如説修行鈔
書下し
如説修行鈔
[1]〔それおもんみれば末法流布之時、生をこの土に受け、この経を信ぜん人は〕、如来の在世より〔「猶多怨嫉」の難はなはだしかるべし〕と見えて候なり。
[2]その故は在世は能化の主は仏なり。弟子また大菩薩・阿羅漢なり。人・天・四衆・八部・人非人等なりといへども、調機調養して法華経を聞かしめ給ふ。なほ怨嫉多し。いかにいはんや末法今の時は教機時刻当来すといへども、〔その師を尋ぬれば凡師なり〕、弟子また「闘諍堅固」・「白法隠没」・「三毒強盛」の悪人等なり。故に善師をば遠離し、悪師には親近す。その上、真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには、三類の敵人決定せり。
[3]されば、この経を聴聞し始めん日より思ひ定むべし。「況滅度後」の大難の三類はなはだしかるべしと。しかるに我弟子等の中にも、かねて聴聞せしかども、大小の難来る時は今始て驚き肝をけして信心を破りぬ。かねて申さゞりけるか。経文を先として、「猶多怨嫉況滅度後、況滅度後」と朝夕教へし事はこれなり。
[4]予があるいは所ををわれ、あるいは疵を蒙り、あるいは両度の御勘気を蒙りて、遠国に流罪せらるゝを見聞くとも、今始て驚くべきにあらざる物をや。
[5]問ていはく、如説修行の行者は「現世安穏」なるべし。なにが故ぞ三類の強敵盛んならんや。
[6]答えていはく、釈尊は法華経の御為に今度九横の大難に値ひ給ふ。過去の不軽菩薩は法華経の故に「杖木瓦石」を蒙り、竺の道生は蘇山に流され、法道三蔵は面に火印をあてられ、師子尊者は頭をはねられ、天台大師は南三北七にあだまれ、伝教大師は六宗ににくまれ給へり。これ等の仏・菩薩・大聖等は法華経の行者として、しかも大難にあひ給へり。これ等の人々を如説修行の人と〔いわずば〕、いづくにか如説修行の人を尋ねん。
[7]しかるに今の世は「闘諍堅固」・「白法隠没」なる上、悪国・悪王・悪臣・悪民のみ有て正法を背きて邪法・邪師を崇重すれば、国土に悪鬼乱れ入りて三災七難盛に起れり。かゝる時刻に日蓮〔仏勅を蒙りて〕、この土に生けるこそ時の不祥なれ。
[8]法王の宣旨背きがたければ、〔経文に任せて〕権実二教のいくさを起し、忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ、一部八巻の肝心妙法五字の旗を指上て、「未顕真実」の弓をはり「正直捨権」の箭をはげて、大白牛車に打乗て権門をかつぱと破り、かしこへおしかけ、こゝへおしよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗十宗の敵人をせむるに、あるいはにげ、あるいはひきしりぞき、あるいは生取れし者は我弟子となる。あるいはせめ返し、せめをとしすれども、かたきは多勢なり、法王の一人は無勢なり。〔今に至て〕軍やむ事なし。
[9]「法華折伏破権門理」の金言なれば、ついに権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗と成て妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨壌を〔砕かず〕。代は羲農の世となりて、今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ。現世安穏の証文〔疑いあるべからざるものなり〕。
[10]問うていはく、如説修行の行者と申さんは何様に信ずるを申し候べきや。
[11]答ていはく、当世日本国中の諸人一同に如説修行の人と申し候は、諸乗一仏乗と開会しぬれば、何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし。念仏を申すも、真言を持つも、禅を修行するも、総じて一切の諸経並びに仏・菩薩の御名を持つて唱ふるも、皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは〔いわれ〕候なり等云云。
[12]予がいはく、〔然らず〕。所詮仏法を修行せんには人の言を〔用うべからず〕、ただ仰て仏の金言をまほるべきなり。我等が本師釈迦如来は初成道の始より、法華を説かんと思食ししかども、衆生の機根未熟なりしかば、まづ権教たる方便を四十余年が間説て、後に真実たる法華経を説かせ給ひしなり。この経の序分無量義経にして、権実のはうじ(榜示)を指て方便・真実を分給へり。いわゆる「以方便力、四十余年、未顕真実」これなり。
