上野殿御返事
書下し
上野殿御返事
[1]白米一斗、いも一駄、こんにやく(蒟蒻)五枚、わざと送り給び候了んぬ。
[2]なによりも石河の兵衛入道殿のひめ御前のたび〳〵御ふみ(文)をつかはしたりしが、三月の十四五やげ(夜比)にて候しやらむ、御ふみありき。この世の中をみ候に、病なき人もこねん(今年)なんどをすぐべしともみえ候はぬうえ、もとより病ものにて候が、すでにきう(急)になりて候。さいご(最後)の御ふみ也とかかれて候しが、さればつゐにはかなくならせ給ひぬるか。
[3]臨終に南無阿弥陀仏と申しあはせて候人は、仏の金言なれば一定の往生とこそ人も我も存じ候へ。しかれどもいかなる事にてや候けん。仏のくひ(悔)かへさせ給ひて、「未顕真実正直捨方便」ととかせ給ひて候があさましく候ぞ。これを日蓮が申し候へば、そら事うわのそらなりと、日本国にはいかられ候。
[4]これのみならず、仏の小乗経には十方に仏なし、一切衆生に仏性なしととかれて候へども、大乗経には十方に仏まします、一切衆生に仏性ありととかれて候へば、たれか小乗経を用ひ候べき。皆大乗経をこそ信じ候へ。
[5]これのみならず、ふしぎ(不思議)のちがひめ(違目)ども候ぞかし。法華経は釈迦仏已今当の経経を皆くひかへしうちやぶりて、この経のみ真実也ととかせ給ひて候しかば、御弟子等用ゆる事なし。その時多宝仏証明をくわへ、十方の諸仏舌を梵天につけ給ひき。さて多宝仏はとびら(扉)をたて、十方の諸仏は本土にかへらせ給ひて後は、いかなる経々ありて法華経を釈迦仏やぶらせ給ふとも、他人わゑ(和会)になりてやぶりがたし。しかれば法華経已後の経経、普賢経・涅槃経等には法華経をばほむる事はあれどもそしる事なし。
[6]しかるを真言宗の善無畏等、禅宗の祖師等これをやぶり、日本国皆この事を信じぬ。例せば将門・貞任なんどにかたらはれし人々のごとし。日本国すでに釈迦多宝十方の仏の大怨敵となりて数年になり候へば、やうやくやぶれゆくほどに、又、かう申す者を御あだみあり、わざはひ(禍)にわざはひのならべるゆへに、この国土すでに天のせめ(責)をかほり候はんずるぞ。
[7]この人の先世の宿業かいかなる事ぞ、臨終に南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひける事は。一眼のかめ(亀)の浮木の穴に入り、天より下いと(糸)の大地のはり(針)の穴に入るがごとし。あらふしぎ〳〵又念仏は無間地獄に堕つると申す事をば、経文に分明なるをばしらずして皆人日蓮が口より出でたりとおもへり。天はまつげ(睫毛)のごとしと申すはこれなり。虚空の遠きと、まつげの近きと人みなみる事なり。
[8]この尼御前は日蓮が法門だにひが事に候はば、よも臨終には正念には住し候はじ。又日蓮が弟子等の中になか〳〵法門しりたりげに候人々はあしく候げに候。南無妙法蓮華経と申すは法華経の中の肝心、人の中の神のごとし。これにものをならぶれば、きさき(后)のならべて二王をおとことし、乃至きさきの大臣已下になひ〳〵(内々)とつ(嫁)ぐがごとし。わざはひのみなもとなり。正法・像法にはこの法門をひろめず、余経を失はじがため也。
[9]今、末法に入りぬれば余経も法華経もせん(詮)なし。但南無妙法蓮華経なるべし。かう申し出だして候もわたくし(私)の計らひにはあらず。釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計らひ也。
[10]この南無妙法蓮華経に余事をまじ(交)へば、ゆゆしきひが(僻)事也。日出でぬればとぼしび(灯)せん(詮)なし。雨のふるに露なにのせんかあるべき。嬰児に乳より外のものをやしなうべきか。良薬に又薬を加へぬる事なし。
[11]この女人はなにとなけれども、自然に此義にあたりてしををせるなり。たうとし〳〵。恐恐謹言。
[12]<日>四月一日日>
[13]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[14]<先>上野殿御返事先>
現代語訳
上野殿御返事
弘安元年(一二七八)四月一日、五七歳、南条時光宛、和文、定一四九〇—一四九二頁。
一 真実の経典
[1]白米一斗・芋一駄・こんにゃく五枚、わざわざお送りいただき、ありがたく受領いたした。
[2]何よりもまず心にかかることは、石河の兵衛入道の姫御前に関することである。姫からはたびたびお手紙が来ていた。たしか三月の十四五日頃の夜であったと思うが、お手紙があった。それによると、「今日の世の中をみるのに、病気のない人であっても、今年はいつもの年とちがって、無事にはすごせないようにみえるのに、ましてやもともと病身であったので、すでに病も重くなりましたから、これが最後のお便りになると思います」と書かれてあったが、それではついに亡くなられたのであろうか。
