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如説修行鈔

全集 第4巻 2段 定本: #124(定本の該当ページへ)

書下し

如説修行鈔によせつしゆぎようしよう


[1]〔それおもんみれば末法流布之時まつぽうるふのときしようをこのに受け、この経を信ぜん人は〕、如来によらい在世ざいせより〔「猶多怨嫉ゆたおんしつ」のなんはなはだしかるべし〕と見えてそうろうなり。
[2]そのゆえは在世は能化のうけしゆは仏なり。弟子また大菩だいぼさつ阿羅漢あらかんなり。にんでん四衆*ししゆ八部*はちぶ人非人にんぴにん等なりといへども、調機調養ちようきちようようして法華経を聞かしめ給ふ。なほ怨嫉おんしつ多し。いかにいはんや末法今の時は教機時刻当来きようきじこくとうらいすといへども、〔その師を尋ぬれば凡師ぼんしなり〕、弟子また「闘諍堅固とうじようけんご」・「白法隠没びやくほうおんもつ」・「三毒強盛さんどくごうじよう」の悪人等なり。故に善師ぜんしをば遠離おんりし、悪師あくしには親近しんごんす。その上、真実の法華経の如説修行によせつしゆぎよう行者ぎようじや師弟檀那していだんなとならんには、三類の敵人決定てきじんけつじようせり。
[3]されば、この経を聴聞し始めん日より思ひ定むべし。「況滅度後きようめつどご」の大難*だいなんの三類はなはだしかるべしと。しかるに我弟子等の中にも、かねて聴聞ちようもんせしかども、大小の難来る時は今はじめて驚ききもをけして信心しんじんを破りぬ。かねて申さゞりけるか。経文を先として、「猶多怨嫉ゆたおんしつ況滅度後きようめつどご、況滅度後」と朝夕教へし事はこれなり。
[4]があるいは所ををわれ、あるいはきずこうむり、あるいは両度りようど御勘気ごかんきこうむりて、遠国おんごく流罪るざいせらるゝを見聞みきくとも、今始て驚くべきにあらざる物をや。
[5]問ていはく、如説修行によせつしゆぎようの行者は「現世安穏げんぜあんのん」なるべし。なにが故ぞ三類の強敵盛ごうてきさかんならんや。
[6]答えていはく、釈尊は法華経の御為おんために今度九横*くおう大難だいなんに値ひ給ふ。過去の不軽菩*ふぎようぼさつは法華経の故に「杖木瓦石じようもくがしやく」を蒙り、じく道生どうしよう蘇山そざんに流され、法道三蔵ほうどうさんぞうかお火印かなやきをあてられ、師子尊者ししそんじやこうべをはねられ、天台大師てんだいだいし南三北七*なんさんほくしちにあだまれ、伝教大師でんぎようだいし六宗*ろくしゆうににくまれ給へり。これ等の仏・菩大聖だいしよう等は法華経の行者として、しかも大難にあひ給へり。これ等の人々を如説修行の人と〔いわずば〕、いづくにか如説修行の人を尋ねん。
[7]しかるに今の世は「闘諍堅固とうじようけんご」・「白法隠没びやくほうおんもつ」なる上、悪国・悪王・悪臣・悪民のみあり正法しようぼうそむきて邪法じやほう邪師じやし崇重すうじゆうすれば、国土に悪鬼あつき乱れ入りて三災七難盛さんさいしちなんさかんに起れり。かゝる時刻に日蓮〔仏勅ぶつちよくを蒙りて〕、この土にうまれけるこそ時の不祥ふしようなれ。
[8]法王の宣旨せんじ背きがたければ、〔経文に任せて〕権実ごんじつ二教のいくさを起し、忍辱にんにくよろい妙教みようきようつるぎひつさげ、一部八巻の肝心かんじん妙法五字の旗を指上さしあげて、「未顕真実みけんしんじつ」の弓をはり「正直捨権しようじきしやごん」のをはげて、大白牛車だいびやくごしや打乗うちのり権門ごんもんをかつぱと破り、かしこへおしかけ、こゝへおしよせ、念仏ねんぶつ真言しんごんぜんりつ等の八宗十宗の敵人をせむるに、あるいはにげ、あるいはひきしりぞき、あるいは生取いけどられし者は我弟子となる。あるいはせめ返し、せめをとしすれども、かたきは多勢なり、法王の一人は無勢なり。〔今にいたつて〕いくさやむ事なし。
[9]法華折伏破権門理ほつけ*しやくぶくはごんもんり」の金言きんごんなれば、ついに権教権門ごんきようごんもんやからを一人もなくせめをとして法王の家人けにんとなし、天下万民諸乗一仏乗てんかばんみんしよじよういちぶつじようなりて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨つちくれを〔くだかず〕。羲農ぎのうの世となりて、今生こんじようには不祥ふしようの災難を払ひ長生ちようせいじゆつを得、人法にんぽう共に不老不死のことわり顕れん時を各各おのおの御覧ぜよ。現世安穏げんぜあんのん証文しようもん〔疑いあるべからざるものなり〕。
