祈祷鈔
書下し
祈禱鈔
[1]<人>本朝沙門 日蓮 撰人>
[2]問うて云く、華厳宗・法相宗・三論宗・小乗の三宗・真言宗・天台宗の祈をなさんに、いづれかしるしあるべきや。答て云く、仏説なればいづれも一往は祈となるべし。ただ法華経をもていのらむ祈は、必ず祈となるべし。
[3]問うて云く、その所以はいかん。答て云く、二乗は大地微塵劫を経て、先四味の経を行ずとも成仏すべからず。法華経は、須臾の間これを聞て仏になれり。もししからば、舎利弗・迦葉等の千二百・万二千、総じて一切の二乗界の仏は、必ず法華経の行者の祈をかなふべし。また行者の苦にもかわるべし。故に信解品に云く、〔「世尊は大恩まします。希有の事を以て、憐愍教化して、我等を利益したもう。無量億劫にも、誰か能報する者あらん。手足をもて供給し、頭頂をもて礼敬し、一切をもて供養すとも、皆報することあたわず。もしは以て頂戴し、両肩に荷負して、恒河沙劫において、心を尽して恭敬し、また美膳、無量の宝衣、及び諸の臥具、種種の湯薬を以てし、牛頭栴檀、及び諸の珍宝以て塔廟を起、宝衣を地に布きかくのごとき等の事を以用供養すること、恒沙劫においてすとも、また報することあたわじ」〕等云云。
[4]この経文は、四大声門が譬諭品を聴門して、仏になるべき由を心得て、仏と法華経の恩の報じがたき事を説けり。されば二乗の御ためには、この経を行ずる者をば、父母よりも愛子よりも、両眼よりも身命よりも、大事にこそおぼしめすらめ。舎利弗・目連等の諸大声聞は、一代聖教いづれも讃歎せん行者を、すておぼす事はあるべからずとは思へども、爾前の諸経は、すこしうらみおぼす事もあるらん。「於仏法中、已如敗種」なんど、したゝかにいましめられ給し故なり。今の華光如来・名相如来・普明如来なんどならせ給ひたる事は、おもはざる外の幸なり。例せば崐崙山のくづれて、宝の山に入りたる心地してこそおはしぬらめ。されば領解の文に云く「無上宝珠、不求自得」等云云。されば一切の二乗界、法華経の行者をまほり給はん事は疑あるべからず。あやしの畜生なんども、恩をば報ずる事に候ぞかし。かりと申す鳥あり、必ず母の死なんとする時孝をなす。狐は塚を跡にせず。〔畜生すら、なおかくのごとし〕。いはんや人類をや。
[5]されば王寿と云ひし者道を行きしに、うえつかれたりしに、路の辺に梅の樹あり。その実多し、寿とりて食してうへやみぬ。我この梅の実を食して気力をます。その恩を報ぜずんばあるべからずと申して、衣をぬぎて梅に懸けてさりぬ。王尹と云ひし者は道を行くに水に渇しぬ。河をすぐるに、水を飲で銭を河に入て、これを水の直とす。竜は必ず袈裟を懸けたる僧を守る。仏より袈裟を給て、竜宮城の愛子に懸させて、金翅鳥の難をまぬがるる故なり。金翅鳥は、必ず父母孝養の者を守る。竜は須弥山を動かして、金翅鳥の愛子を食す。金翅鳥は、仏の教によて父母の孝養をなす者、僧のとるさんば(生飯)を須弥の頂にをきて、竜の難をまぬがるる故なり。
[6]天は必ず戒を持ち善を修する者を守る。人間界に戒を持たず善を修する者なければ、人間界の人死して多く脩羅道に生ず。脩羅多勢なれば、をごりをなして、必ず天ををかす。人間界に戒を持ち善を修するの者多ければ、人死して必ず天に生ず。天多ければ脩羅をそれをなして、天ををかさず。故に戒を持ち善を修する者をば、〔天必ずこれを守る〕。いかにいはんや二乗は、六凡より戒徳も勝れ、智慧賢き人人なり。いかでか我成仏を遂げたらん法華経を行ぜん人をば捨つべきや。
[7]また一切の菩薩並に凡夫は、仏にならんがために、四十余年の経経を無量劫が間行ぜしかども、仏に成る事なかりき。しかるを法華経を行じて、仏と成て今十方世界におはします。仏仏の三十二相八十種好をそなへさせ給て、九界の衆生にあをがれて、月を星の回るがごとく、須弥山を八山の回るがごとく、日輪を四州の衆生の仰ぐがごとく、輪王を万民の仰ぐがごとく、仰がれさせ給ふは、法華経の恩徳にあらずや。
[8]されば仏は法華経に誡めて云く〔「また舎利を安することをもちいざれ」〕。涅槃経に云く〔「諸仏の師とする所は、いわゆる法なり。この故に如来、恭敬供養す」〕等云云。法華経には我舎利を法華経に並べからず。涅槃経には諸仏は法華経を恭敬供養すべしと説かせ給へり。仏この法華経をさとりて仏に成、しかも人に説き聞かせ給はずば、仏種をたゝせ給ふ失あり。この故に釈迦如来は、この娑婆世界に出でて説かんとせさせ給ひしを、元品の無明と申す第六天の魔王が、一切衆生の身に入て、仏をあだみて説かせまいらせじとせしなり。
[9]いはゆる波瑠璃王の五百人の釈人を殺し、鴦崛摩羅が仏を追、提婆が大石を放、旃遮婆羅門女が鉢を腹にふせて仏の御子と云ひし、婆羅門城には、仏を入れ奉る者は五百両の金をひきき。されば道にはうばらをたて、井には糞を入れ、門にはさかむき(逆木)をひけり、食には毒を入れし、皆この仏をにくむ故に。華色比丘尼を殺し、目連は竹杖外道に殺され、迦留陀夷は馬糞に埋れし、皆仏をあだみし故なり。
[10]しかれども仏さまざまの難をまぬかれて、御年七十二歳、仏法を説き始られて、四十二年と申せしに、中天竺王舎城の丑寅耆闍崛山と申す山にして、法華経を説き始られて、八年まで説かせ給て、東天竺倶尸那城跋提河の辺にして、御年八十と申せし、二月十五日の夜半に御涅槃に入らせ給ひき。しかりといへども、御悟をば法華経と説きをかせ給へば、この経の文字はすなわち釈迦如来の御魂なり。一一の文字は仏の御魂なれば、この経を行ぜん人をば、釈迦如来我御眼のごとくまほり給ふべし。人の身に影のそへるがごとく、そはせ給ふらん。いかでか祈とならせ給はざるべき。
[11]一切の菩薩は、また始め華厳経より四十余年の間、仏にならんと願ひ給ひしかどもかなはずして、法華経の方便品の略開三顕一の時、〔「仏を求むる諸の菩薩、大数八万あり。また諸の万億国の転輪聖王の至れる、合掌して敬心を以て、具足の道を聞んと欲す」〕と願いしが、広開三顕一を聞て、〔「菩薩この法を聞て疑網皆已に断ちぬ」〕と説かせ給ぬ。
[12]その後自界他方の菩薩雲のごとく集り、星のごとく列なり給ひき。宝塔品の時、十方の諸仏各各無辺の菩薩を具足して集り給ひき。文殊は海より無量の菩薩を具足し、また八十万億那由陀の諸菩薩、また過八恒河沙の菩薩、地涌千界の菩薩、分別功徳品の六百八十万億那由陀恒河沙の菩薩、また千倍の菩薩、また一世界の微塵数の菩薩、また三千大千世界の微塵数の菩薩、また二千中国土の微塵数の菩薩、また小千国土の微塵数の菩薩、また四四天下の微塵数菩薩、三四天下・二四天下・一四天下の微塵数の菩薩、また八世界微塵数の衆生、薬王品の八万四千の菩薩、妙音品の八万四千の菩薩、また四万二千の天子、普門品の八万四千、陀羅尼品の六万八千人、妙荘厳王品の八万四千人、勧発品の恒河沙等の菩薩、三千大千世界微塵数等の菩薩、これ等の菩薩を委く数へば、十方世界の微塵のごとし。十方世界の草木のごとし。十方世界の星のごとし。十方世界の雨のごとし。これ等は皆法華経にして仏にならせ給ひて、この三千大千世界の地上・地下・虚空の中にまします。
[13]迦葉尊者は鶏足山にあり、文殊師利は清涼山にあり、地蔵菩薩は伽羅陀山にあり、観音は補陀落山にあり、弥勒菩薩は兜率天に、難陀等の無量の竜王・阿脩羅王は海底海畔にあり。帝釈は忉利天に、梵王は有頂天に、摩醯脩羅は第六の他化天に、四天王は須弥の腰に、日月衆星は我等が眼に見へて、頂上を照し給ふ。江神・河神・山神等も、皆法華経の会上の諸尊なり。
[14]仏、法華経をとかせ給ひて年数二千二百余年なり。人間こそ寿も短き故に、仏をも見奉り候人も侍らぬ。天上は日数は永く寿も長ければ、併仏をおがみ法華経を聴聞せる天人かぎり多くおはするなり。人間の五十年は四王天の一日一夜なり。この一日一夜をはじめとして、三十日は一月、十二月は一年にして五百歳なり。されば人間の二千二百余年は四天王の四十四日なり。されば日月並に毘沙門天王は、仏におくれたてまつりて四十四日、いまだ二月にたらず。帝釈梵天なんどは仏におくれ奉りて、一月一時にもすきず。わづかの間にいかでか仏前の御誓ひ、並びに自身成仏の御経の恩をばわすれて、法華経の行者をば捨てさせ給ふべき、なんど思いつらぬればたのもしき事なり。
