崇峻天皇御書
書下し
崇峻天皇御書
[1]白小袖一領・銭一ゆひ。また富木殿の御文のみ、なによりも、かき(柿)・なし(梨)・なまひじき・ひ(干)るひじき、やうやうの物うけ取り、しなじな御使にたび候ぬ。
[2]さてはなによりも、上の御いたはり(所労)なげき入つて候。たとひ上は御信用なき様に候へども、との(殿)その内にをはして、その御恩のかげ(蔭)にて法華経をやしなひまいらせ給ひ候へば、偏に上の御祈とぞなり候らん。大木の下の小木、大河の辺の草は正しくその雨にあたらず、その水をえずといへども、露をつたへ、いき(気)をえて、さかう(栄)る事に候。これもかくのごとし。
[3]阿闍世王は仏の御かたきなれども、その内にありし耆婆大臣、仏に志ありて常に供養ありしかば、その功大王に帰すとこそ見へて候へ。仏法の中に、内薫外護と申す大なる大事ありて宗論にて候。法華経には、〔「我深く汝等を敬う」〕。涅槃経には、〔「一切衆生悉く仏性有有り」〕。馬鳴菩薩の起信論には、〔「真如の法常に薫習するを以てのゆえに、妄心即滅して法身顕現す」〕。弥勒菩薩の瑜伽論には見へたり。かくれ(隠)たる事のあらはれ(顕)たる徳となり候なり。
[4]されば御内の人人には天魔ついて、前よりこの事を知りて、殿のこの法門を供養するをさゝ(障)えんがために、今度の大妄語をば造り出だしたりしを、御信心深ければ十羅刹たすけ奉らんがために、この病はをこれるか。上は我かたきとはをぼさねども、一たんかれらが申す事を用ひ給ひぬるによりて、御しよらう(所労)の大事になりてながしら(長引)せ給ふか。彼等が柱とたのむ竜象すでにたうれぬ。和讒せし人もまたその病にをかされぬ。良観はまた一重の大科の者なれば、大事に値ふて大事をひきをこして、いかにもなり候はんずらん。よもただは候はじ。
[5]これにつけても、殿の御身もあぶな(危)く思ひまいらせ候ぞ。一定かたきにねらはれさせ給ひなん。すぐろく(双六)の石は二並びぬればかけられず。車の輪は二つあれば道にかたぶかず。敵も二人ある者をばいぶせ(悒)がり候ぞ。いかにとが(科)ありとも、弟ども且らく身をはなち給ふな。殿は一定腹あしき相かを(面)に顕れたり。いかに大事と思へども、腹あしき者をば天は守らせ給はぬと知らせ給へ。殿の人にあやまたれてをはさば、たとひ仏にはなり給ふとも彼等が悦びといひ、これよりの嘆きと申し、口惜しかるべし。
[6]彼等がいかにもせんとはげみつるに、古よりも上に引き付られまいらせてをはすれば、外のすがた(姿)はしづま(静)りたる様にあれども、内の胸はもふ(燃)るばかりにやあらん。常には彼等に見へぬ様にて、古よりも家のこ(子)を敬ひ、きうだち(公達)まいらせ給ひてをはさんには、上の召しありともしばらくつゝしむべし。入道殿いかにもならせ給はば、彼の人々はまどひ者になるべきをばかへりみず。物をぼへぬ心に、との(殿)のいよ〳〵来るを見ては、一定ほのを(炎)を胸にたき、いき(気)をさかさま(逆)につく(吐)らん。
[7]もしきうだち・きり(権)者の女房たちいかに上の御そらう(所労)はと問ひ申されば、いかなる人にても候へ、膝をかがめて手を合せ、某が力の及ぶべき御所労には候はず候を、いかに辞退申せども、ただと仰せ候へば、御内の者にて候間かくて候とて、びむ(鬢)をもかゝず、ひたたれ(直垂)こは(強)からず、さはやかなる小袖・色ある物なんどもき(著)ずして、しばらくねう(忍)じて御覧あれ。返す返す御心へ(得)の上なれども、末代のありさまを仏の説かせ給ひて候には、濁世には聖人も居しがたし。大火の中の石のごとし。しばらくはこらふるやうなれども、終にはやけくだ(焼摧)けて灰となる。賢人も五常は口に説きて、身には振舞ひがたしと見へて候ぞ。かう(甲)の座をば去れと申すぞかし。
[8]そこばく(若干)の人の殿を造り落さんとしつるに、をとされずして、はやかち(勝)ぬる身が穏便ならずして造り落されなば、世間に申すこぎこひ(漕漕)での船こぼ(溢)れ、また食の後に湯の無きがごとし。