[3]臨終のときに南無阿弥陀仏と唱える人は、仏の説かれたことなので、必ず極楽へ往生できるものと人々みんなが知っていることである。しかしながら、どのようなわけか、仏はこれを改めて無量義経の中で、「いまだ真実の法門をあらわしていない」と説き、法華経の方便品では、「これより方便を捨て正直に真実の法門を説く」と説かれたことは、まことに驚きいったことである。このことを日蓮がいうと、だれも信じないで嘘だと思い込み、うわの空で聞き、そして日本国中の人々が腹を立てているのである。
[4]それのみならず、仏の説かれた小乗経には、「十方に仏は存在せず、すべての衆生には仏性なし」と説かれているが、大乗経にはその反対に、「十方に仏がおられ、すべての衆生に仏性がある」と説かれているので、だれも小乗経を信用しなくなり、皆こぞって大乗経を信用するようになった。
[5]このことのみならず、不思議な違い目がまだある。それは法華経は釈迦仏が今までに説いてきたすべての経と、今説きつつある無量義経、さらにあとで説く涅槃経等のすべてを皆打ち破り否定してしまい、法華経のみが真実の教えであるといわれたので、お弟子たちは驚いて信用しなかった。その時に多宝仏は、見宝塔品の中で「皆これ真実なり」と証明され、十方の諸仏は舌を梵天につけて嘘でないことを証明された。この証明を終えた多宝仏は、多宝塔の扉を閉めて、十方から来た諸仏も各自本国へ帰られた後は、たとえどのような経が出て法華経を釈迦仏が破り否定しようとしても、人々はすでに法華経の真実たることを知っているので、とても破ることはできない。したがって法華経以後の経典、すなわち普賢経や涅槃経等には、法華経をほめることはあっても、そしることはありえないのである。
二 日が出れば灯火は不要となる
[6]しかるに真言宗の善無畏等、禅宗の祖師等は、これを破ってしまったので、日本中の人々が皆このことを信じるようになってしまった。例えば将門・貞任といった謀叛人にだまされた人々のようなものである。日本中の人々がすでに釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵となってしまって、何年もたったので、次第に国があやうくなっていくのであり、またこのように本当のことを言う者に、逆に危害を加えようとするので、災いに災いを重ねていくことになるのである。この国土はすでに諸天の責めを受けなくてはならなくなった。
[7]このような世相の中で、この姫御前は前世にどのような宿業を持っておられたのであろうか。臨終の時に南無妙法蓮華経と唱えられたということは。例えば一眼の亀が大海でちょうど運よく穴のあいた浮木を見つけて、その穴に入ろうとするようなものであり、また天上界から糸を一本垂れ下して、大地の上に立った針の穴にその糸を通すようなもので、まったく不思議なことである。また念仏は無間地獄に堕ちるということは、経文にはっきりしているのだが、このことを知らないで、皆人々は日蓮が勝手に自分の口から出た言葉だと思っている。「天は睫毛のようである」といわれているように、天のようにあまり遠いものと睫毛のように近すぎるものとは、ともに見えないものである。
[8]この尼御前(姫御前)は、日蓮の説く法門がもしも間違っていたならば、臨終にあたり正念を得ることはできなかったであろう。また日蓮の弟子らの中には、くわしく法門を知ったようなふりをする者もいるが、これは悪いことである。南無妙法蓮華経のお題目は、法華経の中の肝心であり、人に例えれば魂のようなものである。これにもしも他のものを並べるようなことがあれば、例えると皇后が二人の王を夫とするようなものである。さらに皇后が大臣以下の者と内々に通じ嫁ぐようなものであり、わざわいの根源となる。正法・像法の二時代には、この法華経の法門は弘まっていなかった。それは諸経を失わないようにするためであった。
[9]今、末法の時代に入ってきたので、余経も法華経もない。ただ南無妙法蓮華経だけが大事である。このように言うのも、私事の勝手なはからいで述べているのではない。釈迦・多宝・十方の諸仏・本化上行等の地涌千界の諸菩薩がたの御計らいによるものである。
[10]この南無妙法蓮華経にその他の教法を交えることは、大変な間違いである。例えば太陽が昇れば、灯火は不要となる。雨が降ってくれば露はなんの役にもたたない。赤子に乳よりほかのものは用がないのと同様であり、効き目の高い良薬に、さらに普通の薬を加える必要がないのと同じである。
[11]この姫は特に取り立てて、法門の深い義理を理解したということではないが、自然に右のようなわけを体得されたのであるから、仏に成ることは間違いのないことであり、まことに尊いことである。恐れながら謹んで申し上げる。
[12]<日>四月一日日>
[13]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[14]<先>上野殿御返事先>