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崇峻天皇御書

第二巻 定本番号 20262 建治3(1277) 分類: 真蹟曽存

祖寿: 56 対告衆: 四條 著作地: 身延 真蹟: 身延山(曽) 

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    262   崇峻天皇御書
白小袖一領・銭一ゆい。又富木殿の御文のみ、なによりも、かき(柿)・なし(梨)・なまひじき・ひ(干)るひじき、やうやうの物うけ取、しなじな御使にたび候ぬ。
さてはなによりも上の御いたはり(所労)なげき入て候。たとひ上は御信用なき様に候へども、との(殿)其内にをはして、其御恩のかげ(蔭)にて法華経をやしなひまいらせ給候へば、偏に上の御祈とぞなり候らん。大木の下の小木、大河の辺の草は正く其雨にあたらず、其水をえずといへども、露をつたへ、いき(気)をえて、さかう(栄)る事に候。此もかくのごとし。阿闍世王は仏の御かたきなれども、其内にありし耆婆大臣、仏に志ありて常に供養ありしかば、其功大王に帰すとこそ見へて候へ。
仏法の中に、内薫外護と申大なる大事ありて宗論にて候。法華経には我深敬汝等。涅槃経には、一切衆生悉有仏性。馬鳴菩薩の起信論には、以真如法常薫習故妄心即滅法身顕現。弥勒菩薩の瑜伽論には見たり。かくれ(隠)たる事のあらはれ(顕)たる徳となり候なり。
されば御内の人人には天魔ついて、前より此事を知て殿の此法門を供養するをさゝ(障)えんがために、今度の大妄語をば造り出したりしを、御信心深ければ十羅刹たすけ奉んがために、此病はをこれるか。上は我かたきとはをぼさねども、一たんかれらが申事を用給ぬるによりて、御しよらう(所労)の大事になりてながしら(長引)せ給か。彼等が柱とたのむ龍象すでにたうれぬ。和讒せし人も又其病にをかされぬ。良観は又一重の大科の者なれば、大事に値て大事をひきをこして、いかにもなり候はんずらん。よもただは候はじ。
此につけても、殿の御身もあぶな(危)く思まいらせ候ぞ。一定かたきにねらはれさせ給なん。すぐろく(双六)の石は二並ぬればかけられず。車の輪は二あれば道にかたぶかず。敵も二人ある者をばいぶせ(悒)がり候ぞ。いかにとが(科)ありとも、弟ども且も身をはなち給な。殿は一定腹あしき相かを(面)に顕たり。いかに大事と思へども、腹あしき者をば天は守らせ給はぬと知せ給へ。殿の人にあやまたれてをはさば、設仏にはなり給とも彼等が悦と云、此よりの歎と申、口惜かるべし。彼等がいかにもせんとはげみつるに、古よりも上に引付られまいらせてをはすれば、外のすがた(姿)はしづま(静)りたる様にあれども、内に胸はもふ(燃)る計にや有ん。常には彼等に見へぬ様にて、古よりも家のこ(子)を敬ひ、きうだち(公達)まいらせ給てをはさんには、上の召ありとも且くつゝしむべし。入道殿いかにもならせ給はば、彼人々はまどひ者になるべきをばかへりみず。物をぼへぬ心に、との(殿)のいよいよ来を見ては、一定ほのを(炎)を胸にたき、いき(気)をさかさま(逆)につく(吐)らん。
若きうだち・きり(権)者の女房たちいかに上の御そらう(所労)はと問申されば、いかなる人にても候へ、膝をかがめて手を合、某が力の可及御所労には候はず候を、いかに辞退申せどもただと仰候へば、御内の者にて候間かくて候とて、びむ(鬢)をもかゝず、ひたたれ(直垂)こは(強)からず、さはやかなる小袖・色ある物なんどもき(著)ずして、且くねう(忍)じて御覧あれ。返返御心へ(得)の上なれども、末代のありさまを仏の説せ給て候には、濁世には聖人も居しがたし。大火の中の石の如し。且くはこらふるやうなれども、終にはやけくだ(焼摧)けて灰となる。賢人も五常は口に説て、身には振舞がたしと見へて候ぞ。かう(甲)の座をば去れと申ぞかし。そこばく(若干)の人の殿を造落さんとしつるに、をとされずして、はやかち(勝)ぬる身が、穏便ならずして造落されなば、世間に申すこぎこひ(漕漕)での船こぼ(溢)れ、又食の後に湯の無が如し。
上よりへや(部屋)を給て居してをはせば、其処にては何事無とも、日ぐれ暁なんど、入返なんどに、定てねらうらん。又我家の妻戸の脇・持仏堂・家の内の板敷の下か天井なんどをば、あながちに心えて振舞給へ。今度はさきよりも彼等はたばかり賢かるらん。いかに申とも鎌倉のえがら(荏柄)夜廻の殿原にはすぎじ。いかに心にあはぬ事有とも、かたらひ給へ。義経はいかにも平家をばせめおとしがたかりしかども、成良をかたらひて平家をほろぼし、大将殿はおさだ(長田)を親のかたきとをぼせしかども、平家を落さざりしには頸を切給はず。況や此四人は遠は法華経のゆへ、近は日蓮がゆへに、命を懸たるやしき(屋敷)を上へ召れたり。日蓮と法華経とを信ずる人人をば、前々彼人人いかなる事ありとも、かへりみ給べし。其上、殿の家へ此人人常にかよう(通)ならば、かたき(敵)はよる行あはじとをぢるべし。させる親のかたきならねば、顕れてとはよも思はじ。かくれん者は是程の兵士はなきなり。常にむつ(睦)ばせ給へ。殿は腹悪き人にて、よも用ひさせ給はじ。若さるならば、日蓮が祈の力及がたし。