[9]上よりへや(部屋)を給ひて居してをはせば、其処にては何事無くとも、日ぐれ暁なんど、入り返りなんどに、定めてねらうらん。また我家の妻戸の脇・持仏堂・家の内の板敷の下か天井なんどをば、あながちに心えて振舞ひ給へ。今度はさきよりも彼等はたばかり賢かるらん。いかに申すとも鎌倉のえがら(荏柄)夜回りの殿原にはすぎじ。いかに心にあはぬ事有りとも、かたらひ給へ。義経はいかにも平家をばせめおとしがたかりしかども、成良をかたらひて平家をほろぼし、大将殿はおさだ(長田)を親のかたきとをぼせしかども、平家を落さざりしには頸を切り給はず。
[10]いはんやこの四人は遠くは法華経のゆへ、近くは日蓮がゆへに、命を懸けたるやしき(屋敷)を上へ召されたり。日蓮と法華経とを信ずる人人をば、前々彼の人人いかなる事ありとも、かへりみ給ふべし。その上、殿の家へこの人人常にかよう(通)ならば、かたき(敵)はよる行きあはじとをぢるべし。させる親のかたきならねば、顕れてとはよも思はじ。かくれん者は、これ程の兵士はなきなり。常にむつ(睦)ばせ給へ。殿は腹悪き人にて、よも用ひさせ給はじ。もしさるならば、日蓮が祈りの力及びがたし。
[11]竜象と殿の兄とは殿の御ためにあし(悪)かりつる人ぞかし。天の御計ひに殿の御心の如くなるぞかし。いかに天の御心に背かんとはをぼするぞ。たとひ千万の財をみちたりとも、上にすてられまいらせ給ひては、何の詮かあるべき。已に上にはをや(親)の様に思はれまいらせ、水の器に随ふがごとく、こうし(犢)の母を思ひ老者の杖をたのむがごとく、主のとの(殿)を思食されたるは、法華経の御たすけにあらずや。あらうらや(羨)ましやとこそ、御内の人人は思はるゝらめ。とく〳〵この四人かたら(語)ひて日蓮にき(聞)かせ給へ。さるならば強盛に天に申すべし。
[12]また殿の故御父御母の御事も、左衛門ノ尉があまりに歎き候ぞと、天にも申し入つて候なり。定んて釈迦仏の御前に子細候らん。返す返す今に忘れぬ事は、頸切れんとせし時、殿はとも(供)して馬の口に付きて、なきかなし(泣悲)み給ひしをば、いかなる世にか忘れなん。たとひ殿の罪ふかくして地獄に入り給はば、日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしら(誘)へさせ給ふにも、用ひまいらせ候べからず。同じく地獄なるべし。日蓮と殿と共に地獄に入るならば、釈迦仏・法華経も地獄にこそをはしまさずらめ。暗に月の入るがごとく、湯に水を入るゝがごとく、氷に火をたくがごとく、日輪にやみ(暗)をなぐ(投)るがごとくこそ候はんずれ。
[13]もしすこしもこの事をたがへさせ給ふならば、日蓮うらみさせ給ふな。この世間の疫病はとののまう(申)がごとく、年帰りなば上へあがりぬとをぼえ候ぞ。十羅刹の御計ひか、今しばらく世にをはして物を御覧あれかし。
[14]また世間のすぎえぬやうばし歎ひて、人に聞かせ給ふな。もしさるならば、賢人にははづ(外)れたる事なり。もしさるならば、妻子があと(後)にとどまりて、はぢ(恥)をいふとは思はねども、男のわか(別)れのおし(惜)さに、他人に向ひて我夫のはぢをみなかた(語)るなり。これ偏にかれが失にはあらず。我ふるまひのあし(悪)かりつるゆえなり。
[15]人身は受けがたし、爪の上の土。人身は持ちがたし、草の上の露。百二十まで持て名をくたし(腐)て死せんよりは、生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ。中務三郎左衛門の尉は主の御ためにも、仏法の御ためにも、世間の心ね(根)もよ(吉)かりけりよかりけりと、鎌倉の人々の口にうたはれ給へ。あなかしこ。あなかしこ。
[16]蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。この御文を御覧あらんよりは、心の財をつませ給ふべし。