[15]されば法華経の行者の祈る祈は、響の音に応ずるがごとし。影の体にそえるがごとし。すめる水に月のうつるがごとし。方諸の水をまねくがごとし。磁石の鉄をすうがごとし。琥珀の塵をとるがごとし。あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし。
[16]世間の法には、我がおもはざる事も、父母・主君・師匠・妻子・をろかならぬ友なんどの申す事は、恥ある者は意にはあはざれども、名利をもうしなひ、寿ともなる事も侍るぞかし。いかにいはんや我心からをこりぬる事は、父母・主君・師匠なんどの制止を加ふれどもなす事あり。さればはんよき(范於期)と云いし賢人は、我頸を切てだにこそ、けいか(荊軻)と申せし人には与へき。季札と申せし人は、約束の剣を徐の君が塚の上に懸けたりき。
[17]しかるに霊山会上にして即身成仏せし竜女は、小乗経には五障の雲厚く三従のきづな強しと嫌はれ、四十余年の諸大乗経には、或は歴劫修行にたへずと捨てられ、或は初発心時便成正覚の言も、有名無実なりしかば、女人成仏もゆるさざりしに、たとい人間天上の女人なりとも成仏の道には望みなかりしに、竜畜下賤の身たるに、女人とだに生れ、年さへいまだたけず、わづかに八歳なりき。かたがた思ひもよらざりしに、文殊の教化によりて、海中にして法師・提婆の中間、わづかに宝塔品を説かれし時刻に、仏になりたりし事はありがたき事なり。一代超過の法華経の御力にあらずば、いかでかかくは候べき。
[18]されば妙楽は「行浅功深以顕経力」とこそ書かせ給へ。竜女は我が仏になれる経なれば、仏の御諫なくとも、いかでか法華経の行者を捨てさせ給べき。されば自讚歎仏の偈には、〔「我大乗の教を闡て、苦の衆生を度脱せん」〕等とこそ、すゝませさせ給しか。竜女の誓は、その所従の「非口所宣非心所測」の一切の竜畜の誓なり。婆竭羅竜王は龍畜の身なれども、子を念う志深かりしかば、大海第一の宝如意宝珠をもむすめにとらせて、即身成仏の御布施にせさせつれ。この珠は直三千大千世界にかふる珠なり。
[19]提婆達多は師子頬王には孫、釈迦如来には伯父たりし斛飯王の御子、阿難尊者の舎兄なり。善聞長者のむすめの腹なり。転輪聖王の御一門、南閻浮提には〔賤からざる人なり〕。在家にましましし時は、夫妻となるべきやすたら女を悉達太子に押し取られ、宿世の敵と思しに、出家の後に人天大会の集まりたりし時、仏に汝は癡人唾を食へる者とのられし上、名聞利養深かりし人なれば、仏の人にもてなされしをそねみて、我身には五法を行じて、仏より尊げになし、鉄をのして千輻輪につけ、蛍火を集めて白毫となし、六万宝蔵・八万宝蔵を胸に浮べ、象頭山に戒場を立て、多くの仏弟子をさそひとり、爪に毒を塗り仏の御足にぬらむと企て、蓮華比丘尼を打殺し、大石を放て仏の御指をあやまちぬ。
[20]具に三逆を犯し、結句は五天竺の悪人を集め、仏並びに御弟子檀那等にあだをなす程に、頻婆娑羅王は仏の第一の御檀那なり。一日に五百輛の車を送り、日日に仏並に御弟子を供養し奉りき。提婆そねむ心深くして、阿闍世太子を語て、父を終に一尺の釘七つをもてはりつけになし奉りき。終に王舎城の北門の大地破て、阿鼻大城に堕ちにき。三千大千世界の人、一人もこれを見ざる事なかりき。されば大地微塵劫は過ぐるとも、無間大城をば出つべからずとこそ思候に、法華経にして天王如来とならせ給けるにこそ不思議に尊けれ。提婆達多、仏になり給はば、語らはれし所の無量の悪人、一業所感なれば皆無間地獄の苦ははなれぬらん。これ偏に法華経の恩徳なり。されば提婆達多並びに所従の無量の眷属は、法華経の行者の室宅にこそ、住ませ給らめとたのもし。
[21]諸の大地微塵のごとくなる諸菩薩は等覚の位までせめて、元品の無明計りもちて侍るが、釈迦如来に〔値い奉て〕、元品の大石をわらんと思ふに、教主釈尊四十余年が間は、因分可説果分不可説と申て、妙覚の功徳を説き顕し給はず。されば妙覚の位に登る人、一人もなかりき。本意なかりし事なり。
[22]しかるに霊山八年が間に、唯一仏乗名為果分と説き顕し給しかば、諸の菩薩皆妙覚の位に上りて、釈迦如来と悟り等しく、須弥山の頂に登て、四方を見しがごとく、長夜に日輪の出てたらんがごとく、あかなくならせ給たりしかば、仏の仰せ無くとも法華経を弘めじ、また行者に替らじ、とはおぼしめすべからず。されば「我不愛身命、但惜無上道。不惜身命、当広説此経」等とこそ誓ひ給しか。
[23]その上慈父の釈迦仏・悲母の多宝仏・慈悲の父母等、同く助証の十方の諸仏一座に列らせ給て、月と月とを集めたるがごとく、日と日とを並べたるがごとくましましし時、〔「諸の大衆に告ぐ、我滅度の後、誰れか能この経を護持し読誦せんものなる。今仏前において、自誓言を説け」〕と三度まで諫させ給しに、八方四百万億那由陀の国土に充満せさせ給し諸大菩薩、身を曲低頭合掌し、倶に同時に声をあげて、〔「世尊の敕のごとく、まさに具に奉行したてまつるべし」〕と三度まで声を惜まずよばわりしかば、いかでか法華経の行者にはかわらせ給はざるべき。
[24]はんよき(范於期)と云しもの、けいか(荊軻)に頭を取せ、きさつ(季札)と云しもの徐君が塚に刀をかけし、約束を違へじがためなり。これ等は震旦辺土のえびすのごとくなるものどもだにも、友の約束に命をも亡し、身に代へて思ふ刀をも塚に懸るぞかし。まして諸大菩薩は、本より大悲代受苦の誓ひ深し。仏の御諫なしとも、いかでか法華経の行者を捨て給べき。その上我成仏の経たる上、仏慇懃に諫め給しかば、仏前の御誓い丁寧なり。行者を助けたまふ事疑ふべからす。
[25]仏は人天の主、一切衆生の父母なり。しかも開導の師なり。父母なれども賤き父母は主君の義をかねず。主君なれども父母ならざれば、おそろしき辺もあり。父母・主君なれども、師匠なる事はなし。諸仏はまた世尊にてましませば、主君にてはましませども、娑婆世界に出させ給はざれば、師匠にあらず。また「其中衆生悉是吾子」とも名乗らせ給はず。釈迦仏独主師親の三義をかね給へり。
[26]しかれども四十余年の間は、提婆達多を罵給ひ、諸の声聞をそしり、菩薩の果分の法門を惜み給しかば、仏なれども、よりよりは天魔破旬ばしの、我等をなやますかの疑い、人にはいはざれども、心の中には思ひしなり。この心は四十余年より法華経の始まで失せず。
[27]しかるを霊山八年の間に宝塔虚空に現じ、二仏日月のごとく並び、諸仏大地に列り、大山をあつめたるごとく、地涌千界の菩薩が虚空に星のごとく列り給ひて、諸仏の果分の功徳を吐給しかば、宝蔵をかたふけて、貧人にあたうるがごとく、崐崙山のくづれたるににたりき。諸人この玉をのみ拾がごとく、この八ケ年が間珍く貴き事、心髄にもとをりしかば、諸菩薩身命も惜まず、言をはぐくまず誓ひをなせし程に、属累品にして釈迦如来宝塔を出させ給て、とびらを押たて給しかば、諸仏は国国へ返り給き。諸の菩薩等も諸仏に随ひ奉りて返らせ給ぬ。
[28]やうやく心ぼそくなりし程に、郤後三月まさに般涅槃と唱させ給し事こそ、心ぼそく耳をどろかしかりしかば、二乗人天等ことごとく法華経を聴聞して、仏の恩徳心肝にそみて、身命をも法華経の御ために投て、仏に見せまいらせんと思しに、仏の仰せのごとく、もし涅槃せさせ給はば、いかにあさましからんと胸さはぎしてありし程に、仏の御年満八十と申せし二月十五日の寅卯の時、東天竺舎衛国倶尸那城跋提河の辺にして、仏御入滅なるべき由の御音、上は有頂、横には三千大千界までひびきたりしこそ、目もくれ心もきえはてぬれ。五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国等の衆生、一人も衣食を調へず、上下をきらはず、牛馬狼狗鵰鷲蝱蝱等の五十二類の、一類の数、大地微塵をもつくしぬべし。いはんや五十二類をや。この類皆華香衣食をそなへて、最後の供養とあてがひき。一切衆生の宝の橋をれなんとす。一切衆生の眼ぬけなんとす。一切衆生の父母主君師匠死なんとす。なんど申すこえひびきしかば、身の毛のいよ立のみならず涙を流す。なんだをながすのみならず、頭をたゝき胸ををさへ音も惜まず叫びしかば、血の涙血のあせ倶尸那城に大雨よりもしげくふり、大河よりも多く流れたりき。これひとへに法華経にして仏になりにしかば仏の恩の報じがたき故なり。