[13]大荘厳等の八万の大士、施権・開権・廃権等のいはれを得意分給ひて、領解していはく、法華已前の歴劫修行等の諸経は「終不得成無上菩提」と申しきり給ひぬ。しかして後、正宗の法華にいたつて、「世尊法久後、要当説真実」と説き給ひしを始として、「無二亦無三、除仏方便説」、「正直捨方便」、「乃至不受余経一偈」と禁め給へり。
[14]これより已後は唯有一仏乗の妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて、法華経より外の諸経は一分の得益もあるまじきに、末法の今の学者、いずれも如来の説教なれば皆得道あるべしと思ひて、あるいは真言、あるいは念仏、あるいは禅宗・三論・法相・倶舎・成実・律等の諸宗諸経を取取に信ずるなり。〔かくのごとき人〕をば、「若人不信毀謗此経、即断一切世間仏種、乃至其人命終入阿鼻獄」と定め給へり。これ等のをきての明鏡を本として一分もたがえず、唯有一乗法と信ずるを如説修行の人とは仏は定めさせ給へり。
[15]難していはく、左様に方便権教たる諸経諸仏を信ずるを法華経といはゞこそ、ただ一経に限て経文のごとく五種の修行をこらし、安楽行品のごとく修行せんは、如説修行の者とは〔いわれ〕候まじきか、いかん。
[16]答ていはく、およそ仏法を修行せん者は、摂・折二門を〔知るべきなり〕。一切の経論〔この二を出でざるなり〕。されば国中の諸学者等、仏法をあらあら学すといへども、時刻相応の道をしらず。四節四季取取に替れり、夏は熱く、冬はつめたく、春は花さき、秋は菓なる。春種子を下して秋菓を取るべし。秋種子を下して春菓を取らんに〔豈取らるべけんや〕。極寒の時は厚き衣は用なり。極熱の夏はなにかせん。涼風は夏の用なり。冬はなにかせん。
[17]仏法も〔またまた是のごとし〕。小乗の流布して得益あるべき時もあり。権大乗の流布して得益あるべき時もあり。実教の流布して仏果を〔得べき〕時もあり、しかるに正像二千年は、小乗・権大乗の流布の時なり。末法の始の五百年には、純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。この時は「闘諍堅固」・「白法隠没」の時と定めて、権実雑乱の砌なり。〔敵ある〕時は刀杖弓箭を〔持つべし〕。〔敵なき〕時は弓箭兵杖何にかせん。今の時は権教即実教の敵と成るなり。一乗流布の時は権教ありて、敵と成りてまぎらはしくば実教より〔これを責むべし〕。これを摂折二門の中には法華経の折伏と申すなり。天台いはく、「法華折伏破権門理」と、まことに故あるかな。
[18]しかるに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば、冬種子を下して春菓を求める者にあらずや。鶏の暁に鳴くは用なり。宵に鳴くは物怪なり。権実雑乱の時、法華経の御敵を〔責めずして〕山林に閉籠り、摂受を修行せんは、あに法華経修行の時を失う物怪にあらずや。されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば、誰か〔経文のごとく〕行じ給へしぞ。誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと、音も〔惜まず〕よばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来らん事〔疑いなし〕。
[19]我等が本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年。今、日蓮は二十余年の間〔権理を破す〕。その間の大難〔数を知らず〕。仏の九横の難に及ぶか〔及ばざるかは知らず〕。おそらくは天台・伝教も法華経の故に〔日蓮がごとく大難に値い給いし事〕なし。彼はただ悪口怨嫉ばかりなり。これは両度の御勘気、遠国に流罪せられ、竜口の頸の座、頭の疵等、その外悪口せられ、弟子等を流罪せられ、籠に入れられ、檀那の所領を取られ、御内を出されし、これ等の大難には竜樹・天台・伝教もいかでか及び給ふべき。
[20]されば如説修行の法華経の行者には、三類の強敵打ち定んて〔有るべしと〕知り給へ。されば釈尊御入滅の後二千余年が間に如説修行の行者は、釈尊・天台・伝教の三人はさてをき候ぬ。〔末法に入ては日蓮並びに弟子檀那等これなり〕。我等を如説修行の者といはずば、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の人なるべからず。