[17]第一秘蔵の物語あり。書きてまいらせん。日本始つて国王二人、人に殺され給ふ。その一人は崇峻天皇なり。この王は欽明天皇の御太子、聖徳太子の伯父なり。人王第三十三代の皇にてをはせしが、聖徳太子を召して勅宣下さる。「なんじは聖者の者と聞く。朕を相してまいらせよ」と云云。太子三度まで辞退申させ給ひしかども、しきりの勅宣なれば止みがたくして、敬ひ相しまいらせ給ふ。「君は人に殺され給ふべき相まします」と。王の御気色かはらせ給ひて、「なにといふ証拠をもつてこの事を信ずべき」。太子申させ給はく、「御眼に赤き筋とをりて候。人にあだまるゝ相なり」。皇帝勅宣を重ねて下だし、「いかにしてかこの難を脱れん」。太子のいはく、「免脱がたし。ただし五常と申すつはもの(兵)あり。これを身に離し給はずば、害を脱れ給はん。このつはものをば内典には忍波羅蜜と申して、六波羅蜜のその一なり」と云云。
[18]しばらくはこれを持ち給ひてをはせしが、やゝもすれば腹あしき王にて是を破らせ給ひき。有時、人猪の子をまいらせたりしかば、かうがい(笄刀)をぬきて猪の子の眼をづぶづぶとさゝせ給ひて、「いつか(何日)にくし(憎)と思ふやつ(奴)をかくせん」と仰せありしかば、太子その座にをはせしが、「あらあさましや、あさましや、君は一定人にあだまれ給ひなん。この御言は身を害する剣なり」とて、太子多くの財を取り寄せて、御前にこの言を聞きし者に御ひきで物ありしかども、ある人蘇我の大臣馬子と申せし人に語りしかば、馬子我事なりとて、東の漢の直駒・直磐井と申す者の子をかたらひて王を害しまいらせつ。されば王位の身なれども、思ふ事をばたやすく申さぬぞ。
[19]孔子と申せし賢人は九思一言とて、こゝのたび(九度)おもひて一度申す。周公旦と申せし人は、沐する時は三度握り、食する時は三度はき給ひき。たしかにきこしめせ。我ばし恨みさせ給ふな。仏法と申すは是にて候ぞ。一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ。あなかしこ、あなかしこ。賢きを人といひ、はかなきを畜といふ。
[20]建治三年丁丑<日>九月十一日日>
[21]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[22]<先>四条左衛門尉殿 御返事先>
現代語訳
崇峻天皇御書
建治三年(一二七七)九月一一日、五六歳、四条左衛門尉宛、和文、定一三九〇—一三九七頁。
一 内薫外護
[1]白小袖一枚、銭一結、それに富木殿からのお手紙のみと、何よりの柿・梨・生ひじき・干ひじきなどさまざまな品々をお使いにたくしてお届けいただき、たしかに受領いたした。
[2]さて、何よりもご主君のご病気のこと、まことに心配なことである。たとえご主君はあなたを信じていないようだけれども、あなたがその身内の者としてご恩を受けながら蔭で法華経を信じて供養しておられるので、ひとえにご主君の病気平癒の御祈願となることであろう。たとえば大木の下に生えている小さな木や、大河のほとりに生えている草は、直接雨にあたらず、また河の水を得ることはないが、自然に大木の露が伝わり、大河の水気を得て茂り育っていくようなものである。あなたと御主君との間もこれと同様である。
[3]インドの阿闍世王は、提婆達多にだまされて仏の敵となったが、その部下であった耆婆大臣は、仏に信仰を持ちいつも供養を行なっていたので、その功徳が大王に帰することとなった。仏法の中に内薫外護ということがあり、大事な法とされている。すなわち内面にたくわえた徳は、自然と外面に現われてくるということである。法華経では不軽菩薩が道行く人々に向かって、「我は深くあなたがたを敬う」といって礼拝し、涅槃経の獅子吼菩薩品では「すべての衆生には皆仏性がある」と説かれいてる。インドの馬鳴菩薩が著した起信論には、「悟りの智慧が内面にあってはたらくので、迷いの妄心が滅して悟りの身が現われてくるのである」とあり、また弥勒菩薩の瑜伽論の中にも同様のことが説かれている。これらの文は皆、隠れた内の徳が自然と外に表われてくることをいうのである。
二 行動を常につつしむこと