[29]かゝるなげきの庭にても、法華経の敵をば舌をきるべきよし、座につらなりし人々のゝしり侍りき。迦葉童子菩薩は、法華経の敵の国には霜雹となるべしと誓ひ給き。その時仏は、臥よりをきてよろこばせ給て、善哉善哉と讃め給き。諸菩薩は仏の御心を推して、法華経の敵をうたんと申さば、しばらくもい(生)き給ひなんと思て、一一の誓はなせしなり。されば諸菩薩・諸天人等は、法華経の敵の出来せよかし、仏前の御誓はたして、釈迦尊並びに多宝仏・諸仏如来にも、げに仏前にして誓しがごとく、法華経の御ためには、名をも身命をも惜まざりけりと思はれまいらせん、とこそおぼすらめ。いかに申す事はをそきやらん。
[30]大地はさゝばはづるるとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の、祈のかなはぬ事はあるべからず。法華経の行者を諸の菩薩・人天・八部等、二聖・二天・十羅刹等、千に一も来りてまほり給はぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなづり奉り、下は九界をたぼらかす失あり。行者は必ず不実なりとも、智慧はをろかなりとも、身は不浄なりとも、戒徳は備へずとも、南無妙法蓮華経と申さば、必ず守護し給べし。袋きたなしとて、金を捨つる事なかれ、伊蘭をにくまば、栴檀あるべからず。谷の池を不浄なりと嫌はば、蓮を取るべからず。行者を嫌ひ給はば、誓を破り給ひなん。
[31]正像既に過ぎぬれば、持戒は市の中の虎のごとし、智者は麟角よりも希ならん。月を待までは燈を憑べし。宝珠のなき処には金銀も宝なり。白烏の恩をば黒烏に報ずべし。聖僧の恩をば凡僧に報ずべし。とくとく利生をさづけ給へと強盛に申すならば、いかでか祈のかなはざるベき。
[32]問て云く、上にかゝせ給ふ道理文証を拝見するに、まことに日月の天におはしますならば、大地に草木のおふるならば、昼夜の国土にあるならば、大地だにも反覆せずば、大海のしほだにもみちひるならば、法華経を信ぜん人、現世のいのり後生の善処は疑ひなかるべし。〔しかりといえども〕、この二十余年が間の天台・真言等の名匠、多く大事のいのりをなすに、はかばかしく、いみじきいのりありともみえず。なお外典の者どもよりも、つたなきやうに、うちをぼへて見ゆるなり。恐らくは経文のそらごとなるか、行者のをこなひのをろかなるか、時機のかなはざるかと、うたがはれて、後生もいかんとをぼう。
[33]それはさてをきぬ。御房は山僧の御弟子とうけ給はる。父の罪は子にかゝり、師の罪は弟子にかゝるとうけ給はる。叡山の僧徒の薗城山門の堂塔・仏像・経巻数千万をやきはらはせ給が、ことにおそろしく、世間の人人もさわぎうとみあへるはいかに。前にも少少うけ給はり候ぬれども、今度くわしくきゝひらき候はん。ただし不審なることは、かゝる悪僧どもなれば、三宝の御意にもかなはず、天地にもうけられ給はずして、祈も叶はざるやらんとをぼへ候はいかに。
[34]答て云く、せんぜんも少少申しぬれども、今度またあらあら申すべし。日本国にをいては、この事大切なり。これをしらざる故に多くの人、口に罪業をつくる。先づ山門はじまりし事は、この国に仏法渡て二百余年、桓武天皇の御宇に、伝教大師立て始め給しなり。当時の京都は、昔聖徳太子王気ありと相し給しかども、天台宗の渡らん時を待ち給し間、都をたて給はず。
[35]また上宮太子の記に云く〔「我滅度二百余年に、仏法日本に弘まるべし」〕云云。伝教大師延暦年中に叡山を立て給ふ。桓武天皇は平の京都をたて給き。太子の記文たがはざる故なり。されば山門と王家とは、松と栢とのごとし、蘭と芝とににたり。松かるれば必栢かれ、らんしぼめば、またしばしぼむ。王法の栄へは山の悦び、王位の衰へは山の歎きと見えしに、既に世関東に移りし事、なにとか思食しけん。
[36]〔秘法四十一人の行者。承久三年辛巳四月十九日京夷乱し時、関東調伏のため、隠岐の法皇の宣旨によって、始めて行わる御修法十五壇の秘法
[37]一字金輪法〈天台座主慈円僧正。伴僧十二口。関白殿基通の御沙汰〉
[38]四天王法〈成興寺の宮僧正。伴僧八口。広瀬殿において修明門院の御沙汰〉
[39]不動明王法〈成宝僧正。伴僧八口。花山院禅門の御沙汰〉
[40]大威徳法〈観厳僧正。半僧八口。七条院の御沙汰〉
[41]転輪聖王法〈成賢僧正。伴僧八口。同院の御沙汰〉
[42]十壇大威徳法〈伴僧六口。覚朝僧正。俊性法印。永信法印。豪円法印。猷円僧都。慈賢僧正。賢乗僧都。仙尊僧都。行遍僧都。実覚法眼。已上十人大旨本坊においてこれを修す〉
[43]如意輪法〈妙高院僧正。伴僧八口。宜秋門院の御沙汰〉
[44]毘沙門法〈常住院僧正。伴僧六口。資賃の御沙汰〉
[45]御本尊一日これをつくらる。調伏の行儀は如法愛染王法〈仁和寺御室の行法。五月三日これを始め、紫宸殿において二七日これを修せらる〉
[46]仏眼法〈大政僧正。三七日これを修す〉
[47]六字法〈快雅僧都〉
[48]愛染王法〈観厳僧正。七日これを修す〉
[49]不動法〈勧修寺の僧正。伴僧八口。皆僧綱〉
[50]大威徳法〈安芸僧正〉
[51]金剛童子法〈同人〉
[52]已上十五壇法了〕。五月十五日伊賀太郎判官光季京にして討れ、同十九日鎌倉に聞え、同二十一日大勢軍兵上ると聞えしかば、〔残ところの法六月八日これを行い始めらる。
[53]尊星王法〈覚朝僧正〉
[54]太元法〈蔵有僧都〉
[55]五壇法〈大政僧正。永信法印。全尊僧都。猷円僧都。行遍僧都〉
[56]守護経法〈御室これを行わる。我朝二度これを行う〉〕
[57]五月二十一日武蔵の守殿海道より上洛し、甲斐源氏は山道を上る、式部殿は北陸道を上り給ふ。六月五日大津をかたむる手、甲斐源氏に〔破られおわんぬ〕。同六月十三日十四日宇治橋の合戦、同十四日に京方〔破られおわんぬ〕。同十五日に武蔵守殿六条へ入給ふ。諸人入りおわんぬ。七月十一日に本院は隠岐の国へ〔流され給い〕、中院は阿波の国へ〔流され〕給ひ、第三院は佐渡の国へ〔流され〕給ふ。殿上人七人〔誅殺せられおわんぬ〕。
[58]かゝる大悪法、年を経て漸漸に関東に落ち下りて、諸堂の別当供僧となり連連と〔これを行う〕。本より教法の邪正勝劣をば知食さず。ただ三宝をばあがむべき事とばかりおぼしめす故に、自然としてこれを用ひきたれり。関東の国国のみならず、叡山・東寺・薗城寺の座主・別当、皆関東の御計と成りぬる故に、彼法の檀那と成り給ぬるなり。
[59]問て云く、真言の教を強に邪教と云ふ心いかん。答て云く、弘法大師云く第一大日経・第二華厳経・第三法華経と能能この次第を案すベし。仏はいかなる経にかこの三部の経の勝劣を説き判じ給へるや。もし第一大日経・第二華厳経・第三法華経と説き給へる経あるならば、もっともしかるべし。その義なくんば、はなはだ以て依用しがたし。法華経に云く〔「薬王今汝に告ぐ、我所説の諸経、しかもこの経の中において、法華最も第一なり」〕云云。仏正く諸教をあげて、その中において法華第一と説き給ふ。仏の説法と弘法大師の筆とは水火の相違なり。尋ね究むべき事なり。この筆を数百年が間、凡僧・高僧これを学し、貴賤・上下これを信じて、大日経は一切経の中に第一とあがめける事、仏意に叶はず。心あらん人は能能思ひ定むべきなり。
[60]もし仏意に相叶はぬ筆ならば、信ずともあに成仏すべきや。またこれを以て国土を祈らんに、〔まさに不祥を起さざるべきか〕。また云く〔震旦の人師等諍て醍醐を盗む」〕云云。文の意は天台大師等真言教の醍醐を盗て法華経の醍醐と名づけ給へる事は、この筆最第一の勝事なり。法華経を醍醐と名づけ給へる事は、天台大師涅槃経の文を勘へて、一切経の中には法華経を醍醐と名づくと判じ給へり。真言教の天竺より唐土へ渡る事は、天台出世の以後二百余年なり。
[61]されば二百余年の後に渡るべき真言の醍醐を盗みて、法華経の名づけ給ひけるか。この事不審なり、不審なり。真言〔いまだ渡ざる〕以前の二百余年の人人を盗人とかき給へる事、証拠何れぞや。弘法大師の筆をや信ずべき。涅槃経に法華経を醍醐と説けるをや信ずべき。もし天台大師盗人ならば、涅槃経の文をばいかがこゝろうべき。さては涅槃経の文真実にして、浄法の筆邪義ならば、邪義の教を信ぜん人人はいかん。ただ弘法大師の筆と仏の説法と勘へ合せて、正義を信じ侍るべしと申す計りなり。