[21]提婆・瞿伽利・善星・弘法・慈覚・智証・善導・法然・良観房等は即法華経の行者と云はれ、釈尊・天台・伝教・日蓮並びに弟子檀那は念仏・真言・禅・律等の行者なるべし。法華経は方便権教と云はれ、念仏等の諸経は還て法華経となるべきか。東は西となり、西は東となるとも、大地は〔持ところの〕草木と共に飛び上て天となり、天の日月星宿は共に落ち下て地となるためしはありとも、いかでかこの理あるべき。
[22]哀なるかな、今日本国の万人、日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ、大苦に値ふを見て悦んで笑ふとも、昨日は人の上、今日は身の上なれば、日蓮並びに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つばかりぞかし。只今仏果に叶て寂光の本土に居住して自受法楽せん時、汝等が阿鼻大城の底に沈みて大苦に値はん時、我等いかばかり無慚と思はんずらん。汝等いかばかりうらやましく思はんずらん。
[23]〔一期を過ぐる事程も無ければ〕、いかに強敵重なるとも、ゆめゆめ退する心なかれ、恐るゝ心なかれ。たとひ頸をば鋸にて引き切り、どう(胴)をばひしほこを以つてつゝき、足にはほだしを打てきり(錐)を以てもむとも、命のかよはんほどは南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へて、唱へ死に死ぬるならば、釈迦・多宝・十方の諸仏、霊山会上にして御契約なれば、しばしの程に飛び来て、手をとり、肩に引懸て、霊山へはしり給はば、二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護し、諸天善神は天蓋を指し、旗を上て、我等を守護して、たしかに寂光の宝刹へ送り給ふべきなり。あらうれしや、あらうれしや。
[24]文永十年 癸 酉<日>五月日日>
[25]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[26]<先>人々御中へ先>
[27]〔この書御身を離さず常に御覧あるべく候〕。
現代語訳
如説修行鈔
文永一〇年(一二七三)五月、五二歳、於佐渡一谷、和文、定七三一—七三八頁。
一 法華経の信行と法難
[1]まずもって考えてみるのに、仏が入滅されたあとの末法といわれる今日、法華経が弘まるべき時に、人生をこの娑婆世界に受けてこの法華経を信行する人は、極めて多難なことである。それは「如来のおられる時代でさえもなお多難なことなので、ましてや末世になるとなおさら困難なことである」と法師品に説かれている通りである。
[2]その理由は、仏の世に在る時は衆生を教え導く主は当然のことながら仏自身である。教えを受ける相手は仏弟子であり大菩薩や阿羅漢であった。人界・天人・四衆・八部・人間以外の生類等のものも含まれていたが、仏は永年にわたって人々の程度を調え、レベル・アップを実施して、最高の教えである法華経にまで引き入れられたのである。その間にあってもなおかつ仏を怨んだり嫉む者がいて害を加えたのである。ましてや末法といわれる現代にあっては、教えを受ける相手も時期も法華経の弘まるべき時代がやってきたとはいえ、教えを弘める師は仏と違って平凡な師であり、その弟子もまた争いごとの盛んな時代で、従来弘まっていた仏法がすたれてしまって効力を失い煩悩のみ盛んとなった悪人劣機の者たちばかりである。したがって善師を遠ざけ、悪師に近づき親しくしてしまうことになる。そのうえさらに仏が真実を説き示した法華経を説のごとくに修行する行者として、師となり弟子・檀信徒となっていくうえには、三種類の手ごわい強敵が現われて妨害することは明らかなことである。
[3]このゆえに法華経を聴聞し始めた当初から、仏の入滅したあと末世に三類の強敵が迫害を加えてくるということを覚悟しておくべきである。ところが我が弟子の中にも、かねてより法門を聴いていながら、大小の法難がきたときになって、今初めて聞いたように驚き、肝をつぶして信心を破り捨て去ってしまう者がいる。以前から申し聞かせておかなかったかのようである。経文をまず第一として、「仏でさえも法難を受けられているので、ましてや末世の行者はなおさら迫害にあうことを覚悟しておくべきである」と朝夕教えておいたのは、まさにこのことである。