[4]そうしたことから考えてみるのに、あなたの同僚の人々には天魔がついて、法華経を供養するあなたのことを以前より知って、これをやめさせようとし、このたびのうそごとを主君に告げ口したのであろうが、あなたのご信心が深いものであったので、守護神たる十羅刹女が、あなたを救い守るために、主君の病気をおこしたものであろう。主君も敵とは思っていないかもしれないが、いったんはかれらのうそ言を聞き入れて取りあげたので、ご病気になられ重く長引く結果となったのではなかろうか。だが、かれらが柱とたのむ竜象房はすでに倒れ、讒言した者自身らもまた病気におかされてしまった。良観は特に一段と重い大罪のある者なので、大事な問題を引き起こし、大変な目にあうことであろう。決してただでは済まないことになる。
[5]それにつけてもあなたの御身の上も危険なことがあってはと心配させられる。きっと敵にねらわれることでありましょう。たとえば双六の遊びでは、石は二つ並んでいると相手に石を取られることはないし、また車の輪も二つそろっていれば道でも傾くこともないように、敵も二人そろっている者に対してはうかつに攻めてきにくくなるものである。それゆえにどのようなあやまちがあったとしても弟たちを少しの間も離してはならない。身近においておきなさい。あなたは必ず腹を立てるとそのよくない相が顔にあらわれてくる。いかなる大事なときでも、腹の悪い短気な者には諸天は守護をしないものと、よく知っておいたほうがよろしい。あなたが人から危害を加えられたとしたら、たとえ仏に成ることができたとしても、かれらがよろこび、われらの歎きとなるのであるから、くやしいことではないか。
[6]かれらが何とかして、あなたを落とし入れようとしているのに、以前よりもまして主君に引き立てられているので、外見的には静かなようにも見えるけれども、胸の中は怒りで燃えるようであろう。したがって平常はかれらに対してあまり目立たぬようにし、以前よりも家の子郎党を大事にし、公達(身分の高い人たち)が主君の所へ尋ねて来た時は、主君のお呼び出しがあっても、しばらくはつつしんで、すぐにはお会いしないほうがよろしい。もしも江馬入道殿がどのようなことにでもなられた(死去した)としたら、彼の讒言をした人々は当惑してしまうであろうのに、その点をもかえりみず、あなたがいよいよ出仕されるのを見ては、深く考えもせずに、必ず胸の中に嫉の炎を燃やして敵愾心をつのらせるであろう。
[7]もし身分の高い人たちや重役の女房たちから、「ご主君の病状は」と問われたら、相手がどんな人であっても、膝をかがめて手を合わせ、「私の力では及ばぬご病気でありますので、かたくご辞退申し上げましたが、たっての仰せでありましたので、奉公いたしている身ですのでこのようにご治療いたしております」と言って、髪をつくろわず衣服もそまつなものを着て、さっぱりとした小袖や色付きの着物なども使用せずに、しばらくの間は辛抱していたほうがよい。よくよくご承知のうえだと思うが、末の世のようすを仏は、「末法の濁世には、聖人も居住することがむずかしい。大火の中の石のように、しばらくはこらえることができるが、ついには焼けくだかれて灰となってしまうようなものだ。賢人も仁・義・礼・智・信といった五常を口では説くが、実際にわが身に当てはめて実行することはむずかしい」と説かれている。また「高い地位についたら、早くその座を去れ」とも一般にいわれている。
[8]何人かの者があなたをつくりごとで落とし入れようとしたが、その手にはのらずに、はや勝者の身の上となったものの、つまらぬことで落とし入れられたとしたら、世間でもいうように船をこいで、あと少しで目的地に着く寸前でひっくり返り、溺れてしまうようなものである。またよい食事をしたあとで湯茶が用意されていないのと同様である。