[62]疑て云く、大日経は大日如来の説法なり。もししからば釈尊の説法を以て大日如来の教法を打ちたる事、都て道理に相叶はずいかん。
[63]答て云く、大日如来は何なる人を父母として、いかなる国に出て、大日経を説き給けるやらん。もし父母なくして出世し給ふならば、釈尊入滅以後、慈尊出世以前、五十六億七千万歳が中間に、仏出て説法すべしと云ふ事、いかなる経文ぞや。もし証拠なくんば誰人か信ずべきや。かゝる僻事をのみ構へ申す間、邪教とは申すなり。その迷謬尽しがたし。纔か一二を出すなり。しかのみならず並びに禅宗・念仏等をこれを用る。これ等の法は皆未顕真実の権教、不成仏の法、無間地獄の業なり。彼行人また謗法の者なり。争てか御祈禱叶ふべきや。
[64]しかるに国主と成り給ふ事は、過去に正法を持、仏に仕ふるに依て、大小の王皆梵王・帝釈・日月・四天等の御計ひとして、郡郷を領し給へり。いはゆる経に云く、〔「我今五眼をもて、明に三世を見るに、一切の国王、皆過去世に五百の仏に侍するに由て、帝王主となることを得たり」〕等云云。しかるに法華経を背きて、真言・禅・念仏等の邪師に付て、諸の善根を修せらるるとも、敢て仏意に叶はず、神慮にも違する者なり。能能案あるべきなり。
[65]人間に生を得る事都て希れなり。適生を受て、法の邪正を極めて、未来の成仏を期せざらん事、返返本意にあらざる者なり。また慈覚大師御入唐以後、本師伝教大師に背かせ給ひて、叡山に真言を弘めんがために御祈請ありしに、日を射るに日輪動転すと云ふ夢想を御覧じて、四百余年の間諸人これを吉夢と思へり。日本国は殊に忌むべき夢なり。殷の紂王、日輪を的にして射るに依て身亡びたり。この御夢想は権化の事なりとも、能能思惟あるべきか。よって九牛の一毛、〔註する所件のごとし〕。
現代語訳
祈禱鈔
文永九年(一二七二)、五一歳、於佐渡一谷、和文、定六六七—六八六頁。
[1]<人>日本の僧侶である日蓮が執筆人>
一 諸宗の祈禱について利益の有無を論ず
[2]お尋ねするが華厳宗・法相宗・三論宗、それに倶舎・成実・律といった小乗の三宗と、真言宗・天台宗といった諸宗が祈禱をおこなった場合、どの宗の祈禱がもっとも霊験を現わすであろうか。お答えしよう、どの宗の祈禱も一応は仏説にもとづいているので祈禱ということができるが、しかし法華経によっておこなう祈禱こそがまことの祈禱であり、必ず祈禱も成就するであろう。
[3]重ねてお尋ねするが、それはどうしてであろうか。お答えしよう、そのわけはまず声聞・縁覚の二乗についてみるに、この人たちは大地を微塵にくだいた数よりもさらに多くの年数を修行したとしても、法華経以前の四味の諸経では、成仏することができないでいる。ところが法華経で制はほんのわずかな間に仏になることができたのである。したがって、舎利弗や迦葉等の千二百人、あるいは一万二千人をはじめ、すべての二乗界にありながら仏になれたものたちは、法華経の行者の祈りを必ずかなえさせるべきである。また行者の苦しみを代わってやるべきである。ゆえに信解品には、「世尊は大恩のあるかたである。これまでにさまざまな不思議な力をもって、われら衆生をあわれみ教化して利益を与えられた。この大恩には無量億の永年にわたっても、だれも報いることはできないであろう。手や足でお仕えしても、頭を下げて敬礼しすべての物を供養し尊敬しても、この大恩に報いることはできない。あるいは仏の両足を自分の掌にのせて拝伏し、両肩に背負って無量の永い間にわたり、心を尽くして恭敬し、また美味の料理やすばらしい着物や、そのほか上等の調度品や医薬品等を数多く供養し、さらに名香の栴檀や珍しい宝物をもって塔廟を建立し、宝を散りばめた衣を大地に敷いて供養することが永い間に及んでも、とうてい仏の恩に報いることは不可能なことである」と説かれている。
[4]この経文は四大声聞が譬喩品を聞いて仏になれるということを知り、仏と法華経の恩に報じがたいことを説いたものである。だから二乗の人人のためには、この法華経を修行し受持する者は、父母よりも愛しい子よりも両眼よりも、さらに命よりも大事に考えられたことであろう。舎利弗や目連等の諸大声聞は、仏一代の聖教についてどれでも讃歎する行者を見捨てるようなことはないと思うが、法華経以前に説かれた諸経の場合は、少し恨みをおぼえていることであろう。そのわけは諸経の中では二乗のことを、「仏法の中のおいては、すでに二乗の者は仏になるべき種子をくさらせてしまっている」などと強く成仏を否定されてしまっているからである。ところが今、法華経において舎利弗は華光如来、須菩提は名相如来、その他の千二百の声聞衆は普明如来等と仏に成られたことは、思いもしなかった幸せである。例えば崐崙山が崩れて宝の山へ入ることができたような心持ちであったことだろう。だから二乗の人たちの領解した文の中に「このうえない宝の珠を求めずして、おのずと得ることができた」といっている。したがってすべての二乗界の者は、法華経の行者を守ることは疑いのないことである。卑しい畜生などでさえも受けた恩を忘れずに報いようとするものである。雁という鳥は、必ず母鳥が死にそうになったとき孝養をおこなう。また狐も死ぬときは自分の塚に背を向けないという。畜生でさえもこのように恩を忘れないのである。まして人間が恩を忘れてもよいといえるであろうか。
[5]それゆえに王寿という人は旅をしていて、飢え疲れてしまったので、路のわきに梅の木があり、実がたくさんついていたので、王寿はこれを食べて飢えをいやした。そこで彼は「私はこの梅の実を食べたおかげで気力を増すことができた。その恩を報じなくてはならない」といって、着ていた着物をぬいで、その梅の木に掛けてやって去って行ったという。また王尹という人は、道を歩いていて喉がかわき困っていたところ、ちょうど川に出たので、その水をのみ渇をいやすことができたが、立ち去る時に川へ銭を入れてその代金としたという。さらに竜は必ず袈裟をかけた僧を守るといわれている。それは昔仏から袈裟をいただいて、これを竜宮城の愛しいわが子にかけさせ、おかげで金翅鳥に食われそうになった難をまぬがれることができたからである。金翅鳥は必ず父母に孝養する者を守る。その理由は竜は須弥山を動かして金翅鳥の愛しい子をたべてしまうので、金翅鳥は、仏の教えによって父母に孝養するものが僧を供養するために捧げる生飯の残りを須弥山の頂上に置いて、竜の難からまぬがれることができたからである。
[6]天は必ず戒律をたもち善事をおこなう人を守るが、人間界に戒律をたもち善事をおこなう者がいないので、人間界の人は死んでから多くの者は修羅道に落ちることになる。修羅道の者が多くなると、その勢力に乗じて、必ず天上界を侵すことになる。人間界に戒律をたもち善事をおこなう者が多い場合は、人が死んだあと必ず天上界に生まれ、天上界が多くなれば、修羅は天上界をおそれてこれを侵すことをしない。だから戒律をたもち善事をおこなう者を、天は必ず守るのである。ましてや二乗は六道の者たちよりも戒徳も優れており、智慧も賢い人々ばかりである。どうして自分が成仏することのできた法華経を修行する人を見捨てたりなどすることがあろうか。
二 法華経の文字は仏の御魂である
[7]またすべての菩薩ならびに凡夫は仏に成ろうと思って、仏が四十余年の間に説かれた経々を無量の永きにわたって修行したけれども、ついに仏になることはできなかった。それなのに今、法華経を修行したことにより、ただちに仏になることができて、十方の世界におられる。また諸仏が三十二相や八十種好といった荘厳な姿を備えて、九界の衆生から拝まれて月の回りを星がめぐるように、須弥山を八つの山がめぐらしているように、太陽を東西南北の四州の衆生が仰ぐように、転輪聖王を万民が仰ぐように、みんなで仰ぎ見られていることは、ひとえに法華経の恩徳によるものというべきではないか。