[4]私がある時は住んでいる所を追われ、ある時は刀や杖によって疵をうけ、またある時は二度も幕府からのおとがめを受けて遠い所へ流罪されたことを見たり聞いたりしているのであるから、ここで今になって始めて驚くにはあたらないのではないか。
二 法華経の行者はなぜ難に値うのか
[5]お尋ねするが、法華経を経文のごとくに修行する行者は、現世においては安穏であるべきである。それなのにどうして三類の強敵にあわなくてはならないのか。
[6]お答えしよう、釈尊は法華経の御ために九回も大きな難にあっておられる。過去の世に不軽菩薩という人は、同じく法華経のために道を行く人々から杖や瓦や石ころを投げつけられ、また中国の道生は蘇州の虎丘山に流され、法道という人は顔に焼印を押され、またインドの師子尊者は頭をはねられ、天台大師は南三北七の人師らからねたまれて敵対されてしまい、日本の伝教大師は奈良の六宗から憎まれて反対されてしまった。これらの仏・菩薩・大聖人等は、法華経の行者でありながら、しかも大難にあわれたのである。これらの人々を「説の如くに修行した人」といわずして、どこに説の如く修行した人がいるといえようか。
[7]しかるに今の世は、争いごともめごとのみ多く、従来の仏法がかくれてしまう時代であるうえに、悪王・悪臣・悪民の充満している悪国土であって、正法にみんなが背き、邪法を弘める邪師を崇重しているので、国土の中に悪鬼が入り乱れて三災七難を生起させているのである。このような時に、日蓮が仏の勅命を受けてこの国土に生まれてきたことは、悪人たちにとっては、まことに好ましくないことであろう。
[8]法王たる釈尊の御命令に背くわけにはいかないので、経文の通りに権教たる諸経と、実教たる法華経との論戦を起こし、困難を覚悟のうえで、耐え忍ぶという鎧を身につけ、妙法の教えを剣として、法華経の一部八巻の肝心である妙法五字の旗を掲げ、仏が説かれた「法華経以前の経にはいまだ真実を顕わしていない」といわれた経文を弓とし、さらに「正直に真実を説いていない権教を捨てよ」といわれた経文を矢とし、仏が法華経をたとえた大白牛車に乗って、権教を依り所とする諸宗門を打ち破り攻め立て、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の法敵を論破した。その結果、ある者は逃げ、ある者は退却し、ある者は捕虜となり我が弟子となった。ある者は攻め返し、また攻め落としたが、なんとしても法敵は多勢であり、法王軍の大将は一人で無勢である。今に至っても、まだいくさが止むことがない。
[9]「法華は折伏をもって権教の法門を破す」という金言があるので、ついには権教権門の人々を一人残らず攻め落として、法王の家来とし、天下の万民は諸乗によることなく、みな一仏乗となって妙法のみがひとり繁昌した時には、万国一同が南無妙法蓮華経と唱え奉ることになる。そうなれば吹く風も木々の枝を鳴らして葉を散らすこともなく、雨も荒れて土を崩したりせず、世間は豊作となって栄え、今生には不祥の災難を払いのけて、人々はみな長く生きる術を心得て、人も法もともに老いず死なず安穏を得る法理を顕わすことができるであろう。各自よくそれを見きわめるべきである。現世安穏の法華経の文は疑いのないものである。
三 説の如く修行するとはどういうことか
[10]お尋ねするが、説の如く修行する行者というのは、どのように信ずる人のことをいうのであろうか。
[11]お答えしよう、現在日本国中の人々一同が、説の如く修行する人といっているのは、諸宗の教えが一仏乗であると開会したので、どの教法もみな法華経と同一であり、勝劣や浅深はないと誤解してしまい、だから念仏を唱えても、真言の教えをたもっても、禅宗の修行をしてみても、これらはみなどの経典や仏・菩薩の御名を読んだり唱えたりしてみても、それらは法華経をたもつことと同じであると信じて、修行をする人々のことを、説の如く修行する人というのであるといわれている。
[12]しかし日蓮はそうは思わない。本来、仏法を修行しようとする者は、凡人の言葉を簡単に信用してはならない。ただ一つ仏の尊い教えを仰いで守っていくべきである。われらにとって本師と仰ぐ釈迦如来は、悟りを得られた最初から、法華の真実を説こうとされたのだが、衆生のレベルがばらばらで程度もまだよく熟していなかったので、まず方便の権教を説き、四十余年間にわたって低い教えから次第に高い教えに導いたあとで、真実たる法華経をお説きになられたのである。この経の序分にあたる無量義経において、権教と実教との区別を明らかにし、諸経は方便であって法華は真実であると、はっきり区分された。すなわち「方便の力をもって四十余年間は、まだ真実をあらわしていない」と説法品に説かれているのがそれである。