[10]問うていはく、如説修行の行者ともうさんは何様いかように信ずるを申しそうろうべきや。
[11]答ていはく、当世とうせい日本国中の諸人一同に如説修行の人と申し候は、諸乗一仏乗と開会かいえしぬれば、いずれの法も皆法華経にして勝劣浅深しようれつせんじんある事なし。念仏を申すも、真言をたもつも、禅を修行するも、総じて一切の諸経並びに仏・菩御名みなたもつて唱ふるも、皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは〔いわれ〕候なり等云云。
[12]予がいはく、〔然らず〕。所詮しよせん仏法を修行せんには人のことばを〔用うべからず〕、ただあおいて仏の金言をまほるべきなり。我等が本師ほんし如来は初成道しよじようどうはじめより、法華を説かんと思食おぼしめししかども、衆生の機根未熟きこんみじゆくなりしかば、まづ権教ごんきようたる方便ほうべんを四十余年が間ときて、後に真実たる法華経を説かせ給ひしなり。この経の序分無量義経じよぶんむりようぎきようにして、権実ごんじつのはうじ(榜示)をさして方便・真実を分給わけたまへり。いわゆる「以方便力いほうべんりき四十余年しじゆうよねん未顕真実みけんしんじつ」これなり。
[13]大荘厳だいしようごん等の八万の大士だいじ施権せごん開権かいごん廃権はいごん等のいはれを得意分こころえわけ給ひて、領解りようげしていはく、法華已前の歴劫修行りやくこうしゆぎよう等の諸経は「終不得成無上菩提じゆうふとくじようむじようぼだい」と申しきり給ひぬ。しかしてのち正宗しようしゆうの法華にいたつて、「世尊法久後せそんほうくご要当説真実ようとうせつしんじつ」と説き給ひしをはじめとして、「無二亦無三むにやくむさん除仏方便説じよぶつほうべんせつ」、「正直捨方便しようじきしやほうべん」、「乃至不受余経一偈ないしふじゆよきよういちげ」といましめ給へり。
[14]これより已後いご唯有一仏乗ゆいういちぶつじようの妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて、法華経より外の諸経は一分いちぶん得益とくやくもあるまじきに、末法まつぽうの今の学者、いずれも如来の説教なれば皆得道とくどうあるべしと思ひて、あるいは真言しんごん、あるいは念仏ねんぶつ、あるいは禅宗ぜんしゆう三論さんろん法相ほつそうくしや成実じようじつりつ等の諸宗諸経を取取とりどりに信ずるなり。〔かくのごとき人〕をば、「若人不信毀謗此経にやくにんふしんきぼうしきよう即断一切世間仏種そくだんいつさいせけんぶつしゆ乃至其人命終入阿鼻獄ないしごにんみようじゆうにゆうあびごく」と定め給へり。これ等のをきての明鏡めいきようもととして一分もたがえず、唯有ゆいう一乗法と信ずるを如説修行によせつしゆぎようの人とは仏は定めさせ給へり。
[15]なんしていはく、左様さよう方便権教ほうべんごんきようたる諸経諸仏を信ずるを法華経といはゞこそ、ただ一経に限て経文きようもんのごとく五種の修行をこらし、安楽行品あんらくぎようほんのごとく修行せんは、如説修行の者とは〔いわれ〕候まじきか、いかん。
[16]答ていはく、およそ仏法を修行せん者は、しようしやく二門を〔知るべきなり〕。一切の経論〔この二を出でざるなり〕。されば国中の諸学者等、仏法をあらあら学すといへども、時刻相応じこくそうおうの道をしらず。四せつ季取取きとりどりに替れり、夏は熱く、冬はつめたく、春は花さき、秋はなる。春種子たねおろして秋を取るべし。秋種子たねを下して春を取らんに〔あに取らるべけんや〕。極寒ごくかんの時はあつきぬは用なり。極熱ごくねつの夏はなにかせん。涼風すずかぜは夏の用なり。冬はなにかせん。
[17]仏法も〔またまたかくのごとし〕。小乗しようじよう流布るふして得益とくやくあるべき時もあり。権大乗ごんだいじようの流布して得益あるべき時もあり。実教じつきようの流布して仏果ぶつかを〔得べき〕時もあり、しかるに正像しようぞう二千年は、小乗・権大乗の流布の時なり。末法まつぽうはじめの五百年には、純円じゆんえんじつの法華経のみ広宣流布こうせんるふの時なり。この時は「闘諍堅固とうじようけんご」・「白法隠没びやくほうおんもつ」の時と定めて、権実雑乱ごんじつぞうらんみぎりなり。〔敵ある〕時はとうじようきゆうぜんを〔持つべし〕。〔敵なき〕時はきゆうぜんひようじようなにかせん。今の時は権教そく実教の敵と成るなり。一乗流布の時は権教ありて、敵と成りてまぎらはしくば実教より〔これをむべし〕。これを摂折しようしやく二門の中には法華経の折伏しやくぶくと申すなり。天台いはく、「法華折伏破権門理ほつけしやくぶくはごんもんり」と、まことに故あるかな。
