妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

宝軽法重事

全集 第4巻 2段 定本: #20217(定本の該当ページへ)

書下し

宝軽法重事ほうきようほうじゆうじ


[1]たかんな百本、いも送りおわんぬ。
[2]妙法連華経第七に云く、〔「また人あって七宝をもって千大千世界にてて、仏及び大菩辟支仏*ひやくしぶつ阿羅漢あらかん供養くようせん。この人の所得しよとくの功徳もこの法華経の乃至ないし四句偈*しくげを受持する、その福のもつとも多きにはしかず」〕云云。文句もんぐの第十、〔「七宝を四聖*ししようたてまつるは一偈いちげを持つにしかずというは、法はこれ聖のなり。能生のうしよう能養のうよう能成のうじよう能栄のうえい・法にぎたるはなし。ゆえににんは軽く法は重きなり」〕云云。の十に云く、〔「父母必ふぼかならず四のまもりをもつて子をまもるがごとし。今発心*ほつしんは法によるをしようとなし、始終随逐しじゆうずいちくするをようとなし。極果ごくかまんぜしむるをじようとなし、よく法界ほうかいおうずるをえいとなす。四つ同じからずといえども法をもつもととなす」〕云云。
[3]ならび天台てんだい妙楽みようらくの心は、一切衆生いつさいしゆじようを供養せんと、羅漢を供養せんと、乃至ないし一切の仏をくして七宝のたからを三千大千世界にもりみてゝ供養せんよりは、法華経を一偈いちげ、あるいは受持し、あるいは護持ごじせんすぐれたりと云云。経に云く、〔「この法華経を乃至一四句偈を受持するそのふくもつとも多きにはしかず」〕天台云く、〔「人はかろく法は重し」〕妙楽云く、〔「四同じからずといえども法をもつもととなす」〕云云。九界の一切衆生を仏に相対そうたいしてこれをはかるに、一切衆生の福は一もうのかろく、仏のおんふくは大山だいせんのをもきがごとし。一切の仏のおんふくは梵天三銖*ぼんてんさんしゆころものかろきがごとし。法華経一字いちじの御ふくの重き事は大地のをもきがごとし。人かろしと申すは仏を人と申す。法おもしと申すは法華経なり。それ法華已前いぜんの諸経ならびに諸論は仏の功徳くどくをほめて候、仏のごとし。この法華経は経の功徳をほめたり、仏の父母のごとし。
[4]華厳経けごんきよう大日経等だいにちきようとうの法華経におとる事は、一もう大山だいせん三銖さんしゆと大地とのごとし。乃至ないし法華経の最下さいげ行者ぎようじやと華厳・真言しんごん最上さいじようの僧とくらぶれば、帝釈たいしやくさる師子ししうさぎとの勝劣なり。
[5]しかるをたみが王をのゝしればかならず命となる。諸経の行者が法華経の行者にすぐれたりと申せば、必ず国もほろび、地獄へ入り候なり。ただしかたきのなき時はいつわりをろかにて候。たとえば将門*まさかど貞任さだとう貞盛さだもり頼義よりよしがなかりし時は国をしり、妻子安穏さいしあんのんなり云云。かたきなき時はつゆも空へのぼり、雨も地にり、逆風ぎやくふうの時は雨も空へあがり、日出ひのでの時はつゆも地にをちぬ。
[6]されば華厳等の六宗ろくしゆう伝教でんぎようなかりし時はつゆのごとし。真言も又かくのごとし。強敵ごうてき出現して法華経をもつてつよくせむるならば、叡山えいざん座主ざす東寺*とうじ小室おむろ等も、日輪露にちりんつゆにあへるがごとしとをぼしめすべし。
[7]法華経は仏滅後*ほとけめつご二千二百余年に、いまだ経のごとく説ききわめてひろむる人なし。天台・伝教もしろしめさざるにあらず、時もきたらず、*きもなかりしかば、かききわめずしてをわらせ給へり。
[8]日蓮が弟子とならむ人々はやすくしりぬべし。一閻浮提いちえんぶだいの内に法華経の寿量品じゆりようほんの釈仏の形像かたちをかきつくれる堂塔どうとういまだ候はず。いかでかあらわれさせ給はざるべき。しげければとどめ候。
[9]たけのこは百二十本、法華経は二千余年にあらわれ候ぬ。布施ふせはかろけれどもこころざし重き故なり。
[10]当時はくわんのう(勧農)と申し、大宮*おおみやづくりと申し、かたたみのいとまなし。御心おんこころざしふかければ法もあらわれ候にや。恐々謹言*きようきようきんげん
[11]<日>五月十一日      <人>日 蓮 <花押>花押
[12]<先>西山殿御返事
現代語訳

