏は是也。乞願は悲母我子を恋く思食し給なば、南無妙法蓮華経と唱させ給て、故南條殿・故五郎殿と一所に生れんと願はせ給へ。一つ種は一つ種、別の種は別の種。同妙法蓮華経の種を心にはらませ給なば、同妙法蓮華経の国へ生れさせ給べし。三人面をならべさせ給はん時、御悦いかがうれしくおぼしめすべきや。
抑此法華経を開て拝見仕り候へば、如来則為以衣覆之又為他方現在諸仏之所護念等[云云]。経文の心は東西南北八方、並に三千大千世界の外、四百万億那由佗の国土に十方の諸仏ぞくぞくと充満せさせ給。天には星の如く、地には稲麻のやうに並居させ給ひ、法華経の行者を守護せさせ給ふ事、譬ば大王の太子を諸の臣下の守護するが如し。但四天王一類のまほり給はん事のかたじけなく候に、一切の四天王・一切の星宿・一切の日月・帝釈・梵天等の守護せさせ給に足るべき事也。其上一切の二乗・一切の菩薩・兜卒内院の弥勒菩薩・迦羅陀山の地蔵・補陀落山の観世音・清涼山の文殊師利菩薩等、各々眷属を具足して法華経の行者を守護せさせ給に足るべき事に候に、又かたじけなくも釈迦多宝十方の諸仏のてづからみづから来り給て、昼夜十二時に守らせ給はん事のかたじけなさ申計りなし。かゝるめでたき御経を故五郎殿は御信用ありて仏にならせ給て、今日は四十九日にならせ給へば、一切の諸仏霊山浄土に集せ給て、或は手にすへ、或は頂をなで、或はいだき、或は悦び、月の始て出たるが如く、花の始てさけるが如く、いかに愛しまいらせ給らん。
抑いかなれば三世十方の諸仏はあながちに此法華経をば守せ給ふと勘へて候へば、道理にて候けるぞ。法華経と申は三世十方の諸仏の父母也。めのとなり。主にてましましけるぞや。かえると申虫は母の音を食とす。母の声を聞かざれば生長する事なし。から(迦羅)ぐら(求羅)と申虫は風を食とす。風吹かざれば生長せず。魚は水をたのみ、鳥は木をすみかとす。仏も亦かくの如く、法華経を命とし、食とし、すみかとし給なり。魚は水にすむ、仏は此経にすみ給。鳥は木にすむ、仏は此経にすみ給。月は水にやどる、仏は此経にやどり給。此経なき国には仏まします事なしと御心得あるべく候。古昔輪陀王と申せし王をはしき。南閻浮提の主也。此王はなにをか供御とし給と尋れば、白馬のいなゝくを聞て食とし給。此王は白馬のいなゝけば年も若くなり、色も盛んに、魂もいさぎよく、力もつよく、又政治も明也。故に其国には白馬を多くあつめ飼し也。譬ば魏王と申せし王の鶴を多くあつめ、徳宗皇帝のほたるを愛せしが如し。白馬のいなゝく事は又白鳥の鳴し故也。されば又白鳥を多く集し也。或時如何しけん、白鳥皆うせて白馬いななかざりしかば、大王供御たえて、盛なる花の露にしほれしが如く、満月の雲におほはれたるが如し。此王既にかくれさせ給はんとせしかば、后・太子・大臣・一国皆母に別たる子の如く、皆色をうしなひて涙を袖におびたり。如何せん、如何せん。其国に外道多し、当時の禅宗・念仏者・真言師・律僧等の如し。又仏弟子有り、当時の法華宗の人々の如し。中悪き事水火也。胡と越とに似たり。
大王敕宣を下して云、一切の外道此馬をいなゝかせば仏教を失て一向に外道を信ぜん事、諸天の帝釈を敬が如くならん。仏弟子此馬をいなゝかせば一切の外道の頸を切り、其所をうばひ取て仏弟子につくべしと[云云]。外道も色をうしなひ、仏弟子も歎きあへり。而れどもさてはつべき事ならねば、外道は先に七日を行ひき。白鳥も来らず、白馬もいなゝかず。後七日を仏弟子に渡して祈らせしに、馬鳴と申小僧一人あり。諸仏の御本尊とし給法華経を以て七日祈しかば、白鳥壇上に飛来る。此鳥一声鳴しかば一馬一声いなゝく。大王は馬の声を聞て病の牀よりをき給。后より始て諸人馬鳴に向て礼拝をなす。白鳥一二三乃至十百千出来して国中に充満せり。白馬しきりにいなゝき、一馬二馬乃至百千の白馬いなゝきしかば、大王此音を聞食面貌は三十計り、心は日の如く明に、政正直なりしかば、天より甘露ふり下り、敕風万民をなびかして無量百歳代を治め給き。仏も又かくの如く、多宝仏と申仏は此経にあひ給はざれば御入滅、此経をよむ代には出現し給。釈迦仏十方の諸仏も亦復かくの如し。かゝる不思議の徳まします経なれば此経を持人をば、いかでか天照太神・八幡大菩薩・富士千眼大菩薩すてさせ給べきとたのもしき事也。
又此経にあだをなす国をばいかに正直に祈り候へども、必ず其国に七難起て他国に破られて亡国となり候事、大海の中の大船の大風に値が如く、大旱魃の草木を枯すが如しとをぼしめせ。当時日本国のいかなるいのり候とも、日蓮が一門法華経の行者をあなづらせ給へば、さまざまの御いのり叶はずして、大蒙古国にせめられてすでにほろびんとするが如し。今も御覧ぜよ。ただかくては候まじきぞ。是皆法華経をあだませ給故と御信用あるべし。
抑故五郎殿かくれ給て既に四十九日也。無常はつねの習なれども此事うち聞人すら猶忍びがたし。況や母となり妻となる人をや。心の中をしはかられて候。人の子には幼きもあり、長きもあり、みにくきもあり、かたわなるもある物をすら思になるべかりけるにや。をのこご(男子)たる上、よろづにたらひ(足)、なさけあり。故上野殿には壮なりし時をくれて歎き浅からざりしに、此子を懐妊せずば火にも入り水にも入んと思しに、此子すでに平安なりしかば誰にあつらへて身をもなぐべきと思、此に心をなぐさめて此十四五年はすぎぬ。いかにいかにとすべき。二人のをのこごにこそにな(荷)われめと、たのもしく思ひ候つるに、今年九月五日、月を雲にかくされ、花を風にふかせて、ゆめ(夢)かゆめならざるか、あわれひさしきゆめかなとなげきをり候へば、うつゝににてすでに四十九日はせすぎぬ。まことならばいかんがせんいかんがせん。さける花はちらずして、つぼめる花のかれたる。をいたる母はとどまりて、わかきこはさりぬ。なさけなかりける無常かな無常かな。かゝるなさけなき国をばいといすてさせ給て、故五郎殿の御信用ありし法華経につかせ給て、常住不壊のりやう山浄土へとくまいらせさせ給へ。ちゝはりやうぜんにまします。母は娑婆にとどまれり。二人の中間にをはします故五郎殿の心こそをもいやられてあわれにをぼへ候へ。事多と申せどもとどめ候了。恐々謹言。 十月二十四日 日蓮 [花押] 上野殿母尼御前 [御返事]