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檀越某御返事

全集 第4巻 2段 定本: #20283(定本の該当ページへ)

書下し

檀越某御返事だんのつぼうごへんじ


[1]御文おんふみうけたまはり候了そうらいおわんぬ。
[2]日蓮流罪るざいして先々さきざきにわざわいどもかさなりて候に、またなにと申す事か候べきとはをもへども、人のそん(損)ぜんとし候には不可思議ふかしぎの事の候へば、さが(兆)候はんずらむ。もしその義候わば、もちひて候はんには百千万億倍のさいわいなり。
[3]今度ぞ三度になり候。法華経もよも日蓮をばゆるき行者とわをぼせじ。
[4]宝・十方の諸仏地涌千界じゆせんがい御利生ごりしよう、今度みはて(見果)候はん。あわれさる事の候へかし。雪山童子*せつせんどうじの跡ををひ、軽菩の身になり候はん。いたづらにやくびやう(疫病)にやをかされ候はんずらむ。をいじに(老死)にや死に候はんずらむ。あらあさまし
[5]願くは法華経のゆへに国主にあだまれて今度生死しようじをはなれ候ばや。天照太神*てんしようだいじん正八幡しようはちまん日月にちがつ帝釈*たいしやく梵天等ぼんてんとうの仏前の御ちかい、今度心み候ばや。
[6]事々さてをき候ぬ。各々の御身の事はこれより申しはからうべし。さでをはするこそ、法華経を十二時じゆうにときぎようぜさせ給ふにては候らめ。あなかしこ
[7]御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ。〔「一切世間の治生産業ちしようさんごうは皆実相と相違背せず」〕とはこれなり。かへす御文の心こそをもいやられ候へ。恐恐謹言。
[8]<日>四月十一日
[9]<人>日 蓮 <花押>花押
現代語訳

檀越某御返事


弘安元年(一二七八)四月一一日、五七歳、四条金吾宛、和文、定一四九三—一四九四頁。

[1]御手紙まさに受取り拝見いたした。
[2]日蓮が流罪にあい、行く先々でいろいろな災いが重なって生起している。またこの上さらに何か事が起こるのであろうか、起こりはしないであろう。以前のときは人が迫害を加えようとすると、不思議なことが起こったので、今度も何かあるならその前兆があるはずであろう。もしそうであるとしたら、日蓮の言うことを逆に用いているならば百千万億倍の幸せを得ることになったのである。
[3]今度もしも流罪となれば、三度目ということになる。そうなれば法華経もまさか日蓮のことを怠けた行者だとは思わないことであろう。
[4]したがって釈・多宝・十方の諸菩や大地から湧き出た本化の大菩のご加護ご利益もあることであろうから、今度は必ずそれを見届けようと思う。だから願わくばそのことが実現するのを待っているのである。昔、雪山童子が教えを得るために命をなげ出した例に習い、また不軽菩が刀瓦石の難にあいつつも命がけで礼拝行を行なったのと同じ身の上になろう。ただ何もしないで、いたずらに病気にかかってしまって、一生を閉じるようなことになったり、また無駄に日をすごして老人になり、なすこともなく死んでしまうようなことになれば、まことに残念至極のことである。
[5]願わくば法華経のために国主が怒って迫害を加えてくれるならば、今度こそ生死の流転から離れることができるのではなかろうか。天照太神・正八幡・日月・帝釈・梵天等の守護の善神が、仏前において「法華経の行者を守護する」とお誓いを立てたのだが、今度こそ、その誓いが実行されるかどうかためしてみたいものである。
[6]さて、その他のことはおいておくとして、あなた方の御身のことについては、これから私が仏に申し上げてご守護していただくようにお願いしよう。今まで通りにおつとめすることこそが、法華経をいつも信行しているということになるのである。まことに尊いことである。
[7]主君につかえることが、法華経を実践していることだとお考えになってみることである。法華経の法師功徳品の経文を注釈した天台大師の摩訶止観まかしかんの中に、「あらゆる世間の生活と産業は、みな仏の真実の知見ちけんと相違するものではない」と書かれているのはこのことである。くれぐれも法華経の御文の心を大切にして、よく思い理解するようにしてほしいものである。恐れながら謹んで申し上げる。
[8]<日>四月十一日
[9]<人>日 蓮 <花押>花押