宝軽法重事


建治二年(一二七六)五月一一日、一説には弘安二年(一二七九)、五五歳、西山入道宛、和文、定一一七八—一一八〇頁。

一 法華経受持の功徳


[1]竹の子を百本と芋を一駄分、お送りいただきたしかに頂戴した。
[2]妙法蓮華経の第七巻にある薬王品に、「ある人が七宝をもって三千大千世界に満ちあふれるほど、仏や大菩・辟支仏・阿羅漢に供養をしたとしても、この人の得る功徳は、この法華経の一句一偈を受持することによって得られる福の最も多いのに比較すると、はるかに及ばないものである」とある。天台大師の法華文句の第十にはこの文を解釈して、「七宝を四聖に奉ることよりも、法華経の一偈をたもつことのほうが福があるというのは、一偈であっても法は聖人の師であるからだ。法はよく衆生を生かし養い成長させ、よく栄えさせるものであって法に過ぎたるものはない。ゆえに人は軽く法は重いものなのである」とあり、また妙楽大師の文句記の十巻には、「父母が子を育てるにあたって、生・養・成・栄の四つをもって保護するように、今仏道においても、法によって発心することにより信仰が生まれ、その信仰を最初から最後まで続けることによりさらに発心が養われていき、ついに極果を満たして仏となることができるのである。そのうえでよく法界に応現おうげんして法を説き栄えさせることになる。この生・養・成・栄の四つはそれぞれ働きが同じではないが、ともに法をもって根本としているのである」とある。
[3]経文と天台・妙楽の両大師の解釈した文の心は、一切の衆生を供養するよりも、阿羅漢を供養するよりも、ないしすべての仏をことごとく七宝の財宝でもって、三千大千世界にあふれるほどの供養をするよりは、法華経の一偈であっても受持しまたは護持する人の功徳のほうが秀れている」というのである。経文にはさらに、「この法華経のたとえ一句一偈であっても受持したならば、その福徳は最も多く、他に比較するものはない」とあり、天台大師は「人は軽く法は重し」と述べ、妙楽大師は「生・養・成・栄の四つは同じではないが、ともに法をもって根本となす」といわれている。九界のすべての衆生と仏とをくらべてみると、一切衆生の福徳は一本の髪の毛のように軽いものだが、仏の御福徳は大山のごとく偉大である。またすべての仏の御福徳は梵天三銖の衣(天人の羽衣)のように軽く、法華経一字の御福徳は大地のごとくに重いのである。「人は軽し」というのは仏を人といっているのであり、「法は重し」というのは法華経のことをさしているのである。かくして法華経以前の諸経と、それに相当する議論は、すべて仏の功徳をほめている。すなわち仏の立場で述べているが、それにたいしてこの法華経は経の功徳について述べられており、仏を生み出した父母のごとくである。

二 法華経の行者と諸経の行者


[4]華厳経や大日経などが、法華経よりも劣っていることは、例えると一本の毛と大山のごときであり、また三銖と大地ほどの差がある。さらに法華経を信仰する最下の行者と、華厳・真言の最上の僧とを比較すると、帝釈天と猿ほどのちがいがあり、獅子と兎ほどの勝劣がある。
[5]さて、民衆が帝王をののしれば、必ず死罪となるように、諸経の行者が、法華経の行者よりも優れていると言えば、必ず国も滅亡し、人々は地獄へ落ちることになる。ただし、反対する者がいない時は、いつわりやおろかなことを言ってみても、そのままに過ぎるものである。例えば平将門や安部貞任も、平貞盛や源頼義といった仇がいなかった時は、国土を安穏に守り、妻子も無事にすごすことができたのである。敵のいない時は露も空へのぼり、雨も大地に降り注ぐが、逆風の時は雨も空へ向かってあがり、日の出の時は露も大地に落ちてしまうものである。
[6]したがって華厳等の六宗は伝教大師が世に出られる前は、露のごとく平穏であったし、真言宗もまた同様であった。しかし強敵が現われて法華経の立場から強く責め立てると、比叡山の座主や東寺・御室等も、朝日に照らされた露のようなものであると思うべきである。

三 寿量品の仏をあらわす時


[7]法華経は仏の滅後、二千二百余年にわたって、いまだに経文のごとく説き究めてひろめた人はいない。天台・伝教の両大師も法華経の優れていることを知らなかったわけではない。知っておられたのだが時期もまだ至らず、教えを受ける機根(相手の人)もまだ適さなかったので書き究められていなかったのである。
[8]日蓮の弟子となられた人々は、法華経を簡単に知ることができるのである。一閻浮提のなかで法華経の寿量品に説かれている釈仏の形像を書いたり木像に作ったりして堂塔どうとうに祀っている所はいまだにない。今こそまさに現わして本尊とすべき時である。このことについて詳しく書くと長くなるので省略することにする。
[9]ただいま届いた竹の子は百二十本である。法華経は仏の滅後二千余年に現われたのである。布施は軽いけれども、その志が重いので、このように法門について述べたのである。
[10]今は時季的に農事に一番いそがしい時であり、そのうえに浅間せんげん神社の造営で、何かと人々は多忙のことで、ひまのない折である。その時にこうしてご供養を届けて下さった御志は、まことに深いものであるので、法門の大事もあらわれるに至ったものであろう。恐れながら謹んで申し上げる。
[11]<日>五月十一日<改行>      <人>日 蓮 <花押>花押
[12]<先>西山御殿返事