宝軽法重事
217 宝軽法重事
筍百本・芋一駄送給了。妙法蓮華経第七 云若復有人以七宝 満三千大千世界 供養於仏及大菩薩・辟支仏・阿羅漢 是人所得功徳不如受持此法華経乃至一四句偈其福最多[云云]。文句第十 七宝奉四聖不如持一偈 法是聖師 能生能養能成能栄莫過 於法故人軽法重也[云云]。記十云 如父母必以四護護子 今発心由法為生 始終随逐 為養令満極果為成 能応法界為栄 雖四不同以法為本[云云]。経並天台妙楽の心は、一切衆生を供養せんと、阿羅漢供養せんと、乃至一切の仏を尽して七宝の財を三千大千世界にもりみてゝ供養せんよりは、法華経を一偈、或は受持し、或は護持せんすぐれたりと[云云]。経云 不如受持此法華経 乃至一四句偈其福最多。天台云 人軽法重也。妙楽云 雖四不同以法為本[云云]。九界の一切衆も仏に相対して此をはかるに、一切衆生のふく(福)は一毛のかろく、仏の御ふくは大山のをもきがごとし。一切の仏の御ふくは梵天三銖の衣のかろきがごとし。法華経一字の御ふくの重き事は大地のをもきがごとし。人軽と申は仏を人と申。法重と申は法華経なり。夫法華已前諸経並に諸論は仏の功徳をほめて候、仏のごとし。此法華経は経の功徳をほめたり、仏の父母のごとし。
華厳経・大日経等の法華経に劣事は一毛と大山と三銖と大地とのごとし。乃至法華経の最下の行者と華厳・真言の最上の僧とくらぶれば、帝釈と獮猴と師子と兎との勝劣なり。而をたみが王をのゝしればかならず命となる。諸経の行者が法華経の行者に勝たりと申せば、必国もほろび、地獄へ入候なり。但かたきのなき時はいつわりをろかにて候。譬へば将門・貞任も貞盛・頼義がなかりし時は国をしり、妻子安穏なり[云云]。敵なき時はつゆも空へのぼり、雨も地に下、逆風の時は雨も空へあがり、日出の時はつゆも地にをちぬ。されば華厳等の六宗は伝教なかりし時はつゆのごとし。真言も又かくのごとし。強敵出現して法華経をもつてつよくせむるならば、叡山の座主・東寺の小室等も日輪露のあへるがごとしとをぼしめすべし。
法華経は仏滅後二千二百余年に、いまだ経のごとく説きわめてひろむる人なし。天台・伝教もしろしめさざるにはあらず、時も来らず、機もなかりしかば、かききわめずしてをわらせ給へり。日蓮弟子とならむ人々はやすくしりぬべし。一閻浮提の内法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔いまだ候はず。いかでかあらわれさせ給ざるべき。しげければとどめ候。
たけのこは百二十本、法華経は二千余年にあらわれ候ぬ。布施はかろけれども志重き故なり。当時はくわんのう(勧農)と申、大宮づくりと申、かたがた民のいとまなし。御心ざしふかければ法もあらわれ候にや。恐々謹言。 五月十一日 日蓮 [花押] 西山殿 [御返事]