[18]しかるに摂受しようじゆたる四安楽の修行を今の時ぎようずるならば、冬種子たねおろして春を求める者にあらずや。にわとりあかつきに鳴くは用なり。よいに鳴くは物怪もつけなり。権実雑乱の時、法華経の御敵おんてきを〔責めずして〕山林に閉籠とぢこもり、摂受を修行せんは、あに法華経修行の時を失う物怪もつけにあらずや。されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば、誰か〔経文のごとく〕行じ給へしぞ。誰人たれびとにてもおわせ、諸経は無得道堕地獄むとくどうだじごくの根源、法華経ひとり成仏の法なりと、こえも〔おしまず〕よばはり給ひて、諸宗の人法にんぽう共に折伏しやくぶくして御覧ぜよ。三類の強敵来ごうてききたらん事〔疑いなし〕。
[19]我等が本師釈如来ほんししやかによらい在世ざいせ八年の間折伏し給ひ、天台大師てんだいだいしは三十余年、伝教大師でんぎようだいしは二十余年。今、日蓮は二十余年の間〔権理ごんりを破す〕。その間の大難だいなん〔数を知らず〕。仏の九おうの難に及ぶか〔及ばざるかは知らず〕。おそらくは天台・伝教も法華経の故に〔日蓮がごとく大難にい給いし事〕なし。彼はただ悪口怨嫉あつくおんしつばかりなり。これは両度の御勘気ごかんき遠国おんごくに流罪せられ、竜口たつのくちくびかしらきず等、そのほか悪口せられ、弟子等を流罪せられ、ろうに入れられ、檀那だんな所領しよりようを取られ、御内みうちいだされし、これ等の大難には竜樹りゆうじゆ天台てんだい伝教でんぎようもいかでかおよび給ふべき。
[20]されば如説修行の法華経の行者には、三類の強敵打ち定んて〔有るべしと〕知り給へ。されば釈尊御入滅しやくそんごにゆうめつの後二千余年が間に如説修行の行者は、釈尊・天台・伝教の三人はさてをき候ぬ。〔末法まつぽうに入ては日蓮並びに弟子でし檀那だんな等これなり〕。我等を如説修行の者といはずば、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の人なるべからず。
[21]提婆だいば伽利くぎやり善星ぜんしよう弘法こうぼう慈覚じかく智証ちしよう善導ぜんどう法然ほうねん良観房りようかんぼう等はそく法華経の行者と云はれ、釈尊・天台・伝教・日蓮並びに弟子檀那は念仏ねんぶつ真言しんごんぜんりつ等の行者なるべし。法華経は方便権教ほうべんごんぎようと云はれ、念仏等の諸経はかえつて法華経となるべきか。東は西となり、西は東となるとも、大地は〔たもつところの〕草木そうもくと共にあがつて天となり、天の日月星宿にちがつせいしゆくは共に落ち下て地となるためしはありとも、いかでかこのことわりあるべき。
[22]あわれなるかな、今日本国の万人ばんにん、日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵ごうてきに責められ、大苦だいくふを見てよろこんで笑ふとも、昨日は人の上、今日は身の上なれば、日蓮並びに弟子檀那共に霜露そうろの命の日影ひかげを待つばかりぞかし。只今仏果ただいまぶつかかない寂光*じやつこう本土ほんどに居住して自受法楽じじゆほうらくせん時、汝等なんじら阿鼻大城あびだいじようの底にしずみて大苦に値はん時、我等われらいかばかり無慚むざんと思はんずらん。汝等いかばかりうらやましく思はんずらん。
[23]一期いちごぐる事程ことほども無ければ〕、いかに強敵かさなるとも、ゆめゆめ退たいする心なかれ、おそるゝ心なかれ。たとひくびをばのこぎりにて引き切り、どう(胴)をばひしほこを以つてつゝき、足にはほだしを打てきり(錐)を以てもむとも、命のかよはんほどは南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へて、唱へしにに死ぬるならば、釈・多宝・十方の諸仏、霊山会上*りようぜんえじようにして御契約なれば、しばしの程に飛びきたりて、手をとり、肩に引懸ひつかけて、霊山へはしり給はば、二聖・二天・十羅刹女じゆうらせつによ受持じゆじの者を擁護し、諸天善神は天蓋てんがいを指し、旗を上て、我等を守護して、たしかに寂光じやつこう宝刹ほうせつへ送り給ふべきなり。あらうれしや、あらうれしや。
[24]文永ぶんえい十年 癸 酉みずのととり<日>五月日
[25]<人>日 蓮 <花押>花押
[26]<先>人々御中ひとびとおんちゆう
[27]〔この書御身おんみを離さず常に御覧ごらんあるべく候〕。
現代語訳