[13]その説法を聴いていた大荘厳等の八万人の大菩薩らは、仏が衆生を導いていくうえで、さまざまな手段方法が説かれたことを知り、法華以前の諸経ではついに仏になることができないと申し述べるに至った。そのあと真実の教えを説かれた法華経に至り、方便品において「世尊はまず方便を説いてのちにまさに真実を説く」といわれているのを始めとして、「真実の法門は二もなくまた三もなし、ただ一仏乗があるのみである。ただし方便の教えは別である」とあり、さらに「正直に方便を捨て去れ」ともある。また譬喩品には「法華以外の余経については一偈といえども受けてはならない」といましめられている。
[14]こうして法華経以後は、ただ一仏乗の妙法のみがすべての人々を仏にすることのできる大法であり、法華経よりほかの諸経は一分の得益もないのに、末法の今の学者たちは、どの経典も如来の説教なのでみな同じように仏になれると思い込み、ある者は真言、ある者は念仏、ある者は禅宗・三論・法相・倶舎・成実・律といった諸宗の諸経典を、好みにまかせて信じているのである。これらの人々のことを、譬喩品では「もしも法華経を信ぜずに謗った場合は、ただちにすべての仏種を断つこととなり、その人は死後に阿鼻地獄へ落ち入ることになる」と説かれている。こうした掟を鏡として少しも違反することなく、ただひたすらに一仏乗の法華経を信ずることを「説の如く修行する人」と仏は定められているのである。
四 摂受と折伏
[15]さらにお尋ねするが、このように方便権教といわれる諸経を信じることが、開会を説く法華経の立場ではないのか。そのうえただ法華の一経のみを経文の通りに受持・読・誦・解説・書写し、安楽行品で説かれているように安楽な方法で修行するのは、説の如く修行する者とはいわれないとでもいうのか、この点をどう思うか。
[16]お答えしよう、まず仏法を修行しようとする者は、摂受と折伏の二門があることを知るべきである。すべの経論はこの二門によって衆生を教導するのである。それなのに国中の諸学者は、仏法をほぼ学んでいるようであるが、時代に相応した道を知らない。例えば一年の中で四節四季はそれぞれに移り替わっていくものである。夏は熱く、冬はつめたく、春は花が咲き、秋は実がなるように、春に種子をまいて、秋になったら収穫するのが当然である。それなのに秋に種子をまいて春とり入れようとしても、何もとり入れることはできないであろう。極寒の時は厚い衣が必要であるが極熱の夏は不用である。また涼しい風は夏には必用だが、冬は不用である。
[17]仏法もまたこれと同じである。小乗の教えが広まって、それで得益を受ける時もあり、権大乗の教えが広まって得益を受ける時もあり、さらに実教の法門が広まって仏果を得ることができる時もある。ところで正法・像法の二千年は、小乗や権大乗の教えが広まる時代である。末法の始めの五百年は、純粋に円満で欠けたところのない真実の法華経のみが広く信仰されるべき時代にあたっているのである。この時はまた諍いごともめごとの多い時で、それまでに広まっていた仏法はすたれてしまう時でもあり、権教と実教が入り乱れている時代である。敵がいる時は刀や弓矢を持つべきであるが、敵のいない時は弓矢・兵士は必要のないものである。今、現在は権教はただちに実教の敵となる時である。法華一乗が広まる時は、権教が現われて敵となり、まぎらわしい存在の時なので、これを責めるべきである。これを摂受と折伏の二門の中の折伏というのである。天台大師は「法華の折伏により権門の理を破す」と法華玄義の九巻で述べているが、まことに理由のある語である。
[18]このように今、末法の時は折伏をすべき時期にあたっている。それなのに摂受である身・口・意・誓願の四安楽行をするのは、ちょうど冬に種子をまいて春に実をとり入れようとするのと同じではないか。鶏が朝早く鳴くのは時を知らせる用があるが、宵に鳴けば妖怪のようで気味の悪いものである。権教と実教とが入り乱れている時は、法華実教の敵を責めなくてはならないのに、独り山林に閉じこもって摂受の修行をしているのは、まさに法華経修行の時を失ってしまうのであり妖怪にとりつかれたものといえよう。したがって末法の今は法華経の折伏を修行しなくてはならないのだが、誰か経文の如くに修行した人がいるであろうか。誰でもよいから「諸法では仏になることができない。地獄へ落ち入る源となるものである。法華経だけが成仏するための法である」と声も惜しまずに主張し、諸宗の人も法もともに折伏してごらんなさい。三類の強敵が出て来てその人を迫害することは、勧持品に説かれているごとく疑いないことである。