[8]だから仏は法華経の法師品の中で、「この法華経を安置し仰ぎ見て供養するところには、また特別に仏の舎利を安置しなくともよろしい」と衆生を誡しめている。涅槃経では「諸仏の師とするところは、すなわち法である。ゆえに如来は法を恭敬し供養するのである」とも説かれている。また法華経では、仏が「わが舎利を法華経と並べてはいけない」と説き、涅槃経では「諸仏は法華経を恭敬し供養すべきである」と説かれている。仏はこの法華経を悟って仏になられたのである。しかもその法華経を他の人々に説き聞かせることをしなかったならば、仏になるべき種子を途中で断絶してしまう、という過失を犯してしまうことになるのである。そこで釈迦如来は、この娑婆世界に出生されて、法華経を説こうとされたところ、元品の無明という第六天の魔王がこれに反対して、一切衆生の身体の中に入りこみ、仏を仇のごとくに思わせて、説くことを妨害しようとしたのである。
[9]すなわち波瑠璃王が五百人もの釈子の一族を殺し、鴦崛摩羅が仏を追いかけて危害を加えようとしたり、提婆が大石を放って仏を傷付けたり、旃遮婆羅門の女が鉢を腹に伏せて仏の御子を身ごもったといいふらして悪宣伝をおこない、婆羅門城の王が、もし仏を城内に入れた者がいたら五百両の罰金を取るといったので、城内の人々は道路にトゲの出たバラを立てて歩けないようにし、井戸には糞を入れて飲めないようにしたり、門には逆木を置いて入らないようにし、さらに食物には毒を入れて、仏の通行を妨害した。これらのことはすべて魔王が仏を憎んでやらせたことである。また仏の弟子であった華色比丘尼を殺したのも、目連が竹杖外道に殺害されたのも、迦留陀夷が馬糞の中へ埋められたのも、みな仏を憎んでのしわざであった。
[10]しかし仏はさまざまな難をまぬがれて、御年七十二歳のとき、仏法を説き始めてから四十二年目に、中インドの王舎城から北東の方向にある耆闍崛山という山で法華経を説き始められてから八年間をへて、東インドの倶尸那城跋提河のほとりで、御年八十歳の二月十五日夜半に、御涅槃に入られたのである。しかしながらその仏のお悟りの内容は、法華経にすべて説かれていると示されているので、法華経の文字はすなわち釈迦如来の御魂である。一字一字の経文は仏の御魂であるので、この経を修行する人を釈迦如来はわが御眼のように大切に守ってくださるのである。ちょうど人の身体に影が添って離れないように、守ってくださるであろう。だからどうして祈りが成就しないことがあろう。
三 諸菩薩や諸天諸神は法華経によって成仏
[11]またすべての菩薩は、始めの華厳経から四十余年間にわたって、仏になろうと願って努力してきたが果すことができず、法華経の方便品において略開三顕一の説法をされたとき、「仏になろうとするもろもろの菩薩と八万の人々、また万億という数の国の転輪聖王が、仏に対して合掌し、敬いの心をもって、具足の道をお聞きしたい」と願い出た。そこで仏はさらに広く開三顕一の法門を説かれたのである。「菩薩たちはこの法門を聞いて、みな疑問に思っていたことがことごとく理解できた」と説かれているのである。
[12]その後、この国土や他方の国土から、続々と菩薩が雲のように集まり、星の数のごとく列席した。すなわち宝塔品のとき、十方の諸仏が各自無辺の菩薩をしたがえて集合された。提婆品のときは文殊菩薩が海中より無量の菩薩をしたがえて現われ、勧持品の時は八十万億那由他の諸菩薩が、さらに涌出品では八恒河沙に過ぎた菩薩と、大地から涌出した千界を微塵にした数ほどの菩薩、分別功徳品では六百八十万億那由陀恒河沙の菩薩、またその千倍の菩薩、一世界を微塵にしたほどの数の菩薩、三千大世界を微塵にしたほどの数の菩薩、また二千の中国土を微塵の数にしたほどの菩薩、小千国土を微塵にしたほどの数の菩薩、さらに四つの四天下・三つの四天下・二つの四天下・一つの四天下をそれぞれ微塵にしたほどの菩薩、また八世界を微塵にしたほどの数の衆生、さらに薬王品の八万四千の菩薩、妙音品の八万四千の菩薩、また四万二千の天子、普門品の八万四千人、陀羅尼品の六万八千人、妙荘厳王品の八万四千人、勧発品の恒河沙等の菩薩、三千大千世界微塵数等の菩薩、これらの菩薩を詳しく数えれば、十方世界を微塵にした数ほどであり、十方世界の草木のごとくである。また十方世界の星の数のごとくであり、雨のつぶのごとくである。これらの数えきれないほどの菩薩は、みな法華経によって仏になられたのであり、この三千大千世界の地上や地下、さらの虚空の中におられるのである。
[13]すなわち迦葉尊者は鶏足山におられ、文殊師利は、清涼山に、地蔵菩薩は伽羅陀山に、観音は補陀落山に、弥勒菩薩は兜率天に、難陀等の無量の竜王や阿修羅王は海底か海畔にあり、帝釈は忉利天に、梵王は有頂天に、そして摩醯修羅は第六の他化天に、四天王は須弥山の中腹に、日月衆星はわれらの眼で見ることができるように、天空の頂上にあってあたりを照らしておられる。そのうえさらに江神も河神も山神等も、みな法華経を説法された会座の諸尊である。
[14]仏が法華経をお説きになられて、二千二百年余りも経過しているが、人間は寿命が短いので、仏を実際に見ることのできた人はすでにこの世にはいないが、天上界では日数も永く寿命も長いので、法華経を聴聞した天人は数かぎりなくおられる。人間の五十年は四天王の一日一夜にあたる。したがってこの一日一夜をもととして三十日で一か月、十二か月で一年となり、五百歳の寿命があるから人間の二千二百年余りの年月は四天王の四十四日に相当する。だから日月ならびに毘沙門天王は、仏におくれていること四十四日であって、まだ仏が入滅されてから二か月もたっていないことになる。帝釈や梵天などは仏の入滅後まだ一月か一時しかすぎていないことになる。このようなわずかな間に、どうして仏の前でのお誓いや、ならびに自分が成仏することのできたお経のご恩を忘れて、法華経の行者を捨ててかえりみないなどということができえようか、などと思いつづけると頼もしいことである。
[15]したがって、法華経の行者の祈る祈りは、響きの音に応じ、影の体に添うように、また澄んだ水に月がうつるように、水の精が水を招きよせるように、磁石が鉄を吸い付けるように、また琥珀が塵をとるように、明鏡があらゆる物の色をうつし出すようなものであり、祈りは必ず成就されるのである。
四 竜女と提婆の成仏とその守護
[16]一般世間の法においても、自分が考えていないことであっても、父母・主君・師匠・妻子ならびに親しい友達などから依頼されたことには、恥を知る者ならば、わが心に合わないことであっても、名誉や利益を失うようなことになっても、さらに命に及ぶようなことであっても、実行するのである。ましてやわが心から良いことなので実行しようと決めて行なうことは、たとえ父母・主君・師匠などの制止や妨害にあったとしても、断行することがある。たとえば中国の范於期という賢人は、約束を守ってわが頸を切り、荊軻という人に与えた。また季札という人は約束した剣を徐の君の墓にかけたという物語があるほどである。
[17]このように一般世間のことでも、一度決めたことは必ず守ることになっている。ましてや仏道においてはなおさらのことである。すなわち霊山の法華の会座において即身成仏することが決まった竜女は、たとえ小乗の経典で、五つの障があり、三つの従うべきことがあって、強く嫌われ、また法華以前に説かれた諸経では、女は永い間の修行には耐えられないからといって捨てられ、あるいは華厳経で「最初に菩提心をおこしたとき、すなわち正覚を成ずることができる」と説かれたものの、名だけあって実際には成仏ができなかったので、女人が仏になることは許されていないのであった。たとえ人間界や天上界の女人であっても成仏することの望みはありえなかったのに、竜という畜生界動物の女として生まれ、年齢もわずかに八歳という。まったく成仏は思いもよらないことだったのに、文殊菩薩の教化を受け、海中において法華経を聞き、仏が法師品と提婆品の中間に説かれた宝塔品の時刻において仏になられたことは、いまだかつてないありがたい事であった。仏一代の中で諸経に越えた法華経の御力でなければ、どうしてもかなうことのできないことである。