如説修行鈔


文永一〇年(一二七三)五月、五二歳、於佐渡一谷、和文、定七三一—七三八頁。

一 法華経の信行と法難


[1]まずもって考えてみるのに、仏が入滅されたあとの末法といわれる今日、法華経が弘まるべき時に、人生をこの娑婆世界しやばせかいに受けてこの法華経を信行する人は、極めて多難なことである。それは「如来のおられる時代でさえもなお多難なことなので、ましてや末世になるとなおさら困難なことである」と法師品に説かれている通りである。
[2]その理由は、仏の世に在る時は衆生を教え導く主は当然のことながら仏自身である。教えを受ける相手は仏弟子であり大菩や阿羅漢であった。人界・天人・四衆・八部・人間以外の生類等のものも含まれていたが、仏は永年にわたって人々の程度を調え、レベル・アップを実施して、最高の教えである法華経にまで引き入れられたのである。その間にあってもなおかつ仏を怨んだり嫉む者がいて害を加えたのである。ましてや末法といわれる現代にあっては、教えを受ける相手も時期も法華経の弘まるべき時代がやってきたとはいえ、教えを弘める師は仏と違って平凡な師であり、その弟子もまた争いごとの盛んな時代で、従来弘まっていた仏法がすたれてしまって効力を失い煩悩のみ盛んとなった悪人劣機れつきの者たちばかりである。したがって善師を遠ざけ、悪師に近づき親しくしてしまうことになる。そのうえさらに仏が真実を説き示した法華経を説のごとくに修行する行者として、師となり弟子・檀信徒となっていくうえには、三種類の手ごわい強敵が現われて妨害することは明らかなことである。
[3]このゆえに法華経を聴聞し始めた当初から、仏の入滅したあと末世に三類の強敵が迫害を加えてくるということを覚悟しておくべきである。ところが我が弟子の中にも、かねてより法門を聴いていながら、大小の法難がきたときになって、今初めて聞いたように驚き、肝をつぶして信心を破り捨て去ってしまう者がいる。以前から申し聞かせておかなかったかのようである。経文をまず第一として、「仏でさえも法難を受けられているので、ましてや末世の行者はなおさら迫害にあうことを覚悟しておくべきである」と朝夕教えておいたのは、まさにこのことである。
[4]私がある時は住んでいる所を追われ、ある時は刀やによって疵をうけ、またある時は二度も幕府からのおとがめを受けて遠い所へ流罪されたことを見たり聞いたりしているのであるから、ここで今になって始めて驚くにはあたらないのではないか。