[9]ご主君より部屋を与えられているので、そこには何事もなく心配ないと思うが、敵は日暮や早暁などの出入りの時を選んで必ずねらってくるであろう。また我が家の出入口の脇や、位牌堂・縁の下・天井などは充分に注意しておいたほうがよい。今度は前の時よりもかれらは一段と考えて、方法を構じてくるであろう。なんといっても、鎌倉の荏柄夜廻りの弟たちがたよりになる。したがってどのような心に合わないことがあっても、親しくおつき合いしたほうがよろしい。かの源義経はどのようにしても平家を攻め落すことができなかったが、阿波民部成良(重義)という武将を味方につけることによって、平家を滅亡させることができた。また源頼朝は長田忠宗を親の仇と知っていたが、平家を滅ぼすまでは頸を切ることをしなかった。
[10]ましてやあなたがた兄弟四人は、間接的には法華経を信じているためと直接的には日蓮を信じているために、命がけで手にした屋敷を主君に召し上げられてしまったのであるから、日蓮と法華経を信ずる人々を、前にかの人々にどのような事があったとしても、面倒をみてあげるべきである。そのうえ、あなたの家へこれらの人々がいつも通って来れば、敵は恐れて夜も近づいてこないであろう。もともと親の仇というわけではないので、昼間公然と攻めるようなこともないと思える。隠れてねらってくる者に対しては、兄弟ほど強力な味方はないものである。いつも仲良くすることである。あなたはすぐ腹を立てる人なので、なかなか言う通りにしないかもしれないが、もしもその通りならば、日蓮がいくら祈っても力が及ばないことになる。
三 心の財第一なり
[11]竜象房とあなたの兄とは、あなたのためにはよくない人であった。だが諸天の御計らいによって、あなたのお心の通りになった。それなのにどうして諸天の御心に背くようなことをなさるのか。たとえ千万の財産にみち足りたとしても、主君に捨てられるようなことになれば、なんの甲斐もないではないか。すでに主君からは親のように思われており、水が器に随うように、子牛が母を慕い、老人が杖を頼りにするように、主君があなたのことを思っているのは、法華経のご加護によるものである。一門の人々はきっとうらやましく思うことであろう。早くこの兄弟四人と相談して日蓮の言う通りに仲良くし、その旨を返事してほしい。そうすれば日蓮もまた強く盛んに諸天善神に対し、ご守護を祈念することとなる。
[12]またあなたの亡くなられたご両親のことも、「四条金吾左衛門の尉がとても歎いています」と諸天に申し入れましょう。きっと釈迦仏の御前でねんごろなお取り扱いを受けていることであろう。かえすがえすも今もって忘れることのできないのは、日蓮が竜の口で頸を切られそうになったとき、あなたは日蓮のお供をして馬の口に付き、泣き悲しんだが、このことはどのような世になろうとも、忘れることはできない。たとえあなたが、罪深い身として地獄に入るようなことになったなら、日蓮をなんとか仏になるようにと釈迦仏が導かれても、それに従うわけにはいかないで、あなたと同じ地獄へ行きましょう。日蓮とあなたとがともに地獄に入るとしたら、釈迦仏・法華経もともに地獄におられることであろう。たとえば暗夜に月が出たり、湯の中に水が入っていたり、氷の中で火をたいてみたり、また太陽に暗闇を放げつけるようなものであって、このようなことは全くありえないことである。
[13]これまで述べてきたことについて、少しでも違背するようなことがあってはならない。もしも違背したら、あとから日蓮をうらむようなことはしないように。現在、世間に流行している疫病は、あなたのいうように、年が新しくなると上の方へも広がって行くと考えられる。これも十羅刹女の御計らいかもしれない。もう少し世間のようすをご覧になりますように。
[14]また世間のことがつらい事であるといって、歎きを他人に聞かせるようなことはしないように。もし世間がつらいからといって、世間を捨て去り入道になるならば、賢人の道にはずれた生き方となる。もしも世を去ったなら、妻子があとに残って、夫の恥を言うつもりはなくとも、夫と別れた悲しさから、他人に向かって自分の夫の恥を自然に話すようなことになってしまうものである。これはひとえに妻子が悪いのではなく、自分の行ないが悪いからである。