[18]だから妙楽大師はこの竜女成仏について、「修行は浅くして功徳は深く、もって経力を顕わす」と書かれている。竜女は自分が仏になることのできたお経なのだから、仏の命令がなくても、どうして法華経の行者を見捨てるようなことができようか、そのようなことは決してできないであろう。だからみずから仏を讃歎した偈文の中に、「われは大乗の教えをひらいて苦しみの衆生を救いましょう」といわれているのである。この竜女の誓いはただちにその従っている他のすべての竜畜の誓いであって、言葉や心で測ることのできない深いものである。竜女の父である娑竭羅竜王は、竜畜の身であるが子を思う志が深かったので、大海の中で第一の宝である如意宝珠を娘に与えて、即身成仏のための御布施とされたのである。この珠は価値が三千大世界のすべての物に相当するほどの珠である。
[19]提婆達多は師子頬王の孫であり、釈迦如来には伯父である斛飯王の御子で、かの阿難尊者の兄にあたる。善聞長者の娘の子であり、転輪聖王のご一門であってこの南閻浮提の中では身分の賤しくない人物である。在家にいた時は、夫妻となるべきはずであった耶輸多羅女を悉達太子に取られてしまい宿世の敵と思い込んでいたが、出家のあとは人間や天人の多数集まった席上、仏から「お前は痴人で他人の唾を食べた者」とののしられたうえに、人一倍名誉や欲望の深い人だったので、仏が他の人人から手厚くもてなされているのを見て、ねたみそねみの心が湧きでてきた。そしてわが身に五つの修行を積み、仏よりも尊げなふるまいをし、鉄をのばして足の裏に千輻輪という仏の三十二相の一つである福相を焼き付け、さらに蛍を集めて眉間の白毫相のように見せかけ、六万宝蔵や八万宝蔵といわれる仏教を自分の説のごとくに説き、象頭山には戒場をこしらえて、多くの仏弟子たちを誘い取り、さらに爪に毒を塗って仏の御足に塗り込めようと考えたりした。そのうえ、蓮華比丘尼を打ち殺し、大石をなげて仏の足の指から血を流させたりしたのである。
[20]こうして三逆罪、すなわち仏の身から血を出させ、僧団の和合を乱し、仏弟子を殺してしまったのである。結局は全インドの悪人を集めて、仏やその弟子および檀信徒にまで被害をおよぼしたのであった。ときに仏の第一番の檀信徒であった頻婆娑羅王は、一日に五百輛の車にご供養の品物を積んで仏に奉っていたが、これを見た提婆はそねむ心が深く起こり、阿闍世太子をそそのかし、父王をついに一尺の釘七本で、張りつけにしてしまったのである。こうした悪事を重ねたので、ついに王舎城の北門の大地が破れて阿鼻地獄に落ちてしまった。三千大千世界の人々は一人のこらずこの様子を見て知っている。だから大地を微塵にしたほどの永い年月を過ぎても、無間地獄の大城から出ることはできないであろうと思っていたのに、法華経において天王如来となられたことは、まことにもって不思議に尊いことである。提婆達多が仏にならなかったとしたら、誘われて悪の道へ入った数多くの悪人たちも、同じ悪の仲間同志なので、みな無間地獄の苦しみを離れることはできないであろう。悪人の仲間もともに仏になれることになったのもひとえに法華経のおかげである。だから提婆達多とそれに付き従った数多くの眷属たちは、その法華経の行者の住む家に居られて守護することであろうと、頼もしく思う次第である。
五 諸大菩薩の行者守護
[21]大地を微塵にしたほどの数多くの諸菩薩らは、無量の煩悩を攻め破って仏の次の位にまで昇り、最後の一番もとになる無明という煩悩だけを残しているが、釈迦如来にお会いして、この元品の無明という大石を割ってしまおうとしたのだが、教主釈尊は始めの四十余年の間は、因位の修行方法については説かれているが、証果の法門についてはお説きになっておられないので、妙覚という悟りの功徳はまだ説きあらわされていない。したがって妙覚の位に登る人は一人もいなかったのである。これは本意のないことであった。
[22]しかるに霊鷲山で八年にわたり、仏は法華一仏乗をお説きになり、諸菩薩はみな妙覚の位に到達して、釈迦如来と悟りが等しくなった。ちょうど須弥山の頂に登って四方を眺めたように、長い夜が明けて太陽が出たように、すべてが明るくなったのであるから、仏のお言葉がなくとも、法華経を弘めないようにしようとか、または行者の苦難を替わってやることをしないでいようなどとは、思わないであろう。だから「私は身命に愛着せず、ただ一つ無上の道である妙法を惜しみ守ります」といい、「自分の身命を惜しまず、ひたすらこの法華経を広く説くことにつとめます」と誓願を立てられてのであった。
[23]そのうえ、慈父の釈迦仏・悲母の多宝仏、及び慈悲の父母とひとしく法華の真実たることの証明を助けた十方の諸仏が、一座につらなって月や日を集め並べたように明るく輝やく時、仏がその場の大衆に向かって、「私が滅度したのちに、だれかよくこの法華経を護持し読誦して弘める者はいないか。今仏前においてみずから誓いの言葉をのべてみよ」(宝塔品)と三度もおっしゃった。そのとき八方の四百万億那由陀もの国土に充満していたもろもろの大菩薩たちは、身を曲げ頭を下げて合掌し、ともに同時に声をあげて、「世尊のおっしゃった通りに、私どもは一所懸命に実行いたします」(嘱累品)と三回にわたって声も惜しまずお答えしたのだから、どうして法華経の行者の苦難に替わってやることができないでおられようか。
[24]中国の范於期という人は荊軻という人に自分の頭をとらせ、また季札という人は徐君の塚に刀をかけて、それぞれに約束を果たしている。これらは中国における辺境の身分の低い人々であるが、それでさえもきちんと友人との約束を命がけで守り、身にかえても実行した人たちである。ましてやもろもろの大菩薩といわれる人々は、本来より大悲の心を持って人々の苦難に替わってやるべき誓いを立てた人たちである。仏からのご命令がなくとも、どうして法華経の行者を見捨てるようなことができようか。そのうえ、自分たちが成仏することのできた経であり、仏からはおごそかにご命令が下されているので、仏前での御誓いはていねいなものであった。したがって法華経の行者を助け守ることは疑いのないところである。
六 法華経行者の祈りは必ず成就する
[25]仏は人間界や天上界の主君であって、一切衆生の父母にあたる。しかも悟りへの道を切り開き導いてくださった師匠である。たとえ父母であっても、相性のいやしい父母は主君としての徳義を備えていない。また主君ではあっても父母として親の徳を欠いていると、恐ろしく親しめない。さらに父母や主君の徳は備えていても、師匠としての徳を持っていない者もある。諸仏はまた世尊であるから主君ではあるが、この娑婆世界に出現されないので師匠ではない。また「その中の衆生はことごとくこれわが子なり」とも名乗っていない。ただひとり釈迦仏だけが主・師・親の三義を兼ね備えているのである。
[26]しかしながら、成道してから四十余年間は、提婆達多をののしり、もろもろの声聞をそしり、菩薩の果分たる仏の法門を惜しんで説かなかったので、仏ではあるけれども、ときに天魔や仏道を妨げて人心を乱す者たちが仏の身にとりついてわれらを悩ますのかと疑う人々も出始め、口に出しては言わないまでも、心の中で思う者もいた。こうした思いは四十余年間続き、法華経が説かれるまでつきまとったのである。
[27]しかるに霊鷲山における八年間の法華の会座で、宝塔が虚空に現われ、釈迦・多宝の二仏が日月のように並び、諸仏は大地につらなり、大山を集めたように大地から湧き出た数多くの菩薩たちが、虚空に星のごとくつらなりたもうたのである。その前で仏は諸仏が悟りを得ることのできた功徳のこもった法門をお説きになられたのである。ちょうど宝蔵を開いて貧人に宝を与えたように、また崑崙山が崩れて宝が現われ、人々はこの玉だけを拾って大いに嬉しがったように、この八年の間、珍しく貴いことを心髄にまで深く感じとったのである。もろもろの菩薩たちは身命を惜しまず、言葉も飾らず素直に誓願を立てたので、属累品で釈迦如来は宝塔から出られ扉を閉められたので、集まってこられた諸仏もみなそれぞれの国土へお帰りになられたのである