二 法華経の行者はなぜ難に値うのか


[5]お尋ねするが、法華経を経文のごとくに修行する行者は、現世においては安穏であるべきである。それなのにどうして三類の強敵にあわなくてはならないのか。
[6]お答えしよう、釈尊は法華経の御ために九回も大きな難にあっておられる。過去の世に不軽菩という人は、同じく法華経のために道を行く人々からや瓦や石ころを投げつけられ、また中国の道生は蘇州そしゆう虎丘山こきゆうさんに流され、法道という人は顔に焼印を押され、またインドの師子尊者は頭をはねられ、天台大師は南三北七の人師らからねたまれて敵対されてしまい、日本の伝教大師は奈良の六宗から憎まれて反対されてしまった。これらの仏・菩・大聖人等は、法華経の行者でありながら、しかも大難にあわれたのである。これらの人々を「説の如くに修行した人」といわずして、どこに説の如く修行した人がいるといえようか。
[7]しかるに今の世は、争いごともめごとのみ多く、従来の仏法がかくれてしまう時代であるうえに、悪王・悪臣・悪民の充満している悪国土であって、正法にみんなが背き、邪法を弘める邪師を崇重しているので、国土の中に悪鬼が入り乱れて三災七難を生起させているのである。このような時に、日蓮が仏の勅命を受けてこの国土に生まれてきたことは、悪人たちにとっては、まことに好ましくないことであろう。
[8]法王たる釈尊の御命令に背くわけにはいかないので、経文の通りに権教たる諸経と、実教たる法華経との論戦を起こし、困難を覚悟のうえで、耐え忍ぶという鎧を身につけ、妙法の教えを剣として、法華経の一部八巻の肝心である妙法五字の旗を掲げ、仏が説かれた「法華経以前の経にはいまだ真実を顕わしていない」といわれた経文を弓とし、さらに「正直に真実を説いていない権教を捨てよ」といわれた経文を矢とし、仏が法華経をたとえた大白牛車に乗って、権教を依り所とする諸宗門を打ち破り攻め立て、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の法敵を論破した。その結果、ある者は逃げ、ある者は退却し、ある者は捕虜となり我が弟子となった。ある者は攻め返し、また攻め落としたが、なんとしても法敵は多勢であり、法王軍の大将は一人で無勢である。今に至っても、まだいくさが止むことがない。
[9]「法華は折伏をもって権教の法門を破す」という金言があるので、ついには権教権門の人々を一人残らず攻め落として、法王の家来とし、天下の万民は諸乗によることなく、みな一仏乗となって妙法のみがひとり繁昌した時には、万国一同が南無妙法蓮華経と唱え奉ることになる。そうなれば吹く風も木々の枝を鳴らして葉を散らすこともなく、雨も荒れて土を崩したりせず、世間は豊作となって栄え、今生には不祥の災難を払いのけて、人々はみな長く生きるすべを心得て、人も法もともに老いず死なず安穏を得る法理を顕わすことができるであろう。各自よくそれを見きわめるべきである。現世安穏の法華経の文は疑いのないものである。

三 説の如く修行するとはどういうことか


[10]お尋ねするが、説の如く修行する行者というのは、どのように信ずる人のことをいうのであろうか。
[11]お答えしよう、現在日本国中の人々一同が、説の如く修行する人といっているのは、諸宗の教えが一仏乗であると開会したので、どの教法もみな法華経と同一であり、勝劣や浅深はないと誤解してしまい、だから念仏を唱えても、真言の教えをたもっても、禅宗の修行をしてみても、これらはみなどの経典や仏・菩の御名を読んだり唱えたりしてみても、それらは法華経をたもつことと同じであると信じて、修行をする人々のことを、説の如く修行する人というのであるといわれている。
[12]しかし日蓮はそうは思わない。本来、仏法を修行しようとする者は、凡人の言葉を簡単に信用してはならない。ただ一つ仏の尊い教えを仰いで守っていくべきである。われらにとって本師と仰ぐ釈如来は、悟りを得られた最初から、法華の真実を説こうとされたのだが、衆生のレベルがばらばらで程度もまだよく熟していなかったので、まず方便の権教を説き、四十余年間にわたって低い教えから次第に高い教えに導いたあとで、真実たる法華経をお説きになられたのである。この経の序分にあたる無量義経において、権教と実教との区別を明らかにし、諸経は方便であって法華は真実であると、はっきり区分された。すなわち「方便の力をもって四十余年間は、まだ真実をあらわしていない」と説法品に説かれているのがそれである。
[13]その説法を聴いていた大荘厳等の八万人の大菩らは、仏が衆生を導いていくうえで、さまざまな手段方法が説かれたことを知り、法華以前の諸経ではついに仏になることができないと申し述べるに至った。そのあと真実の教えを説かれた法華経に至り、方便品において「世尊はまず方便を説いてのちにまさに真実を説く」といわれているのを始めとして、「真実の法門は二もなくまた三もなし、ただ一仏乗があるのみである。ただし方便の教えは別である」とあり、さらに「正直に方便を捨て去れ」ともある。またひゆほんには「法華以外の余経については一偈といえども受けてはならない」といましめられている。
[14]こうして法華経以後は、ただ一仏乗の妙法のみがすべての人々を仏にすることのできる大法であり、法華経よりほかの諸経は一分の得益もないのに、末法の今の学者たちは、どの経典も如来の説教なのでみな同じように仏になれると思い込み、ある者は真言、ある者は念仏、ある者は禅宗・三論・法相・舎・成実・律といった諸宗の諸経典を、好みにまかせて信じているのである。これらの人々のことを、譬品では「もしも法華経を信ぜずに謗った場合は、ただちにすべての仏種を断つこととなり、その人は死後に阿鼻地獄へ落ち入ることになる」と説かれている。こうした掟を鏡として少しも違反することなく、ただひたすらに一仏乗の法華経を信ずることを「説の如く修行する人」と仏は定められているのである。