五 法華経の如説修行者はだれか
[19]われらの本師たる釈迦如来は、在世八十年のうち最後の八年間に法華を説いて折伏された。天台大師は三十余年間、伝教大師は二十余年間、そして現在、日蓮は二十余年の間、権理たる諸宗を破折してきた。その間の大難は数えきれないほどである。かつて仏が値われた九種類の大難にも及ぶものであろう。及ぶか及ばないかはわからないが、恐らくは天台・伝教の両大師も、法華経を弘めるために日蓮ほどの大難に値われてはいない。すなわち両大師はただ悪口をいわれ怨嫉されただけであるが、日蓮は二度も国難王難に値い遠国に流罪され、竜の口では頸をはねられようとし、小松原では頭に刀傷を受けるなど刃杖の難に値い、そのほかにも悪口を重ねられ、自分だけではなく弟子らまで流罪に処せられ、牢屋に入れられたり、檀信徒にまで迫害の手が及び、所領を取り上げられて他所へ放逐されるなど、これらの大難は竜樹・天台・伝教といった人人にもいまだかつて受けたことのないものであった。
[20]したがって法華経を説の如くに修行する行者には、三類の強敵が必ず現われて難を加えるものと知るべきである。そこで釈尊ご入滅のあと二千余年間に、法華経を説の如く修行した行者は、釈尊と天台と伝教の三人をのぞいて、末法に入っては日蓮とその弟子・檀那等しかいない。もしもわれらを説の如く修行する者といわないとしたら、釈尊も天台も伝教等の三人も、また説の如く修行した人とはいえないことになる。
[21]そうなれば逆に法華経を誹謗した提婆や瞿伽利・善星・弘法・慈覚・智証・善導・法然・良観房等の人々が法華経の行者といわれ、諸経を折伏した釈尊や天台・伝教・日蓮ならびにその弟子や檀信徒が、念仏・真言・禅・律等の行者となってしまうことであろう。そして法華経は方便の権教といわれ、念仏等の諸経が逆に法華経となってしまうのであろうか。こんなことはたとえ東が西となり西が東になるようなことがあったとしても、また大地が生えている草木とともに飛び上がって天となり、天の日・月・星などがともに落ちてきて大地になるようなことがあったとしても、決してあるべき道理はない。
六 如説修行者の果報
[22]悲しむべきことに、今の日本国のすべての人々は、日蓮とその弟子・檀信徒等が、三類の強敵に責められ大いに苦しんでいる姿を見て、うれしがり笑っているが、「昨日は人の身の上、今日は我が身の上」といわれているごとく、日蓮とその弟子や檀信徒らはともに霜や露が朝日に解けてしまうように短かな命であるが、その時は仏乗に叶って寂光の浄土に居住して、自ら法楽を受け悦びに満ち溢れているとき、日蓮ならびに弟子や檀信徒らに害を加えたり誹謗したりした人々は、その罪により阿鼻地獄の底に落ちて大苦に値う。その苦しむ様子を見てわれらはどれほどか無惨なことだと思うであろう。その時、大苦を受ける者たちはわれらのことをいかにうらやましく思うことであろう。
[23]朝露のようにはかなく短い一生であるので、どのような強敵が重なってきても、少しも退く心を持ってはならない。また恐れる心も持ってはならない。たとえ頸を鋸で引き切り、胴体を鋭い鉾で突き、足には釘を打って錐で揉むような拷問に値っても、命のある間中は南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えて、唱え死にに死んだならば、釈迦・多宝・十方の諸仏方が、霊山会上でお約束したことなので、たちまちの間に飛んで来て手にとり、肩に引きかついで霊山へ連れて行って下さる。そこには二聖(薬王・勇施の二菩薩)と二天(持国・毘沙門の二天王)を始め法華経行者守護の十羅殺女が、受持の人を守って、諸天善神は天蓋をさしかけ、旗を立て、われらを守護して間違いなく寂光の宝処へ送り届けて下さるのである。まことに悦ばしいことであり、楽しいことである。
[24]文永十年(<暦>一二七三暦>)癸酉<日>五月日日>
[25]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[26]<先>人々御中へ先>
[27]この書は御身のそばにおいて離さず、いつもご覧なさい。