[28]さて、みんなが帰り心細くなった頃、仏は「これより三か月後に、私は涅槃に入るであろう」といわれて、一同を驚かせた。二乗や人間・天上界のことごとくの者が、法華経を聴聞して仏になれることを聞き、仏の恩徳を肝に命じてありがたく思い、身命を投げ出しても法華経のために尽くし、仏にも見ていただこうと思ったのに、仏のいわれるごとくもしも涅槃に入られたならば、どのようにか淋しく悲しいことであろうと胸さわぎがしていたときに、仏の御年満八十歳という年の二月十五日の朝、東インドの舎衛国倶尸那城にある跋提河のほとりにおいて、仏がご入滅なされるという知らせが、上は有頂天から横には三千大千世界にまで響きわたり、人々は目もくらみ心も消えうせる思いであったろう。全インドの十六の大国・五百の中国・十千の小国・数えきれないほどの粟散国等の衆生は、悲しみのあまり一人も衣食をとらず、上下の区別もなく、人間ばかりではなく牛馬や狼・狗・鵰鷲・蝱蝱などに至るまで、五十二類の一類の数が大地を微塵にしたほどの数もあり、そのすべてが集まって、それぞれに供華やお香・衣食等をお供えし、最後のご供養としてさしあげた。「一切衆生の宝の橋と頼む仏が折れようとしている。一切衆生の眼にあたる仏が抜けようとしている。一切衆生の父母であり主君であり師匠である仏が死のうとしている」という声が響きわたると、身の毛も立ってみな涙を流した。涙を流しただけでなく、頭をたたき胸を押さえ、声も惜しまずに泣き叫び、血の涙や血の汗が倶尸那城に大雨よりも激しく降り、大河よりも多量に流れ出したのであった。これはひとえに法華経によって仏になれたのであるが、その大恩に報ずることができなかったためである。
[29]このような嘆きの場所においてさえも、法華経の敵がいたならば、その舌を切るといって、座につらなっている人同志が叫び合っていた。また迦葉童子菩薩は「法華経に敵する国があったならば、自分は霜雹となってこらしめてやる」と誓いを立てた。そのとき仏は横になっていた身体を起こしてよろこばれ、「よいかな、よいかな」とおほめになられた。もろもろの菩薩がたも仏の御心を推しはかって、私たちも法華経に敵対する者を討ちますと申し上げると、仏はしばらくの間でも生きのびられることであろうと思い、一人一人がお誓いを立てられた。したがって諸菩薩やもろもろの天人らは、みな法華経の敵が出現したときは、この仏前でのお誓いをはたして、釈尊を始め多宝仏や諸仏如来に、まことに仏前で誓約したとおり、法華経の御ためには名も身命も惜しまなかった者たちであると思われるようにしたいと考えられていることであろう。このようにいうことは守護の験が遅いからである。
[30]たとえば大地を指してはずれることがあっても、虚空をつないで結ぶことができたとしても、大海の潮が満ちたり干き潮にならぬことがあったとしても、また日が逆に西から昇るようなことがあったとしても、法華経の行者の祈りが叶わぬということはありえないことである。万一法華経の行者をもろもろの菩薩や人天・八部等、二聖・二天・十羅刹女等が、千のうち一つでも守らないことがあったならば、上は釈迦諸仏を始めとして、下は九界をだました罪を犯すことになる。法華経の行者はたとえ不実であったとしても、智慧はおろかであっても、また不浄の身であったとしても、さらに戒徳は備えていないにしても、南無妙法蓮華経と唱えたならば、必ず守護し給うべきである。たとえば袋がきたないからといって中の金を捨てるようなことをしないのと同様である。また伊蘭の臭いを嫌っていては栴檀の香りをうることができないように、あるいは谷の濁った池を不浄であるといやがっていては蓮を採ることができないのと同様である。法華経の行者を嫌うようなことがあれば、仏前での誓いを破ることになる。
[31]現代は正法・像法の二時代はすでに過ぎ去っているので、戒律をたもつ者はなく、市中で虎をさがすようなものである。また智者は麒麟の角を求めるのと同じでまったく困難なことである。月が出るまでは燈火を頼りとするように、宝珠のないところでは金銀も宝として尊重されるのと同様である。昔白烏に恩を受けた人が黒烏に恩がえしをしたように、今の世にあっては聖僧から受けた恩を凡僧にかえすべきである。すみやかに利益を現わしたまえと強く申すならば、どうして祈りのかなわぬことがあるであろうか。
七 他宗の祈禱が効を現わさないのはなぜか
[32]お尋ねするが、これまでに書かれた道理や文証を拝見して見ると、実際に日や月が天に輝き、大地に草木が生い茂り、昼夜が国土に存在し、大地がひっくり返ったりせずに、大海の潮がいつもの通り満ちたり干いたりしているならば、法華経を信ずる人の祈りが現世に叶い後生も善処に生まれることは疑いのないものとわかった。しかし、この二十余年間、天台宗や真言宗の名僧や学匠が数多くの祈禱を行なったけれども、はかばかしくなく効果も上がっていない。それどころか仏教以外の外典を信仰している者よりも劣っているように見えるのである。これは一体どうしたことなのか。恐らくは経文がうそであるのか、または行者の行ないが間違っているのか、あるいは時機が適切でないのかと疑問に思えて、後生のこともおぼつかないことである。
[33]それはさておき、御房は比叡山で修行を積まれたお弟子だと承わっている。父の罪は子にかかわり、師匠の罪は弟子にかかわると聞いている。比叡山の僧らが薗城寺の山門・堂塔・仏像・経巻数千万巻を焼き払ってしまったことは、実に恐ろしいことであり、世間の人々もこのことをさわぎ立て、比叡山の僧たちを疎略に思うようになったことについてどのように思うか。今までにも少々承ったが、今一度くわしくお聞きしたいと思う。ただし不思議に思うことは、このような悪僧たちなので仏法僧の三宝の御意にも合致せず、天地の神にも叶わず、ましてや祈禱も叶うことはないと思われるが、いかがなものか。
八 聖徳太子の記文
[34]お答えしよう、前にも少しお話ししたけれども、今ここでまた改めて申し上げよう。わが日本の国においてこのことは大切なことである。このことを知らないために多くの人々は、口にさまざまな罪業をつくるのである。まず山門すなわち比叡山延暦寺が創建されたのは、わが国に仏法が伝来されてから二百余年たった桓武天皇の御宇に、伝教大師が立て始められたのである。その当時の京都は、昔聖徳太子が王たる者の都とすべき所であると申されたが、天台宗の渡ってくるのを待っておられ、それまでは都と定められなかったのである。
[35]また聖徳太子の記された御文に、「我が滅後二百余年に仏法は日本に弘まるであろう」とあり、その通りに伝教大師は、延暦年中に比叡山延暦寺を建てられた。また桓武天皇は京都の平安に都を定められたのである。太子の記文に間違いがなかったからである。だから比叡山と京都の王家とは松と栢のごとくであり、蘭と芝との関係である。すなわち松が枯れると必ず栢も枯れ、蘭がしぼめばまた芝もしぼむのである。王法が栄えれば比叡山もよろこび、王位が衰えれば比叡山も歎くことになる。このような関係にありながら、すでに世間は関東になびき王法は衰えてしまっている。この点を朝延ではどのように思われたのだろうか。
九 承久の乱と祈禱
[36]ところで真言宗の秘法を修した四十一人の行者が、承久三年(<暦>一二二一暦>)辛巳四月十九日に京都と関東とで争いが起きたとき、関東の北条氏を降伏させるために、隠岐の法皇(後鳥羽上皇)の宣旨によって初めて十五壇の秘法を実施したのである。その十五壇の秘法というのは、
[37]一字金輪法〈天台座主慈円僧正が、伴僧十二名とともに修したもので、関白殿基通の御沙汰によっておこなったものである〉
[38]四天王法〈成興寺の宮僧正が、伴僧八人と広瀬殿において修したもので、修明門院の御沙汰でおこなったものである〉
[39]不動明王法〈成宝僧正が、伴僧八人とともにおこなったもので、花山院禅門の御沙汰によるものである〉
[40]大威徳法〈観厳僧正が、伴僧八人とともに実施したものであり、七条院の御沙汰によるものである〉
[41]転輪聖王法〈成賢僧正が、伴僧八人とともに実施したものであり、同院の御沙汰によるものである〉
[42]十壇大威徳法〈伴僧六人で、覚朝僧正、俊性法印、永信法印、豪円法印、猷円僧都、慈賢僧正、賢乗僧都、仙尊僧都、行遍僧都、実覚法眼の以上十人が、おおむね本坊において修した〉
[43]如意輪法〈妙高院僧正が、伴僧八人で実施したものであり、宜秋門院の御沙汰によっておこなった〉