四 摂受しようじゆ折伏しやくぶく


[15]さらにお尋ねするが、このように方便権教といわれる諸経を信じることが、開会を説く法華経の立場ではないのか。そのうえただ法華の一経のみを経文の通りに受持じゆじどくじゆ解説げせつ書写しよしやし、安楽行品で説かれているように安楽な方法で修行するのは、説の如く修行する者とはいわれないとでもいうのか、この点をどう思うか。
[16]お答えしよう、まず仏法を修行しようとする者は、摂受と折伏の二門があることを知るべきである。すべの経論はこの二門によって衆生を教導するのである。それなのに国中の諸学者は、仏法をほぼ学んでいるようであるが、時代に相応した道を知らない。例えば一年の中で四節四季はそれぞれに移り替わっていくものである。夏は熱く、冬はつめたく、春は花が咲き、秋は実がなるように、春に種子たねをまいて、秋になったら収穫するのが当然である。それなのに秋に種子をまいて春とり入れようとしても、何もとり入れることはできないであろう。極寒の時は厚い衣が必要であるが極熱の夏は不用である。また涼しい風は夏には必用だが、冬は不用である。
[17]仏法もまたこれと同じである。小乗の教えが広まって、それで得益を受ける時もあり、権大乗の教えが広まって得益を受ける時もあり、さらに実教の法門が広まって仏果を得ることができる時もある。ところで正法・像法の二千年は、小乗や権大乗の教えが広まる時代である。末法の始めの五百年は、純粋に円満で欠けたところのない真実の法華経のみが広く信仰されるべき時代にあたっているのである。この時はまた諍いごともめごとの多い時で、それまでに広まっていた仏法はすたれてしまう時でもあり、権教と実教が入り乱れている時代である。敵がいる時は刀や弓矢を持つべきであるが、敵のいない時は弓矢・兵士は必要のないものである。今、現在は権教はただちに実教の敵となる時である。法華一乗が広まる時は、権教が現われて敵となり、まぎらわしい存在の時なので、これを責めるべきである。これを摂受と折伏の二門の中の折伏というのである。天台大師は「法華の折伏により権門の理を破す」と法華玄義の九巻で述べているが、まことに理由のある語である。
[18]このように今、末法の時は折伏をすべき時期にあたっている。それなのに摂受である身・口・意・誓願の四安楽行しあんらくぎようをするのは、ちょうど冬に種子をまいて春に実をとり入れようとするのと同じではないか。鶏が朝早く鳴くのは時を知らせる用があるが、宵に鳴けば妖怪のようで気味の悪いものである。権教と実教とが入り乱れている時は、法華実教の敵を責めなくてはならないのに、独り山林に閉じこもって摂受の修行をしているのは、まさに法華経修行の時を失ってしまうのであり妖怪にとりつかれたものといえよう。したがって末法の今は法華経の折伏を修行しなくてはならないのだが、誰か経文の如くに修行した人がいるであろうか。誰でもよいから「諸法では仏になることができない。地獄へ落ち入る源となるものである。法華経だけが成仏するための法である」と声も惜しまずに主張し、諸宗の人も法もともに折伏してごらんなさい。三類の強敵が出て来てその人を迫害することは、勧持品に説かれているごとく疑いないことである。