龍象と殿の兄とは殿の御ためにはあし(悪)かりつる人ぞかし。天の御計に殿の御心の如くなるぞかし。いかに天の御心に背かんとはをぼするぞ。設千万の財をみちたりとも、上にすてられまいらせ給ては、何の詮かあるべき。已に上にはをや(親)の様に思はれまいらせ、水の器に随が如く、こうし(犢)の母を思ひ老者の杖をたのむが如く、主のとの(殿)を思食されたるは法華経の御たすけにあらずや。あらうらや(羨)ましやとこそ、御内の人人は思はるゝらめ。とくとく此四人かたら(語)ひて日蓮にき(聞)かせ給へ。さるならば強盛に天に申べし。又殿の故御父御母の御事も、左衛門尉があまりに歎き候ぞと天にも申入て候也。定て釈迦仏の御前に子細候らん。
返返今に忘れぬ事は頸切れんとせし時、殿はとも(供)して馬の口に付て、なきかなし(泣悲)み給しをば、いかなる世にか忘なん。設殿の罪ふかくして地獄に入給はば、日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしら(誘)へさせ給にも、用ひまいらせ候べからず。同地獄なるべし。日蓮と殿と共に地獄に入ならば、釈迦仏・法華経も地獄にこそをはしまさずらめ。暗に月の入がごとく、湯に水を入がごとく、氷に火をたくがごとく、日輪にやみ(暗)をなぐ(投)るが如くこそ候はんずれ。若すこしも此事をたがへさせ給ならば日蓮うらみさせ給な。此世間の疫病はとののまう(申)がごとく、年帰りなば上へあがりぬとをぼえ候ぞ。十羅刹の御計か、今且世にをはして物を御覧あれかし。
又世間のすぎえぬやうばし歎て人に聞かせ給な。若さるならば、賢人にははづ(外)れたる事なり。若さるならば、妻子があと(後)にとどまりて、はぢ(恥)を云とは思はねども、男のわか(別)れのおし(惜)さに、他人に向て我夫のはぢをみなかた(語)るなり。此偏にかれが失にはあらず。我ふるまひのあし(悪)かりつる故也。人身は受がたし、爪上の土。人身は持がたし、草の上の露。百二十まで持て名をくたし(腐)て死せんよりは、生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ。中務三郎左衛門尉は主の御ためにも、仏法の御ためにも、世間の心ね(根)もよ(吉)かりけりよかりけりと、鎌倉の人々の口にうたはれ給へ。穴賢穴賢。蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。此御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給べし。
第一秘蔵の物語あり。書てまいらせん。日本始て国王二人、人に殺され給。其一人は崇峻天皇也。此王は欽明天皇の御太子、聖徳太子の伯父也。人王第三十三代の皇にてをはせしが聖徳太子を召て勅宣下。汝は聖智の者と聞く。朕を相してまいらせよと[云云]。太子三度まで辞退申させ給しかども、頻の勅宣なれば止がたくして、敬て相しまいらせ給。君は人に殺され給べき相ましますと。王の御気色かはらせ給て、なにと云証拠を以て此事を信ずべき。太子申させ給はく、御眼に赤き筋とをりて候。人にあだまるゝ相也。皇帝勅宣を重て下し、いかにしてか此難を脱ん。太子云、免脱がたし。但五常と申つはもの(兵)あり。此を身に離し給ずば害を脱給はん。此つはものをば内典には忍波羅蜜と申て、六波羅蜜の其一也と[云云]。且は此を持給てをはせしが、やゝもすれば腹あしき王にて是を破せ給き。有時、人猪の子をまいらせたりしかば、かうがい(笄刀)をぬきて猪の子の眼をづぶづぶとさゝせ給て、いつか(何日)にくし(憎)と思やつ(奴)をかくせんと仰ありしかば、太子其座にをはせしが、あらあさましや、あさましや、君は一定人にあだまれ給なん。此御言は身を害する剣なりとて、太子多の財を取寄せて、御前に此言を聞し者に御ひきで物ありしかども、或人蘇我大臣馬子と申せし人に語りしかば、馬子我事なりとて東漢直駒・直磐井と申者子をかたらひて王を害しまいらせつ。されば王位の身なれども、思事をばたやすく申ぬぞ。
孔子と申せし賢人は九思一言とて、こゝのたび(九度)おもひて一度申。周公旦と申せし人は沐する時は三度握り、食時は三度はき給き。たしかにきこしめせ。我ばし恨みさせ給な。仏法と申は是にて候ぞ。一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬しはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云、はかなきを畜といふ。   建治三年[丁丑]九月十一日   日蓮  [花押]  四條左衛門尉殿  [御返事]