[15]人としてこの世に生まれてくることは、まことに簡単にはいかないこととである。それは涅槃経に説かれているように、大地の土は多いが足の指の爪の上の土のようにきわめて稀なことである。また人間として生きていくことは、はかないことである。草の上の露のようにたもちがたい。だが百二十歳までも長生きをして、名をくさらせて死ぬよりは、生きて一日であっても名を高めていくことのほうが大切である。「中務三郎左衛門尉は、主君のためにも、仏法のためにも、また世間の人々に対しても、心根のよい人である」と鎌倉の人々から口々にほめられるようにしたほうがよい。
[16]蔵の中に山ほども財を積むことができても、身体が弱くては何にもならぬ。だから蔵の財よりも自分の身体に備わった財のほうが秀れている。また身体がどのように健康であっても、心が浄く豊かでしっかりしていなくては何にもならぬ。だから心に備わった財が第一である。この手紙をご覧になったら、心の財を積み上げるように心掛けなさい。
四 崇峻天皇のこと
[17]さて、大事な物語があるので、これから書いてあげよう。日本の国が始まって以来、二人の国王が他人によって殺された。その一人は崇峻天皇である。この天皇は欽明天皇の御太子で、聖徳太子の伯父に当たる人である。人王第三十三代の皇であったが、聖徳太子をお召しになって勅宣を下された。すなわち「汝は聖者であると聞いているが、朕の人相を占ってみよ」といわれた。太子は畏れ多いので三回まで辞退したのだが、しきりにおっしゃられたので止むなく謹んで占い「陛下は人に殺される相をしておられる」と申し上げた。すると陛下の御気色が変わって「どのような証拠をもっていうのか」と仰せられた。太子は「お眼に赤い筋が通っております。これは人に恨まれる相であります」と答えた。皇帝は重ねて「どのようにしたらこの難をのがれることができるか」とお尋ねになった。太子は「のがれることはむずかしいが、ただし五常という兵がいるので、これを身から離さぬようにしていれば、この難をのがれることができるでありましょう。その兵というのは仏教では、忍辱といって、六つの厳守すべき掟の一であります」と答えた。
[18]さて、帝はしばらくの間はこの忍辱といって何事にも耐え忍ぶことをしていたのだが、ややもすると腹を立てる短気の王であったので、この忍辱を捨ててしまわれた。ある時、猪の子を献上してきた人があった。帝は短刀をぬくと、猪の子の眼をぶすぶすと突きさして、「いつか憎らしい奴をこのようにしてやりたい」といわれたので、おそばにいた太子が、「ああ、あさましいことである。帝は必ずや人によって恨をこうむることであろう。今の言葉はわが身を害する剣となる」と考えて、太子はたくさんの財を取り寄せ、帝の御前で今の言葉を聞いた人々に引出物として分け与えたのであるが、その中の一人が蘇我の大臣馬子という人に告げ口をしてしまった。馬子は自分のことを言われたと思い込み、東漢直駒・直磐井という人の子に命じて帝を殺害したてまつった。このように王位の身であっても、思う事をたやすく口に出してしまってはならないものである。
[19]中国の孔子という賢人は九思一言といって、九回もよく考えてから始めて一回口に出して言うといわれている。また周公旦という人は、髪を洗っている時でも、食事の時であっても、人が尋ねてくると三回も立って行って、人を待たせるようなことはしなかったという。ましてや仏法を信ずる者はこのことをよく肝に命じておく必要がある。仏一代の肝心は法華経であり、法華経の修行の肝心は不軽品である。不軽菩薩が路上に立って通行人を礼拝したのは何のためであったのか。教主釈尊の出世の本懐は、こうした人としての平素の行動を教えたものである。よくよくお考えになられよ。賢いものを人と言い、愚かなものを畜生というのである。
[20]建治三年(<暦>一二七七暦>)丁丑<日>九月十一日日>
[21]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[22]<先>四条左衛門尉殿 御返事先>