五 法華経の如説修行者はだれか


[19]われらの本師たる釈如来は、在世八十年のうち最後の八年間に法華を説いて折伏された。天台大師は三十余年間、伝教大師は二十余年間、そして現在、日蓮は二十余年の間、権理たる諸宗を破折してきた。その間の大難は数えきれないほどである。かつて仏がわれた九種類の大難にも及ぶものであろう。及ぶか及ばないかはわからないが、恐らくは天台・伝教の両大師も、法華経を弘めるために日蓮ほどの大難に値われてはいない。すなわち両大師はただ悪口をいわれ怨嫉されただけであるが、日蓮は二度も国難王難に値い遠国に流罪され、竜の口では頸をはねられようとし、小松原では頭に刀傷を受けるなど刃の難に値い、そのほかにも悪口を重ねられ、自分だけではなく弟子らまで流罪に処せられ、牢屋に入れられたり、檀信徒にまで迫害の手が及び、所領を取り上げられて他所へ放逐されるなど、これらの大難は竜樹・天台・伝教といった人人にもいまだかつて受けたことのないものであった。
[20]したがって法華経を説の如くに修行する行者には、三類の強敵が必ず現われて難を加えるものと知るべきである。そこで釈尊ご入滅のあと二千余年間に、法華経を説の如く修行した行者は、釈尊と天台と伝教の三人をのぞいて、末法に入っては日蓮とその弟子・檀那等しかいない。もしもわれらを説の如く修行する者といわないとしたら、釈尊も天台も伝教等の三人も、また説の如く修行した人とはいえないことになる。
[21]そうなれば逆に法華経を誹謗した提婆や伽利・善星・弘法・慈覚・智証・善導・法然・良観房等の人々が法華経の行者といわれ、諸経を折伏した釈尊や天台・伝教・日蓮ならびにその弟子や檀信徒が、念仏・真言・禅・律等の行者となってしまうことであろう。そして法華経は方便の権教といわれ、念仏等の諸経が逆に法華経となってしまうのであろうか。こんなことはたとえ東が西となり西が東になるようなことがあったとしても、また大地が生えている草木とともに飛び上がって天となり、天の日・月・星などがともに落ちてきて大地になるようなことがあったとしても、決してあるべき道理はない。

六 如説修行者の果報


[22]悲しむべきことに、今の日本国のすべての人々は、日蓮とその弟子・檀信徒等が、三類の強敵に責められ大いに苦しんでいる姿を見て、うれしがり笑っているが、「昨日は人の身の上、今日は我が身の上」といわれているごとく、日蓮とその弟子や檀信徒らはともに霜や露が朝日に解けてしまうように短かな命であるが、その時は仏乗に叶って寂光の浄土に居住して、自ら法楽を受け悦びに満ちれているとき、日蓮ならびに弟子や檀信徒らに害を加えたり誹謗したりした人々は、その罪により阿鼻地獄の底に落ちて大苦に値う。その苦しむ様子を見てわれらはどれほどか無惨なことだと思うであろう。その時、大苦を受ける者たちはわれらのことをいかにうらやましく思うことであろう。
[23]朝露のようにはかなく短い一生であるので、どのような強敵が重なってきても、少しも退く心を持ってはならない。また恐れる心も持ってはならない。たとえ頸を鋸で引き切り、胴体を鋭い鉾で突き、足には釘を打って錐で揉むような拷問に値っても、命のある間中は南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えて、唱え死にに死んだならば、釈・多宝・十方の諸仏方が、霊山会上でお約束したことなので、たちまちの間に飛んで来て手にとり、肩に引きかついで霊山へ連れて行って下さる。そこには二聖(薬王やくおう勇施ゆうぜの二菩)と二天(持国じこく毘沙門びしやもんの二天王)を始め法華経行者守護の十羅殺女が、受持の人を守って、諸天善神は天蓋をさしかけ、旗を立て、われらを守護して間違いなく寂光の宝処へ送り届けて下さるのである。まことに悦ばしいことであり、楽しいことである。
[24]文永十年(<暦>一二七三)癸酉<日>五月日
[25]<人>日 蓮 <花押>花押
[26]<先>人々御中へ
[27]この書は御身のそばにおいて離さず、いつもご覧なさい。