[44]毘沙門法〈常住院僧正が、三井で伴僧六人とともにおこなったもので、資賃の御沙汰によっておこなった〉
[45]御本尊を一日の中に造って実施した調伏のための行儀は、如法愛染王法〈仁和寺御室の行法で、五月三日から二週間にわたって、紫宸殿でおこなわれたものである〉
[46]仏眼法〈大政僧正が、三週間にわたって修したものである〉
[47]六字法〈快雅僧都が修したもの〉
[48]愛染王法〈観厳僧正が、七日間にわたって修したもの〉
[49]不動法〈勧修寺の僧正が、伴僧八人とともにおこなった。皆僧綱という位を持ったものであった〉
[50]大威徳法〈安芸僧正が修したもの〉
[51]金剛童子法〈同人がおこなったもの〉
[52]以上の十五壇法を実施したが、五月十五日に京都守護の伊賀太郎伴官光季が京都で討たれた。このことが同十九日に鎌倉に伝えられた。そこで同二十一日に幕府の大軍が京都へ攻め上ると報道されたので、残ったところの修法を六月八日から実施された。すなわち、
[53]尊星王法〈覚朝僧正によって実施された〉
[54]太元法〈蔵有僧都によって実施された〉
[55]五壇法〈大政僧正、永信法印、全尊僧都、猷円僧都、行遍僧都らによっておこなわれた〉
[56]守護経法〈御室がおこなわれ、日本では二度実施されたことになる〉
[57]こうした修法を実施したが、五月二十一日も武蔵守殿は東海道から京都に上り、甲斐源氏は東山道を上った。また式部北条朝時殿は北陸道から上られた。かくして六月五日には大津を守っていた武士たちが、甲斐源氏によって破られてしまった。同じく六月十三日と十四日は宇治橋の合戦が始まり、同十四日に京都方は関東軍に破られてしまった。そして同十五日には武蔵守殿は六条へ入られ、諸人も続いて入られた。七月十一日には本院(後鳥羽上皇)はもったいなくも隠岐の国へ流され、中院(土御門上皇)は阿波国へ流され、第三院(順徳上皇)は佐渡国へ流されたのである。そして殿上人七人は死罪に処せられてしまったのである。
[58]このように祈願してもかえって逆の効果をもたらした大悪法が、年とともに次第に関東へも弘まり、諸堂の別当や供養僧らにより、帰依を得ていつまでも続けられた。人々はもとより教法の邪正勝劣を少しもわきまえておらず、ただ仏法僧の三宝を崇め尊ぶことだとばかり思い込んでしまっていたので、何の疑問も感じずにこの悪法を信用してしまっていた。関東の国々だけではなく、比叡山も東寺も薗城寺でも座主や別当が、みな関東の支配下となったので、かの悪法の檀那信徒となってしまったのである。
十 真の醍醐味はどちらか
[59]お尋ねするが、真言の教えをしいて邪教というのはどうしてか。お答えしよう。弘法大師は「第一に優れた教えは大日経、第二は華厳経、第三は法華経である」といっているが、よくこの順序を考えてみる必要がある。いったい仏はどの経典にこの三部の経の勝劣を判定されているか。もしも第一大日経、第二華厳経、第三法華経と説かれた経典があるならばなるほどとも思うが、その経がないならば、弘法大師の説は、はなはだもって信用できないものである。法華経には、「薬王よ、我が説くところの諸経の中で、この法華経が最も優れた第一の教えである」と法師品に記されている。仏はまさしく諸教との対比のうえで、法華経を第一と説かれておられる。仏の説法と弘法大師の書かれたものとでは、水と火のようにまったく違っている。これはよく尋ねて究むべきことである。この数百年の間、弘法大師の書かれたものを凡僧も高僧もみなこれを学び信じて、貴賤・上下の別なく信仰し、大日経はすべての経の中で第一であると尊び崇めてきたことは、まことにもって仏の意に反することである。心ある人々はよくよくこの道理を考えて、どちらが正しいかを定めるべきである。
[60]もしも仏の心の反しているとしたならば、いくら信仰してみてもとても成仏することはできないであろう。またいくら国土の安穏を祈願してみても、まさに不祥事ばかりが生起して、安穏にはとてもならないことであろう。また弘法大師は顕密二教論の中で、「中国の人師らは競って最も優れた醍醐味の教えを盗み取った」といっているが、この文章の意とするところは、天台大師らが真言の教えの醍醐味を盗み取って、法華経の醍醐味であると名づけられたことは、最も重要なことなので、慎重に考えなくてはならないことである。そもそも法華経を醍醐味であると名づけたのは、天台大師が涅槃経の文から勘えて、すべての経の中では法華経こそが醍醐であると名づけ判定なされたものである。真言の教えがインドから中国へ渡ってきたのは、天台大師が世に出られて以後、二百余年ものちのことであった。
[61]したがって二百余年の後に渡ってきた真言の醍醐を盗み取って、法華経の醍醐と名づけられたことになる。このことはまずもって不思議なことといえる。すなわち真言がいまだ渡ってこない前の二百余年の人々を盗人であると書いた証拠はどこにあるのであろうか。弘法大師が真言を醍醐であるといったことを信ずべきか、涅槃経に仏が法華経をもって醍醐であると説かれていることを信ずべきであるのか。もしも天台大師が盗人ならば、涅槃経の文をどのように理解したらよいのであろうか。また涅槃経の文が真実であって、弘法大師の説が邪義であったとしたら、邪義の教えを信じている人々はいったいどういうことになるのであろうか。ただ弘法大師の説と、仏の説法とを考え合わせてみて、どちらか正義のほうを信じて従っていくべきであると申すのみである。
十一 権教の祈禱は無間地獄の業
[62]疑問に思うことがあるが、大日経は大日如来の説法である。もしそうだとしたら、釈尊の説法をもって大日如来の教法を打ち破ることになる。これはすべて道理にかなわぬことであるがどのように思うか。
[63]お答えしよう。大日如来はいったいどのような人を父母として、どのような国に出生され、大日経を説き給えるのか。もしも父母がなくて出世されたとしたのなら、釈尊入滅以後に弥勒菩薩が世に出られる以前の五十六億七千万歳の中間に、他の仏が出られて説法されるということは、どのような経文に出ているのか、もしも証拠がないとしたら、だれも信じはしないであろう。このような非歴史的な道理に合わないことのみをこしらえて言うから邪教というのである。その間違いは多くて数えきれないほどである。わずかに一二を例として出してみたにすぎない。これに加えてさらに禅宗や念仏宗等を用いているが、これらの法門はみないまだ真実をあらわしていない権教であり、不成仏の法門であって、無間地獄の業となるものである。またかの行者たちは正法たる法華経を誹謗した謗法の者たちであり、どうして祈禱が成就するわけがあろうか。
十二 早く教法の正邪に目覚めよ
[64]そもそも一国の主となるということは、過去に正法をたもち、仏にお仕えした功徳によってなれるのである。大小の王はみな梵王・帝釈・日月・四天等の御計らいとして、郡や郷を領有しているのである。すなわち仁王経には、「われ今五眼をもって明らかに三世を見るのに、すべての国王はみな過去の世に、五百の仏に仕えたことにより、帝王主となることができたのである」とある。それなのに法華経にそむき、真言・禅・念仏等の邪師について、さまざまに善根をおさめてみても、結局は仏の意にかなわず、神慮にも相違する者となる。この点をよくよく考えるべきである。
[65]人間としてこの世に生まれてくることは希のことである。その希の人生を与えられて、教法の邪正を極め、未来に仏になることを期待することができないとしたら、かえすがえすも残念であり本意とするところではない。また慈覚大師は唐の国へ入られて帰朝以後、本師である伝教大師にそむいて、比叡山に真言を弘めようとし御祈請されたが、そのおりに夢で太陽を射たところ、太陽が動転したのを見られて吉夢だと思いこみ、周囲の諸人らもまたこれを吉夢であると思って、四百余年の間そのように思い続けてきた。しかし、これは日本国にとっては大変に忌むべき夢であった。昔、中国の殷の紂王という人は太陽を的として弓を射かけたところ、その身が亡びてしまった。いまこの慈覚大師の夢は権化のことではあるが、よくよく考えなければならないことである。以上のごとくお尋ねに答えて、九牛の一毛、ほんの一端を記したまでである。